146・目覚め

「すごい……」


 白い部屋の中、眼前のタッチパネルに表示された自らの能力を見つめながら、狩夜は驚嘆の声を漏らした。


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叉鬼狩夜  残SP・2988


  基礎能力向上回数・4641回    

   『筋力UP・1200回』

   『敏捷UP・1641回』

   『体力UP・1200回』

   『精神UP・600回』


  習得スキル

   〔ユグドラシル言語〕


獲得合計SP・10775749


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 各種数値が軒並み激増していた。具体的に言うと、フヴェルゲルミル帝国出発時と比べて、四倍以上の開きがある。


 一日。


 たった一日で、狩夜は一千万以上のソウルポイントを獲得した。かつてない大戦果である。


 絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアの魔物と、ユグドラシル大陸の魔物とでは、倒したときに手に入るソウルポイントに雲泥の差があると聞いてはいたが、この数字はさすがに驚きであった。ユグドラシル大陸でラビスタやビッグワーム相手に、ソウルポイントを一だの、二だの稼ぐのが馬鹿らしくなる効率である。多くの『駆け出しハンドレット』が、危険を承知でミズガルズ大陸に飛び込んでいく気持ちがわかるというものだ。


 もっとも今回の大戦果は、精霊解放軍が多くの魔物を引き連れてきたことと、ハンドレットサウザンド級の魔物である “落ち目殺し” の打倒に起因している。このようなレアケースは滅多にないと考えたほうがいい。


 ちなみに「数十万匹のグラトニーアントを一掃して、一億のソウルポイントをゲットだぜ!」なんていうおいしい話はなかった。女王アリ以外のほぼすべてが、倒してもソウルポイントが得られない下位個体――グラトニーアント・スレイブだからである。


「うん。命を賭けた甲斐はあったということにしておこう」


 狩夜はこの言葉と共に、タッチパネル右上にある閉じるボタンをタッチ。そして、タッチパネルが白い部屋の中央に立っている、3Dポリゴンな自分の中に消えていくのを見届けながら、次のように言葉を続けた。


「そう言えば、メニュー画面から〔女神スクルドの加護〕が消えていたな……」


 ある種の予感とともに、狩夜は白い部屋を後にする。



   ●



「知らなくもない天井だ……」


 場所はユグドラシル大陸東端、ミーミル川の河口付近に築かれた城塞都市ケムルト。その中にある宿屋の一室である。


 ミズガルズ大陸を脱出し、ユグドラシル大陸へと生還した狩夜は、精霊解放軍の幹部として色々とやることがあるらしい紅葉、フローグの両名と別れた後、開拓者と精霊解放遠征の支援者でごった返すケムルトの中を、疲労困憊の体を引きずって徘徊し、ようやく見つけた宿に「ここでいいや」と、吟味することなくチェックイン。部屋に入るなりベッドに飛び込み、即熟睡して、つい先ほど目を覚ましたところだ。


「おはよう、レイラ――って、あれ?」


 いつものように枕元にいた相棒にこう声をかけ、上半身を起こそうとしたとき、狩夜はあることに気づき、小首を傾げる。


 ベッドで仰向けになっている狩夜を覆う掛け布団。その一部、ちょうど狩夜の胸の上にあたる場所が、不自然に盛り上がっていたのだ。


 狩夜は仰向けの体勢を維持したまま、両手を使ってゆっくり掛布団を持ち上げる。すると――


「あ……」


 身長ニ十センチほどの小人が、狩夜の胸の上でうつ伏せになり、静かに寝息を立てていた。


 三つ編みにされた若葉色の長髪と、陶磁器のような白い肌。背中からは半透明の羽――そう、スキル〔未来道フューチャーロード〕で狩夜の窮地を救った女神、スクルドである。


 狩夜の体からダーインの呪いが消えたとき、私は目を覚ます。そう言い残し、狩夜の中で眠りについた彼女が、ついに解呪を終え、狩夜から分離したのだ。


「スクルド……」


 待ち望んだ再会の瞬間に、狩夜は無意識に彼女の名前を呼ぶ。すると、スクルドはうっすらと目を開け、狩夜の胸に両手をつき、体を起こした。次いで、体をほぐすように両手を頭上へと運び、大きく伸びをする。


 自らの胸の上でおこなわれた、神々しくすらある一連の動作に、狩夜は頬を赤らめ、あわてて顔を横に向ける。横に向けた顔の先には窓があり、太陽がかなり高い位置にあることがわかった。どうやら、昼近くまで眠っていたらしい。


「えっと……おはよう、スクルド」


 ばつが悪い様子で目覚めの挨拶をする狩夜。そんな彼に、スクルドは寝惚け眼で言葉を返す。


「あ……おはようございます、オマケ。勇者様も……ご無事でなによりです」


 レイラが「おはよー」と言いたげに手を振る中、伸びを終えたスクルドは、狩夜の胸の上で女の子座りをした。次いで、顔を横に向けたままの狩夜に対し、体調の確認を取る。


「これにて解呪は完了ですね。オマケ、体に不自由はありませんか? 胸の傷が開いたりは?」


「ん、大丈夫だよ。どこにも違和感はない」


「そうですか、よかった。先の聖獣戦での借りは、これで返しましたからね」


 スクルドと狩夜の、一心同体の運命共同生活が今終わる。これから先は、打倒聖獣という共通の目的のため、共に手を取り合って戦うこととなるだろう。


「その、色々ありがとね、スクルド。胸の傷もそうだけどさ、昨日も――」


「む……待ちなさいオマケ。どうして先ほどから顔を横に向けているのです? 話をするときは、相手の顔を見て話しなさい。失礼ですよ」


 改めて礼を述べようとした狩夜の言葉を遮り、両手を腰に当てながら不満を口にするスクルド。一向に自分の方に顔を向けようとしない狩夜に、いささかご立腹の様子だ。


 お手本のつもりか、狩夜の顔を真っ直ぐに見つめながらスクルドは返答を待っている。狩夜は困ったように苦笑いを浮かべた後、右手で赤くなったままの頬をかいた。次いで、やはり顔を横に向けながら、スクルドにこう嘆願する。


「あの、スクルドさん……お言葉は至極ごもっともなのですが、その……僕の顔を見る前に、下を……ご自身の体を見ていただけますと幸いにございますです……」


「下? あなたいったいなにを言って――っ!?」


 狩夜の嘆願に首を傾げた後、視線を下に、自身の体へと向けるスクルド。次いで息を飲み、寝惚け眼を見開いた。眠気も一瞬で吹き飛んだ様子である。


 どうやら、自身が一糸まとわぬ姿であるということを、ようやく自覚したらしい。


 スクルドは、そんなあられもない姿で、先ほど解放感溢れる伸びを披露した。しかも、狩夜の目の前で。


 つまり、見えた。


 見えちゃいけないものが、色々と見えた。


 スクルドが手の平サイズじゃなければ、理性がもたなかったかもしれないと狩夜が思うほどに、はっきりと見えた。


「いやぁあぁあぁぁぁあぁあぁ!!??」


 次の瞬間、宿屋の一室にスクルドの悲鳴が響き渡り、彼女の両手から、どこぞのストリートファイトが趣味な力士ばりの張り手が、狩夜に向かって繰り出された。そして、それから数秒間、狩夜の顔を音源とする実に小気味の良い乾いた音が、延々と鳴り続ける運びとなる。


「責任とってもらいますからね!!」


「人の顔を一方的に紅葉柄にしておいて、言いたいことはそれだけか!?」


 布団の中から顔だけを出し、その顔を怒りやら羞恥やらで真っ赤にしたスクルドと、生来の童顔を小さい手形で埋め尽くされた後、布団から叩き出された狩夜とが、互いに怒声を上げる。そんな二人の間には「どうしよう、どうしよう」と言いたげな様子で右往左往するレイラがいた。


 ほどなくして――

 

「もういいですよ……」


 この言葉と共に、布団を城に見立てて籠城を決め込んでいたスクルドが、渋々その姿を現した。もちろん裸ではない。マナで編まれているという露出が多めで所々が半透明なドレスと、白い長手袋を、その身に纏っている。


 ベッドを蹴って空中へと飛び上がったスクルドは、狩夜と目の高さを合わせながら、剣呑な表情で唇を震わせた。


「いいですかオマケ……先ほど見たものは忘れなさい……夜のお供にすることも禁止ですからね……」


 有無を言わさぬ迫力のスクルドに、狩夜は表情を引きつらせた。次いで、首を縦に振りながら口を開く。


「わかった。約束する。なるべく早く忘れるよう努力もする。だからさ、機嫌直してよ。僕、君に聞きたいことがあるんだ」


「……みなまで言わなくても結構です。勇者様の不調の件でしょう? 勇者様、お手数をおかけしますが、今一度世界樹の種を、わたくしめに見せていただけますでしょうか? 今すぐに確認したいことがありますので」


 とりあえず怒りを静めてくれたらしいスクルドの言葉に、レイラはコクコクと頷く。直後、その小さい胸を上下左右に割り開いた。


 久方ぶりに露わになった世界樹の種。その変わらぬ美しさに狩夜が息を飲む中、スクルドが真剣な表情で世界樹の種に近づき、検分を開始する。

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