162・地獄での日常

「逃げろ! 追いつかれたら終わりだ! 全力で走れぇ!」


「いやぁあぁああぁあ!」


「くるなっす! 怖いっす! 死にたくないっすぅうぅ!」


 ミズガルズ大陸の西方、レッドラインの内側に広がる草原地帯に、開拓者たちの切羽詰まった声が響き渡る。


 光の民の男性一人と、風と闇の民の女性二人。そして、テイムモンスターと思しきラビスタ一匹で構成されたパーティである。


 パーティリーダーらしき青年は皮鎧を着こみ、右手に石剣、左手には木製のラウンドシールドを装備している。風の民の女性は、露出の多い踊り子らしき服を纏い、腰には鞭をぶら下げていた。闇の民の女性は、革製のビキニアーマーを纏い、武器は既にロストしたのか空手である。


 男性は十人並みの容姿だが、女性二人はそれなりの美人である。だが、人目を引くのは二人の顔以上にその豊満な体であろう。大地を踏みしめる度、豊かな双丘が豪快に弾み、今にも服から零れ落ちてしまいそうだ。リーダーである青年が、どのような基準で二人をパーティメンバーに選んだのか、透けて見える光景であった。


 そんな彼らは現在、とある魔物からの追走を受けている。


 体長は三、四十センチほどで、淡い茶色の毛皮に覆われた齧歯類。


 名を、プレーリーヘルドッグ。数は八。


 プレーリードッグは、地中深くに巣穴を掘り、コテリーと呼ばれる雄一匹に対し、雌数匹という一夫多妻制の家族を形成する。縄張り意識は非常に強く、敵対する他のコテリーの雄を生き埋めにすることもあるほどだ。


 この開拓者三人組は、不用意にそのコテリーへと己が得物を突き入れた後、家族総出の熱烈な歓迎を受けることとなり、今に至っている。


「キャン! キャン!」


 名前の由来である犬のような鳴き声を上げながら、開拓者を追い立てるプレーリーヘルドッグたち。その瞳は、縄張りを侵した外敵への怒りと、人間を優先的に攻撃する魔物の本能に染まっていた。


 すでにコテリーからは随分と離れているのに、追撃が終わる気配は微塵もない。背後の敵は自分たちを見逃す気はないと察したのか、風の民の女性が次のように声を上げる。


「このままじゃ追いつかれるわよ! いっそ戦う!?」


「馬鹿言うな! 見ろ、これを! 一噛みでこれだぞ!? あんな化け物と戦えるか!」


 パーティメンバーからの提案を、ラウンドシールドを掲げながら一蹴する光の民の男性。プレーリーヘルドッグの攻撃を受け止めたと思しき木製のラウンドシールドは、おおよそ四分の一が無残にもえぐり取られていた。


「外見に惑わされるな! あの小さい体に、とんでもない力を秘めてやがる! ユグドラシル大陸の魔物とは比べ物にならない強さだ! 勝てる気がまったくしねぇ!」


「リーダーと同意見っす! あたしの槍も、巣穴に突き入れた瞬間に穂先を食いちぎられたっす! 戦ったら絶対に負けるっす! 全滅間違いなしっす!」


 ユグドラシル大陸の魔物とミズガルズ大陸の魔物とでは、たとえレッドラインの内側であろうと、その強さには大きな開きがある。誰もが知るその事実を、知識としてではなく経験として知った二人の心は、既に折れていた。


 戦えば、死ぬ。


 浮かべた表情でそう語りながら、彼らはひたすらに逃げ続けた。


「ああ、もう! だから私は、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアにいくのはまだ早いって言ったのに!」


「言ってねーよ!」


「そうすっよ! ユグドラシル大陸の魔物なんて弱すぎて相手にならないわ。早くミズガルズ大陸にいきましょう――って言ってたのは誰っすか! あねさんっすよね!? なに責任逃れしようとしてるっすか!」


「あ、あなただって、雑魚相手にちんたらソウルポイントを稼ぐのには飽きたっす。もっと手応えのある魔物と戦いたいっすね――とか言ってたじゃない!」


「喧嘩してる場合か! 今はとにかく希望峰に向かって走れ! エムルトに逃げ込んで、他の開拓者に助けを求めればなんとかなる! 必ず生きて、ユグドラシル大陸に帰るんだ!」


 ミズガルズ大陸の西端、希望峰の上に築かれた人類の拠点、前線基地エムルト。ユグドラシル大陸全土から腕利きの開拓者が集まる、開拓の最前線。


 そのエムルトこそが、絶体絶命の窮地にある彼らにとっての、唯一の希望であった。


 魔物に奪われた大地を取り戻し、人類の版図を広げ、自らの国を造る。そんな壮大な夢を胸に開拓者となり、希望峰を、その先に広がる絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアを目指していたであろう彼ら。


 だが、今はその正反対。


 レッドラインの内側に生息する、ミズガルズ大陸でも最下層に位置する魔物にすら歯が立たず、彼らの夢は容易に打ち砕かれた。敗者として、ただ生きるために、希望峰を、その先にあるユグドラシル大陸を目指している。


 そんな、一心不乱に西を目指す敗北者の前に、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアは、一匹の刺客を差し向けた。


「あれは――ラビスタか?」


 自分たちのゆく手を遮るように、草むらから飛び出した見慣れた魔物を見つめながら、光の民の男性は呟く。


 饅頭のような体にクリクリの瞳。小さい耳と短い尻尾。口からは長く頑丈そうな前歯が覗いており、手足はない。


 間違いなくラビスタである。光の民の男性がテイムし、行動を共にしているラビスタと、姿形に変わりはない。


 違いがあるとしたらただ一点。毛皮の色が、黄色ではなく白だということだけだ。


「雑魚が邪魔するな! どけ!」


 ユグドラシル大陸で幾度もラビスタと戦ったことがあるのだろう。光の民の男性は、右手の石剣を振りかぶり、躊躇することなく切りかかる。今、自分がいる場所がどこかも忘れて。


 そう、ここはミズガルズ大陸。そこに生息するラビスタは、ラビスタであってラビスタではない。


 彼の目の前にいるのは、ラビスタの上位種であるラビスタン。


 そして、その名前の由来は――


「なんだ? 全身がひか――ゴガガガガガ!?」


 敵対生物を一時的に行動不能にする電撃である。


 ラビスタンの全身が発光した次の瞬間、紫電が空中を走り、開拓者三人を貫いた。全身を駆け抜けた高圧電流によって、開拓者たちの筋肉は硬直。受け身すら取れずに転倒し、地面を転げ回る。


「ぐ……が……」


「な、によ……これ……?」


「う、動けないっす……」


 地面に這いつくばり、無防備な姿を晒す開拓者たち。そんな彼らに止めを刺すべく、ラビスタンは大口を開けて飛び掛かる。


「チュ!」


 すると、主人を守るべく、テイムモンスターであるラビスタが動いた。勇敢にもラビスタンの前に立ち塞がり、決死の体当たりを見舞う。


 が――


「チュ~!?」


 身体能力が違い過ぎた。ラビスタは容易にはじき返され、その体は宙を舞い、開拓者たちの上を通過して、地面を転がる。


 そんなラビスタに、八匹のプレーリーヘルドッグが殺到した。


 地球のプレーリードッグは、基本的には草食であり、ミネラルの補給のため、たまに昆虫を食べる程度だ。しかし、プレーリーヘルドッグは違う。雑食性であり、動物の肉も好んで食べる。


 そんなプレーリーヘルドッグに、ラビスタは全身を蹂躙され、瞬く間に食い殺された。


「ら、ラビリアー!!」


 相棒の死に様を目の当たりにし、光の民の男性が絶叫する。歯を食いしばって体を動かそうとするが、体は反応しなかった。


 そんな彼に、ラビスタンが再度飛び掛かる。


 彼を守る者はもういない。このまま抵抗すら許されず、ラビスタンに食い殺されることだろう。


 これが、生き急いだ開拓者の末路だ。


 ユグドラシル大陸の魔物を一方的に屠る全能感に酔い、自信と慢心を履き違え、力も知識も足りないまま、ミズガルズ大陸に足を踏み入れた者は、大抵似たような最後を迎える。


 彼らが特別不幸なわけじゃない。


 よくある話だ。


 これがここの日常だ。


 ここは、生きて帰れれば僥倖の蠱毒壺。この世の地獄。絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア


 地獄に蠢く魔物たちを侮った者の、お決まりの結末。


 今日もまた、愚かな開拓者が三人、蠱毒の贄となる――


「ああもう、またか! エムルトに拠点を移してから毎日毎日! 僕が言えた義理じゃないですけどね! 命を大事にしてくださいよ、こんちきしょー!」


 はずだった。


「え?」


 目の前で十字の銀光が走り、ラビスタンが四つに分割される瞬間を見つめながら、光の民の男性が呆けたような声を漏らした。


 ラビスタンの死体が力なく地面へと落下し、視界が開けると同時に、彼の瞳には、先ほどまではいなかったはずの少年の姿が映る。


 黒目黒髪の、まだ幼さが色濃く残る少年だった。その背中には、不可思議な植物が張りついている。


 少年は、右手に握る鋼の短刀を、開拓者の憧れであり、強者の証たる金属装備を構え直しながら、勇ましく叫んだ。


「いくよ、レイラ!」


「……(コクコク)」


 少年――叉鬼狩夜は、地面に這いつくばる開拓者たちの間を縫うように走り抜け、プレーリーヘルドッグへと切りかかる。

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