172・『駆け出し』冒険者と、サウザンド級の魔物
「なにを呆けている? 早く構えろ。敵は待ってくれんぞ」
フローグが口を動かしている最中、ジャベリンホッパーは瀕死の体を起こし、残った右前足と左後脚で器用に体を支えた。次いで、『不落の木守』の四人を、片目となった複眼で見つめながら体を沈める。
一瞬のための後、ジャベリンホッパーは後脚一本で地面を蹴り、跳躍。自己の延命よりも、人間を優先的に攻撃するという魔物の本能を優先し、倒すべき敵に向かって突撃した。
「――っ! 皆様、わたくしの後ろに、ですの!」
この攻撃に対し、反応できたのはリースだけだった。タワーシールドを構えてパーティの前に飛び出し、ジャベリンホッパーの進路上に立ち塞がる。
「だぁあぁ! 始まっちゃった!」
合流のために全力で走る狩夜。その視線の先で、タワーシールドと、先端を切り落とされたジャベリンホッパーの頭部が激突し、草原に轟音が響く。
「くぅ……!」
ジャベリンホッパーの突撃を受け止めた直後、リースの表情が歪む。歯を食いしばり、全身の力でタワーシールドを支えるが――
「きゃぁ!?」
あえなく弾き飛ばされてしまった。甲高い悲鳴を一つ上げた後、リースは草原の上に体を横たえる。
瀕死の重傷かつ、後脚一本での跳躍。万全の状態と比較すれば、八割以下の威力であっただろう攻撃でこれだ。もしジャベリンホッパーが万全の状態であったなら、リースは盾もろとも体を貫かれ、絶命していたに違いない。
基礎能力が不足していることは一目瞭然。リース・シュッツバルトの力は、
だが、彼女は盾役として、せめてもの矜持を見せた。ジャベリンホッパーの進路を僅かだが変更し、パーティメンバーを守ったのである。
仲間を庇い、傷を負ったリース。その姿を目の当たりにしたザッツは、ここでようやく我に返った。次いで、自らにも言い聞かせるように叫ぶ。
「全員、動け!」
パーティリーダーの言葉に反応し、レイリィとルーリン、ラビーダが動き出す。着地して、今まさに体の向きを変えようとしているジャベリンホッパーに対し、それぞれの武器を構えた。倒れていたリースも立ち上がり、傷つきよろめく体に鞭を打って、タワーシールドを手に走り出す。
――だめだ、見てられない。
傷ついた妹分の姿に、狩夜は苦悶に満ちた表情を浮かべた。ジャベリンホッパーの息の根を止めて戦いを終わらせるべく、草原の中を獣のごとく駆け抜けながら、マタギ鉈を鞘から引き抜き放つ。
「待て、カリヤ」
しかし、そこで待ったがかかった。戦闘に介入すると決めた狩夜の前に、突如としてフローグが現れ、鋭い眼光で威圧しつつ声を発したのである。
世界最強の眼光に足を止めさせられた狩夜は、非難めいた視線と言葉をフローグに返した。
「どいてくださいフローグさん、ザッツ君たちを助けます」
「駄目だ。ザッツたちの戦意は消えていないし、致命的な失敗をしたわけでもない。今戦闘に介入する事は許さん。鍛錬の邪魔をするというのなら、今すぐエムルトに帰れ」
「彼らを鍛えるにしても、こんな方法じゃなくてもいいでしょう!? 僕らで魔物の戦闘能力を完全に奪ってから、止めだけ刺させれば――」
「お前はそれで、本当の強さが手に入ると思うか?」
「う……」
フローグの至極もっともな指摘に、狩夜は言葉を詰まらせる。ほどなくして「思いません」と小声で言葉を返し、諦めた様にマタギ鉈を下ろした。
「そうだ。そんな方法でソウルポイントだけを稼いだところで、本当の強さは手に入らん。偽りの力を手に入れ、強くなったつもりになるだけだ」
狩夜が思い止まったことを見て取ったフローグは、口を動かすのをやめ、視線を戦場へと戻し、ザッツたちの戦いぶりを指導者として真剣に観察する。
狩夜もそれに倣い、ザッツたち『不落の木守』の戦場に視線を向けた。すると、身を沈めて力を溜めているジャベリンホッパー目掛け、矢を射かけるレイリィの姿が目に飛び込んでくる。
ジャベリンホッパーの攻撃範囲に入らぬよう、左側面に回り込んだ直後に放たれた矢は、ジャベリンホッパーの腹部に吸い込まれるように命中した。
見事な腕前である。木の民は弓が達者な者が多いと聞くが、レイリィの技術は、門外漢である狩夜にもわかるほどに優れたものだった。
しかし――
「刺さらない!?」
驚愕の事態に、レイリィは目を丸くして叫んだ。
比較的柔らかい腹部を狙って放たれた矢は、ジャベリンホッパーの体表を覆う外骨格に阻まれ、あっさりと弾かれてしまう。
立て続けに矢を放つレイリィだったが、そのことごとくが外骨格に阻まれた。石の
「硬すぎる! この弓じゃ、あの外骨格は貫けない!」
敵の強大さと、己が力不足、それ以上に武器の弱さを痛感し、レイリィは嘆いた。直後、力を溜め終えたジャベリンホッパーが地面を蹴り、ザッツ目掛け突撃を敢行。
死期を悟った手負いの魔物に後退はなく、また、小細工もない。一人でも多く外敵を道連れにせんと、己が最強の武器を振るい続ける。
直撃を受ければ、良くて重傷、最悪即死の突撃。だが、生死の境で集中力を極限まで高めたザッツは、その突撃を闘牛士さながらの動きで見事にかわし、擦れ違いざまに片手剣での水平切りを繰り出した。
ザッツの狙いは、相手の突進力を利用した、カウンターである。
自分の力が足りないのならば、相手の力を利用する。狙いは悪くない。悪くはないが、悲しいかなザッツの技はまだまだ未熟であり、基礎能力の差は歴然。加えて、相手の防御が硬すぎた。
「ぐあ!?」
ジャベリンホッパーは、進路上に現れた片手剣をものともせず直進し、何事もなかったように通過。一方、ザッツの片手剣はザッツの手を離れ、天高く舞い上がっていた。
失敗に終わるカウンター。ジャベリンホッパーに新たなダメージはなく、ザッツの方が傷を負うという結果となった。片手剣を握っていた右手、その内側の皮が派手にずるむけており、血が滴っている。
「あわわわ……」
歯を食いしばって痛みを堪えながら片手剣を拾い、再度ジャベリンホッパーと向き直るザッツ。そんな彼を見つめながら、狩夜は自分が戦う方がよっぽど薬だ――と言いたげな顔で声を漏らした。その後、フローグにこう提案する。
「あ、あの、フローグさん! この鍛錬は、せめてザッツ君たちが『
「カリヤ、お前は優しすぎる。指導者には向かんな。だが、その提案は却下する。格上の魔物との戦闘経験は、開拓者にとってこの上なく貴重な財産だ。『
「それはそうかもしれませんけど、勝負になってないじゃないですか! 余裕もなければ冷静でもありません! 今のザッツ君たちは、開拓者としての基本すら忘れています!」
「確かにな。まあ、手ではなく口を出すぐらいならかまわんだろう。優しい兄貴分として、助言の一つでもしてやれ」
厳しい先生役の俺にはできないことを、代わりにやってくれ――と、暗に促すフローグ。鍛錬に口出しする権利を貰った狩夜は、遠慮なく叫んだ。
「ザッツ君、ヴェノムティック・クイーンとの戦いを思い出すんだ!」
「――っ!」
狩夜の助言に、はっとした様子で顔を上げるザッツ。次いで、左手を腰に運びながら、パーティメンバーに指示を飛ばす。
「聖水だ! 皆、聖水を使え!」
『不落の木守』の四人の腰には、瓢箪を加工して作られた水筒が二つぶら下がっている。片方には普通の水が入っており、もう片方には聖水が入っているのだ。
聖水。
ユグドラシル大陸の水を火にかけ、水よりも沸点の低いマナを分離し、蒸留。回復力と魂の浄化作用を高めた、マナの割合が高い水。
傷の治療や、魔物との戦闘回避、非常時の飲料水にも使え、利便性が非常に高い。そのため、よほどの理由がない限り、開拓者はこれを常日頃から携帯することが推奨される。
防御力の高い魔物への対処方法は、聖水を直接浴びせかけ、防御力を下げてから叩くというのがセオリーだ。狩夜とザッツは、この方法でヴェノムティック・クイーンを撃破している。
「あ……そ、そうですの! 聖水がありましたの!」
「基本中の基本を失念していた。パーティ全員が猛省すべき失態」
「そっか! さっすがあにぃ! その手があったね! なら早速――」
いそいそと腰から瓢箪を外し、栓を抜くルーリン。そんな彼女を横目に、レイリィはこう指摘した。
「ルーリン。聖水は、ミズガルズ大陸では貴重品。エムルトで購入する場合、ユグドラシル大陸の二十倍から三十倍の値がつく。外さないよう注意して」
「うぇえぇ!? そんなにすんの!? ユグドラシル大陸の二十倍から三十倍ってことは、えっと……いくら?」
エムルトにおける聖水の値段を暗算しようとして、失敗したらしい。脳内をクエッションマークで埋め尽くしたような顔で、ルーリンは体ごとレイリィに向き直る。
「「こらこらこら! 前を見ろ、死ぬぞ!!」」
隙だらけの姿を晒すルーリン。そんな彼女を叱咤する狩夜とザッツの声が、意図せずに重なる中、ジャベリンホッパーが跳んだ。
千載一遇の好機を逃してなるものかとばかりに、ルーリンの背中目掛けて突撃するジャベリンホッパー。一方、標的とされたルーリンは、ニンマリと笑いながらこう呟く。
「かかった♪」
瓢箪を握る手に力を籠め、その表面に亀裂を入れるルーリン。その後、ジャベリンホッパーの攻撃範囲から、背中に目でもあるような動きで離脱する。
先ほどまで自分が立っていた場所に、ひび割れた瓢箪だけを残して。
ルーリンの体ではなく、ひび割れた瓢箪に突撃し、粉砕。顔面から聖水をかぶるジャベリンホッパー。そして、バッタ目の体は流線形。空中に浮かぶ液体に顔面から突撃すれば、その液体は当然全身へといきわたる。
「――!? ――――!?!?」
魂を浄化されるという、魔物である限り決して逃れることのできないマナによる弱体化の苦痛に、もだえ苦しむジャベリンホッパー。
フローグが事前につけた傷口に聖水が入り込み、化膿するかの如く傷口が広がってゆく中、レイリィが矢を放つ。
放たれた矢は、柔らかい腹部ではなく、最も強固な外骨格に覆われた頭部へと命中。そして、深々と突き刺さった。
「いける!」
聖水によって防御力が低下し、自分たちの攻撃が通じるようになったと確信したザッツは、差し込んだ勝利の光に笑みを浮かべつつ、己が得物を強く握り締めた。
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