閑話 遠征の後・フローグの場合

「ただいまー!」


 ウルズ王国北部に存在する発展途上の小さな村、ティール。そこにある平屋の木造住宅の玄関をラビーダと共にくぐると同時に、ザッツは元気よく声を上げた。


「おう、ザッツ。お帰り」


 手入れをしていた水鉄砲から顔を上げ、ザッツを笑顔で迎え入れたのは、美男美女揃いの木の民では珍しく、かなり厳つい顔をした男であった。


 エラの張った四角顔で、耳は横に長く、ブランの名が示す通り、褐色の肌をしている。しなやかな筋肉の鎧を纏った体の上に、革製のガンホルダーを巻きつけ、全身の至る所に水鉄砲を携帯していた。


 この家の家主にして、ザッツの叔父。ガエタノ・ブラン・マイオワーンである。


「随分と機嫌がいいな? なにか良いことでもあったのか?」


「へへ! 聞いてくれよ伯父さん! 俺たち、ついにベヒーボアを! あの新人殺しを倒したんだぜ!」


 右手の人差し指で鼻をこすりながら、今日の狩りの成果を誇らしげに宣言するザッツ。するとガエタノは、感心したように「おお!」と声を上げ、次のように言葉を続けた。


「凄いじゃないかザッツ! ベヒーボアが倒せるようなら、もうティール周辺では敵なしだな!」


 ベヒーボア。


 新人殺しの異名を持つ、黒い毛並の猪型の魔物。血の匂いにとても敏感であり、倒した魔物の死体を惜しんで持ち歩いたり、解体に手間取ったりしたハンドレットの開拓者が襲われ、毎年多数の犠牲者を出すことで有名。


 そんなベヒーボアを――危険度、戦闘力共に、ユグドラシル大陸に生息する全魔物の中でも、上位に位置する魔物を、ザッツのパーティは撃破した。これは、彼らの実力がユグドラシル大陸であればどこであろうと通用すると証明したに等しい。


「俺も、少しは強くなったってことかな」


 自身の成長を噛みしめるように呟きながら、ザッツは後ろ手で引き戸を閉める。そんなザッツを見つめながら、ガエタノが小首をかしげた。


「一人か? パーティメンバーのあの子らはどうした?」


「さすがに全員が無傷ってわけにはいかなかったから、治療がてら水浴びにいってる。まかり間違って裸なんて見たら責任取らされるから、俺だけ先に戻ってきた」


 人を癒し、魔物を弱体化させる神秘の物質、マナ。世界樹を水源とするユグドラシル大陸の水には、このマナが溶けている。そのため、飲めば力が漲り、浴びれば小さい傷などは塞がってしまう。


 そして、ザッツのパーティは、全員が他種族からお堅いと定評のある木の民である。相手が嫁候補とはいえ、その裸体を見るのは色々とまずい。嫁候補から、候補の文字が消えかねないからだ。


「ふむ、お前とあの子らがパーティを組んでだいぶたつが、どんな感じだ? うまくやっていけそうか?」


「うん、大丈夫だと思う。結成当初に感じていた硬さも取れたし、連携もスムーズになってきた」


「強さや人格に問題はないか?」


「まったくない。三人とも俺なんかにはもったいないくらいだ。あいつらとなら上にいける。ただ、男が俺しかいないから、なにかと肩身が狭いよ。ラビーダをテイムしたときは、こんなことになるなんて思ってもみなかったなぁ。俺は、無理と無茶を通しやすい、男だけのパーティを組むつもりだったし」


 リビングへと歩を進め、ガエタノの向かいの席に腰かけるザッツ。その後、家族であるガエタノ以外の視線がないことをいいことに、だらけきった様子で体を折り、右頬をテーブルの上に乗せた状態で体を休める。


 家族にしか見せないであろう甥っ子の無防備な姿に苦笑いを浮かべつつ、ガエタノは言う。


「国王陛下直筆の推薦状を無下にはできんだろう。王命だと思って諦めろ。それだけお前が期待されているということだ、ザッツ」


「親が凄いんだからきっと子も、なんて期待のされかたされても困るって。いや、あいつらに不満があるわけじゃないし、強いパーティメンバーは大歓迎なんだけど、三人ともやばいくらい可愛いからさぁ……周りの俺を見る目と陰口がなぁ……」


「周囲の視線や雑音なんぞ気にするな。ガルーノやカリヤ殿を超える開拓者になるのだろう? ほれ、しゃきっとしろ、しゃきっと」


「カリヤの兄ちゃんか……」


 目標にしている人物の名前に反応し、体を起こすザッツ。そして、木目模様のついた顔を上に向けながら、次のように言葉を続けた。


「兄ちゃん、今頃なにしてるのかなぁ……」


「カリヤ殿か? 聞いた話によると、ヴァンの巨人を倒した後にケルラウグ海峡を渡り、今はエムルトで活動中らしいぞ」


「すげぇよなぁ……マジですげぇ……」


 ザッツとほぼ同時期に開拓者になった狩夜は、今や知らぬ人のいない英雄となっていた。おおよそ半年前に見送り、いつか追い越すと誓ったその背中は、近づくどころか離れていく一方である。


 この現状に、ザッツは嬉しさと悔しさが混在したような表情を浮かべた。


「俺、ほんとに追いつけるのかなぁ……」


「ザッツ、焦るな。生き急いだ開拓者がどうなるかは、お前もよく知っているだろう。今は地道にソウルポイントを稼ぐんだ。誰もがカリヤ殿のように、一足飛びに強くなれるわけじゃない」


「わかってる。わかってるよ。でも、それを理由にして諦めたくないんだ」


 ハンドレットの開拓者は、ユグドラシル大陸で地道に活動し、一年から二年の時をかけ、サウザンドを目指すのが正道とされている。ザッツもそれにならい、この半年の間、毎日のように魔物を狩り、ソウルポイントを手に入れ、基礎能力の向上に努めてきた。


 その甲斐あって、ザッツは今日という日に、一つの目標であったベヒーボアを倒すことができた。それ自体は誇らしいのだろうが、かの【返礼】を、ヴァンの巨人を倒した狩夜とでは、比ぶべくもない。


 このままでは絶対に追いつけない。そう表情で語りながら、ザッツは音が鳴るほどに強く歯を食いしばった。


 そんなとき――


 コンコン


 不意に、玄関の戸が叩かれた。ザッツとガエタノは、ほぼ同時にそちらへと顔を向ける。


「誰だろ? あいつらが帰ってきたにしては早すぎるし……」


「他の村民にしては、随分と丁寧なノックだったな? とりあえず出てみるとしよう。はい、ただいま」


 席を立ち、玄関へと向かうガエタノ。そして、ザッツの視線の先で引き戸を開け放った。


「「――っ!?」」


 次の瞬間、目に飛び込んできた人物に度胆を抜かれ、両者共に息を飲む。


 家の前に立っていたのは、世にも珍しいカエル男。世界最強の剣士にして、水の民の――いや、ウルズ王国の英雄。フローグ・ガルディアスその人だったからである。


 目を見開いて硬直するガエタノ。そんな彼を見上げながら、フローグは沈痛な面持ちで口を開いた。


「貴殿が、ガエタノ・ブラン・マイオワーンであろうか? 我が名はフローグ・ガルディアス。貴殿と、貴殿の甥、ザッツ・ブラン・マイオワーンにどうしてもお伝えしなければならないことがあり、参上した。ザッツ殿はご在宅だろうか?」


「は、はい! 私がガエタノ・ブラン・マイオワーンであります! 甥のザッツも家の中に! おいザッツ! ガルディアス殿だ! ガルディアス殿がきてくれたぞ! お前も早く出迎えんか!」


「す、すげー! 本物のフローグ・ガルディアスだ!」


 硬直状態から復帰したガエタノが深々と頭を下げる中、ザッツは目を輝かせて席を立ち、玄関へと走る。そんなザッツを、やはり沈痛な面持ちで一瞥した後、フローグは再度ガエタノを見上げた。


「少々お時間を頂きたい。不都合があるようなら出直すが?」


「いえ、まったく問題ございません! とりあえず中へどうぞ! なにもない荒ら屋ではありますが、精一杯のおもてなしをさせていただきま――」


「いや、ここでいい」


 ガエタノの言葉を遮った後「むしろ、ここでなければだめだ」と首を左右に振るフローグ。そして、ガエタノと、玄関にやってきたザッツの眼前で両膝を折り、むき出しの地面に額が着くほどに深く頭を下げた。


「「……」」


 国の英雄が披露した実に見事な土下座に、ザッツとガエタノが再度硬直す中、フローグは言う。


「申し訳ない」



   〇



「なるほど、お話はわかりました。このティールを滅ぼしかけ、我が弟ガルーノと、その妻メラドの命を奪ったヴェノムティック・クイーンは、ガルディアス殿の過失によって、アルフヘイム大陸から持ち込まれた可能性が高い……と」


「はい。痛恨の極みです」


「……」


 ガエタノからの確認に、一切の弁明をせずに肯定するフローグ。そんな彼を、ザッツは複雑な表情で見つめていた。


 三人の会談場所は、マイオワーン家のリビングである。フローグとガエタノがテーブルを挟んで向かい合っており、ザッツはガエタノの右隣に座っていた。


「死者の出ているマイオワーン家への訪問が、今日まで遅れてしまったことへの不義理、重ねて謝罪したい。お二人には、誠に申し訳ないことをした。できうる限りの補償をさせていただきたい」


「いやいや、頭をお上げくださいガルディアス殿。精霊解放遠征への参加と、ヴァンの巨人との戦いは、私共も聞き及んでおります。その事後処理を終えた後、国王陛下やイルティナ様、ジャンルオン家にも、同じように頭を下げられたのでしょう? 人類の明日を左右する大事や王族よりも、我々を優先しろなどと、どうして言えましょうや」


「ご理解いただき、感謝する」


「して、国王陛下は此度の件、なんと?」


「証拠不十分につき、不問とのこと。イルティナ様や、ジャンルオン夫人は、王の意志に従うと」


「で、あるならば、私も同様です。ヴェノムティック・クイーンをガルディアス殿が持ち込んだという確固たる証拠がない以上、私はガルディアス殿に対し、一切の補償を求めません。あくまで、私はですが」


 ガエタノはこう言った後、右手を伸ばしてザッツの背中を叩いた。


「言いたいことがあるなら今言え」という伯父の促しに応じ、ザッツは淡々と口を開く。


「俺の父ちゃんと母ちゃんを殺したあの化け物は、本当にあんたが持ち込んだのか?」


「いや、繰り返しになるが確たる証拠はない。風の悪戯で卵が運ばれた可能性もあれば、流木に乗って流れ着いた可能性もある。一番可能性が高いのが、俺だというだけだ」


「……」


「だが俺は……他でもない俺自身が、その魔物を持ち込んだのは俺だと確信していて、その罪はなんとしても償わなければならないと考えている。だから俺は、今ここにいるんだ」


「そっか……」


 ザッツはここで口の動きを止めると、十秒ほど目を瞑った。その後、目を開くと同時に、決意を感じさせる声色で言葉を紡ぐ。


「あんたを今ここでぶん殴っても、父ちゃんと母ちゃんが生き返るわけじゃないし、俺がどんなにあんたを糾弾したところで、王様が不問って言った以上、あんたは無罪だ。そんでもって、あんたは国の英雄だ。多くの人から期待されている、世界一の開拓者だ」


「……」


「そんなあんたの弱みにつけこんで、なにかを要求するのは、本当はやめたほうがいいんだと思う。マイオワーン家の名を貶めることになりかねない。でも……それでも俺は、あんたにやってもらいたいことがある」


「そうか、なんでも言ってくれ。遠慮することなどない。俺にできることならどんなことでもしよう」


「どうしても追いつきたい人がいる! でも、今のままじゃ追いつけない! 強くなりたいんだ! 俺の先生になってくれ!」

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