173・近状報告

「どうにかなりそう……かな?」


 視線の先で繰り広げられる戦いを見つめながら、狩夜は小声で呟く。


 聖水の使用が転機となり、『不落の木守』の逆襲がはじまった。不利だった戦況を五分――否、優勢と評して差し支えないところにまで押し返している。


「さあ、くるですの! あなたの攻撃は、このわたくしが受け止めてさしあげますの!」


 ショートメイスでタワーシールドの表面を何度も叩き、リースは耳障りな打撃音と、普段の彼女のものとは微妙に違う甲高い声を草原に響かせる。〔挑発タウント〕スキルだ。魔物の注意を引き、使用者への攻撃を誘発させるスキルである。


 スキルの対象となったジャベリンホッパーは、攻撃が効かなかったのときの鬱憤を晴らすかのように矢を射かけてくるレイリィではなく、盾を油断なく構えるリースの方に頭を向け、躊躇することなく突撃する。


 その突撃は、速度、力強さ共に、目に見えて減衰していた。聖水による能力の低下は、防御力だけにとどまらない。文字通り弱体化しているジャベリンホッパーの攻撃を、リースは真正面から受け止める。


 一度は弾き飛ばされた攻撃を、見事に受け止めるリース。そして、タワーシールドに額を押し付けながら停止し、無防備な横腹を晒すジャベリンホッパー目掛け、ルーリンが八角棒を突き出した。


「ナイスだリッスン! ここから先は、あたしにお任せ!」


 外骨格を貫き、昆虫採集の際に使用される虫ピンの如く胸部に突き刺さる八角棒。直後、ルーリンは体の向きを変え、背負い投げをするかのように八角棒を振るう。


 タワーシールドから離れたジャベリンホッパーは、半円の軌道を描いて空中を移動した後、地面に叩きつけられた。


「せいやーーー!」


 地面にめり込んで動きを止めるジャベリンホッパー。一方、ルーリンの動きは止まらない。ジャベリンホッパーの体から八角棒を無遠慮に引き抜いた後、その際の力を利用して横回転。そのまま八角棒を横薙ぎに振るい、自身の腕力と遠心力をたっぷりと乗せた一撃で、ジャベリンホッパーを打ち抜いた。


「あの子も、武人って人種か」


 ルーリンの体さばきと、繰り出される技の数々を見つめながら、狩夜は呟く。膨大な反復練習で体に覚え込ませたであろう彼女の動きは洗練されており、狩夜のそれとは質が違った。


 ゆえに、狩夜は察する。ルーリン・カルタムスは武人だ。狩人である叉鬼狩夜とは人種が違う。自分が彼女に教えられることは少ないだろう――と。


 ――そう言えば、真央はどうしてるかな?


 武人であるルーリンの戦う姿に、狩夜は七日間だけ冒険を共にした、とある仲間の姿を幻視した。


 真央。


 本名、美月揚羽。


 月の民――兎型の獣人であり、フヴェルゲルミル帝国・第八百三十二代将軍にして、月読命流剣術・免許皆伝という肩書を持つ女傑である。


 彼女もまた武人という人種であり、ソウルポイントの強化なしでサウザンド級の魔物や、テンサウザンドの開拓者と渡り合う達人だ。人種が違うという表現も、元を辿れば彼女の言葉である。


 比べる相手が悪いとはわかっているのだが、真央と比べると、ルーリンの動きは無駄が多いように思える。あの努力する埒外の天才は、今頃なにをしているのだろう?


「フローグさん、ユグドラシル大陸は、今どんな感じですか?」


 顔を横に向けることなく、『不落の木守』の戦いを目で追いながら口を動かす狩夜。やんごとなき立場にある真央のことを直接尋ねるのはまずいかな? と、もの凄く遠回しにされたこの問いに、フローグは次のように答える。


「そうだな……まず、俺の母国であるウルズ王国だが、少々まずいことになっている」


「まずいこと……ですか?」


「三カ月前の精霊解放遠征で、ギルを筆頭とした木の民の主力開拓者が全滅。現在、木の民にはテンサウザンド以上の開拓者が一人もいない」


「つまり木の民は、人材面で他種族の後塵を拝している――と」


 ウルズ王国は、木、水、風の民から構成される多民族国家であり、その国政は、国の頂点である木の民の王によって運営されている。


 今は大開拓時代だ。国の頂点が木の民であるにもかかわらず、木の民にテンサウザンドの開拓者がいないというのは、国の内外に対し、外面が悪いのだろう。


「王室は、この現状を強く問題視している。詳しいことは話せんが、多方面に手をまわし、木の民の開拓者、その象徴となる者の育成に躍起だ」


「象徴……もしかして、ザッツ君たちですか?」


「候補ではあるな。本命は別だが」


「はぁ、なるほど。では、フヴェルゲルミル帝国はどうです?」


「帝国はなにやら景気が良いらしいぞ。月の民に、念願だった男子の新生児が生まれたそうだ」


「え!? そ、それは本当ですか!?」


 フローグの言葉に、狩夜は目をむいて驚く。


 【厄災】直後、月の民の男子はほとんど産まれなくなり、その数を急速に減らした。狩夜がフヴェルゲルミル帝国を訪れたときには、すでに残り二人だけとなっており、他国から積極的に男の移民を募り、それでも男にあぶれてしまった女性が、満月の夜に男を求めて町中を徘徊するという社会問題が起きていた。


 真央が狩夜の仲間になったそもそもの理由も、ソウルポイントの力で男になるという目的を果たすためであった。


「本当だ。それも、一人や二人という話じゃない。月の民の男子は、着実にその数を増やしはじめている。帝国は連日お祭り騒ぎだそうだ」


「そっか……男の子、産まれたんだ……」


 原因こそ不明だが、月の民に再び男子が生まれはじめたというのなら僥倖だ。真央たちも肩の荷が下りたことだろう。


 狩夜は、真央だけでなく、フヴェルゲルミル帝国で知り合った人間すべての顔を思い浮かべながら「良かった良かった」と何度も頷く。


「最後にミーミル王国だが、こちらは安定しているな。国王は、光の民の新たな英雄、巨人殺しであるお前が、登城要請に応じてくれない――と、大層お嘆きらしいが」


「あはは……」


 横を一瞥すると共に紡がれたフローグの言葉に、狩夜は苦笑いを返す。


 ヴァンの巨人打倒の偉業を称え、貴殿に褒賞を与えたい――という、ミーミル王国王室からの登城要請。開拓者ギルドを通して聞かされたこれを、狩夜はなにかと理由をつけて突っぱね続けていた。


 狩夜は異世界人であることを隠し、名目上、自身は光の民であるとして日々活動している。ゆえに、本来なら王室の顔を立て、要請に応じたほうがいいのだろうが、狩夜には、そして、この世界には時間がない。


 登城して勲章をもらっている暇があったら、魔物を一匹でも多く倒し、ソウルポイントを稼ぎたいというのが実情である。


「今のユグドラシル大陸の情勢は、まあこんな感じだ。で、今度はこちらが聞かせてもらいたい。ここ、ミズガルズ大陸は、今どんな感じだ?」


「平常運転ですよ。見てわかったと思いますが、治安は悪化しています。物価も上昇傾向ですね。誰かさんのせいで、自殺しにきたのかと疑いたくなるような開拓者が増えていますが、それだけです」


「そうか」


「ギルドで意気投合した開拓者が、朝起きたら死体になっていたり」


「そうか」


「結婚の約束をした男性の死体に覆いかぶさりながら、血の涙を流す女性がいたり」


「そうか」


「事切れた仲間の死体からこぼれ出た内臓を、必死にかき集めている男性がいたり」


「そうか」


「死にかけの仲間に肩を貸す開拓者に、相場の何十倍もの値段で回復薬を売りつける商人がいたり」


「そうか」


「そんな人たちを見つめながら、「ああ、またか」「いつものことだ」と、なにも感じなくなっていく僕がいます。少しずつ変わっていく僕がいるんです」


「そうか」


「毎日が、地獄です」


「なるほど、確かに平常運転だな。いつものミズガルズ大陸だ」


 ここで、狩夜とフローグは互いに口の動きを止めた。無言で、ザッツたち『不落の木守』の戦いを見守る。


「くらえ!」


 ザッツが上段から振り下ろした曲刀が、後脚の付け根を捉え、胸部から切り離した。左側の足全てを失い、ジャベリンホッパーはその体を地面に横たえる。


「いまだ、畳みかけろ!」


 ザッツの号令を皮切りに、袋叩きがはじまった。動けないジャベリンホッパーをパーティ総出で取り囲み、己が得物を何度も何度も叩きつける。


 すでに、趨勢は決した。


「今日、ザッツ君たちに会えてよかった……」


 最後の足である右前足も失い、もはや事切れる寸前のジャベリンホッパー。そんな死にかけの獲物に止めを刺すべく曲刀を構えるザッツを見つめながら、狩夜は言葉を紡ぐ。


「久しぶりに、愛想笑いや作り笑いじゃない、本当の笑顔を浮かべられた気がします。そのおかげで自覚することができました。この過酷な環境に毒されて、叉鬼狩夜という人間が、どれだけ歪んでいたのかを……」


「うおぉぉおおぉ!」


 勇ましい雄叫びと共に、ザッツは曲刀を振り下ろす。渾身の力で振り下ろされたその曲刀は、ジャベリンホッパーの頭部に深々と突き刺さり、根元まで埋没する。


 ジャベリンホッパーの動きが、完全に止まった。


「……勝った?」


 曲刀から手を放した後、パーティメンバーの顔を見回しながら、ザッツは言う。


「わたくしたち……勝ったんですの……?」


「うん、勝った……よね?」


「勝った……勝ったよ、あたしたち……」


「「「「いいいっやったーーーー!!」」」」


 勝利を確信した『不落の木守』の四人が、満面の笑みで勝鬨を上げた。誰一人欠けることなく格上との死闘を制し、サウザンド級の魔物を自分たちの力で打倒したという事実に歓喜を爆発させる。


「兄ちゃん! 先生! やったよ俺たち!」


 自分たちの大戦果を先人に褒めてほしいのか、誇らしげな顔で振り返るザッツ。そんな彼に釣られて、リースが、レイリィが、ルーリンが、体ごと狩夜たちに向き直った。次いで、四人一緒に歩み寄ってくる。


 そんな彼らを見つめながら、狩夜は小さく息を吐いた。次いで、隣にいるフローグに声をかける。


「いきますか」


「そうしよう。そうだ、鍛錬につき合ってもらった礼だ。ソウルポイントはおまえにやろう」


「ありがとうございます」


 次の瞬間、狩夜とフローグは全力で地面を蹴り、『不落の木守』の四人の左右を疾風の如く駆け抜け、その背後へと回り込んだ。


 何事かと目を見開き、ザッツたちが背後を振り返る。


 彼らの視線の先には――


「あ……」


 腹部で地面を叩いて跳躍し、唯一残った武器である強靭な顎で、ザッツの頭部を今まさに噛み砕こうとしているジャベリンホッパーの姿と、ジャベリンホッパー最後の悪あがきを剣の腹で受け止めるフローグ。そして、ジャベリンホッパーの頭部をマタギ鉈で胸部から斬り飛ばし、止めを刺している狩夜の姿があった。


 勝利の熱が一瞬で冷め切り、沈黙する『不落の木守』。そんな彼らに向かって、フローグと狩夜は淡々と言葉を紡ぐ。


「サウザンド級の魔物は無駄にしぶとく、頭がいい。死んだふりくらいは普通にやる。動かなくなったぐらいで油断するな」


「一回死んだよ、ザッツ君。絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアじゃ、なにが起こるかわからない。いついかなるときも、緊張を完全に解いちゃだめだ。いい教訓になったでしょ?」


 こうして、ザッツたち『不落の木守』の絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアデビュー戦は幕を閉じた。

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