145・生還

 乾燥していた体に水気が戻り、生気を失ったように垂れ落ちていた頭上の葉っぱに力が戻る。両の目には光が宿り、背中を「もう大丈夫」と言いたげにペシペシと叩かれた。


 理由こそ不明だが、瞬く間に力を取り戻していくレイラ。そんな彼女を見つめながら、狩夜が動く。


「紅葉さん、おります!」


 この言葉と共に、自由になった両手を紅葉の肩へと運ぶ狩夜。次いで、迦具夜の柄の上に乗っていた両脚を引き抜き、紅葉の背中から離れる。


 狩夜の突然の行動に驚いた紅葉が何やら声を上げるが、狩夜はそれを無視。空中で体勢を整えた後、自身の両足でミズガルズ大陸を踏みしめた。それとほぼ同時に、狩夜を守るべく動かされたレイラの葉っぱと、ヤツの右前足とが接触する。


「……」


 動けなくなる前となんら変わらぬ巧みな葉っぱさばきで、ヤツの攻撃をいなすレイラ。力の向きを歪められたヤツの右前足は、まるで最初からそこを狙っていたかのように、狩夜が立っている場所から僅かに横の大地へと叩きつけられる。


「――ッ!?」


 盛大に土煙が舞う中、右前足が地面にめり込んだことで、西に向かっていたヤツが足を止めた。だが、レイラの動きは止まらない。マンゴネルビートルの投石で千切れた右側の葉っぱを一瞬で再生させ、硬質化。ヤツの右前足目掛け、円を描くように一閃。


 レイラの葉っぱは、ヤツの右前足を覆う外骨格を容易に切り裂き、そのまま胴体から切り離す。


 奇しくもあの主と同じように右前足を失ったが、ヤツは一切怯まなかった。痛みと部位欠損に鈍いという昆虫型の強みを生かし、ヤツは戦闘を継続。腹部を反らし、二本ある尾毛を硬質化させつつ延長。グリロタルパスタッバー最強の攻撃手段で、狩夜もろともレイラを串刺しにしようとする。


 ロバストアルマジロの鱗甲板を容易に貫いたヤツの尾毛が、二枚の葉っぱの隙間を縫うように迫る中、レイラは全身から蔓を伸ばし、そのうちの二本を尾毛の迎撃に向かわせ、残りの蔓すべてを狩夜の体に巻きつけ、自身と狩夜とが決して離れないよう固定していく。


 そして、狩夜とレイラが戦闘態勢を整える中、レイラの蔓と、ヤツの尾毛、その先端同士が、寸分たがわず衝突し、甲高い衝突音が響いた。


 刹那の拮抗の後、ヤツの尾毛は表面がひび割れ前進を止めたが、レイラの蔓はそのまま直進し尾毛の中に埋没。一秒とかからず付け根まで到達し、内側から尾毛を破砕した。


「――ッ!? ――ッ!?!?」


 最強の武器を失ったヤツは、黒真珠の如き両目をレイラに向けながら戦慄する。そして、東にいる主のことなどどうでもいいとばかりに反転。この場所から、レイラから一秒でも早く離れようと、レッドラインの外側に向かって全力で逃走を図った。だが、遅い。レッドラインの内側に足を踏み入れたことで、敏捷が明らかに低下している。


 ――逃がすか!


 遠ざかるヤツの背中を見つめながら、狩夜は胸中にて叫んだ。


 ミズガルズ大陸探索における目下最大の障害にして、絶対に勝てる戦いしかしない特殊な魔物、“落ち目殺し”。ヤツを打倒する、千載一遇の好機であった。この機を逃がしてしまえば、ヤツはもう二度と、狩夜とレイラの前にその姿を現しはしないだろう。


 狩夜は、ヤツに向かって地面を蹴ると、右手を前に突き出しながら相棒に呼びかける。


「魔草三剣・葉々斬!!」


 すでに狩夜の体に蔓を巻き終えていたレイラが、狩夜の呼びかけに反応し、背中から木製の柄を射出。その柄が狩夜の右手に納まると同時に、稲の葉を彷彿させる刀身が勢いよく芽吹いた。


 葉々斬の刀身が延長を続ける中、狩夜はヤツに肉薄。赤茶色の体毛と外骨格に覆われた巨体目掛け、十メートル以上にまで延長した葉々斬を、横薙ぎに振るう。


 ヤツの体に埋没した葉々斬は、動物の骨を回転鋸に押し付けたような音と共にその体を切り裂き続け、止まるどころか減速すらしないまま、あっさりと突き抜けた。


 ヤツの体が一刀にて両断され、上半分が宙を舞う中、下半分はそのまま前進を続ける。だが、そんな下半分も、レッドラインの手前にて力尽き、ピクリとも動かなくなった。


 “落ち目殺し” の二つ名を持つ、ミズガルズ大陸荒野地帯の主。誰も倒すことのできなかったハンドレットサウザンド級の魔物が、今日この日、ついに打倒されたのである。



   ●



「……はぁ」


 多くの開拓者を乗せ、ミズガルズ大陸から出向したガレアス船・フリングホルニ。その船尾にいるレアリエルは、遠ざかる希望峰を見つめながら大きく溜息を吐いた。


 時刻は夕暮れ。その白髪を茜色に染めながら、レアリエルは憂鬱げに口を動かす。


「ガキンチョの奴……戻ってこなかったなぁ……」


 結局、レアリエルたちがミズガルズ大陸を脱出するまでに、狩夜がエムルトに姿を現すことはなかった。


 フリングホルニを含む船団は、脱出の準備が整うと同時に、エムルトの維持に必要な人員と、一隻の船を希望峰に残して出航。今に至る。


 レアリエル以外の精霊解放軍のメンバーが、操船を他者に任せ、船室にて泥のように眠っている中、レアリエルは一人、希望峰を見つめ続けていた。


「空席にしたら許さないって言ったのに……馬鹿……」


「あまり無理をすると体に毒ですわよ、レアさん」


 独白の直後に背後から聞こえてきた声。レアリエルは振り返りながら、声の主の名を呼ぶ。


「アルカナお姉様……」


「あなたが疲労を押してこの場所に留まれば、事態が好転するというわけではありませんわぁ。聖水で傷を塞いだとはいえ、今はしっかり休みませんと」


「それはわかってます。でも、もう少しだけ……」


 自身を心配してきてくれたアルカナに、小さく頭を下げて謝意を示した後、レアリエルは再び希望峰へと視線を向けた。そんなレアリエルを見つめながら苦笑いを浮かべたアルカナは、これ以上はなにも言わずに歩みを前に進め、レアリエルの隣に立ち、同じように希望峰を見つめる。


 それから、数秒後――


「うん?」


 ソウルポイントで強化された視力で、希望峰の上で海に向かって走るなにかを見つけたレアリエル。彼女は、転落防止用の手すりから限界まで身を乗り出し、次いで破顔した。


「あれって!」


 レアリエルが叫んだ直後、彼女の視線の先でなにかが跳んだ。助走の勢いそのままに、希望峰から海に向かって身を投げ出す。


 一見すると投身自殺のようだが、そうではない。


 ソウルポイントで身体能力が強化された彼らは、あれくらいの高さから飛び降りた程度で死にはしない。


 なにかのうちの一人、フローグは、〔水上歩行〕スキルにより、海の上であるにもかかわらず、地上と変わらぬ様子でそのまま海面に降り立ち――


「レイラ!」


 なにかのうちの二人、狩夜と紅葉は、落下中にレイラが葉っぱを変形させて用意した舟の上に、順次降り立った。


「これで……もう……本当に大丈夫……」


「で、やがりますな……」


 こう口にした後、精根尽き果てた様子で横になる狩夜と紅葉。そんな二人を葉っぱの舟の上に乗せるレイラは、もう一方の葉っぱを櫂のように海の中に沈め、ユグドラシル大陸に向かってゆっくりと漕ぎ出した。


「多芸多才だな、お前のパートナーは」


 葉っぱの舟に歩み寄りながら口を動かすフローグ。次いで、横になる狩夜を見下ろしながら、こう問いを投げた。


「どうだった? はじめての絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアは?」


「何度死ぬと思ったことか……正直、今、こうして生きていることが信じられません……」


 あの未開の地は、紛れもなくこの世の地獄であった。レイラ、スクルド、紅葉、フローグ。その誰が欠けていても、狩夜は息絶えていたに違いない。


「あんな場所を開拓して……そこに人が住める環境を構築するなんて……本当にできるんですか?」


「できるさ。光の精霊を【厄災】の呪いから解放さえすれば、な」


 狩夜が口にした率直な疑問に、間髪入れず答えを返すフローグ。そして、次のように言葉を続けた。


「今は休め。そして、帰るぞ。帰れば、またこられるからな」


「おーーい!」


 フローグの含蓄ある言葉の直後、レアリエルの狩夜たちを呼ぶ声が海上に響き渡る。両手を大きく振って歓喜の声を張り上げる彼女に、フローグは鳴き袋を膨らませることで。狩夜と紅葉は、岩のように重い右手を、天に向かってゆっくりと突き上げることで答えた。


 狩夜とレイラの絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアデビューは、こうして幕を閉じる。

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