136・ハンドレットサウザンド級

「うぉおおぉ!」


 ロバストアルマジロに後ろを追われながら、狩夜は西に向かってひた走る。そのゆく先に、魔物の姿は――ない。


 それもそのはず。狩夜が今走っているのは、つい先ほどグラトニーアントが通り、レイラがまだ健在だったときに狩夜が通ったルートとほぼ同じものだ。この辺りにいた魔物は、そのことごとくが打倒されるか逃げ出すかしており、ある種の空白地帯と化している。


 いかに絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアとはいえ、魔物が無限に湧き出るわけではない。この世界は紛れもない現実。ゲームと違い、無から有は生まれない。


 ゆえに今、狩夜の西進を阻む存在はいなかった。狩夜の周囲にいる魔物は、レイラを除けば背後のロバストアルマジロだけである。


 そのロバストアルマジロも、打倒を意識しなければ与し易い相手であった。攻撃手段は転がりながらの突進一択であり、敏捷値では狩夜の方が上。避けるだけなら造作もない。


 全力で走れば振り切れただろうが、狩夜はあえてそうしなかった。マンゴネルビートルの視線と殺意が消えた後も、ロバストアルマジロとの距離を常に保ち、諦めさせずに追走させ続けた。


 この後に控えるとある山場。そこで狩夜は、ロバストアルマジロにもう一仕事してもらう予定なのである。


「見えた!」


 西進を続ける狩夜の目に、ついにレッドラインが映る。あの赤い線を飛び越えさえすれば、狩夜を取り巻く状況は一気に好転するはずだ。


 魔物はマナによって弱体化し、生息する魔物のほとんどは、テンサウザンド級からサウザンド級へとランクダウンする。適正戦力は、テンサウザンドの開拓者ならばソロ。今の狩夜ならば、レイラの援護がなくともどうにかなる場所だ。


「レイラ、もう少しの辛抱だからね!」


 狩夜は、胸に抱くレイラにそう呼び掛けながら、レッドラインを目指して一直線に走った。そして――


「ここだ!」


 距離にして残り二百メートルほど手前で、突然方向転換。鍛え上げた敏捷を遺憾なく発揮し、右側へとほぼ直角に移動する。一方のロバストアルマジロは、狩夜のこの動きについていくことができず、そのままレッドラインに向けて直進した。


 そんなロバストアルマジロの動きを目で追いながら、狩夜は叫ぶ。


「いるんだろ!? 出てこい!」 


 直後、レッドラインのすぐ手前の地面が突然盛り上がり、爆発。地中から無数の影が飛び出し、ロバストアルマジロの周囲を瞬く間に包囲した。


 そう、ケラ型の魔物、グリロタルパスタッバーである。


 狩夜は、レッドラインを越えた直後の戦いで、地中に潜むグリロタルパスタッバーのすべてを打倒したとは考えていなかった。そして、狩夜がレッドラインを超えようとすれば、また別の一団が地中から奇襲を仕掛けてくるのではと予想した。


 レイラが動けない状況で、テンサウザンド級の魔物に囲まれでもしたら、もはや一巻の終わりである。なすすべもなくなぶり殺しにされるしかない。


 ゆえに狩夜は、またもロバストアルマジロを利用することにした。グリロタルパスタッバーにとっては、狩夜もロバストアルマジロも同じ敵である。ロバストアルマジロをうまいこと誘導し、レッドラインのほど近くへと向かわせれば、グリロタルパスタッバーはきっと食いついてくる。


 外れてくれるのが一番だったこの予想は、ずばり的中。グリロタルパスタッバーの群れが地中から一斉に飛び出し、ロバストアルマジロを一瞬で取り囲んだ。そして、狩夜だったら一巻の終わりの包囲網を、ロバストアルマジロはなんと無視。自慢の巨体と、鉄壁の鱗甲板に物を言わせ、直進を続ける。


 巣穴である地下道の上を我が物顔で転がる招かれざる客に対し、グリロタルパスタッバーは尾毛を伸ばし攻撃するが、ロバストアルマジロはびくともしない。有効な攻撃手段のないグリロタルパスタッバーは、渋々包囲を解き、ロバストアルマジロの前に道を開けた。


 この瞬間、グリロタルパスタッバーの群れが二つに割れ、レッドラインまで続く一本の道ができる。


 その道を決死の覚悟で見つめながら、狩夜は前後に脚を大きく開き、腰を深く落とした。


 潜伏系スキルを使用して気配を消し、レッドライン付近の地中に身を潜めるグリロタルパスタッバーの正確な位置は、狩夜にはわからない。五感に優れた月の民や、ピット器官を有する火の民らならば、戦闘を避けることもできるのだろうが、凡庸な人間でしかない狩夜には不可能な芸当である。


 あの道は、狩夜が懸命に知恵を絞り、危険と引き換えに作り上げた、千載一遇の好機なのだ。この機を逃せば、天に運を任せた特攻以外に、レッドラインを超える手立てがなくなる。


『……さい』


 多少の被弾は覚悟の上。グリロタルパスタッバーの攻撃で体に風穴が空こうが、意識ある限り前に進み続ける。そう表情で語りながら、狩夜は両の脚に力を込めた。


『と……ま……さい』


 口を半開きにした後、狩夜は大きく息を吸った。その後、歯を有らん限りの力で食い縛り、目を見開く。


 ——いくぞ!


 胸中にてこう叫び、ロバストアルマジロの後に続く形であの道の上を駆け抜けるべく、狩夜は地面を蹴った。


 その、次の瞬間――


『止まりなさい!! その道は未来につながってはいませんよ、オマケェエェエェ!!」


 という、聞き覚えのある大声が、狩夜の脳内に直接響いた。


「——っ!?」


 その大声に反応し、前に出かけた両足を地面へと叩きつける狩夜。そして、靴底と大地との間で、盛大に火花が散るなか、ことは起こる。


「……え?」


 グリロタルパスタッバーの群れの中を、力技で突き進んでいたロバストアルマジロの巨体が、進行方向上の地面の下から突然突き出してきた長大な杭に貫かれ、一瞬で串刺しになったのである。


 直系三十センチはあろうかというその長大な杭は、狩夜が駆け抜けるつもりでいた道の真ん中を超高速で突き進み、ロバストアルマジロの体を鱗甲板もろともあっさり貫通、反対側から飛び出していた。もし、狩夜が当初の予定通りにあの道の中に飛び込んでいたならば、今頃はロバストアルマジロ共々、あの杭に串刺しになっていたに違いない。


「……」


 狩夜が生唾を飲みながら目の前に広がる光景を凝視していると、ロバストアルマジロの体から、長大な杭がゆっくりと引き抜かれた。すると、攻防一体の球形状態がゆっくりと崩れ、鱗甲板に覆われていない柔らかな腹部が白日の下にさらされる。直後、周囲のグリロタルパスタッバーたちがロバストアルマジロに殺到した。


 つい先ほどまで動いていたロバストアルマジロの体が、無数のグリロタルパスタッバーに貪られていく。そして、鉄壁の鎧に覆われていた巨体が瞬く間に血に染まり、みるみる小さくなっていく最中、それは姿を現した。


 大地を左右に割り開き、地鳴りと共に現れたその怪物は、全長十メートルを優に超える、あまりにも巨大なケラだった。


 姿形はグリロタルパスタッバーに酷似しているが、体のサイズがあまりに違う。その巨体の至る所には鋭利な突起が生えており、外骨格や体毛の色も、やや赤みがかっていた。


「ハンドレットサウザンド級……」


 辛うじて視界に収まるその怪物を、初めて遭遇したミズガルズ大陸の主を凝視しながら、狩夜は震える唇で言葉を紡いだ。


 そして、戦慄と共にこう悟る。


 勝ち目がない――と。

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