174・愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ

 ジャベリンホッパーとの戦いが終わった後、『不落の木守』の消耗具合から、これ以上の戦闘は困難とフローグが判断。狩夜たちはきた道を引き返し、空が赤く染まりはじめたころに東門を潜り、エムルトへとたどり着いた。


 生きて帰れれば僥倖と評される絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアから、無事生還したザッツは、レイラに治療してもらった右の掌を見つめながら、悔し気に呟く。


「くそぉ、最後の最後で油断した……サウザンド級の魔物がしぶといなんてことは、ヴェノムティック・クイーンとの戦いでわかってたはずなのに……兄ちゃんが、思い出せって言ってくれたのに……」


「ソウルポイントは、結局兄さんの総取り……聖水と矢が無駄になった……今日の冒険は大赤字……骨折り損のくたびれ儲け……」


「元気出しなよザッツン。レイリンも。今日の失敗を糧に、また明日皆で頑張ろうよ」


「ルーリンさんの言う通りですの。今は、全員が無事にエムルトに帰ってこれたことを喜ぶですの」


 過去の経験を生かせなかったザッツと、パーティの金庫番であるらしいレイリィが暗い顔をする中、ルーリンとリースが励ましの声をかけた。二人は話題を変えるべく、次のように言葉を続ける。


「それにしましても、帰り道では魔物に襲われなくて良かったですの。わたくし、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアでは、もっとひっきりなしに魔物が襲ってくるものとばかり思っていましたが、そうでもないんですのね」


「あ、それはあたしも思った。聞いてたほどじゃないなーって。やっぱ噂には尾ひれが――」


「それは、僕とレイラが朝一で、けっこうな数間引いてるからだよ。実際はもっと多いから、誤解しないように」


「「「「……」」」」


 ルーリンの言葉を遮るように発せられた訂正の言葉に、ザッツたちは沈黙、視線を狩夜に集中させた。数秒後、全員の胸中を代弁するかのように、ザッツが尋ねる。


「兄ちゃん、それマジ?」


「マジマジ。僕らがエムルト周辺の魔物の数を減らさないと、死傷者が続出するからさ。もう毎日の日課だよ。まあ、どんなに頑張ってもゼロにはできないけど」


 狩夜のこの言葉に、フローグは鳴き袋を膨らませてケロケロと笑う。次いで、楽し気に口を動かした。


「なるほどな。魔物の数が随分と少ないと思ったらそういうことか。カリヤ、お前は今日一日で、どれくらいソウルポイントを稼いだ?」


「えっと……ここ三ヵ月は、毎日ソウルポイントを三十五万から四十万くらい稼ぐ事を目標に活動してます。今日もそれくらいかと」


「さんじゅうごまっ!?」


 淡々と紡がれた狩夜の言葉に、ザッツは顎が外れたと見紛うほどに口をあんぐりと開け、自身の驚きを表現した。そんなザッツに、狩夜は苦笑いを返す。


「気持ちはわかるよ、ザッツ君。少し前の僕がこの話を聞いたら、似たようなリアクションをしたと思うから。だけどね、実際はそこまで驚くようなことじゃないんだよ。これくらいのソウルポイントなら、レッドライン付近でテンサウザンド級の魔物を七匹倒すだけで賄える。十分現実的な数字だよ」


 魔物を倒した際に手に入るソウルポイントは、その魔物の累積ソウルポイントのおおよそ十分の一である。そして、テンサウザンドになるために必要なソウルポイントは、最小で五十万五千。ゆえに、テンサウザンド級の魔物を毎日七匹倒すことができれば、狩夜が言うように、日当で三十五万から四十万のソウルポイントを稼ぐことが可能となる。


 もっともこれは、狩る際の適正戦力が、ハンドレットサウザンドの開拓者なら一人、テンサウザンドの開拓者なら三人以上と評されるテンサウザンド級の魔物を、一日七匹というハイペースで、毎日安定して狩ることができる者にのみ許された数字だ。


「フローグさんだって、アルフヘイム大陸で活動しているときは、毎日これくらい稼いでいるんでしょう? いや、もっとかな? アルフヘイム大陸にいけるのは、現状〔水上歩行〕スキルを持つフローグさんだけ。効率は希望峰周辺の比じゃないでしょう?」


「まあな。もっとも補給の関係上、あまり長居はできんが」


「はわわ……天上人の会話ですの……」


「羨ましい……兄さん、少しでいいから私たちに分けてくれない?」


「残念だけど、レイラとラビーダじゃ、レギオンは組めないな」


 レギオン。


 同種のテイムモンスターで同盟を結ぶことで可能となる、拡張パーティのことである。


 簡単に説明すると、最大パーティ人数が三人のラビスタと、最大パーティ人数が四人のラビスタでレギオンを組めば、パーティ人数を七人に拡張できるというものだ。


 人数に限界はなく、ここに最大パーティ人数が五人のラビスタを加えれば、十一人にまで拡張できる。総勢百人を超える大規模パーティですら、不可能ではない。


 戦力の増加というわかりやすい利点が魅力のレギオンだが、欠点もある。それは、魔物を倒した際に手に入るソウルポイントの量が、テイムモンスターの頭割りとなり、端数が切り捨てになってしまうことだ。


 レギオンを組んだ状態でラビスタやビッグワームを倒した場合、獲得ソウルポイントがゼロになってしまうことが多々ある。そのため、生息する魔物の大半が、獲得ソウルポイント一、ないし二のユグドラシル大陸では、主の討伐のときぐらいにしか使用されないのが実情だ。


 同種のテイムモンスターでしか同盟を組めないので、テイムモンスターが地球産の魔物、マンドラゴラである狩夜は、他の誰ともレギオンを組むことはできない。これはフローグも同様である。


 もっとも、たとえできたとしても、狩夜がレギオンを組むことはまずないだろう。獲得ソウルポイント減少のデメリットが、あまりにも痛すぎるからだ。


「まあ、ないものねだりをしてもしょうがない。君たちはフローグさんを師事すると決めたんだから、彼を信じて進めばいい。大丈夫、きっとフローグさんなら、過去に実績のある確かな方法で、君たちを導いて――」


「過去? 実績? ないぞ、そんなモノ」


「……は?」


 狩夜は自身の耳を疑いながら、フローグへと向き直った。そして、恐る恐るこう尋ねる。


「あの、フローグさん? 先ほどおこなわれた一見無茶で無謀な鍛錬は、新人開拓者育成のハウツーに則った、過去に実績のある指導方法なのでは?」


「違う。あの鍛錬は俺が自分で考えたものだ。新人開拓者育成のハウツーなんてものがあるなら、今すぐ教えてほしいぐらいだぞ」


「……」


 今度は狩夜が沈黙する番だった。期待を真正面から裏切られ、先ほどのザッツと似たり寄ったりの顔をしている狩夜に向かって、フローグは呆れたように言う。


「カリヤ、開拓者という職と制度ができたのは、今から三年前だ。わかるか? たったの三年なんだ。『ベテラン』と呼ばれるランティスやガリム、『最高峰』だのなんだの呼ばれてもてはやされる、俺や紅葉であっても、三年のキャリアしかないんだぞ? 言わば、開拓者全員が新人同然。誰もが皆、暗中模索の只中だ。お前だってそうだろう?」


「は、はい……おっしゃる通りです……」


「俺たち開拓者にとって、同業者は仲間であると同時に、開拓地とソウルポイントを奪い合うライバルだ。開拓地もソウルポイントも有限であり、早い者勝ち。そんな条件下で、赤の他人を鍛えてやろうと考えて、実行に移すもの好きはほとんどいないぞ。事実、開拓者の誰もが自身と、自身のパーティメンバーの強化にこの三年を費やした。新人育成のハウツーなんて、できるわけがないだろうが」


「確かに……」


 強いて言えば、各国の開拓者ギルドの長を務めるギルドマスターの三人が、新人の育成と似たようなことをしているが、彼らが鍛えているのはギルド職員であって、開拓者ではない。ソウルポイントの稼ぎ方も少々特殊だ。参考にはならないだろう。


「それが悪いとは言わない。開拓者は、己の欲望に忠実であるべきだと俺は考えている。平時は己の利益を追求して同業者としのぎを削り、必要に駆られたときにだけ手を取り合う。三カ月前まではそれで上手くいっていた。俺自身、他者を鍛えている暇があるなら、自分自身を鍛えるべきだ――と、そう考えていた」


「過去形ですね」


「かの “邪龍” と、魔王と直接やり合って、少々心境に変化があってな」


 魔王。


 大陸、もしくは大海を丸ごと支配し、莫大な量のソウルポイントを千年単位で独占してきた別次元の魔物に送られる称号にして、全人類からの畏怖の証。


 フローグたち精霊解放軍を壊滅させた “邪龍” ファフニールは、そんな魔王の一体である。


「あれは、個人の力ではどうにもならん。奴と戦って生き残った者すべてが、そう考えていることだろう。奴の力は、ソウルポイントを手に入れて浮かれていた人類の鼻っ柱を圧し折るには十分すぎた。そして、ヤツを倒さぬ限り、光の精霊は解放できず、ミズガルズ大陸の開拓は遅々として進まない。ならば、俺たち開拓者がとるべき手段はおのずと限られてくる」


「今フローグさんがやっている様に、後進を鍛える者が増えると?」


「否が応でもな。実際問題、奴を相手取るには腕の立つ開拓者が足らんのだ。かの敗戦を切っ掛けに、俺たち開拓者のありようは少し変わるだろう」


「敗北から学ぶものは多いですよね」


 自身の経験を思い返しながら、しみじみと言葉を紡ぐ狩夜。この言葉に、フローグは大きく頷き返す。


「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ。だが、悲しいかな俺たち開拓者には歴史がない。ゆえに俺たちは、経験から学ぶ愚者であり続けるしかない」


「愚者ならまだましでしょう? 経験から何も学ばない無能となれば、滅ぶ以外に道はありません」


「ああ、まったくだ」


 ここでフローグは狩夜から視線を切り、二人の会話を興味深げに聞いていたザッツたち『不落の木守』へと向き直った。次いで言う。


「というわけで、お前たちには色々と期待している。一日も早く、立派な開拓者になってくれ」


「フローグさんは、獲得できるはずだったうん百万っていうソウルポイントを犠牲にして、君たちを鍛えてくれてるんだ。頑張らないとね?」


「ちょ、プレッシャーかけないでよ兄ちゃん!」


「そうだぞ狩夜。聞いていた通り、お前たちの育成は俺としても渡りに船だったんだ。気負う必要はない。だが、失望だけはさせてくれるなよ?」


「任せてくれよ先生! 俺は、俺たちは絶対強くなる! そんでもって、先生や兄ちゃんよりも立派な、世界一の開拓者になってみせるぜ!」


 これから待ち受けるのが、過去も実績もあったもんじゃない過酷な訓練だと知っても、ザッツの志気は依然として高いままだ。そんなザッツを見つめながら、フローグは満足げに頷く。


「よし、無駄話はここまでは。日が完全に沈む前に、今晩の寝床を作るぞ」


「はい、先生! おい、見せ場だぞラビーダ。テントを出してくれ」


「チュ!」


 ザッツの呼びかけに応じ、大きく口を開くラビーダ。次の瞬間、ラビーダの口から折り畳まれた状態のテントが吐き出される。その体積は、明らかにラビーダのそれを超えていた。


 ラビスタだけが習得できる固有スキル。〔魔法の頬袋〕である。


 吐き出された木製の骨組みを抱え、エムルトの一角にザッツたちがテントの組み立てを開始する中、狩夜はどこか誇らしげな顔をしているラビーダを見下ろしつつ、感心した様子で口を動かす。


「へー。ラビーダは、〔魔法の頬袋〕スキルを習得してるんだね」


「へへ、便利だろ! エムルトじゃ、宿代も馬鹿高いって言うしな! ここまでテントを運んでくれたラビーダ様々だぜ! 兄ちゃんは普段、寝床はどうしてんの? テントだってんなら、早く組み立てないと――」


「レイラ」


 狩夜の呼びかけに応じ、頭上を腹這いの体勢で占拠するレイラが動く。右腕から木製の砲身を伸ばし、間髪入れず種を発射する。


 テントの建設予定地から少し離れた場所に着弾した種は、地面にめり込むと同時に急成長。直径十メートル、高さ三メートルほどの巨大な切り株を、瞬く間に形成した。


 その切り株には、人間一人が余裕をもって通れるドアと、プラントオパール製の曇りガラスがはめ込まれた窓があり、空洞化した横枝を利用した煙突がついている。


 もう、どこからどう見ても家であった。巨大な切り株、その内側をくり抜くことで作られたこじゃれた家が、エムルトの一角に完成する。


 ザッツたち『不落の木守』が絶句する中、狩夜は切り株型の家に歩いて近づき、ドアに手をかけながら口を動かす。


「それじゃ、明日も朝早いから、僕はもう寝るね。お休み」


「兄ちゃんずっけー!」


「素敵なお家ですの……あの、お兄様? もしよろしければ、わたくしたちもご一緒させて――」


「駄目だ。テントの設営も鍛錬の一環だ」


「あう……残念ですの……」


 心底残念そうな顔をするリースに、狩夜は「ごめんね」と手を振った。その後、ドアを開き家の中に入る。


「カリヤ、その家ならこの地獄でもましな休息が取れるのだろうが、たまにはユグドラシル大陸に戻って、安全な場所でゆっくりと休むことだ。ここでは、真の意味での休息はとれん。俺には、今のお前は少し疲れているように見えるぞ」


 背後から不意に聞こえてきた、偉大なる先人からの忠告。その忠告に、狩夜は後ろ手でドアを閉めた後、次のように答えた。


「まだ休めませんよ。守らなきゃいけない約束がありますから」


「ええ、その通りですオマケ。今の私たちに、ゆっくり休んでいる時間などありません」


 狩夜がドアを閉めた直後、狩夜の胸元が波紋の如く波打ち、その波紋の中心から、身長二十センチほどの小人が勢いよく飛び出した。


 その小人は、背中から生えた半透明の羽をはためかせて妖精の如く宙を舞い、家の中を大きく旋回してから、狩夜の眼前で制止する。


 次いで小人は――女神スクルドは、狩夜と、その頭上にいるレイラに向かって、こう告げた。


「さあ、勇者様、そしてオマケ。予定よりもだいぶ遅くなりましたが、本日の聖獣打倒会議を始めましょう」

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