144・落ち目殺し

「ほう、“落ち目殺し” が地表に出ているとは珍しいな」


「“落ち目殺し”?」


 巨大なケラ、主化したグリロタルパスタッバーを見つめながら呟かれたフローグの言葉、狩夜はその一部を復唱する。


 ニュアンスからして、ヤツの二つ名であるのは間違いない。つまりあの主は、二つ名がつくほどに有名な魔物ということになる。


 で、当のヤツはというと、配下であるグリロタルパスタッバーの群れと共に、食事の真っ最中であった。自らが仕留めたロバストアルマジロ、その鱗甲板の裏側に顔を突っ込み、こびりついた肉を黙々と齧っている。


「なんだ、知らないのか? ミーミル王国国内の開拓者ギルドに立ち寄れば、ヤツの話題は嫌でも耳に入るだろう?」


「えっと、フヴェルゲルミル帝国から真っ直ぐここにきたもので……有名なんですか?」


「ああ。ミズガルズ大陸探索における、目下最大の障害にして、レッドラインを境に魔物の強さに大きな開きが出る理由の一つ、それがヤツだ。ミーミル王国国王直々の討伐依頼に加え、有志によって集めらた懸賞金もついている。開拓の最前線、レッドラインのすぐ向こう側にある脅威として、ある意味魔王よりも有名な魔物だな」


「そっか、有名なんだ……」


 当面の間、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアへの進出はしない。そう考えていた狩夜は、ユグドラシル大陸の外の情報を積極的に集めてはいなかった。真央から聞いた主の情報も、ユグドラシル大陸内部のものに限られる。ゆえに “落ち目殺し” という名は初耳だった。


 あんなのがレッドラインのすぐ向こう側にいると知っていれば、狩夜の行動も変わっていたことだろう。


 やっぱり事前準備と、情報収集は大事だな――と、胸中で呟きながら、狩夜はフローグの言葉に耳を傾けた。


「ヤツは、レッドラインの内側から外に出るものは基本無視し、レッドラインの外から内側に向かうものにのみ襲いかかる。レッドラインの外から内側に向かうものは、人間であれば屈強な魔物を前に命からがら逃げ出した手負い、魔物であれば住処を追われた弱者、つまり、傷つき弱った敗者の場合がほとんどであることを、ヤツは知っているのさ。そしてヤツは、その敗者たちを長年狩り続けることで、多くの配下と共にレッドライン付近の荒野地帯を支配する主――ハンドレットサウザンド級の高みにまでのし上がった」


「それが、“落ち目殺し” の由来ですか……」


「ああ。ヤツのことを卑怯と思うか?」


「まさか。頭いいなって心底感心しているくらいですよ。そんなことをする魔物がいるんだって、背筋が薄ら寒くなる思いです」


 ここは絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア。人の理が通じない未開の地。弱肉強食という言葉すら生温い蠱毒壺である。ずるい、卑怯は、敗者の戯言。ヤツはレッドラインを狩りに利用することを思いつき、それを実行、大成した。それがこの場での全てであり、善だの悪だの論ずることに意味はない。


 ゆえに狩夜は、今すぐに論ずるべきことをフローグに尋ねる。


「で、フローグさん。その “落ち目殺し” が、レッドラインの外から内側に向かう、傷つき弱った敗者である僕たちの前に立ち塞がっているわけですが、どうするんです? 今の僕たちじゃ、戦っても勝てないでしょう?」


 先ほどの話が事実なら、ヤツは狩夜たちが縄張りに足を踏み入れた瞬間、躊躇なく襲い掛かるということだ。そして、狩夜はもとより、フローグ、紅葉、そしてレイラは、主と正面切って戦えるような状態ではない。


 戦ったら、絶対――とは言わないが、十中八九負ける。


 フローグは、いったいどうやってヤツとの戦いを避け、レッドラインを越えるつもりなのだろうか?


「俺とモミジがいればなにも問題ない。いくぞ」


 狩夜の心配を他所に、こう口を動かしながら一直線に西進を続けるフローグ。その無謀な行動に、狩夜が慌てた様子で「ちょ、フローグさん!?」と声を上げる中、先行する彼の足が、ヤツの縄張りを踏みしめた。


 瞬間、ヤツとその配下が一斉に動く。皆一様に、その顔をフローグに、そして、後に続く紅葉、狩夜へと向けた。


 そして――


「え?」


 ヤツはすぐさまその場を退き、さも当然のようにフローグの前に道を開ける。


 ヤツの予想外な行動に、狩夜が目を見開き、口を半開きにして驚きを表現する最中、ヤツはフローグに道を譲った後、すぐさま右前足を大きく振り上げ、周囲の配下たちに何やら指示を飛ばした。すると、配下たちはヤツと同じように動き、我先にとフローグの前に道を開ける。


 ほどなくして、レッドラインへと真っ直ぐに伸びる道が完成。フローグはその道の中に迷わず飛び込み、こうなることを予期していたらしい紅葉も、狩夜を背負ったままフローグの後に続く。


「ふ、フローグさん、これはいったい……」


「縄張りへの侵入者である俺たちの中に、ハンドレットサウザンドの開拓者がいるからだ。ヤツは、高レベルの〔鑑定〕スキルを持っているらしく、こちらの強さを一目で見抜き、自分と同格以上の相手との戦闘を、極力避けようとする習性がある」


 左右に並ぶグリロタルパスタッバーを見渡しながら、恐る恐る問いかける狩夜。そんな狩夜を安心させようと思ったのか、フローグはすぐさま答えを返し、次のように言葉を続ける。


「ヤツは強さだけでなく、スキルや装備。数や、大きさ、相性、様々な要素から相手を観察し、僅かでも負ける要素があれば、決して襲ってはこない。おっと、勘違いはするなよ? だからこそヤツは厄介なんだ。ヤツも他の魔物と同じように、人間を見るや否や、考えなしに襲い掛かってきてくれればなと、俺たちが何度思ったことか……なあモミジ?」


「まったくでやがりますよ。紅葉たち名のある開拓者が、準備万端整えてヤツを打倒しようする度、見事に肩透かしを食らって、今なおヤツは、ああしてのうのうと生きていやがるです」


「つまりヤツは、絶対に勝てる戦いしかしない特殊な魔物なんだよ。これもヤツが “落ち目殺し” と呼ばれるゆえんだな」


 そしてそれは、あの言葉の語源でもあるのだろう――と、狩夜は思う。


 レッドライン。その線を一度踏み越えたが最後、真の強者しか、生きて帰ることは許されない。


 狩夜が知恵を絞り、策を弄し、魔物を利用し、己が命を賭け、それでもなお越えることのできなかった壁――レッドライン。


 それが、フローグ、紅葉といった真の強者の前には、魔物の方から戦いを避け、いとも簡単に道が開けてしまう。


 世界最高峰の開拓者との力の差を、まざまざと見せつけられた。


 そして、ランティスともあろうものが、なぜあれほどの数の魔物と会敵し、エムルトの放棄という決断を下してまで、それらすべてを引き連れて希望峰へと逃げ帰ってきた理由もわかった。


 その数を大きく減らし、ハンドレットサウザンドの開拓者であるフローグと紅葉を失った精霊解放軍が、“落ち目殺し” の縄張りを通り、レッドラインを越える方法は、ヤツが襲撃を断念するほどの大軍勢を、魔物を利用して偽装する以外になかったのである。


 ——やっぱり、この人たちは僕みたいな凡人とは違うな。


 狩夜が胸中でこう呟き、苦笑いと共にその事実を受け入れる中、フローグは口を動かし続ける。


「まあ、今回ばかりはヤツの習性に助けられたな。おかげで、労することなくレッドラインを越えられる。とはいえ、さすがにいい気分ではないな。モミジ、急ぐぞ」


「おうでやがります」


 フローグ、紅葉の両名でも、テンサウザンド級の魔物がひしめく花道を進むのは居心地が悪いらしく―—狩夜にいたっては生きた心地がしない――二人はレッドラインへと向かう速度を更に速めた。


 ほどなくして、狩夜たち三人はレッドラインの十数メートル手前、ヤツのすぐ横へと差し掛かる。


「……」


 これほど近づいても、ヤツは沈黙を保ったままだ。襲いかかってくる気配は微塵もない。どうやら本当に、このまま狩夜たちをレッドラインの内側へと見逃すつもりのようだ。配下に手を出させるつもりもないらしい。


 ふと、狩夜とヤツの目が合う。そして、普段からレイラと無言の意思疎通をしているためか、狩夜はなんとなく、ヤツの言いたいことを察することができた。


 あれは「ハンドレットサウザンドの開拓者が二人も!? 怖いなぁ……早くどっかいってくれないかなぁ……ドキドキ」って顔だ。


 狩夜は確信する。ヤツは強く、頭もいいが、極度のビビリである――と。


 ヤツが、フローグ、紅葉の両名に襲いかかる気概を持つのは、二人に先んじてミリオン級になれたときだけのように思えた。


 ヤツとの戦いは回避した。レッドラインはもう目の前。これでもう大丈夫だと、狩夜が安堵の息を吐きかけた、次の瞬間――


「ガァアァァァアァアァアアァァァァアァ!!!!」


「「「「――っ!?」」」」


 全身の身の毛がよだつ、凄まじい咆哮が、周囲一帯に響き渡る。


 テンサウザンドである狩夜と、ヤツの配下であるグリロタルパスタッバーたちが、時間が止まったかのように体の動きを止める中、フローグと紅葉が目を見開き、足を止めることなく口を動かす。


「この、高レベルの〔咆哮ハウル〕スキルは……!?」


「あの虎野郎でやがりますよ! よもや、こんなにも早く紅葉たちに復讐しにきやがるとは!」


 再戦は予期していたが、それはずっと先のこと、互いに傷を癒してから。


 二人がそう考えるのも無理はない。フローグと紅葉も消耗しているが、主のそれは二人以上だ。右前足と多くの血液を失い、全身は傷だらけ。とてもじゃないが戦える状態ではない。


 現に、注意深く主の居場所を探ってみれば、〔咆哮ハウル〕スキルと共に放たれ、狩夜たちへと届いた主の気配は、強大ながらも遥か東方に位置することがわかる。よしんばフローグ、紅葉の動きを止めることができたとしても、攻撃のしようがない距離だ。


 ならば、今このときに使用された〔咆哮ハウル〕スキルに、いったいどんな意味がある?


 ただの嫌がらせ?


 無事にレッドラインの内側へと逃げ果せた好敵手への再戦の決意表明?


 いや、違う。主の狙いは別だ。


 そもそも、この〔咆哮ハウル〕スキルは、フローグや紅葉に向けられたものでも、狩夜やレイラに向けられたものでもない。


 主の狙いは――


「――ッ!? ――っ!?!?」


 “落ち目殺し” だ。


 主は、遥か東方から〔咆哮ハウル〕スキルを使い、自らの怒声と気配を、ヤツへと叩きつけたのである。


咆哮ハウル〕スキルは、同格以上の相手に使用した場合、成功確率が著しく低下する。今回もその例に漏れず、ハンドレットサウザンド級の魔物であるヤツは、スキル効果を跳ね除けた。よって、この〔咆哮ハウル〕スキルで、ヤツの行動が遅延することはない。


 だが、ビビリなヤツに、特大の恐怖を感じさせることはできたらしい。


 叩きつけられた〔咆哮ハウル〕スキルと、自身と同格な魔物からの強大な気配。そして、ヤツは主が消耗していることを知らないのだから、当然万全の状態であると考える。加えて〔咆哮ハウル〕スキルは、使用した直後に対象に襲いかかるのがセオリーだ。

 

 恐慌状態に陥り、思考が雑になっているヤツは、主の正確な居場所も探らずに、こう考えたに違いない。


 今、私は、東からくる別の主から、命を狙われている。今すぐに逃げなければ危険だ――と。


 襲いくる主が、地中への攻撃手段を有していない保証はどこにもない。よってヤツは、この危機を確実にやり過ごすべく、弱体化覚悟でレッドラインを越えることを選択。つまり、西に向かって逃げ出した。


 弱って十中八九勝てるであろう邪魔者たちを、力づくで押し退けて。


「だぁあぁあぁ!! きたでやがりますぅぅうぅうぅ!!」


「振り返るな! 前だけを見て全力で走れ! ヤツと戦うにしても、レッドラインの内側の方がまだましだ!」


 フローグと紅葉は、目の色を変えて突撃してくるヤツに応戦することなく、目前に迫るレッドラインに向かって全力で走った。いまだ〔咆哮ハウル〕スキルの影響下にある狩夜は、二人を応援することすらできず、ただただ硬直している。


 そして、狩夜たちを背後から攻撃しようと、ヤツがその右前足を振り上げたとき、まずフローグが、それに一瞬遅れて紅葉と狩夜が、レッドラインを踏み越えた。




 ドン!




「——っ!?」


 直後、狩夜の首筋に衝撃が走る。


 ヤツからの攻撃かと、息を飲む狩夜。動かない体を必死に力ませ、この後に襲い来るであろう激痛に備える。


 だが、狩夜の体に走ったのは激痛ではなく、〔未来道〕フューチャーロードの副作用と、〔咆哮ハウル〕スキルの硬直から体が解き放たれる解放感。そして、全身の痛みが消し飛ぶ爽快感であった。


 慣れ親しんだこの感覚に、狩夜は即座に後ろを振り返る。


 狩夜の目に飛び込んできたのは、真上から迫るヤツの右前足と――


「レイラ!」


 治療用の蔓を自身の首に突き立てる、息を吹き返した頼もしい相棒の姿であった。

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