閑話 自問・ランティスの場合

 ――私はいったい何者だ?


 狩夜からクリフォダイトを受け取り、休むことなく走り続けること約二時間。ランティスは今、ユグドラシル大陸の北東部、スターヴ大平原の只中にいた。そして、遠方に佇む平原の戒めを、ヴァンの巨人を見つめながら、胸中にて自問する。


 この自問に対しランティスは、今まで様々な自答を返してきた。


 本来、この自問に対する答えは一つ。ランティスはランティスだ。それ以外の何者でもなく、そこに疑問を挟む余地は一切ない。


 にもかかわらず、彼は幼少の頃から、ただのランティスではいられなかった。彼の複雑な生い立ちが、世間の目が、それを許しはしなかった。


 大戦時、二代目勇者の血を引く者、その全てがヴァンにくみしたわけではない。三代目勇者と共に戦い、身内の恥をそそごうと、率先して世界のために血を流した者も多くいた。


 クラウザー家もその一つ。


 二代目勇者が子孫たちに託した使命と、崇高な志を今なお受け継ぐ誇り高き一族。ランティスは、そんなクラウザー家の長男として生を受ける。


 ある者は、彼に、あるいは自分自身に向かって、こう言った。


「いいかランティス。お前の体には、かつて世界を救った二代目勇者の血が流れている。そのことを誇りに思いなさい」


 ある者は、彼に、あるいは二代目勇者の血を引く者すべてに向かって、こう言った。


「おい、そこのお前! 世界を滅ぼそうとしたヴァンと同じ血が流れてるんだってなぁ! 恥ずかしくねぇのかよ!?」


 誰もがランティスのことを、一個人としては見なかった。なにかに成功すれば「さすが勇者の血を引く者だ」と言われ。なにかに失敗すれば「さすがヴァンと同じ血が流れているだけある」と言われる。


 日々の些細な出来事ですら、ランティス一人のものではない。いついかなるときも、勇者とヴァンの影がつきまとう。


 どこにも自分がいなかった。誰もランティスを見ようとしなかった。


 ――私はいったい何者だ?


 何度繰り返したかもわからない自問。一つしかないはずの答えを出すことのできない自分自身と、達成感のない毎日に嫌気がさしていたころ、とある転機が訪れる。


 一匹のラビスタが、突然ランティスに懐いたのだ。


 魔物が人に懐くという、本来ありえない現象に困惑しながらも、ランティスはあることに気づく。


 自身を見つめるラビスタの目には、ランティスしか映っていない。勇者でもヴァンでもなく、ありのままのランティスを、真っ直ぐに見てくれている。


 愛着が湧いた。


 湧かないはずがなかった。


 彼は、そのラビスタを抱えて家へと戻り、家族から烈火のごとく怒られた。


 魔物は人類共通の敵。そんな魔物を家に連れ帰るなど、二度にわたるヴァンの巨人の襲撃と、クリフォダイトによるスターヴ大平原の汚染で、微妙な立場にあるクラウザー家の者たちが、許すはずもない。


 今すぐ殺せと言われた。そして、できなかった。実の父親から顔の形が変わるほどに殴られても、ランティスは意志を曲げなかった。


 我が身を盾にしてラビスタを、はじめての理解者を守り続けるランティス。業を煮やした両親は、彼を家から叩き出し「勘当だ! この親不孝者め!」「二度と顔を見せないでちょうだい!」と言い放つ。


 ランティスは、傷だらけの体を引きずり、着の身着のまま故郷を後にする。そんな彼の横で、一匹のラビスタが跳ねていた。


 はじまる冒険。


 苦難の連続ではあったが、充実した日々だった。家族と縁を切り、魔物と仲良くする変人、奇人扱いされる生活に、勇者もヴァンもありはしない。日々の全てが自分のものだと、自分は今生きているのだと実感できた。


「あの、ラビスタと一緒に生活する変人って、あなたのことですよね? 僕を仲間にしてくれませんか? え? 僕が誰ですかって? あなたと同じ変人ですよ」


「お願いします! 私も仲間に入れてください! 他にいくところがないんです! なんでもしますからここに置いてください!」


 いつしか同じ境遇の仲間が増え、生活に余裕ができはじめる。


 私は、一人じゃない。


 そう思えてからは、どんなことでもできる気がした。仲間から勇気を貰ったランティスは、ソウルポイントによって強化された身体能力を生かし、仲間たちと共に何でも屋をはじめる。


 それからは、もう無心で頑張った。


 頑張って、頑張って、頑張って――そうこうしているうちに、気づけば周りの方が変わっていた。


 変人が経営する何でも屋はユグドラシル大陸の至るところにできていて、繋がりを強めようとギルドを結成。ソウルポイントの存在が公になり、八種の民すべての王の連名にて、開拓者という新たな職業が制定された。


 そしてはじまる、スターヴ大平原攻略戦。


 ソウルポイントによって強化された人類による、魔物への最初の大攻勢。この戦いに、人類は激戦の末に勝利した。多大な戦果をあげたランティスは、英雄と呼ばれるようになり、“極光” の二つ名を得る。


 この後、二度目の転機が訪れた。


 勘当され、縁が切れたはずのクラウザー家が、手の平を返したのである。


「開拓者 “極光” のランティスは、クラウザー家の人間である! さすがは俺の息子、二代目勇者の血を引く者だ!」


「あなたはクラウザー家の誇りよ!」


 と。


 なにを今更と思いはしたが、否定することはできない。ランティスの身にクラウザー家の、二代目勇者の血が流れていることは、変えようのない事実だからだ。それに、両親の立場上、あの時はああするしかなかったのだと、理解もしていた。


 ランティスは両親を許し、再びはじまった勇者とヴァンの影がつきまとう生活を受け入れた。それができるくらいには、ランティスは強く、大人にもなっていた。


 ――私はいったい何者だ?


 少し前のランティスは、この自問に対し、こう答えていた。


 私はランティス。二代目勇者の血を引く、ランティス・クラウザーだ――と。


 そして、このことを切っ掛けに、ランティスは悟る。


 自分という人間が、勇者とヴァンの影から真に解放され、ランティスであり続けるためには、勇者とヴァンを超えるしかない。


 ランティスは欲した。今以上の実績を。歴代の勇者たちが残した偉業が霞み、ヴァンの悪行を帳消しにするほどの実績を、ただただ求め続けた。


 自分が、自分であるために。


 そして彼は、精霊解放軍の指令として、魔王と戦うことを決意する。


 魔王。


 歴代の勇者たちや、聖獣。かの【厄災】よりも強いとさえ言われる、別次元の魔物たち。


 そんな魔王を倒せば、ランティスが欲するもの、その全てが手に入る。


 更なる力が。


 新たな勲章が。


 誰もが驚く偉業が。


 自身が王として君臨する国が。


 ランティスを王と崇める臣民が。


 精霊を解放した英雄という名声が。


 それらを我が手に掴むため、ランティスは魔王に戦いを挑み――負けた。退き際を誤り、多くの仲間と、パートナーであるはじめての理解者を失った。


 ――私はいったい何者だ?


 この自問にランティスは、ここ数日間、次のように自答していた。


 私はランティス。我欲に目を曇らせ、多くの仲間を死なせた、どうしようもない愚か者だ――と。


 走り続けたランティスの足が止まる。体力を使い果たしたわけじゃない。諦めたわけでもない。平原のほぼ中央、ヴァンの巨人の足元に到着したのだ。


 眼前にそびえるヴァンの巨人を忌々し気に見上げた後、ランティスは地面を蹴り、その巨体を駆け上る。


 ほどなくして、ヴァンの巨人の背中、人間でいうところの心臓の後ろあたりに到達したランティスは、成人男性が余裕を持って通ることのできる、洞窟の如き穴を覗き込む。


 おおよそ二百年前、ヴァンの巨人の調査のためにと人の手によって開けられたその穴は、胸部のほぼ中心、核にまで続いている。その穴に雨水が流入し、燃えカスとして僅かに残っていたクリフォダイトに触れたことが、スターヴ大平原の汚染の原因である。


 スターヴ大平原攻略戦の後に一度通ったその穴を、ランティスは険しい表情で再び進む。そして、ついに目的地である、ヴァンの巨人の核へと辿り着く。


 核は直系四メートルほどの球体であり、淡い光を放つ不可思議な金属でできていた。入口を潜り核の中に入ると、洗練されたデザインの操縦席が一つあり、両手両足を入れると思われる四本の筒が備えつけられている。


 操縦席に飛び乗ったランティスは、両足を筒の中に入れた後、目の前にあるコンソールを左手で上へと押し上げ、現れた空洞の中に、動力源となるクリフォダイトを叩き込む。


 次の瞬間、薄暗かった核の中に光が灯る。そして、核の内壁に、その先にある外の風景がそのまま映し出された。傍から見ると、ランティスとその座席だけが、宙に浮かんでいるように見える。


 動かなければそれはそれで問題なのだが、製造されてから数千年の時がたち、風雨にさらされ続けたにもかかわらず、問題なく起動するその技術力に、ランティスは思わず舌を巻いた。


 なぜヴァンは、この技術力を世のため人のために使わなかったんだ――と嘆きつつ、ランティスは両手を筒の中に入れ、中にあった持ち手を恐る恐る握り締める。


 すると、ランティスの体に流れる二代目勇者の血に反応し、ヴァンの巨人が動き出した。地面につけていた両手を持ち上げ、両脚のみで直立する。


 その途端、吐き気を催すほどの忌避感が、ランティスの体を貫いた。


 当然である。ヴァンの巨人は破壊の象徴。【厄災】や魔王と同列に語られる忌むべき存在。それに乗り込み実際に動かすというのは、イスミンスールの人類にとって、この上ない禁忌なのだ。二代目勇者の血を引く者として、多くの実害を被ってきたランティスならば尚更である。


 だが、今更後には引けない。すでに火は入れてしまった。もしランティスがこの場を離れれば、ヴァンの巨人は自動操縦に切り替わり、二百年前と同じように破壊の限りを尽くすことだろう。


 全身を駆け巡る凄まじい忌避感を、ランティスは狩夜の、仲間たちの言葉を思い出すことで抑え込む。


「たとえあなたがヴァンの巨人に乗ろうと、なんの血を引くどこの誰であろうと、僕はあなたの存在を否定しない!」


 狩夜のこの言葉に、あの場の誰もが頷いた。


 なんてことはない。ランティスの戦う理由、ランティスがランティスであるために必要なもの、命を懸けるに値するほどの欲しいものは、既に手に入れていたのである。


 気づくのが遅すぎた。これしかないと決めつけて、視野が狭くなっていた。いつの間にか手に入れていた欲しいものは、その多くが彼の手から零れ落ちた後だった。


 だからこそ、守りたい。


 あの死地を共に潜り抜けた大切な仲間を、今度こそ。


 そして、仇を討ちたい。


 大切な仲間の命を奪った魔王の首を、いつの日か必ず落とす。


 そのためならば、破壊の象徴を動かすことも厭わない。


「聞け! 世界一醜い木偶人形! 心の底から不本意だが、今からお前を使って、この世界を救ってやる!」


 荒げた口調でこう叫びながら、ランティス自問する。


 ――私はいったい何者だ?


 今のランティスは、躊躇なくこう答えた。


 私はランティス! 光の民の開拓者! “極光” のランティスだ! と。

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