150・【返礼】
ユグドラシル大陸の東端に位置するケムルトは、ミズガルズ大陸開拓における重要拠点である。
開拓者がミズガルズ大陸へと向かう場合、狩夜やフローグといった一部の例外を除き、この町で船に乗るしかない。そのため、腕に覚えのある開拓者と、その開拓者を相手に商売をする者たちが、自然とこの町に集まることとなった。
大通りには名のある職人が経営する武器防具屋と、回復薬や聖水を扱う道具屋が軒を連ねており、宿屋の数も他の町に比べて随分と多い。
防衛も万全。城塞都市の名は伊達ではなく、町の周囲は見上げるような石造りの城壁に囲まれており、たとえ民家の屋根の上に登ろうと、外の様子を窺い知ることはできないだろう。
唯一の例外は町の東側。そこには港があるため、当然だが城壁もない。普段ならば、そこから広がるケルラウグ海峡と、その先にあるミズガルズ大陸を一望することができる。しかし、現在はそれすらも困難だ。精霊解放軍が使用するガレアス船・フリングホルニをはじめとした、多くの船が港でごった返しており、その船体と立ち並ぶ帆柱が、人々の目から外の景色を遮っている。
そんな港に併設された精霊解放軍の駐屯地から飛び出した狩夜は、ランティスの救援要請を聞いて駆けつけた開拓者と、精霊解放遠征の支援者たちとで、港に負けず劣らずごった返す大通りを、小走りに進んでいく。
「本当によかったのですか? 私の存在と、世界樹の危機を公表しないで? 先ほど顔を合わせていた精霊解放軍の幹部とやらは、それなりの身分と知名度があり、各国の重鎮たちともつながりがあるのでしょう? すべてを話し、協力を求めた方が良いのではないですか?」
見つかったら騒ぎになるからと、狩夜が着ているハーフジップシャツの内に隠れているスクルド。襟元から頭だけを出した彼女は、狩夜の顔を見上げつつ、真剣な顔で尋ねた。
この問いかけに、狩夜は渋い顔で「う~ん」と唸る。
『精霊の解放』で統一されている世界の意思を乱すべきではない。以前そう考えた狩夜は、第三次精霊解放遠征の成否が明らかになるまでは、世界の真実を公表しないと心に決めていた。
第三次精霊解放遠征は、事後処理こそ残っているものの、失敗という形ですでに終わっている。スクルドが言うように、世界の危機を公表し、他者に助けを求めるいい機会であった。そして、それは正道の一つだろう。
しかし――
「……それは僕も考えたけど、レイラの弱点が露呈して、ファフニールの打倒と、光の精霊の解放がほぼ不可能になった今、事実を公表するのは悪手だと思う。パニックになるだけだよ」
世界樹を救う方法は「もう自分たちだけで聖獣を倒すしかない」と考えている狩夜は、この言葉と共に首を左右に振った。
ランティスたち精霊解放軍と、各国の重鎮たちにスクルドの存在を明かし、世界樹の危機を説明して、協力を取りつけることができたとしよう。だが、それでどうなる?
結界を越え、聖獣が待ち受ける聖域に足を踏み入れることができるのは、異世界からきた狩夜とレイラ、そして、女神であるスクルドだけだ。肝心の聖獣戦で共に戦えない以上、彼らから得られる助力など、正直たかが知れている。
資金援助。お金は別に困ってない。むしろ余っている。
船などの移動手段の融通。レイラの方が速いし快適。
武器防具の提供。魔草三剣以上の武器があるとは思えないし、並の防具では聖獣の前では紙同然。
やはり、今すぐ公表する必要があるとは、狩夜には思えなかった。
「他の人に助けを求めるのは、僕とレイラが聖獣に殺されて、スクルドだけが生き残ったときだけでいいと思う。それに僕、イスミンスールの全人類から、君たちだけが頼りだ――なんて過度な期待を向けられても、畏縮しちゃうだけだろうし」
狩夜は「会議室での僕を見たでしょ?」と苦笑いを浮かべた後、口の動きを止めた。
狩夜の考えを聞いたスクルドは、狩夜の頭上にいるレイラへと視線を向ける。するとレイラは「私も狩夜と同意見だよ~」と言いたげに、コクコクと頷いた。
「……わかりました。もしものときは任せてください。先ほどの人間たちの尻を蹴っ飛ばしてでも、光の精霊の解放に向かわせます」
この言葉と共に視線を前に向け、物珍しげにケムルトの大通りを眺めだすスクルド。が、徐々にその顔つきが不穏なものになり、周囲をいきかう人々を見つめながら、嘆くように呟いた。
「うぅ……あっちにも人間……こっちにも人間……この地は、世界樹が根付く不可侵の聖域ですのに……」
【厄災】以前、ユグドラシル大陸に人間は住んでいなかった。
ユグドラシル大陸は、古来より女神によって管理、守護される不可侵の聖域であるとされており、どの種族も所有権を主張することができなかったからである。
だが、それはもう昔の話。剣呑な視線を周囲にばら撒くスクルドに「これが女神か……」と呆れながら、狩夜は言う。
「仕方ないでしょ。他大陸は魔物に支配されちゃって、もう人間には、ユグドラシル大陸しか居場所がないんだから」
「そんなことはわかっています。わかってはいますが、思うところがあるのです。私は世界樹の防衛担当。この地に許可なく踏み入る不敬の輩に、最強魔法をぶっぱして身のほどをわからせることも、私の仕事の一つなのです」
「……やらないでよ?」
「やりたくてもできませんよ。そんな力、今の私にはありません。それに、精霊が封印されていては、たとえ女神であろうと魔法は行使できません」
イスミンスールの魔法は、精霊の力を借りる精霊魔法なので、精霊が封印されると同時に誰であろうと使えなくなった。どうやらそれは、女神であろうと例外ではないらしい。
「で、オマケ? 今日はこれからどうするのです?」
「まず道具屋で聖水を補充。次に開拓者ギルドに顔を出して、依頼を確認。その後は、僕だけの力でこの近くを縄張りにしている主と戦ってみるよ」
狩夜は「ようやく慣らしができるな」と小声で呟きながら、ユグドラシル大陸の地図を思い浮かべ、視線を上に向ける。
そして、以前真央に教わった主の情報を、脳内の地図と照らし合わせようとしたとき――
「え?」
狩夜の視界の中で、一筋の流星が蒼天を切り裂いた。
東。ミズガルズ大陸の方角から飛来したその流星は、ケムルトの上空を通過して、西の方角へと消えていく。
それから十数秒後、世界が悲鳴を上げたと錯覚するような轟音と共に、地面が激しく揺れ動いた。
周囲の人間たちが慌てふためき、町全体が騒然となる中、狩夜は跳ぶ。
流星の後を追うように、西に向かって民家の屋根から屋根へと次々に飛び移る狩夜。ほどなくして、ケムルトの出入り口の一つである西門が見えてきた。
「レイラ!」
相棒の名を叫ぶと同時に、狩夜は今出せる最大の力で跳躍。テンサウザンドとなり、『敏捷』の強化回数が千を超えた狩夜。その本気の跳躍は驚異的であった。見上げるような城壁の更に上へと、実に容易く到達する。
「……」
狩夜が空中に身を躍らせている最中、レイラは狩夜の頭上から離れ、背中へと移動。全身から蔓を伸ばし、自身と狩夜とが決して離れないよう素早く固定していく。
その固定作業が終了すると同時に、狩夜は城壁の上に着地。そして、すぐさま西に目を向けた。
流星は、ケムルトから西北西、かなり距離のある森の中に落ちたらしい。そのため、落ちた際の衝撃で上空に舞い上がったと思しき土煙は見えたが、落下地点の様子そのものは、森の木々などが遮蔽物となり、窺い知ることはできなかった。
狩夜は、どうにかして落下地点を見ることはできないかと、険しい表情で土煙の発生源を凝視する。
その直後、異変が起きた。
狩夜の視線の先で、土煙を飲み込むように大地が激しく盛り上がり、無数の岩が宙へと浮き上がったのである。
岩は、まるで意志を持つかのように動き、瞬く間にあるものを形作っていく。
それは、天を突くほどに巨大な石人形。
「あれは……まさか……」
「心しなさいオマケ! あれは、かつて三代目勇者様も苦戦した! 偽神どもの超兵器です!」
遠方からでもありありとわかるその巨体を見つめながら戦慄し、小刻みに震える狩夜に向かって、襟元から身を乗り出したスクルドが余裕のない様子で叫ぶ。
恐れていたことが現実となった。
【厄災】、魔王と並んで、イスミンスールの全人類から恐れられる、破壊の象徴。それが、今まさに具現化しようとしている。
通称【返礼】。
正式名称――
「【ヴァンの巨人】!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます