閑話 自問・とある誰かの場合
―—私のコレクションは素晴らしいか?
己がブレスで黄金を溶かし、手ずから作り上げた純金の姿見。そこに映る自身の姿を自己陶酔した様子で見つめながら、彼は自問した。そして、「愚問だな」と言いたげに首を左右に振った後、こう答えを出す。
素晴らしいに決まっている――と。
彼の自問に対する答えは、いついかなる時もこれ一つだ。当然である。これほどの財貨を所有する存在は、世界広しといえども私だけという自負が、彼にはあった。
山積する金貨銀貨。
金属工芸の極みたる装飾品。
数多の魔物を屠ったであろう宝剣、魔剣。
強力な魔法が封じ込められた魔道具。
イスミンスールで最大の面積を誇り、【厄災】以前、もっとも文明が発展していたミズガルズ大陸。その全土からかき集められた彼のコレクションが、素晴らしくないわけがない。
だが、その事実を知り得てもなお、彼は、先ほどの自問をときたま胸中で呟くことを、数千年もの間やめることができずにいた。
彼のコレクションの価値を正しく理解し、称賛してくれる存在が、彼の周囲にはいないからである。
彼以外の魔物は、世界一素晴らしいはずの彼のコレクションに、なんら興味を示さない。精々、光る石か、使い勝手がいい棒ぐらい認識だろう。唯一の例外は、彼の目を盗んで財宝を奪おうとするバンデットアードウルフだが、奴らがアイテムを奪取しようとするのは魔物としての本能であって、彼のコレクションの価値を理解しているわけではない。
凡百な魔物たちに、自慢のコレクションを見せつけたところで虚しいだけだ。そんな行為を何度繰り返したところで、彼が満たされることはない。
ゆえに彼は、自分のコレクションの価値を正しく理解し、称賛してくれる存在を、常に求めている。
そんな彼の欲求を満たしてくれる唯一の存在。それが、人間という生き物だ。
そう、彼は、魔物にしては大変珍しく、人間に対し好意を抱いている魔物なのである。
彼が人間の存在を知ったのは、数百年前。
他の魔物に襲われたのか、全身血みどろで、死にかけの人間が一人、いつものようにコレクションを守護する彼の前に、突然現れたのだ。
煌びやかに輝く彼の財宝を見つめながら、ふらふらとした足取りで近づいてくる人間。魔物の本能に従い、彼がその人間を殺そうと身を起こした瞬間、人間は力尽き、その場に崩れ落ちた。
そして、事切れる直前、彼の視界の中でこう呟く。
ああ、なんて美しい――と。
瞬間、彼の体に電流が走り、魔物の本能を塗り潰すほどの、えも言えぬ恍惚感が胸の内から溢れ出た。
彼が、生まれて初めて満たされた瞬間である。
それ以来、彼は人間のことが大好きになった。
人間はいい――と、彼は思う。
人間は、彼のコレクションの価値を正しく理解し、羨望の目を向けながら、拙いながらも数多の言葉でそれを表現し、称賛してくれる。あんな生き物は他にいない。
定期的に住処から攫ってきたいぐらいなのだが、人間はとある小さな島にのみ生息する固有種であり、その島には彼が嫌う毒を出す、一本の巨木が生えている。
さしもの彼も、毒の巨木には近づきたくない。
何より、彼はここから――コレクションの近くから動けないのだ。彼がこの場を離れれば、これ幸いにと、バンデットアードウルフたちが彼の財宝を荒らすことだろう。あのハイエナどもを殺すことなど造作もないが、大陸各地に持ち去られた財宝を再び手元に集めるのは、いささか以上に面倒だ。
ゆえに彼は、今日も財宝に囲まれながら人間がくるのを待っていた。そして、姿見の前で再び自問する。
―—私のコレクションは素晴らしいか?
答えはいつも決まっている。彼は、自信を持ってこう答えた。
素晴らしいに決まっている――と。
ここ数日間は、いつにも増してそう思える。なにせ、あの小さな島から滅多に出てくることのない人間が、六日前にここにやってきたばかりなのだ。それも群れで。
彼の前に現れた人間たちの反応は、大きく分けて二つであった。目を見開きながら彼を見ているか、呆けた様に彼のコレクションを見ているか、である。
彼を見ている人間たちは、油断なく武器を構えて彼の動きを注視する。一方、コレクションを見つめる人間たちは、羨望の視線で財宝を見つめながら、彼の財宝を称える言葉を口から漏らしていた。
そんな人間たちを、彼は大いに歓迎した。空虚な彼の心を満たしてくれる大切な客である。もちろん追い返したり、傷つけたりはしない。彼は、胸を躍らせながら人間たちの言葉に耳を傾けた。
彼も、人間たちも動かない膠着状態が続く中、一人の人間がふらふらと歩き出す。それを他の人間が咎めるが、その人間は歩みを止めなかった。彼と、仲間たちの視線が自身に集まる中、火に向かって飛び込んでいく蛾のごとく、人間は彼の財宝に近づき、その右手を伸ばす。
そして、人間の手が彼のコレクションに触れた瞬間、彼は激昂した。
それはだめだ。
それはいけない。
コレクションに手を触れるのは、重大なマナー違反だ。
あれはもう、客じゃない。
これから暫しの間、彼の記憶は飛ぶ。そして、彼が我に返ったときには、彼の大好きな人間の死体と、人間たちにつき従っていた魔物たちの死体が、周囲のいたるところに散乱していた。
やってしまった――と、彼は酷く後悔する。
彼の悪い癖だ。
己がコレクションの価値を、他者に正しく理解してほしい。その一方で、コレクションの価値を正しく理解する者が、我欲をもって手で触れるという行為がどうにも我慢ならず、怒りで我を忘れてしまう。
正気を取り戻した彼は、攻撃を仕掛けてくる人間たちをなるべく殺さないよう注意しながら動き回る。それでも、強すぎる彼のなんらかの動作が、人間たちを蹂躙し、その身を傷つけ、命を奪ってしまう。
ゆっくり動くのは逆に疲れる。少し面倒になった彼は、もう怒っていないからあの島に帰りなさい――と、軽く手を振り下ろした。殺す気など全くなかったのだが、また一人、大好きな人間が潰れて動かなくなってしまう。
悲しい。人間とはなんて脆い生き物なのだろう。やはり、飼うのは無理だ。きっと殺してしまう――と、彼は思った。
この直後、彼の考えが通じたのか、人間たちは住処がある方向に向かって一斉に駆け出してくれた。彼は、怪我が治ったらまたきなさい。コレクションに手を触れない限りは歓迎しよう――と、それを見送る。
一人この場に残った一風変わった人間がいたが、その人間も、適当にあしらっていたら逃げ出してくれた。
あの人間たちは、無事にあの島に帰れただろうか? そして、住処であるあの島で、私のコレクションの素晴らしさを他の人間に伝え、広めてくれただろうか?
私のコレクションの素晴らしさを、一人でも多くの人間が知り、それを次代へと語り継いでくれれば、これほど嬉しいことはない――と、ここまで考えたところで、彼は「まてよ」と言いたげに首を傾げる。
次いで、思った。
口で伝え聞くだけでは、私のコレクションの素晴らしさは正しく伝わらないのではないか? と。
他者から何度も聞くより、自分の目で一度見るほうが確かだ。やはり今回も、過去の二度と同じく、私の心を満たしてくれたお礼の品を、大好きな人間たちに贈るとしよう。
思い立ったが吉日。彼は、姿見の前から離れ、周囲の財宝をかき分けて見つけたソレに、無造作に手を伸ばした。
ソレはいわば布教用。貴重なものだからと一応コレクションに加えてはいるが、彼の趣味ではないものだ。
手放しても、壊れても惜しくないソレを、彼は右手で鷲掴み、人間たちの住処である小さな島に向かって投げつける。
ソレが、狙い通りの方向に飛んでいったことを確認した後、彼は純金の姿見の前に戻った。そして、姿見に映る自分自身に向かって、再び自問する。
―—私のコレクションは素晴らしいか?
答えは、一つしかない。
素晴らしいに決まっている――だ。
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