171・ジャベリンホッパー

 飛蝗バッタ


 節足動物門昆虫こうバッタ目に属する動物の総称。


 後脚が大きく発達しているのが特徴であり、その後脚で体長の数十倍もの距離を跳躍し、移動する。また、幼虫は翅がないが、成虫になると多くの種類で翅が伸び、空中を飛ぶこともできる。


 バッタ目には、主な生活環境の違いから、地上性と植上性という区分が存在し、狩夜たちの前に現れた魔物は、植上性に分類される。だが、あの巨体を支えられる草本類は、そう滅多なことではお目にかかれはしないだろう。


 体は草原と同化する緑色であり、その断面は三角形に近い。体表に模様と呼べるものはほとんどなく、唯一の例外は、複眼・前胸部・後脚腿節たいせつを繋ぐように走る白線だけだ。そして、その白線を境に背面と腹面が綺麗にわかれており、腹部以外の全てが頑強な外骨格に覆われている。


 バッタ目特有の発達した後脚も目を引くが、一番の特徴は鋭角な頭部であろう。斜め上に尖った頭部の先端は非常に鋭く、刃物の如き光沢を纏っており、その先端から伸びる触覚もまた、十文字槍のかぎさながらの鋭さを持っている。


 負飛蝗オンブバッタ型の魔物、ジャベリンホッパー。


 希望峰周辺の草原地帯に生息する魔物の中で、ラビスタンと並んで特に危険視される魔物である。


 しかも、狩夜たちの前に現れたジャベリンホッパーは――


絶叫の開拓地スクリームフロンティアで最初に遭遇する魔物が、デュアル・ジャベリンホッパーか。持ってるね、ザッツ君」


 つがいであり、ツーマンセルであり、二段重ねであった。


 体長一メートルほどで、体つきもずんぐりしている雌の上に、体長六十センチほどで、体つきがスマートな雄が乗っかっている。


 他のバッタ類が速やかに離れるのに対し、オンブバッタは交尾時以外でも雄が雌の背中に乗り続けるため、「おんぶ」状態がよく観察される。そして、この「おんぶ」こそが、ジャベリンホッパーが恐れられる理由なのだ。


 ジャベリンホッパーは、雄と雌が揃うと強い仲間意識が芽生え、絶えず行動を共にするようになり、やがて高レベルの連携攻撃を身に着ける。サウザンド級の魔物による息の合ったコンビネーションなど、相対する開拓者から見たら悪夢以外のなにものでもなく、「おんぶ」状態の戦闘能力は、単独行動時の四倍とも五倍とも評されており、デュアル・ジャベリンホッパーと呼ばれ別物扱いされるほどだ。


 そんなデュアル・ジャベリンホッパーが草原を闊歩し、狩夜たちに向かって一直線に接近してくる。


 サウザンド級の魔物一匹に対する開拓者側の適正戦力は、テンサウザンドの開拓者ならば一人。サウザンドの開拓者ならば三人以上。ハンドレットの開拓者ならば数十人とされている。


 狩夜は現在テンサウザンドであるが、相手は二匹――否、その力を何倍にもするツーマンセルだ。単独での撃破は厳しい。普段なら背中の相棒を頼り、同じくツーマンセルで迎え撃つべき場面だが――


「フローグさん、上は僕がやりますから、下をお願いしていいですか?」


 せっかくの機会だからと、狩夜はレイラにではなく、隣にいる先達者に助力を求めた。そして、狩夜の提案にフローグは快く頷く。


「わかった、下は任せろ。俺としても、そちらの方が都合がいい」


「お願いします。それじゃ、僕は前に出ますね。ザッツ君たちは、フローグさんの傍を離れないように」


 この言葉と共に、狩夜は右手でマタギ鉈を鞘から抜き放つ。次いで地面を蹴り、フローグと『不落の木守』の四人をその場に残して、デュアル・ジャベリンホッパーへと疾駆した。


 狩夜の接近を見て取ったデュアル・ジャベリンホッパーは移動をやめ、下段の雌が後脚を折り畳んで身を屈める。


 一瞬のための後、二段重ねの体が地面に対しほぼ水平に跳ねた。槍の切っ先の如き鋭角な頭部で、外敵である狩夜を串刺しにするべく突き進んでくる。


 ジャベリンの名に恥じない、投げ槍さながらの突進。狩夜はその突進を――


「よっと」


 進路を右に反らすことで、あっさりとかわして見せた。


 オンブバッタは、飛翔可能な長翅型以外は飛ぶことができない。そのため、跳躍し地面を離れてしまえば、再度地面に足をつけるまで進路の変更は不可能。冷静に対処すれば、その突進を避けることは難しくない。


 ただのジャベリンホッパーなら、これで攻撃をやり過ごせる。腕の立つ開拓者ならば、擦れ違いざまに深手の一つや二つ負わせることもできるだろう。だが、相手がデュアル・ジャベリンホッパーとなるとそうもいかない。問題はこの後だ。


 すぐ横を通過していくデュアル・ジャベリンホッパーの姿を、油断なく見つめる狩夜の視線の先で、上段の雄が高速移動の際の空気抵抗をものともせずに回頭。その鋭角な頭部の切っ先を狩夜へと向け、狙いを定める。そして、自身と狩夜とが最も接近する擦れ違いざまに雌の背中を蹴って跳躍し、狩夜目掛けて突進してきた。


 文字通りの二段構え。雌の攻撃が当たればよし。もし避けられたならば、攻撃を避けたことで安堵しているところを雄が追撃する。バッタ目の脚力を十全に生かした、強力無比の連携攻撃。


 デュアル・ジャベリンホッパーが初手で多用してくるこの攻撃に対し、狩夜はすかさずバックステップを踏み、その場を離れた。


 雌のジャベリンホッパーがフローグと『不落の木守』の四人がいる方向へと驀進する中、意図的に雄のジャベリンホッパーと同方向かつ、ほぼ同速度で移動する狩夜は、近づきも遠ざかりもしない眼前のジャベリンホッパーを見つめながら思う。


 狙い通りに番を分断できた――と。


 デュアル・ジャベリンホッパーが初手で多用する二段構えの突撃は、威力と奇襲性が高い反面、一時的に番と離れてしまうという欠点がある。この攻撃をうまくやり過ごし、雄と雌を分断して各個撃破するというのが、デュアル・ジャベリンホッパー戦でのセオリーだ。


 番が再合流すると多彩な連携攻撃を開始し、面倒極まるので、狩夜は眼前の雄を手早く処理するべく行動を開始する。


 バックステップを踏んだ狩夜の体が重力に従って落下し、左足が地面についた瞬間、狩夜は右脚を頭より高く振り上げ、ジャベリンホッパーの頭部を下から蹴り上げる。


 テンサウザンドであり、敏捷を重視して基礎能力を強化している狩夜の脚力は凄まじく、真正面から受け止めたわけではないものの、ジャベリンホッパーの突進力を見事に相殺し、一瞬の拮抗の後に押し返す。


 体を地面に対し垂直に持ち上げられ、天を仰ぎながら動きを止めるジャベリンホッパー。だが、狩夜の動きは止まらない。マタギ鉈を握る右手を閃かせ、無防備な腹面と関節部分に、鋼の刃を走らせた。


 次の瞬間、頭部、胸部、腹部が泣き別れし、胸部と繋がっていた六本の足も根本から切り飛ばされ、ジャベリンホッパーは、その戦闘継続能力の悉くを奪われた。


 切り分けられた各パーツが地面を転がり、ピクピクと蠢く中、狩夜は言う。


「レイラ、もう食べちゃっていいよ」


 狩夜の言葉に反応し、頭上に肉食花を咲かせるレイラ。次いで両手から蔓を伸ばし、まだ動いているジャベリンホッパーの体を絡めとって、肉食花の中へと放り込んでいく。そして、食事中の相棒を尻目に、狩夜は雌のジャベリンホッパーがどうなったかを確認するべく、体ごとフローグたちの方へと向き直った。


 必要ならば、即座に救援に向かうつもりだったのだが――


「先生すげぇ……」


「圧倒的ですの……」


「これが、フローグ・ガルディアスの力……」


「うぉっほー! 先生かっけー! 楽勝じゃん!」


 感嘆の声を漏らすザッツたち『不落の木守』の四人。そんな彼らを守るように立つフローグの足元には、半死半生のジャベリンホッパーが転がっていた。


 最大の武器である頭部の先端は触角ごと切り落とされ、右前足と左後脚以外の足は胸部から切り離されている。左目は潰され、腹部にも深い切り傷があった。まだ息はあるようだが、生きていると言うよりは、死んでないと表現するべき状態である。


「まぁ、サウザンド級相手に、フローグさんが手間取るわけもないか」


 後は止めを刺すだけ。それを視認した狩夜は、マタギ鉈を鞘に納めた後、慌てず騒がず、歩いてフローグたちの元へと向かう。


 が、ここで狩夜にとって、そして、ザッツたち『不落の木守』の四人にとっても、予想外のことが起きた。


 なんと、ジャベリンホッパーに止めを刺すことなく、フローグが剣を鞘に納めてしまったのだ。次いで歩き出し、唐突に盾役を放棄。『不落の木守』の四人を、ジャベリンホッパーの前に放り出す。


「え?」


 狩夜が困惑顔で声を漏し、瀕死とはいえ格上であるサウザンド級の魔物と相対して『不落の木守』の四人が硬直する中、フローグは言う。


「それでは、鍛錬を開始する。お前たち四人でそれに止めを刺せ。瀕死とはいえ相手はサウザンド級。戦闘能力もある程度残しておいた。くれぐれも油断しないように」


 ――フローグさぁぁぁあぁん!? それ猛獣と同じ! 猛獣が我が子に狩りの仕方を教えるのと同じ方法ですからぁ! 待って! お願いだからちょっと待って! せめて僕がそっちに戻るまで待ってぇ!


 先ほどの「そちらの方が都合がいい」とはこういう意味かと納得しつつも驚愕し、狩夜は一秒でも早くフローグたちと合流するべく、全力で駆け出した。

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