142・紅葉は赤く染まる

「正直、全然大丈夫じゃないです……体が……首から下がまったく動きません……」


 フローグからの問いかけに、狩夜は一切見栄を張らず、自身の現状を正直に話した。あの雷鳴のような頭痛から数分の時間が経過したが、いまだに体の自由がきかない。加えて、凄まじい自己嫌悪が絶え間なく狩夜の心を攻め立てていた。穴があったら入りたい気分である。


 ―—なんで僕、紅葉さんを助けにきて、それを諦めた挙句、逆に助けられているんだろう?


「目立った外傷はないが……毒の類か? もしそうなら魔物の名前を――」


「毒じゃ、ないです……僕も初めてのことなので、推測でしかないですけど、とあるスキルを多用した代償かと……」


「そうか、ならいい。もし毒なら、最悪ここで見捨てなければならないところだ」


 フローグはそう言いながら両手を伸ばし、狩夜の上半身を起こす。次いで、紅葉へと視線を向けながら、こう言葉を続けた。


「モミジ、狩夜のことを頼む。俺のたっぱじゃ、背負うにしろ肩を貸すにしろ無理があるからな。周囲の警戒と魔物への対処は俺がやろう」


「了解でやがりますよ」


 フローグの提案を快諾した紅葉は、その場で踵を返し膝を折った。彼女の意図を察したフローグは、向けられた背中に狩夜の体を乗せた後、紅葉が背負いやすいよう、狩夜の手足の位置を調整する。


 紅葉は、狩夜の両膝と、自身の両肘の後ろに迦具夜の柄を通し、狩夜の体が離れないよう固定した後「さ、早くここから移動するでやがりますよ」と勇んで立ち上がろうとした。


 そんな、すぐにでも駆け出しそうな様子の紅葉に、狩夜は慌てる。


「待ってください紅葉さん! レイラが、僕のパートナーがまだ――ぐえ!?」


 主の攻撃による爆発で、狩夜から離れ、地面に投げ出されてしまったレイラ。彼女も一緒に連れていってほしいと、紅葉に懇願しようとした狩夜であったが、その言葉を最後まで紡ぐことはできなかった。


 フローグが、狩夜の後ろ襟を突然左手で掴み、喉を締め上げたからである。


「とっと!? なにをするでやがりますか、フローグ!?」


 狩夜の後ろ襟が引っ張られたことで後方にバランスを崩し、尻餅を突きかけた紅葉が抗議の声を上げる中、フローグは残った右手を狩夜の上着の内側へと突き入れる。そして、右手を引き抜くと同時に狩夜の後ろ襟から左手を離した。


 この一連の動作に、狩夜はなにごとかと後ろを振り返る。すると――


「あ……」


 自身の上着に首から下がねじ込まれたレイラの顔が、視界いっぱいに飛び込んできた。


「いくぞ」


 狩夜の上着の中にレイラを押し込んだフローグは、この言葉と同時に狩夜の背中を叩き、後方へと傾いた紅葉の重心を前方へと戻した。次いで、紅葉を先導するように西に向かって駆け出す。重心と体制を整えた紅葉は、狩夜の体を背負い直すと、慌ててフローグの後を追った。フローグの背中を見つめながら「ありがとうございます」と礼を述べる狩夜を、その小さい背中に背負いつつ、紅葉は走る。


 ほどなくして、狩夜にも見覚えのある開けた場所に出た。周囲に魔物の気配は——ない。


 どうやら、狩夜は再びあの空白地帯の上へと戻ってきたらしい。フローグが、より魔物の気配が少ない方、少ない方へと進んだ結果である。


「それにしても、なんで精霊解放軍に参加していない狩夜がここに、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアにいるんだ? 確かに開拓者は、自らの意思で自由にユグドラシル大陸の外に出る権利を得るが、精霊解放遠征の期間中は、エムルトの全施設と、ケムルトに所属する全船舶は、精霊解放軍とその関係者の貸し切りとなる。今の時期にミズガルズ大陸にくるのは無謀だろう?」


「あ、それは紅葉も気になっていたでやがりますよ。詳しい説明を要求しやがります」


 周囲から魔物の気配が消えて少し余裕ができたのか、フローグと紅葉が後ろを振り返ることなく口を動かす。紅葉にいたっては「矢萩と牡丹はいったいなにをしていやがりますか。もう少しで取り返しのつかないことになるところだったでやがりますよ、まったく」と、この場にいない非公式パーティメンバー二人に対し、怒りの言葉を呟いてもいた。


 そんな二人の問いかけに、狩夜は次のように言葉を返す。


「今朝がた、エムルト、ならびに各国の要所、そして、全開拓者ギルドに、ランティスさんからの救援要請が入りまして、僕にもなにかできることがあるのではと思い、文字通り飛んできたしだいです」


「飛んできた――か、なるほど。で、そのランティスたちはどうなった?」


「今頃は無事に撤収作業を終えて、もう海の上じゃないですかね? 精霊解放軍を追撃していた魔物は全部レイラが倒しましたから、エムルトは放棄せずに存続する方向になってると思います」


「ほえ~……全部でやがりますか……紅葉と互角に渡り合ったときから、並の魔物じゃないとわかってはいたでやがりますが、まさかそれほどとは……」


「そうか、ランティスたちは無事にエムルトに辿り着き、ミズガルズ大陸を脱出したか。で、狩夜はなんでまた、ランティスたちと共にユグドラシル大陸に戻らず、ミズガルズ大陸に残り、あまつさえレッドラインの外側へとやってきたんだ?」


「それはその……紅葉さんが本体から落後して、レッドラインの外側に取り残されたと聞いて、いてもたってもいられず……」


「え!?」


 狩夜の言葉が余程予想外だったのか、チャームポイントであるどんぐり眼をさらに丸くしながら、紅葉が驚きの声を漏らす。


「も、もももも紅葉なんかを助けるために、狩夜はミズガルズ大陸に残り、レッドラインを越えてくれたのでやがりますか!?」


「はい」


「な、なんででやがりますか!? 紅葉は武士であり、開拓者でやがりますよ!? 戦場や未開の地で命を落とすなんて至極当然のこと、心配されるいわれも、同情されるいわれもないでやがります! 狩夜にそこまでしてもらう理由なんて――」


「ありますよ。だって、遠征が終わったらまた会おうって言ってたじゃないですか」


 ——それに、青葉や真央との縁もある。


「~~~~~~!!」


 狩夜の言葉に、顔をその名前の如く真っ赤に染める紅葉。そんな、普段はまるで見せない女の子な反応をする紅葉と、狩夜の無自覚な言動に、フローグは我慢できないとばかりに鳴き袋が大きく膨らませて笑い、次のように言葉を続けた。


「そうか、紅葉のためか! そうかそうか! いやはや見違えたよ! あのときの無欲な小僧がこうも変わるか! それでこそ助けた甲斐があるというものだ!」


「そんなに笑わないでくださいよ。結果は御覧の通りですけど、一応勝算はあったんです。僕はともかく、レイラの力は絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアでも通用するって、精霊解放軍を助けたときにわかりましたから……」


「そうか。で、その強い魔物であるはずのお前のパートナーは、なんでまたそんな姿になってしまったんだ?」


「……」


 フローグからの当然ともいえる問いに、狩夜は言葉を詰まらせる。そして、再び視線をレイラへと向けながら、こう口を動かした。


「わからない。わからないんです。レッドラインを越えるまではいつも通りだったんですけど、レッドラインを越えて、しばらくしたら突然……」


 狩夜の言葉に、フローグは訝し気に目を細めた。次いで言う。


「それはおかしいだろ。テイムされたとはいえ、魔物は魔物。レッドラインを越えて大気中からマナが消えれば、むしろ弱体化から解放されて活性化するはず。他の魔物とはまるで逆の反応だぞ?」


「ですね。まあでも、レイラは……その、少し特殊な魔物ですから……」


 地球産の魔物で、世界樹の種をその身に内包する勇者――とは、さすがに言えない。


「あの、今度は僕から質問いいですか?」


 話の流れが説明しづらい方向へと向かってきたので、狩夜は話題の転換を図る。そして、自らが今最も聞きたいことを、二人に尋ねた。


「お二人はどうして無事だったんですか? ガリムさんからは、必要な犠牲と割り切って進めとまで言われたんですけど……」

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