177・『最高峰』
「今日も鍛錬につきあってくれてありがとな、兄ちゃん! また明日!」
昨日、夕食を終えた後のことである。「それじゃ、僕はそろそろ休むよ。おやすみ」と立ち上がり、レイラと共に切り株型の家に向かう狩夜の背中に向かって、ザッツはこう口にした。
リース、レイリィ、ルーリンも、それに続く。
「お休みなさいませですの、お兄様。良い夢を」
明日も狩夜は自分たちと一緒にいてくれる。そう信じている声だ。
「兄さん、今日はありがとう。とても有益な一日だった」
今日や昨日と同じように、明日も充実した一日になると疑わない声だ。
「お疲れあにぃ! 明日もよろしくね!」
こんな日々がこれからも続くと、それが当たり前だと考えている声だ。
かつての自分を想起させるこれらの声に、狩夜は振り返ることなく歩を進め、無言で右手を振ることで答えた。次いで思う。
――ごめん、ザッツ君。明日は、いや、明日からは、君たちの鍛錬にはつきあえない。
叉鬼狩夜は知っている。永遠に変わらない関係などないことを。
今日と同じ明日は、決してこないことを。
当たり前に続く日常がないことを。
そして、目的を達した自身が、明日を最後にこの地を去ることを。
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叉鬼狩夜 残SP・8281
基礎能力向上回数・10003回
『筋力UP・2500回』
『敏捷UP・3503回』
『体力UP・2500回』
『精神UP・1500回』
習得スキル
〔ユグドラシル言語〕
獲得合計SP・50043287
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今日という日に、狩夜は開拓者の『最高峰』、ハンドレットサウザンドの高みに至った。
ついに破った四枚目の壁。ここに至るまでの道程を思い返しながら、狩夜は右手を握り締める。待ちに待った瞬間を迎えたことに気分が高揚し、口角が吊り上がること抑えることができない。
――これで準備は整った。
いざ、決戦の時。
「か、カリヤの兄ちゃん?」
「――っ」
不意に聞こえた自身を呼ぶ声に、我に返る狩夜。声の聞こえた方向に視線を向けると、冷や汗をかきながら恐る恐るといった様子で近づいてくるザッツたち『不落の木守』の姿が目に映る。
「ああ、ザッツ君。おはよう」
浮かべていた笑みを消し、普段通りの顔で朝の挨拶をする狩夜。次の瞬間、狩夜の視界の中で、四人の少年少女が盛大に安堵の息を吐く。
「良かったですの……顔が元に戻りましたの……」
この言葉に、狩夜は「うん?」と小首をかしげる。相棒が時折みせるあの笑顔を、覚悟と狂気を孕んだ凄絶な笑顔を浮かべていたことを、狩夜本人は気づかない。
「兄さん、さっき凄い顔してた……なにかあった?」
「凄い顔……ああー」
レイリィの指摘に、狩夜は合点がいったとばかりに声を漏らす。次いで、恥ずかし気に右手で頬をかきながら、こう言葉を続けた。
「当面の目標にしてたハンドレットサウザンドになれたことが嬉しくて、つい笑顔が……ね。かっこ悪いところ見られちゃったな……」
男が一人突っ立って、にやにや笑っていたら、そりゃあ気持ち悪いよね。腫れ物扱いもしかたないか――と、狩夜は胸中で呟き、ザッツたちの自身に対する対応に、自分なりの答えを出す。
狩夜が見当違いの結論を出した直後、ルーリンが「ほへー」と感心と驚愕が同居したような声を漏らした。物事をあまり深く考えない彼女は、先ほど見た狩夜の顔などもう忘れたとばかりに、称賛の言葉を紡ぐ。
「あにぃ、ハンドレットサウザンドになったの? やったじゃん! 人類で三人目の快挙だね!」
開拓者の『最高峰』であるハンドレットサウザンドは、現時点で狩夜の他にはフローグと紅葉の二人しかいない。しかも狩夜の場合は、開拓者になって僅か半年というハイペースだ。彼女が驚くのも当然である。
「カリヤの兄ちゃん、もうハンドレットサウザンドになったのか……へへ! やっぱーすげーな兄ちゃんは! サウザンドになって少しは追いつけたと思ったのに、また差が広がっちまったぜ!」
弟分としては誇らしく、ライバルとしては悔しい狩夜の偉業を、ザッツは複雑そうな顔で称賛した。そんなザッツを見つめながら、狩夜は言う。
「あれ、ザッツ君たちサウザンドになったの? そっか、ザッツ君たちももう『一人前』か……なら、ちょうどよかったかな」
「ちょうどいい?」
「ザッツ君、今日で君たちとはお別れだ。僕とレイラはエムルトを去る。もう鍛錬にはつき合えない」
「「「「え……」」」」
狩夜の口から紡がれた別れの言葉に、ザッツたちは目を見開いた。そして、困惑した様子で口を動かす。
「な、なんで……?」
「さっきも言ったけど、目標だったハンドレットサウザンドになれたからね。知ってるとは思うけど、僕ら開拓者は壁を破る度に身体能力が激増する。その変化に慣れるには、少し時間がかかるんだ。ここ数カ月はまともに休んでないし、一度ユグドラシル大陸に戻って、ゆっくり体を休めながら、今の僕になにができるか見極めるつもりだよ」
嘘だ。
これは、ザッツたちに心配をかけまいと思い口にした、狩夜の優しい嘘。
これから狩夜が向かう場所は、聖域。
【厄災】の呪いで狂ってしまった聖獣が待ち受ける死地であり、自身と最愛の妹、そして、この世界、イスミンスールに生きる全人類の命運をかけた戦いがおこなわれる、決戦の地である。
ザッツたち『不落の木守』に、狩夜の嘘に気づいた様子はない。心底残念そうな顔をしてパーティメンバーと顔を見合わせた後、ザッツが代表するかのように口を動かした。
「そっか、いっちゃうんだな、兄ちゃん。ま、まあ、しかたないよな! うん! 兄ちゃんは頑張ってんだから、少しくらい休んでも、誰も文句は言わねーし、言えねーよ! でも後悔すんなよな? ユグドラシル大陸で休んでるうちに、俺たちに追い抜かれてもしらないぜ?」
「はは、そうだね。次に会うときを楽しみにしてるよ。あ、そうだ。『
狩夜が名前を呼ぶと、頭上の相棒が大きく口を開けた。次の瞬間 “ポン” という小気味の良い音と共に、レイラの体内に保管されていた、無数の物体が吐き出される。
「まず、リースにはこれ」
狩夜は、地面に並べられたものの一つ、砂色の物体を両手で持ち上げ、リースに向かって差し出した。
魔物の皮のようで、どこか違うそれを両腕で抱えるように受け取った後、リースは首を傾げながら狩夜に尋ねる。
「あの、お兄様? これはいったいなんですの?」
「ロバストアルマジロの
「ロバ――!?」
ミズガルズ大陸西部では、随一の防御力を持つといわれる魔物の名前を聞き、驚愕の表情を浮かべるリース。そんな彼女を見つめながら、狩夜はそれを渡した意図を口にする。
「その鱗甲板を使って、君の新しい鎧と盾を作るといい。きっといいものができるはずだ」
自身の両腕の中にある極上の素材を見つめながら硬直しているリースから離れた狩夜は、地面に置かれた人頭大の皮袋を手に取り、レイリィへと近づく。
「次に、レイリィ。君にはこれをあげよう」
「兄さん、この袋は?」
「袋自体はただの皮袋だけど、中にはトライデントフィッシュの歯が入ってる。加工して鏃にするといい。それならジャベリンホッパーの外骨格も貫けると思う。あ、そのままでもめちゃくちゃ鋭いから、気をつけてね」
「トライデントフィッシュの!? 凄い……」
これまた極上の素材であった。希少性ではロバストアルマジロの鱗甲板をもしのぐであろうそれを、レイリィは目を輝かせながら受け取る。
早速袋を広げ、中から歯を一本取り出し、ありとあらゆる角度から観察を始めるレイリィ。そんな彼女から離れ、狩夜は地面に横たわるひび割れた棒状の物体を拾い上げた後、ルーリンと向き直る。
「次にルーリン。君にはこれ」
「うおっほー! やっぱりあたしにもあるんだね、あにぃ! なになに!? その赤茶色で太くて長くて硬そうな棒状の物体はなんなのさぁ!?」
「あれ、なんか卑猥!? えっと “落ち目殺し” って知ってる?」
「え? もちろん知ってるよ、有名だもん。あにぃが倒したっていうハンドレットサウザンド級の魔物、主化したグリロタルパスタッバーだよね? って、まさか……」
「うん、これはそいつの尾毛なんだ」
「――っ」
戦いの最中、レイラによって内側から破砕された “落ち目殺し” の尾毛。四散したその一部の中でも、大きくて長く、ひびの少ないものがこれだ。
まさかのハンドレットサウザンド級の素材。予想もしていなかったであろう展開に、普段のおちゃらけた様子から打って変わり、ルーリンはこの上なく真剣な表情で、狩夜と尾毛とを交互に見つめている。
「これを、あたしに?」
「うん。この大きさだ。うまいこと加工すれば、八角棒の一本くらい削り出せると思う。僕が持ってても意味のないものだから、遠慮なく受け取ってよ」
「ありがとうございます、
狩夜が軽い調子で差し出した “落ち目殺し” の尾毛を、ルーリンは片膝を地面につけ、うやうやしく頭を下げながら、両手で受け取った。
そんな彼女を見つめながら「神剣や神槍でもあるまいし、大袈裟だなぁ」と、狩夜は呟く。
そして、あと一つ――否、二本となった贈り物を手に取り、狩夜はザッツと向かい合った。
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