164・前線基地エムルト
エムルトには、木や石で造られた家屋は存在しない。船によって運ばれた大小の移動式住居、遊牧民が使うような円形の天幕が、身を寄せ合うように立ち並んでいるだけである。
狩夜は、そんな天幕と天幕の間を歩き、一路目的地を目指す。そして、道中否が応でも聞こえてくる無数の絶叫に、この地の名前の由来に、耳を傾けた。
「いてぇ! いてぇよちくしょぉぉおぉ!」
「左腕がない……私の左腕が……どこ!? どこよぉおぉお!?」
「回復薬だけじゃ血が止まらないわ! 止血縫合を! 早く!」
「毒が、俺の体に毒がぁ……死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくない、死にたくないぃいぃ」
どうやら、今日も今日とて
この地では、実にあっけなく人が死ぬ。生き急いだハンドレットの開拓者が、数十人のレギオンを組んで乗り込んできたときなどは、屍山血河が築かれることも珍しくない。
「■■■■■■■■!!」
「――っ」
不意に、防壁の向こう側で断末魔の絶叫が上がった。人のものとも、魔物のものとも判別できぬそれに、狩夜は体を強張らせ、足を止める。
また誰か死んだのか? 今から向かえば間に合うか? と、狩夜が顔をしかめた次の瞬間、開拓者たちの勝鬨の声が上がる。
勝者は人間であることを知り、狩夜は安堵の息を吐くと共に歩き出す。そして、ほどなくして目的地へと到着した。
開拓者ギルド・エムルト支部。
エムルトのほぼ中心、数ある天幕の中で一番の大きさを誇るそれは、ミズガルズ大陸で活動する狩夜たち開拓者をサポートする、このエムルトにおける最重要施設だ。
その最重要施設の出入り口を、狩夜はレイラと共に潜る。すると――
「きたぞ! カリヤだ!」
「おい! 気をしっかり持て! 助かるぞ!」
「君がカリヤ・マタギだな! 君が連れている魔物は怪我の治療ができるのだろう!? 頼む、私の仲間を助けてくれ! 金ならいくらでも払う!」
「カリヤ君、お願い助けて! ミーシャが、ミーシャが目を開けないの!」
「押すんじゃねぇ! 俺が先だ! 早く治してくれ、毒で死んじまう!」
「あたしのパートナーを、クーちゃんを治してあげて! あたしを庇って大怪我したの! なんでも、なんでもするからぁ!」
中で待ち構えていた十数人の開拓者が、我先にと狩夜に詰め寄ってきた。
ある者は、金銭が詰っているであろう布袋を掲げながら。ある者は、瀕死の重傷を負ったテイムモンスターを抱きながら。ある者は「体で払うから」と色香を振りまきながら、狩夜に助けを求めてくる。
自身、もしくは仲間の命がかかっているためか、皆一様に必死であり、遠慮がない。そんな開拓者たちにもみくちゃにされながら、狩夜は叫ぶ。
「わかりました! 治療します! 全員ちゃんと治療しますから、落ち着いてください! 一列に並んで! はい、そうです! 重傷者から順番に! これでもう大丈夫ですよ! そこ、傷が治ったからって無理しない! この治療では、失った血液までは元に戻りません! しばらくは安静に! いいえ、お金は結構です! その代わり、僕のお願いを一つだけ聞いてください! お前ら全員、次の船でユグドラシル大陸に帰れ! 余計な手間を増やして、僕らの邪魔すんなぁ!」
言葉の途中で口調を荒げた狩夜が、有らん限りの怒声をギルドに響せる。
〇
「まったくもうまったくもう! まったくもうだよまったくもう!」
レイラによる治療を終え、ようやく解放された狩夜は「今、機嫌悪いです」と、足音で主張しながらギルドの中を歩き、カウンターへと近づいた。そして、受付嬢の前に木製の依頼カードを叩きつける。
「これ、お願いします!」
「はいよ。荒れてるねぇ、カリ坊」
対応した受付嬢、狩夜よりも背が低い、モグラのような鬚を生やした恰幅の良い地の民の女性が、口を動かしつつカードを受け取った。
エムルトに入ったことで警戒レベルを引き下げ、狩夜の背中から頭上へと移動したレイラが、体内に保管していたモンスターの死骸を口から吐き出し、カウンターの上に積み上げていく中、狩夜はイラつきを隠そうともせず、次のよう答える。
「荒れたくもなりますよ! なんなんですかあの人たち! 『
「そう言ってやりなさんな。あの『駆け出し』たちも、実際にここにくるまでは、あんな目に遭うなんて思っちゃいないよ。ユグドラシル大陸の魔物相手に勝ち続けて、調子に乗っていたヒヨッコどもが痛い目にあった。それだけのことさね」
「情報ぐらい集めましょうよ! ユグドラシル大陸の魔物と、ミズガルズ大陸の魔物じゃ、強さがまるで違うなんて、少し調べれば――いや、開拓者ギルドに出入りしていれば、絶対耳に入るでしょうに!」
「耳には入っちゃいるだろうね。でも、野望と欲望に目がくらんだ連中や、自信と慢心を履き違えた馬鹿どもには、先人たちが自分たちを足止めするために流した偽情報に聞こえるんだろうさ。それにほら、今は巨人殺しの英雄様がエムルトに滞在しているからね」
受付嬢の言葉に「僕?」と、右手で自身の顔を指差す狩夜。
「ああ。カリ坊が連れている魔物が治療能力を持っていることは、ヴァンの巨人との戦いでユグドラシル大陸全土に知れ渡ってる。死なない限りは、どんな重傷も
身もふたもない受付嬢の言葉に、狩夜は右手で顔を覆う。そして、数秒間の熟考の末、次のように提案した。
「連絡船に乗船基準を設けたほうがいいんじゃないですか? ハンドレットの開拓者は乗れません、みたいな」
「無理だね。『開拓者は、みずからの意思でユグドラシル大陸の外に出る権利を得る』と、八種の民すべての王から認められてる。そんなことをしたら、あたしらが怒られちまうよ。人類の版図拡大を邪魔するとはなにごとかってね。それに、馬鹿の中にも大成する奴はいるさね」
「そんな人、ほんの一握りでしょうに……」
「まあね。カリ坊こそ、治療するときに対価を貰えばいいじゃないか? そうすれば、お前さんに頼ろうとする連中も少しは減るだろうよ。金はガッポガッポ。気に入った女相手にはカッポカッポ。一石二鳥どころか三鳥だ」
「対価を払えない人は?」
「見殺しにすればいい。実際、あたしらはそうしてる。『開拓者ギルドは、開拓者の安全、健康面に干渉せず、一切の保証をしない』さ」
「割り切ってますね……」
「じゃなきゃ、こんな地獄で仕事なんてできやしないよ」
「僕はそこまで割り切れません。それに、誰であれ見殺しにすると、しばらく寝つきが悪くなって、食事も不味くなるんですよねぇ……」
口ではなんだかんだと言いつつも、狩夜は人を助けてしまう。実際今日もそうしたし、それは明日も、明後日も、その先も変わりはしないだろう。
加えて、狩夜の仲間には女神がいる。救世の希望たる
「まあそんなわけで、僕たちはこれからも、できる範囲で人助けを続けたいと思います。お金には困っていませんし」
「難儀な性格してるね、ほんと。ほい、確認したよ。【ラビスタン狩り】【地中の暗殺者を討て!】【毒針採取】の依頼達成だ。合計で42000ラビス。持ってきな」
話をしながらもテキパキ仕事をしていた受付嬢が、報酬である歯幣をカウンターに置き、狩夜は「どうも」とそれを受け取った。直後、すぐ左隣のカウンターで、肉塊をまな板に叩きつけたような音が上がり、狩夜と受付嬢が何事かとそちらに目を向ける。
「おい蛇女! とっと確認しやがれ、いつまでかかってんだ!」
「うっせーなぁ! 生意気言ってると丸飲みにすんぞ! 大人しく待ってろやハゲ!」
「ハゲてねぇよ!? くそ、このギルドにはろくな受付がいねぇ! ブスか、性格ブスかのどっちかだ! ユグドラシル大陸のギルドには、顔も性格もいい受付が、一人か二人必ずいたってのによ! こいつら相手じゃ口説く気にもなりゃしねぇ!」
「そうかよ、そりゃあ残念だったな! てめーみたいな口も態度も悪いハゲどもがでかい顔をするようになってから、ご所望の上等な受付たちは、全員移動になったっての! もっともてめーみたいなハゲは、誰からも相手にされないだろうがな!」
「うんだと、ごらぁ! 殺すぞ性格ブス!」
「やってみろやハゲ! こちとら地獄で働いてんだ! いつでも死ぬ覚悟はできてんだよ!」
狩夜の視線の先で、ガラの悪い光の民の男性開拓者(ハゲてはいない)と、これまたガラの悪い火の民の受付嬢、下半身が蛇のラミアが、激しく言い争いをしている。先ほどの音は、光の民の男性開拓者がカウンターを右手で叩いたときのものだろう。
「あっちはあっちで荒れてるねぇ」
「治安悪いですよね、相変わらず。誰の土地でもなく、自警団もいないんだから、当然と言えば当然ですけど」
魔物に支配された土地を開拓し、そこに人が住める環境を構築した場合、開拓者はその開拓地の支配権を得ることができる。この『人が住める環境』というのは、ソウルポイントで強化されていない普通の人間が、恒久的に暮らせるという意味だ。
防壁は高いとは言えず、マナも薄いエムルトは、その段階にはほど遠い。サウザンド級の魔物がそれなりの頻度で強襲してくる場所に、普通の人間が暮らせるわけがない。
ここは町や村でもなく、開拓のための前線基地という扱いであり、誰の土地でもないのだ。
「少し前、ランティスやガリムたちがいた頃は、そうでもなかったんだけどね。自発的に治安維持に取り組んでくれる開拓者が何人もいたもんさ」
「ランティスさんたちは今、ユグドラシル大陸で魔物のテイムに勤しんでいて、ここにはいませんもんね」
イスミンスールに生きる全人類、その全てが期待した第三次精霊解放遠征が、失敗という形で終わったのは記憶に新しい。
ランティスたち精霊解放軍は、“邪龍” ファフニールの前に敗走。壊滅的被害を被った。
ランティスたちと共に戦ったテイムモンスターは全滅。ソウルポイントでの強化手段を失った精霊解放軍の面々は、開拓の一時休止を余儀なくされ、狩夜が言うように、ユグドラシル大陸で魔物のテイムに勤しんでいる。
精霊解放軍の面々がこの地を去った後、エムルトに残った開拓者は、命知らずのハンドレットか、実力はあっても、なにかしらの理由で精霊解放軍のメンバーに選ばれなかったわけありばかり。
そんな状況が三ヵ月ほど続き、エムルトの治安は随分と悪化した。犯罪行為や殺人が横行するほどではないが、粗暴者が随分と幅を利かせており、開拓者同士による小競り合いが絶えない。
これが、前線基地エムルトの現況であった。
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