第五章・聖獣打倒編

161・第五章プロローグ 後に【厄災】と呼ばれる者の主張

「動植物の魔物化は、今月に入ってすでに十二件も発生しております! 確認されているものだけで十二件なのです! 未確認のものを含めれば、どれほどの動植物が魔物化しているか見当もつきません!」


 とある国の元老院議事堂。その演壇えんだんに立つ年若い青年が、手元にある資料を掲げながら声を張り上げる。


 床よりも拳一つ分高い演壇の前方には、木製で、重厚なデザインのひな壇があり、ひな壇の中央奥に議長席、左右には重鎮席が並ぶ。そして、議長席の後ろ、ひな壇の最も高い場所には王座があった。一方、反対側である演壇後方には、無数の議員席があり、演壇を中心にして放射状半円形に並んでいる。


 それらの席には、一つの空席もなく人が腰掛けており、皆が一様に青年へと視線を注いでいた。


 自身を見下ろす国王と、国の重鎮たち。そして、背後に居並ぶ数多の同胞に対し、青年はなおも主張を続ける。


「魔物化が確認された場所は、そのすべてがなんらかの工場のほど近く! つまり魔物化の原因は、工場内で稼働するクリフォダイトを動力源とした機械から排出される工業廃水や排気ガスであることは、もはや疑いようがありません! よって私は、国内すべての工場の即時閉鎖と、クリフォダイトを動力とするすべての機械の使用を、即刻禁止するべきだと、ここに宣言いたします!」


 この青年の主張に、議事堂内がざわついた。そのざわつきを無視し、青年はなおも口を動かす。


「我々人類は、クリフォダイト動力から決別するべきなのです! 大戦終結からすでに二百余年! 人類は便利だからと、生活が豊かになるからと、ヴァンが滅んだ後もクリフォダイト動力を使い続けました! そのツケが、今こうして動植物の魔物化という目に見える形で表れているのです!」


 顔を上に向け、国王と視線を重ねる青年。そして、国の頂点に立つ者の視線に臆することなく、こう言葉を続けた。


「王よ、ご決断を! あなた様が先頭に立ち、民を、周辺諸国を説得するのです! クリフォダイト動力を捨て、大戦以前の、自然と寄り添い生きていた、古き良き時代に戻ろう――と!」


「……」


 青年の主張に、国王は沈黙をもって答えた。そんな国王を、青年もまた無言で見つめ返す。


 そんな中――


「いや、それは現実的ではないじゃろう」


 不意に、青年でも国王でもない者の声が、議事堂内に響く。ひな壇の上、重鎮席の一角からだ。


「ああ。クリフォダイト動力との決別など、できようはずもない」


「職を失う者も多く出る。暴動が起こるやもしれん」


「国が立ちゆかなくなってしまいますぞ」


「工業面で他国の後塵を拝すことにもなりますな。理想論を語る前に、もう少し現実を見て発言してほしいものです」


 先の一言に同調するように、議事堂の至るところから否定的な声が上がる。それらの声に、青年は顔を赤くし、肩を震わせるも、なにも言い返すことなく演壇に立ち続けた。


 周囲の者の言葉には一切反論せず、ただただ国王の言葉を待つ青年。しかし、次の一言でついに爆発する。


「魔物化した動植物なんぞ、退治すればいいだけだ。いつ何時、何度現れようとも、精強を誇る我が騎士団の敵ではない。現に、まだ死者は一人も出てはいないではないか」


「――っ! 先月魔物化したグリーンライノセラスは、乱獲によって近年数が激減し、絶滅が危惧されているのですよ!? よくそのようなことが言えますね!?」


 突如反論した青年に、目を丸くする発言者。しかし、発言者は小さく咳払いをした後、こう言葉を返す。


「ああ失礼、言葉が過ぎましたな。ですが、それほど気にすることではないでしょう? マナによって魂が完全に浄化され、普通の動植物と変わらぬ姿になったとはいえ、グリーンライノセラスは元魔物。邪悪の樹を起源とする生き物ではないですか。世界樹を起源とする我々とは、魂のありようが根本的に違います」


「さよう。提出された資料にはわしも目を通したが、魔物化した動植物は、すべて邪悪の樹を起源とする生き物じゃ。少し数が減ろうとさほど気に病む必要はない」


「同意します。我々人類と同じく、世界樹を起源とした生き物が魔物化したならば国を挙げて早急に対応するべきでしょうが、今はまだその段階ではないかと」


「違う! 違う違う!! それら動植物は、神である世界樹から、共にイスミンスールで生きることを認められた存在だ! 私たちの仲間なんだ! そんな仲間たちの住処を切り開いて工場を立てた挙句、その地を汚染し、魔物化したから殺すなど、決して許さることではない!」


 半狂乱といった様子で頭を振り、怒りの声を上げる青年。そんな青年に向かって、重鎮席から問いが投げられる。


「許されない? ならばなぜ、許されない大罪を犯している我々に対し、精霊様は、世界樹の女神様は、なにも言ってはこないのです?」


「そ、それは……」


 問いに対し即答できず、言葉に詰まる青年。そんな青年に向かって、周囲からは次々に反論が投げつけられる。


「祭壇の管理者たちから神託があったという報告はありませんな。もちろん、異世界から勇者が召喚されたという報告もありません」


「なれば、我々のおこないは、精霊様や世界樹の女神様たちもお認めになられているということ」


「動植物の魔物化に、我らとて心を痛めています。それでもクリフォダイト動力を手放さないのは――そう、世界樹の怨敵たる邪悪の樹の完全消滅のためです。これは、世界の平和のためなのです」


「さよう。我々は、決して私利私欲のためにクリフォダイト動力を使っているわけではない。むしろ、クリフォダイト動力と決別し、邪悪の樹の完全消滅を諦めることこそが、世界の意思に反すると、わしは主張する」


「全面的に同意いたします。工場の数は、むしろ増やすべきでしょうな」


「ぐ……が……」


 これらの反論に言葉を返すことのできない青年は、縋るような視線を国王へと向けた。次の瞬間、国王は青年を見下ろしながら、厳格な口調でこう言い放つ。


「専門の調査機関を設立し、原因の究明と解決策を探る。それで満足せよ」


「そん……な……」


「以上だ。解散」


 国王は、もうなにも言うことはないとばかりに視線を切ると、王座から立ち上がり、ひな壇をおりていく。


「お待ちください国王! 今すぐに手を打たねば、取り返しのつかないことになります! どうかご再考を! 国王……国王ーー!!」


「……」


 国王は、青年の嘆願を無視し、一度も振り返ることなく議事堂を後にした。そんな国王に続き、重鎮たちが、議員たちが、議事堂を後にしていく。その際に、青年を笑い、侮蔑の視線を向ける者はいても、励ましの言葉をかける者は、一人としていなかった。


 ほどなくして、議事堂内にいる人間は、青年ただ一人となる。


「くそぉ!」


 青年は、手にしていた資料を床に叩きつけると、両手で頭を掻き毟り、地団駄を踏みながら激昂した。


「なぜだ!? なぜ国王は私の言葉に耳をお貸しにならない! 国王には、重鎮たちには、動植物の悲鳴が聞こえないのか!? 魔物になったというだけで罪のない動物が殺され、美しい草花が焼き払われているというのに、なぜ平気な顔でいられる! 私は正しい! 我々人類はクリフォダイト動力と決別するべきなんだ! そんなものがなくても、人類は十分に生きていける!」


 誰もいないひな壇に両腕と額を叩きつける青年。その際にできた傷から血が流れようと、彼は口の動きを止めはしない。


「にもかかわらず、誰も彼もが豊かな生活を追い求め、自らの私腹を肥やそうとするばかりだ! 森を切り開き、水を汚し、動植物の死骸を山のように積み上げる! そんな人間を、精霊は、世界樹の女神はなぜ咎めない! 邪悪の樹がそれほど怖いか!? 邪悪の樹を起源とする生き物は、認めはしても守るには値しないというのか!? ふざけるな!」


 額の傷から流れ出た血で真紅に染まった瞳を空に向け、青年は呪詛を紡ぐ。自らの主張を受け入れない人間と精霊、そして女神を呪い続ける。


「ならばもういい! 国王にも、精霊にも、そして女神にも頼らない! 私は私のやり方で、この世界を変えてやる! 魔物以上の害悪である薄汚い人間どもから、この美しい世界を守ってみせる!」


 この言葉を最後に、青年は議事堂を後にした。今、この時より、世界を愛するがゆえに世界を敵に回した青年の、孤独な戦いが始まる。


 その戦いの過程で人であることをやめ、全人類を敵に回し、【厄災】と呼ばれ、愛する世界をも滅ぼしかけることを、今の青年は知る由もなかった。


「私は……人間であることが恥ずかしい……」

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