147・弱点
「ふむ……そういうことですか……」
至近距離で世界樹の種を凝視すること十数秒、なにかわかったのか、スクルドが真剣な表情で呟いた。次いで「勇者様、ありがとうございました」とレイラに向かって礼を述べ、その場を離れる。
開いた胸が閉じられ、世界樹の種が再びレイラの胸の内に消えていく最中、スクルドは真剣な表情を維持したまま狩夜へと向き直り、こう口を動かす。
「まず、結論から言わせてもらいますと、あの世界樹の種は、マナを単独で生成することができていません」
「どういうこと?」
「勇者様の中にある世界樹の種が不完全で、本来の力を発揮できていないという話は、以前にもしたと思いますが……」
「あ、うん。それはもちろん憶えてるよ」
スクルドが狩夜の中で眠りにつく少し前にした話だ。
レイラの胸に納まる世界樹の種は、世界樹が【厄災】の呪いによって能力を封印される直前、スクルドの姉である女神ウルドの咄嗟の機転により、地球へと転移させられたものである。だが、そんな土壇場に、完全な状態の世界樹の種を都合よく用意できるはずがない。
言わばあの種は、胎盤から無理矢理引きずり出された未熟児なのだ。その力は、完成品の世界樹の種と比べるべくもない。
勇者として絶大なる力を振るうことのできるレイラであるが、その実、歴代の勇者たちと違い、大きなハンデを背負っているのだ。
「世界樹の種の能力は多岐にわたりますが、その中でも特に重要なのが次の三つです。マナの出力、生成、そして貯蔵。あの種は、その三つに大きな障害を抱えています」
「……続けて」
「まず出力。やや語弊がありますが、今は勇者様の戦闘力と考えていただいてかまいません。これが、完成品に比べ十分の一以下」
これは以前にも聞いた話だ。狩夜は無言のまま首を縦に振り、スクルドに続きを促す。
「次に、先ほどお話しした生成。これは、種の内部でマナを生成する能力です。世界樹の種に備わった力、それら全ての起点ともいえる最重要能力。あの種は、その生成を単独でおこなえず、外部――つまり、空気中や水中に溶けたマナに、一部頼っているのです」
「つまり、レイラの世界樹の種は、自分用のマナを生成するために、世界樹が放出したマナを使っているってこと?」
「はい。あの世界樹の種は、外部のマナを取り込み、それを何百倍にも増殖することで、勇者様の力へと転化しているものと考えてください」
「なるほど……だからレイラは、レッドラインを越えたら動けなくなったのか……」
レッドラインの外側は、マナが完全に枯渇した世界。
マナの生成、その一部を外部に頼っているレイラの世界樹の種は、周囲のマナが枯渇したことで新たにマナを生成できなくなり、その機能を停止してしまったのだろう。
「増殖した自分用のマナの一部を、どうにかしてまた増殖することはできないの?」
「完成品ならば可能です。と、言うよりも、その状態が正常なのです。本来世界樹の種は、単独生成したマナを増殖し続けることで、半永久的にマナを出力することが可能ですから」
「すごいね……完璧な永久機関じゃないか……」
世界を支えられるほどの力を有する神樹。その力を再確認し、狩夜は感嘆の声を漏らした。
世界樹。これが地球にあれば、世界のエネルギー事情を一変させるかもしれない。
「説明を続けます。最後に貯蔵。これは言葉の意味通り、多量のマナを種の内部に貯めておく能力ですね。生成速度を上回る量のマナを消費する大規模攻撃や、なんらかの不具合により、マナの生成が不可能になったときなどに消費される非常用なのですが、その最大貯蔵量が、出力と同じく、完成品の十分の一以下にまで落ちこんでいます」
「まあ、貯蔵量だけは完成品と同等とはいかないよね……」
実際に不具合が生じている今こそ、その非常用が必要なんだけどな――と、狩夜は頭を抱えた。
「以上の理由から、現状、マナが枯渇した環境で、勇者様が全力で戦える時間は、オマケの世界の単位で言うところの――」
「言うところの?」
「三分ぐらいですね」
「三分!?」
突如として明らかになったその事実に、思わず大きな声を上げる狩夜。
三分。つまりは百八十秒。
かの有名な光の巨人でも、怪獣を一体倒すのがやっとな時間である。
短い。あまりに短すぎる。
レッドラインの外では、三分間しか戦えない。
勇者レイラ、その最大の弱点が露呈した。
「まあ、これはあくまで全力で戦った場合の合計時間です。戦闘時以外は極力動かず、戦闘でもマナを小出しにして、オマケのサポートに徹すれば、案外長く戦えるかもしれませんよ?」
マイナス情報ばかり口にするのはどうかと思ったのか、補足説明と、今すぐに実践できる戦闘時間の延長方法を口にするスクルド。
確かに、レイラが防御を担当し、主に狩夜のサポートに回っていた状態で戦った、グリロタルパスタッバー、バンデットアードウルフ、スカベンジャーコンドル、ファントムキラークリケットとの合計戦闘時間は、三分より長かったように思える。
しかし――
「それでも、レイラが全力で戦える時間が、三分しかないっていう事実は変わらないよ……」
この瞬間、狩夜は悟る。
世界樹を救う方法の一つ、光の精霊の解放は、現状では不可能だと。
かの魔王、“邪龍” ファフニールを、たった三分で倒せるか?
実際に相対したことがないので断言こそできないが、勝算は限りなくゼロに近いだろう。たとえ、ランティスたち精霊解放軍の力を借りたとしても――だ。
それ以前に、そのファフニールと光の精霊がいるという、ミズガルズ大陸の中心部にまで、レイラの力を温存したまま、狩夜がたどり着けるかどうかも疑問である。
今思うと、迷いの森で二十日間迷い続け、精霊解放軍との合流を断念したのは僥倖だった。
あのまま合流していたら、レイラは道半ばでマナを使い果たし、勇者の庇護を失った状態で魔王の前に立つであろう狩夜は、ファフニールに殺されていたに違いない。
精霊解放遠征に参加しないで良かったと、狩夜は心の底から思った。
「レイラの戦闘時間を延ばす方法はないの?」
「世界樹の種を完成に近づけることができれば、時間は伸びるはずです。千年ほど待っていただければ、一時間ぐらいにはなるかと……」
「待てるか!! 後一年しかないって言ったのはスクルドだろ!?」
「そうなんですよね……勇者様も、毎日のように魔物を食し、世界樹の種を少しでも完成に近づけようと努力されてますが、有象無象の魔物たちをいくら取り込んだところで、焼け石に水ですし……」
「レイラが食べてる魔物たちは、世界樹の種の生長に使われてたんかい!?」
レイラが暴食を披露する度、あの大量の魔物たちはいったいどこに消えているのだろう? と、常々思ってはいたが、世界樹の種の肥料になっているとは思わなんだ。
「これはいよいよ、僕たちだけで聖獣を倒すしかないか……」
光の精霊の解放が不可能なら、もう世界樹を救う方法はこれしかない――と、狩夜が決意を新たにしたとき、狩夜の足がペシペシと叩かれる。
慣れ親しんだ感覚。そちらに目を向けると、案の定レイラがいた。世界樹の種の収納を終え、すっかりデフォルト状態である。
レイラは、この上なく申し訳なさそうな顔をしていた。そして「危ない目に遭わせてごめん……私も知らなかったんだよぉ……」と言いたげに、狩夜の顔を見上げている。そんなレイラを、狩夜はしばし無言で見下ろした。
「……」
「オマケ、勇者様を責めてはいけませんよ。ここ、ユグドラシル大陸ならば、どこであろうと世界樹の種がマナの生成を止めることはありませんし、地球にいたころは、ウルド姉様が世界樹の種に込めた異世界転移用の力が勇者様の体内にあったはずです。ご自身の弱点に気づけなくとも、なんら不思議はありません。責めるのならば、以前の検分でこの事実に気づくことのできなかった私を――」
「別に、怒ってもいないし、責めるつもりもないよ」
スクルドの言葉を途中で遮り、狩夜は両手でレイラの体を持ち上げた。そして、その小さな体を自身の胸へと運びながら、次のように言葉を続ける。
「でも、体の調子が悪いと感じたのなら、なにかしらの手段ですぐに伝えて欲しかった。レイラ、僕に心配をかけたくないからって、無理して隠してたでしょ?」
「……(こくこく)」
「本当は、パートナーとして僕が気づかなきゃいけなかったんだろうけど、僕はほら、君と違って弱いから。戦ってるときは、いつも余裕がないから。ごめん、気づけなかったよ。ほんとごめん」
「……!(ブンブン!)」
レイラは「狩夜は悪くないよ~!」と言いたげに首を左右に振るが、狩夜はかまわず口を動かし続ける。
「でも今回は驚いたよ。レイラを守る立場になりたい。同じ場所に立ちたいって頑張ってたけど……どんな状況でも死ぬのは僕の方が先だ、先にレイラが倒れることなんてないって思ってたから……レイラを一人残すことはあっても、僕が一人になることなんてないって思ってたから……」
「……」
「だから……僕さ……レイラが動かなくなって……初めて……この世界で一人になって……」
狩夜はここで口の動きを止めると、レイラを抱く両手に力を込める。次いで顔を伏せ、その全身を震わせた。
「……?」
「……オマケ?」
突然様子の変わった狩夜に、レイラが「どうしたの?」と、首を傾げ、スクルドが何事かと近づき、下から狩夜の顔を覗き込もうとする。
直後、狩夜がスクルドに向かって右手を伸ばした。そして、その小さな体を有無を言わさず鷲掴みし、少々乱暴にベッドと掛布団の間へと押し込む。
「ごめん、スクルド……しばらくベッドの中に入ってて……」
「わぷ!? ごらぁオマケ! 女神であるこの私に、なんて無礼な――」
怒声と共に掛布団を持ち上げ、すぐさまベッドから脱出しようとするスクルドであったが、ベッドの外の光景がその目に映ると同時に、彼女は全身の動きを停止させる。
スクルドの視線の先には、レイラを有らん限りの力で抱き締めながら涙を流す、一人の少年の姿があった。
「怖かった……怖かったよぉ……」
「「……」」
開拓者の仮面を脱ぎ捨て、感情のままに涙を流す狩夜。
上から落ちてくる涙をその身で受け止めながら、レイラは歯を食い縛る。そして「私が狩夜にこんな顔をさせたんだ……」と、その表情で語りながら、二枚の葉っぱを動かし、狩夜の体を優しく包み込んだ。
スクルドは、狩夜になにも言葉をかけないまま掛布団から手を離し、ベッドの中へと消える。
次の瞬間、城塞都市ケムルトにある宿屋の一室に、狩夜の声を押し殺した泣き声が響いた。
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