179・戦う理由

「なるほどな。あの双剣についてはわかった。で? お前はこれからどこに向かい、その場所でいったいなにをするつもりだ?」


「どこにって、ユグドラシル大陸に決まってるじゃないですか。バカンスですよ、バカンス。たまにはユグドラシル大陸に戻って、安全な場所でゆっくり休めって勧めてくれたのは、フローグさんですよ?」


 西に向かって並んで歩く二人が、天幕の密集地を抜けるのとほぼ同時に、狩夜の目的を探る問いかけをフローグが口にする。それに対し狩夜は、ほどなく到着する希望峰の先端、その先に見えるユグドラシル大陸を指差しながら答えた。


 が、半分本当で半分嘘なこの回答を、フローグは即座に一蹴する。


「そんな目をしてバカンスにいく奴がいるか。お前の目は、戦場に――いや、死地に飛び込む戦士の目だ。戦いにいくのだろう? ハンドレットサウザンドとなり、規格外の魔物をテイムしているお前がそんな目をしているんだ。相手はよほどの奴か?」


「……」


 鋭すぎる先人からの指摘に、狩夜は右手で頬をかく。次いで、観念したようにこう告げた。


「はい。これから僕たちは、とある場所で強い奴と戦います。生きて帰ってこれるかは……正直わかりません」


 そう、相手は聖獣。勝てる保証などはなく、今回ばかりは後退もない。この戦いでの敗北は、狩夜たちの死を意味する。


 ゆえに狩夜は、貴重な素材だけでなく、有り金すべてをもザッツたちに渡した。それだけではない。所有していた価値のあるものは、聖獣との決戦に使う可能性のあるものを除き、すべて処分した。


 聖獣に負けた瞬間、手持ちの財産はすべて無価値となり果てる。大金を抱えて死んだところで、死後の世界に別荘は建てられない。遺産を相続する家族も、この世界にはいない。なれば、手放してしまったほうが世のためだ。


「勝算は?」


「五分五分と言いたいですが、七・三で不利ですかね」


「手は足りているのか? 俺でいいなら手を貸すぞ?」


「ありがたい申し出ですが、あそこばかりはフローグさんでもどうにもなりません。お気持ちだけ受け取っておきます」


「……」


 狩夜からの拒絶の言葉に、フローグは言葉を途切れさせる。そして、数秒の熟考の末に、狩夜とレイラにしか聞こえないであろう声量で、こう言葉を紡いだ。


「聖域に向かうのか? 五代目勇者と異世界人」


「――っ」


 狩夜は「なぜそれを!?」と表情で語りながら、目を見開いて右隣りを歩くフローグを見下ろした。次いで言う。


「どうしてフローグさんがそのことを!? イルティナ様? それとも木の民の王? いや、勇者レイラのことは二人も知らないはず――」


「落ち着け、声を抑えろ。誰が聞き耳を立てているかわからん。ヴァンの巨人の中でちょっと、な。ランティスも知ってるはずだぞ」


「ヴァンの巨人……そうか、【厄災】以前の古代技術か……」


 ヴァンの巨人は、三代目勇者と幾度もぶつかり合った超兵器である。ゆえに、備えつけられていたのだ。世界の代行者たる勇者に無尽蔵の力を与える世界樹の種。その存在を検知し、操縦者に警告を促す装置が。


 ランティスは、ヴァンの巨人を操縦している最中に。フローグは、ランティスを救出する際に。救世の勇者の存在を知った。知ったうえで、そのことを己が胸中に留めていたのである。


「僕たちのこと、黙っててくれたんですね。ありがとうございます。あ、一応言っておきますけど、勇者は僕じゃありませんからね。救世の希望である五代目勇者様は、頭の上のこいつです」


 頭上を腹這いの体勢で占拠する不思議植物を右手で指差しながら、狩夜は自分は勇者じゃないと断言した。


 狩夜の言動に釣られる形で、レイラに目を向けるフローグ。彼の視線に気がついたレイラは「黙っててくれてありがとう~」と言いたげに、笑顔で手を振った。


 そんなレイラを暫し見つめた後、フローグは狩夜へと視線を戻し、言う。


「公言すれば各国――いや、全人類からの支援が受けられるにもかかわらず、お前らはそうしなかったからな。隠したいのだと思っていた。で、だ。まだ質問に答えてもらってないぞ。お前たちは聖域に向かうのか?」


「……はい」


「やはりな。〔水上〕歩行スキルを持つ俺がいけずに、お前たちがいける場所は限られる。だが解せん。なぜ聖域が危険なんだ? 聖域は、イスミンスールの創造主たる世界樹の根ずく場所。結界に守られた、異世界人しか足を踏み入れることのできない不可侵の地。そこにいるのは女神と聖獣のみだ。どちらにせよ、勇者の味方であるはず。お前たちは、聖域でいったいなにと戦うつもりだ?」


「実は――」


 狩夜はこの後、自身が知るすべてを、この世界の真実をフローグに語った。


 女神ウルドとの会話。【厄災】の呪いによる聖獣の暴走。枯れかけている世界樹。聖域での死闘と敗北。不完全な世界樹の種。世界に残された時間。


 これらを聞いた後、フローグは考えをまとめるかのように目を閉じた。そして、再び目を開くと同時に、こう呟く。


「そうか……我々人類に残された時間は、あと半年か……魔王に戦いを挑んでまで光の精霊の解放に拘ったランティスの判断は、間違いじゃなかった。やはり、あいつの勘はよく当たる」


「こんな大事なことを隠していてすみません。パニックになると思いまして。過度な期待を僕たちに向けられても困りますし。あ、でも、もう他の人に言ってもいいですよ? この話がフローグさんを通して各国の重鎮たちの耳に入るころには、僕たちはもう聖域の中ですから。僕たちの勝利を信じて待つもよし、第四次精霊解放遠征を強行するもよしです」


「魔王と一戦交える前にこの話を聞いたのなら、俺は第四次精霊解放遠征に向けて、今すぐにでも動き出しただろう。だが、無駄だな。お前たち抜きでもう一度魔王に挑んだところで結果は見えているし、たとえ勇者であろうと、三分でファフニールに勝てるとは思えん。俺は、お前たちが聖獣を倒し、世界を救ってくれると勝手に信じて、やれることをやるだけだ。当面の予定通り教え子たちを鍛えるとしよう」


「そうですか。ザッツ君たちを頼みます。僕たちがいなくなれば、ここは本来の姿を取り戻す。彼らはこの後、見たくないものを嫌でも見ることになりますから」


「そうだな。お前たちがいなくなったこの場所で、あいつらは真の地獄を目の当たりにするだろう。だが、それでいい。必要なことだ。地獄それを知ることで、あいつらは戦士の顔になる。お前のように」


 フローグはここで一旦言葉を区切ると、音が鳴るほどに強く両手を握り締めた。そして、呻くような声色でこう続ける


「しかし歯痒い。俺も共にいけるのならば、この命に代えて、聖獣の一匹ぐらいは仕留めてみせるものを……」


 この言葉と共に、フローグは足を止めた。そして「俺はここまでだ」とその表情で語りながら、少しずつ遠ざかる狩夜の背中をじっと見つめる。


「カリヤ、最後に答えろ。なぜ、今なんだ? まだ時間はあるだろう? 勇者であるそいつが、マナの枯渇した環境で三分しか戦えない以上、次の壁を破るのが時間的に不可能なのはわかる。ミリオンへの道のりの険しさは、俺が一番よく知っているからな」


 ミリオン。


 開拓者用語における『未到達領域』。基礎能力向上に必要なソウルポイントが、十万以上、百万未満の開拓者を指す言葉だ。


 開拓者がミリオンに至るには、最短で五十億五万という、気の遠くなる量のソウルポイントが必要になる。


 ゆえに前人未到。五枚目の壁を破り、この領域に足を踏み入れた者は、いまだかつて一人もいない。


「ハンドレットサウザンドで聖獣に挑む。それはしかたのないことだ。だがそれは、ギリギリまで己を高めない理由にはならん。あと半年あるのだろう? なぜ今、聖獣と戦う必要がある?」


「それは――」


 狩夜は、希望峰の先端、あと一歩踏み出せば崖下に転落するという場所で足を止めた。次いで振り返り、この後自分たちが決行する、聖獣打倒のために用意した作戦を、フローグに説明する。


 作戦の全容を聞いた後、フローグは目を丸くし絶句。数秒の硬直の末、狩夜の作戦をこう評した。


「とんでもないことを考えるな……が、確かに神を出し抜くには、それくらいしなければダメなのかもしれん。少なくとも、俺では思いつかん作戦だ」


「過分な評価、ありがとうございます。でも、猟師である僕にとっては、当たり前のことなんですけどね」


「カリヤ・マタギ。そして、救世の勇者よ。頼む。お前たちにしか頼れない。この世界のために、勝ってくれ」


「あ、それはお断りします」


 万感の思いと共に口にしたであろうフローグの嘆願を、狩夜は即座に切って捨てた。そして、断られると思っていなかったのか、再度目を見開き絶句しているフローグに向かって、次のように言葉を続ける。


「僕も、レイラも、世界のためなんて理由じゃ戦えません。僕らが戦うのは自分のため、命と引き換えにしてでも成し遂げたい目的のためです。守らなきゃいけない約束と、僕が生きてほしいと願う大切な人のためです」


「……」


「ザッツ君とリース。レイリィにルーリン。イルティナ様にメナドさん。ガエタノさんにタミーさん。真央に、青葉君。矢萩さんと牡丹さん。狛犬家の皆さんもそうだし、ランティスさんにガリムさん。カロンさんとアルカナさん。紅葉さんにレア。あ、もちろんフローグさんもですからね?」


「カリヤ……」


「顔を出すたびにオマケしてくれる道具屋のおっちゃんに、いろいろ教えてくれたスキュラのお姉さん。商魂たくましい牧場の女の子と、ギルドでお世話になった職員の皆さん」


 ――そして、最愛の妹、咲夜。


「生きててほしいじゃないですか。もう一度――ううん、何度だって会いたいじゃないですか。そのために越えなきゃいけない壁があるっていうのなら、相手がなんであろうと、どんな手を使ってでも乗り越えます。敵が強い? それがどうした! こちとら凡人! 格上相手は日常茶飯事! びびってなんてやるもんか! 気持ちで勝たずにどこで勝つ!」


 狩夜は不敵な笑顔を浮かべた。そして、フローグに向かって言い放つ。


「これが僕、叉鬼狩夜が戦う理由です! なにか文句ありますか!?」


「笑いたきゃ笑え」とばかりに狩夜から投げられた問いに、フローグは「なら遠慮なく」と鳴き袋を膨らませ、ケロケロと笑った。次いで言う。


「ない! いけ、カリヤ! 他でもない、お前自身のために!」


 偉大なる先人の言葉に背中を押され、狩夜は地面を蹴った。レイラと共に希望峰を飛び降り、ミズガルズ大陸を後にする。


 ――さあ、約束と、大切なものを守りにいこう。

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