139・信じた道の先に

 ―—疑うな!


 行く手に立ち塞がるソードヘッジホッグ。飛び掛かってきたところを右に回避。直後、マンゴネルビートルの投石が遠方より飛来し、ソードヘッジホッグに直撃した。全身の針で投石を受け止めるも、ソードヘッジホッグは大きく態勢を崩し、転倒。その隙をついて、狩夜は速やかにその場を離脱する。


 ―—疑うな! 疑うな!


 『リィ、リィ、リィ』という鳴き声と共に、雄のファントムキラークリケットが突撃してきた。狩夜はそれを左に小さくステップを踏んでかわし、すぐさま右に大きくステップを踏む。雄の影に隠れ、無音のまま接近していた雌のファントムキラークリケットの斬撃を、紙一重でやり過ごす。


 ―—疑うな! 疑うな! 疑うな!


 進行方向上に点在するミズガルズスリカータの巣。全力で跳躍し、その上空を通過。見張り役がそれを察知し、巣穴から一斉に飛び出したミズガルズスリカータが狩夜の着地地点に殺到しようとする。しかし、そこに狩夜の後背を突こうとしていた二匹のファントムキラークリケットが乱入し、大混戦が勃発。一人混戦の外にいる狩夜は、我関せずとばかりに走り去る。


 ——スクルドを、仲間を信じろ! 


 次から次へと狩夜に襲いかかる魔物、魔物、魔物。絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアは、一時たりとも狩夜を休ませはしない。光の道が示すままに東南東へと進む狩夜に対し、親の仇とばかりに刺客を差し向け、容赦なく命を取りくる。〔未来道〕フューチャーロードがあってこれなのだから、もしなかったらどうなっていたことか。


 ——疑うな! 絶対に疑うな!


 いや、もしかしたら、光の道はあえて魔物がいる方向へと狩夜を誘導しているのかもしれない。狩夜を狙う魔物を別の魔物にぶつけ、同士討ちさせる。そのような場面がもう幾度もあった。狩夜が未来に辿り着くことのできる道は、乱戦の中にしかなかったのだろう。


 ——疑った時が、死ぬ時だ!!


 疑えば、死ぬ。そう自身に言い聞かせ、スキル〔未来道〕フューチャーロードが見せる光の道を頼りに、狩夜はどうにかこうにかここまでやってきた。


 しかし――


「はあ! はあ! はあ!」


 すぐ傍らに死が付きまとう乱戦の中を、休みなく連続で潜り抜けた代償は、大きかった。


 逃げろ、守れ、避けろと喚き散らす本能を無視して光の道に飛び込むたび、全身から夥しい量の汗が噴き出す。


 自身を確殺するであろう攻撃がすぐ横を通り抜けるたび、神経が音を立ててすり減っていくのがわかる。


 周囲に渦巻く殺意。一瞬の判断ミスが命取りという重圧。半歩すら踏み外すことが許されない光の道。自分が力尽きれば、勇者レイラ女神スクルドの命運も共に尽きるという責任。


 そういった様々な要素が、狩夜から大切なモノを瞬く間に奪っていった。


 もう、残されたモノは少ない。


 それでも、未来などという不確かな希望に縋り、どこまで続くとも知れぬ光の道の上を、走り続けなければならなかった。


 ——うた……がうな……


 とうに力尽きた体を、気持ちで、心で支える。


 ―—この先に……未来が……なにかがあるはず……


 光の道に導かれるままに、この世の地獄を突き進む。


「あ……」


 狩夜によけられたことで、地面に突き刺さったアサルトエカルタデタの飛び蹴り。その際に巻き上がった砂埃の中から脱出すると同時に、狩夜はその唇を震わせた。


 永遠に続くのでは? とも思えた光の道。その終わりが、ついに見えたのである。


 そして、そこには――


「……」


 なにも、なかった。


 その場所は、なんの変哲もないただの荒野であり、特に目を引くようなものは一切ない。地面の色も、周囲の空気も、狩夜が今走っている荒野の上と、なに一つ変わらない。


 あまりに報われない光景だった。


 あそこがお前の死に場所だと、そう宣言されたに等しかった。


 すんでのところで体を支えていた心。それを圧し折るには十分すぎる事実であった。


 そんな残酷すぎる現実を前に、狩夜は――


 ——疑うなぁあぁぁあぁあぁ!!!!


 胸中にて絶叫。そして、目を見開きながら歯を食いしばり、躊躇うことなく更に前進する。


 光の道、その終わりを凝視しながら、狩夜は走った。


 そんな狩夜に遅れること数秒、体勢を整えたアサルトエカルタデタが、砂煙の中から飛び出してくる。自らを意に介さず前進する狩夜のことを忌々し気に見つめながら、その無防備な背中目掛け、渾身の飛び蹴りを――


「——ッ!?」


 放たない。


 いや、放てない。


 アサルトエカルタデタは、本来ならば最優先攻撃目標であるはずの人間から視線を外し、突如として現れた強者へと視線を向ける。その視線の先には、本来この荒野地帯にはいないはずの、密林の王者がいた。


 それは、虎。


 全長五メートルを優に超える、虎型の魔物。


 一目見た瞬間、アサルトエカルタデタの瞳から闘志が消え、その全身が恐怖に震えた。だが、それは仕方のないことだろう。あれは、明らかにハンドレットサウザンド級の魔物であった。この荒野地帯のずっと先にある森林地帯。そこを支配する主が、最近お気に入りの食糧の後を追い、ここまで出張ってきたのである。


 息絶えたバーサクコングの首に牙を突き立てながら、ゆっくりと西進するその主は、狩夜の姿を見て取ると同時に僅かに目を細めた。そして、めんどくさげに首を横に振り、口に加えていたバーサクコングを放り出す。


 直後、主は体を深く沈め、一瞬の溜めの後、地面を蹴った。その蹴り足に大地の方が耐え切れず、無数の亀裂が走る最中、主は黄褐色の強風となり、狩夜に襲いかかる。


 一方の狩夜はというと、迫りくる主の方を見てすらいなかった。


 もちろん、主の接近に気づいていないわけじゃない。これほどの存在感と威圧感だ。嫌でも気づく。心臓に氷塊が突き刺さり、全身の血液が凍りついたかのような恐怖が、主の出現と同時に狩夜を襲い続けている。


 だが、それでも狩夜は前に向かって走り続けた。


 なぜなら、狩夜の目に映る光の道は、その終わりに向かって真っすぐに伸びている。


 立ち止まっては駄目なのだ。防御も、回避も、あの主に対しては無意味。光の道を信じて前進する以外に、叉鬼狩夜に活路はない。


 ——疑うな! 疑うな! 疑うな!


 進むんだ! 這ってでも! いくんだ! あそこまで!


 信じろ! あそこまでいけば、なにかが変わる! なにかが起こる!


 命尽きるその時まで、己が決意を貫き通せ!


 「うぉぉおおぉおおぉ!!」


 胸中だけでは足りぬとばかりに雄叫びを上げる狩夜。そんな狩夜の体を、主がついに間合いに収める。


 主は、高速移動を継続しつつ右前足を振り上げ、狩夜の首目掛けて躊躇なく振り下ろした。


 直後——


「……が!?」


 狩夜の肉体に張り巡らされた全感覚神経が、その活動を停止した。


 意識が明滅し、筋肉という筋肉が弛緩する。テンサウザンドである狩夜が、地面に向かって倒れていくことにまったく抵抗できない。


 意志の力とか、そういったものを根本から吹き飛ばす、それほどまでの凄まじいが、雷鳴の如く狩夜に襲いかかった。


 狩夜を襲った突然の変調。それに最も面食らったのは、他でもない主である。


 主には、狩夜が自らの攻撃に対しどのような行動を取ろうと、それに即応できるという自信があったに違いない。だが、この突然の脱力は、当の狩夜本人ですら予想外のものであった。それゆえに主にも予測できず、対応が一瞬遅れる。


 そして、超高速で移動している主にとって、その一瞬の遅れは、取り返しのつかないものとなった。


 必殺のつもりで振り下ろしたであろう主の右前足は、狩夜の体に触れることなく空を切り、主の巨体もまた、倒れ行く狩夜の頭上を、そのまま通りすぎていく。


 狩夜を素通りしてしまった主は、攻撃が空振りに終わった腹癒せとばかりに、たまたま進行方向上にいたアサルトエカルタデタへと、そのまま襲いかかる。


 偶然か、それとも女神が仕組んだ必然か。なんにせよ、狩夜はまたしても命を繋いだ。そして、目下狩夜に迫る最大の危機は、このままだと腹這いに倒れてしまい、胸に抱く大切な相棒を、自身の体で押し潰してしまうということである。


「……ぐ」


 最後の力を振り絞り、狩夜はレイラを庇う。体を捻り、右横腹から地面に倒れ込んだ。そのまま荒野の上を、豪快に滑り進む。


 ようやく勢いがなくなり、動きを止めた狩夜は、すぐさま顔を上げ、今どのあたりだ? と、光の道を見ようと意識を集中させる。


 瞬間——


「——!!??」


 先ほどとまったく同じ、凄まじい頭痛が狩夜を襲った。意識が明滅し、全身の感覚神経がその機能を停止する。


 この尋常じゃない頭痛は、スキル〔未来道〕フューチャーロードを多用した代償なのかもしれない。さもありなん。これほどの強スキルだ。何かしらのリスクがあって当然である。


 ——だめだ……動けない……


 狩夜は、背中を大地につけながらレイラを腹の上に乗せ、ただただ空を見上げる。アサルトエカルタデタを仕留めた主が、ゆっくりと、だが確実に近づいてきているのに、だ。


 もう、完全に限界だった。動きたいと思うのに、体がまったく反応しない。脳からの指令が、首のあたりで止まっている感覚。文字通り、指一本動かせない。


 ゆえに狩夜は、仕方なく空を見つめ続けた。


 見えるのは、青い空と、白い雲。そして――黒い点。


 あの徐々に近づいてくる黒い点はなんだろう? スカベンジャーコンドルだろうか? 狩夜が主に食い殺されるのを上空で待ち、おこぼれをかっさらうのが目的か?


 いや、違う。あれは、スカベンジャーコンドルではない。色が違う。緑と白の禿鷹なんて、いるはずがない。


 あれは……


 あれは――


「——ッ!」


 上空から接近してくるの気配に、主が反応した。狩夜へと向かっていた歩みを止め、弾かれたようにその顔を上に向ける。


 次の瞬間、遠方から投擲されたと思しき、満月のように輝く一本の長槍が、超高速で主に襲いかかった。


「——ッ!?」


 上と見せかけて、横。意識の外からの攻撃に度胆を抜かれ、主はその目を見開いた。


 だが、敵もさる者。主は埒外の超反応を見せ、紙一重でこれを回避。避けた長槍が轟音と共に地面に突き刺さるのを尻目に、改めて本命と思しき上空の彼へと、意識を集中させる。


 それと同時に、長槍を投擲した少女が、遠方にて次のように叫んだ。


竹殺物語たけとりものがたり!」


 使い手の声に反応し、現存する魔法武器の中で最強と名高い霊槍・迦具夜かぐやが、その内に秘めた魔力を解放した。


 迦具夜が突き刺さった場所を中心に、満月の如き光の円が一瞬で大地に広がる。そして、光の円の中から、迦具夜と同じ輝きを放つ無数の筍が顔を出し、爆発的に成長。真下から主に襲いかかる。


 こればかりは、さしもの主も避けきれなかった。全身を筍に貫かれ、主の巨体が大地に貼りつけにされる。


 上と見せかけて、横。そこに本命の上――と、思わせておいて下だった。完璧な伏線。こんなの誰だって引っかかる。


 そして、主が身動き取れなくなったところに、正真正銘の本命が、上から襲い掛かった。


 その本命は、上空で長大な舌を伸ばし、主を貫く筍の一本を絡め取る。次いで、舌を口内へと収納し、翼を持たぬ身では本来ありえない、空中での急加速を披露した。


 絶妙のタイミングで絡めていた舌を解き、彼は主に肉薄。両手剣を高々と振りかぶり、渾身の力で振り下ろす。


 主の右前足を根元から断ち切りつつ、彼は、狩夜に向かって次のように言葉を紡いだ。


「借りを返しにきたぞ、カリヤ」


 世界最強の開拓者。“流水” のフローグ・ガルディアス。


 彼こそが、光の道の先にあるという未来、そのものであった。

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