138・未来道

 レッドライン付近の大地が、なぜ不毛の荒野となるのか? その理由は、土壌微生物の少なさにある。


 イスミンスールには、マナが存在する環境でしか生きられない微生物と、マナが存在しない環境でしか生きられない微生物とが存在する。そして、世界樹がマナを届けることができる限界地点は、日々の風向きや、潮の流れ等で微妙に変化する。


 極端な話、東に向かって強風が吹けば、東側の微生物が死滅し。西側に向かって強風が吹けば、西側の微生物が死滅するのだ。


 そのため、レッドライン付近の大地、とりわけ地表部分には、土壌微生物が極めて少ない。その土が植物の生育に適さないため、レッドラインに沿う形で、不毛の荒野が延々と形成されてしまうのだ。


 なにより一番の問題は、レッドラインの手前側の荒野よりも、レッドラインの向こう側に広がる荒野の方が、圧倒的に広いという現状である。


 そう、レッドラインが年々後退し、荒野が西へ西へと広がり続けているのだ。


 世界樹が放出するマナの量。それが、時間がたつにつれ減少しているという、この上ない証拠。人類が滅亡に瀕していることを如実に示すその荒野の上を、狩夜は〔未来道〕フューチャーロードに導かれるままに、東南東へとひた走る。


「——っ」


 ふと、狩夜が目を細めながら小さく息を飲んだ。


 周囲の地形は相変わらずの荒野であるが、今狩夜が走っている場所は、ごつごつした大小の岩が目立つ。人が集団で移動するには不向きな地形なので、精霊解放軍及び、それを追っていたグラトニーアントは通っていないだろう。


 そんな場所に、狩夜よりも少し背の高い岩がある。


 ぱっと見、なんの変哲もないただの岩だが、狩夜の目に映る光の道は、その岩の周囲を大きく迂回するように半円を描いていた。今の今まで目的地、スクルドが言うところの未来に向かって、ほぼ真っ直ぐに伸びていたにもかかわらず――である。


 ——疑うな!


 直進し、岩のすぐ横を通ればショートカットできるが、狩夜は躊躇することなく迂回を選択。光の道に従い、岩を中心にして右回りに移動を開始した。


 次の瞬間、岩が動く。そして、細長い何かが高速で突き出される。


 それは、先端に毒液滴る針のついた、とある毒虫の後腹部であった。


 サソリ型の魔物、ロックスコーピオン。


 岩に擬態し、獲物を待ち伏せするそのサソリの毒は、当然のように致死性であり、専用の解毒剤か、Lv5以上の〔対異常〕スキルでなければ無効化できない。


 解毒剤も、スキルもなく、レイラが動けない今その毒をくらえば、狩夜に待ち受けるのは確実な死だ。だが、当のロックスコーピオンは、狩夜が自身に向かって直進してくるという前提で攻撃を仕掛けており、今は誰もいない場所に毒針を突き出している。


 ロックスコーピオンの初撃を危なげなくやり過ごした狩夜であったが、相手はテンサウザンド級の魔物。これで終わるわけがない。


 ロックスコーピオンは、空振りに終わった後腹部を攻撃の勢いを利用して限界まで延長させると、その場で回転。後腹部を横薙ぎに振るい、再度毒針で狩夜を狙う。


 だが、この攻撃も、大きく円を描くように移動していた狩夜には当たらなかった。かするだけでも自身を死に至らしめる攻撃がすぐ横を通り抜ける中、狩夜は光の道の上を走り続ける。


 ほどなくして、ロックスコーピオンの攻撃が終わる。モーションの大きい攻撃ほど技後硬直が長いものだ。すぐには動けないロックスコーピオンを無視し、狩夜はその場を離脱する。そして、半円状の光の道を走り終えると、今度は雷の如く鋭角的な光の道が視界に映し出された。


 ——疑うな!


 反復横跳びをしながら前進することを強要されたようなものだが、狩夜は即座にそれを実行。そして、一度目の横っ飛びの直後、斜め上から飛来した赤茶色の流星が狩夜のすぐ横を通過し、着地と同時に地面を割り砕く。


 砂煙が舞い上がる中、地面に足をめり込ませながら静止しているその動物の姿を、狩夜は戦慄と共に横目で確認した。


 大きい耳と、長い尻尾。小さく短い前足に、前足と比べて十倍近く大きく発達した後ろ足。そして、腹部には有袋類ゆうたいるい特有の育児嚢いくじのう


 カンガルー型の魔物、アサルトエカルタデタである。


 エカルタデタとは、かつてオーストラリアに生息していたという肉食のカンガルーの名だ。一般的なカンガルーと違い、下アゴの前歯が長く、前方に突き出ているのが特徴で、その鋭い前歯で得物を突き刺して捕食する。


 そんな鋭い前歯も脅威だが、やはり一番目を引くのは、筋骨隆々の後ろ足だ。カンガルーとは『跳ぶもの』を、 そしてカンガルー属の学名であるマクロパスは、ラテン語で『大きな足』を意味する。事実、アサルトエカルタデタの後ろ足は、非常に太く、そして大きい。人間を容易に蹴り殺すであろう凄まじい膂力を備えていることは、一目見れば明らかだ。


 アサルトエカルタデタは、地面にめり込んでいた右後ろ足を無造作に引き抜くと、殺意に満ちた瞳を狩夜に向ける。そして、リズムを刻むようにその場で軽くステップを踏んだ後、狩夜に向かって突撃した。


 次の瞬間、洗練された無駄のない蹴撃が放たれる。間違いない、〔体術〕スキルだ。しかもかなりの高レベル。


 迫りくるアサルトエカルタデタの飛び蹴り。その飛び蹴りを、狩夜は光の道を頼りにどうにかかわす。しかし、アサルトエカルタデタはかわされた先に存在した岩を絶妙の力加減で蹴り飛ばし、実に見事な三角跳びを披露。即座に方向転換して、狩夜に再度襲いかかった。


 かわしても、かわしても、アサルトエカルタデタは避けた先で瞬時に体勢を整え、狩夜に蹴りかかってくる。その連続攻撃を、光の道が示す通りに動き続けることで、狩夜はかわし続けた。攻撃に転じようなどとは考えない。移動速度、反応速度、そして膂力。そのどれもが相手の方が上だ。攻撃を仕掛けた瞬間、致命的なカウンターを食らうのは想像に難くない。


 果てしなく続く攻防。狩夜とアサルトエカルタデタの双方が鋭角的に動き続け、未開の荒野に雷の如き軌跡を刻み続ける。


 何度よけられても蹴りかかることをやめないアサルトエカルタデタ。いい加減心が折れそうなものだが、狩夜は根負けすることなく回避を続けた。それができた理由は単純。狩夜にだけは、この攻防の終わりが見えるからである。


 光の道が、ある地点を境に鋭角的でなくなり、一直線になるのだ。あそこまでいけばアサルトエカルタデタの攻撃は止まる。狩夜はそう信じて回避を続け――ついにはその場所へとたどり着いた。


 すると、予想通りアサルトエカルタデタ攻撃が止まる。

 

 攻撃が終わる瞬間はわかっていたが、その理由はわからない。いったいなにが原因なのだろうと、光の道の上を走りながら、狩夜はアサルトエカルタデタが最後の攻撃を放った後に向かった場所へと視線を向ける。


 次の瞬間、アサルトエカルタデタがとある魔物の群れに襲われている光景が、狩夜の目に飛び込んできた。


 その魔物は、体長おおよそ三十センチで四足歩行。背中には黄褐色と灰白色の毛が生え、眼の周囲と耳、それと尻尾の先に黒い毛が生えている。


 ミーアキャット型の魔物、ミズガルズスリカータだ。


 ミーアキャットは、石や岩の多い荒地に生息する昼行性の動物である。地中に巣穴を掘り、番、もしくは家族群で生活し、複数の家族群が一緒に生活することもある。家族間の強い結束からなる集団戦こそが、彼らの十八番であり、生命線だ。


 どうやらアサルトエカルタデタは、狩夜に跳び蹴りをよけられた後、運悪くミズガルズスリカータの巣穴近くに着地してしまったようだ。体格ではアサルトエカルタデタの方が優位だが、あまりに多勢に無勢。必死の抵抗虚しく、アサルトエカルタデタの体は、ミズガルズスリカータの群れの中へと埋もれていった。


 狩夜を一方的に攻め立てたアサルトエカルタデタが、あっさりと倒され、捕食されていく。その光景を漠然と眺めていると、狩夜とミズガルズスリカータの目が合った。合ってしまった。


 狩夜と目が合ったミズガルズスリカータが、すでに息絶えているアサルトエカルタデタの体から口を離し、後ろ足だけで器用に立ち上がる。そして、狩夜のことを真っ直ぐに見つめながら、右前足を頭上に掲げた。


 背筋に走るすさまじい悪寒。狩夜は弾かれたようにミズガルズスリカータから視線をそらし、光の道だけを見つめながら、己が両脚に更なる力を込める。


 直後、ミズガルズスリカータが狩夜の背中目掛けて、掲げていた右前足を振り下ろす。すると、周囲の地面に空いていた巣穴から、無数のミズガルズスリカータが飛び出した。その数、五十以上。それらすべてが一丸となって、狩夜の後を追いかけはじめる。


 鋭角的な動きを続けたことで疲労を訴える体に鞭を打ち、全力で逃走を図る狩夜であったが、ミズガルズスリカータたちの方が僅かにだが速い。徐々に、だが確実に、距離が詰められていく。


 このままではいずれ追いつかれる。だが、狩夜の相貌に映る光の道に変化はない。横に逸れることなく、前に向かって真っ直ぐに伸びている。


 いや、その表現は正しくない。横に逸れることはなかったが、縦。光の道が陸橋のごとく、あるものを避けるようにアーチを描いていた。


 そのあるものとは、狩夜よりも少し背の高い岩。ぱっと見、なんの変哲もないただの岩。


 岩の正体を察し、狩夜は光の道が指し示すままに岩に向かって直進。すると、案の定岩が動いた。ロックスコーピオンが擬態を解き、狩夜に向かって毒針を突き出してくる。


 ——疑うな!


 迫りくる毒針を、狩夜は渾身の力で跳躍することでかわす。羽を持たざるものでは機敏に動けない空中へと、あえてその身を躍らせた。


 本来ならば悪手となる狩夜のこの行動に、ロックスコーピオンは「馬鹿め」とでも言いたげに視線を上に向ける。そして、方向転換できない狩夜を下から毒針で狙い撃とうと身構えた次の瞬間、ミズガルズスリカータの大群と接触した。


 ミーアキャットは、可愛い外見に反して雑食性の生き物である。植物の茎、芽、根、果実なども食べるが、小型の哺乳類や鳥類、爬虫類だけでなく、昆虫や、多足類も平気で食べる。中でもサソリは、ミーアキャットの主食と言っても過言ではない。


 魔物は人類――世界樹由来の生物を優先的に狙うが、天敵が接触したとなると話が変わる。ロックスコーピオンは生存本能に従い、ミズガルズスリカータを攻撃。ミズガルズスリカータもそれに応戦。攻撃目標を狩夜からロックスコーピオンに変更し、一斉に襲い掛かった。


 ロックスコーピオンが自身の身代わりになったことを空中で確認した後、狩夜は無事着地。こんな場所に長居は無用と、すぐさま駆け出す。


 先の一連の攻防ではっきりした。〔未来道〕フューチャーロードの力は本物だ。そして、その力を少しでも疑った瞬間、狩夜は死ぬ。きっと、なにが起こったのかもわからないまま、実にあっけなく死ぬ。


 目に映る光の道を、天から地獄に下りた蜘蛛の糸のごとく辿りつつ、狩夜は東南東を目指す。疑うな。スクルドを、仲間を信じろ――そう胸中で幾度も呟きながら。


 光の道の終わりは、まだ見えない。

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