135・そのころエムルトでは……

「ふう、どうにか生きて帰ってこれたわい」


 ミズガルズ大陸西端に築かれた人類の拠点、前線基地エムルト。その東門を、レアリエル、アルカナと共にくぐりながら、ガリムが口を動かした。


 エムルトには、木や石で造られた家屋は存在しない。船によって運ばれた大小の移動式住居、遊牧民が使うような円形の天幕が、身を寄せ合うように立ち並んでいるだけという、あくまでも即席の拠点である。


 だが、即席という言葉に反して、吹けば飛ぶような脆弱な拠点というわけでは決してない。


 峰の上に築かれたエムルトは、マナが溶けた海水と断崖絶壁によって、北、西、南の三方が守られた、攻めるに難く、守るに易い天然の要塞だ。魔物からの襲撃は基本的に東からだけであり、その東側も、石を積み重ねることで造られた分厚い防壁によって、堅く守られている。


 そして、その防壁の内側では、生きてここまで逃げ延びた精霊解放軍のメンバーが、慌ただしく動き回っていた。


 そう、狩夜とレイラの活躍により、司令官であるランティスが方針を変更。エムルトの放棄を中止したのである。


 今は比較的軽傷の者が見張りや重傷者の治療をしつつ、ラタトクスで連絡をとり、希望峰へと呼び戻したフリングホルニの到着を待っているところだ。


「ガリム殿! ご無事でしたか!」


「レア、それにアルカナも、大事ないようですね。ここまでくればもう大丈夫です。撤退作業は私たちに任せて、安心して休みなさい」


 ランティス、カロンの両名が、功労者であるガリムたちを出迎えた。仕事は自分たちに任せて休めと言う二人に、三人は次のように答える。


「うむ、ランティスよ。そっちも無事じゃったか。お互い命を拾ったのう」


「やっほー、カロンちゃん! また会えて嬉しいよ! でも休憩なんて要らない! ボクも手伝うからさ、少しでも早く作業を終わらせよう!」


「わたくしも休憩は遠慮いたします。怪我人がいるのに、医者であるわたくしが休むわけにはまいりませんもの。もしものことがあったら、彼らを守ってくださったカリヤさんに顔向けできませんわぁ」


 自分のことなどどうでもいいとばかりに言葉を紡ぐレアリエルとアルカナ。そんな二人の言動に、ランティスとカロンは小さく息を飲む。


「そうか、やはり見間違いじゃなかったのか……」


「あのとき、トライデントフィッシュの背中に乗っていたのは、やはりあの少年、カリヤ・マタギなのですね?」


 この問いに、ガリム達三人は一斉に頷く。そして、三人を代表するかのように、ガリムが口を動かした。


「あの小僧、ウルザブルンで初めて会ったときとはまるで別人じゃったわ。顔つきや覚悟もそうだが、基礎能力向上回数ものう。〔鑑定〕で確認したが、わしらと同じテンサウザンドになっておったわ。末恐ろしい小僧じゃて」


「馬鹿な!? かの少年は、開拓者になってまだ二カ月足らずですよ!? そんな短期間に、いったいどうやったらテンサウザンドになれるというのです!? 答えなさい!」


「方法はわしにもわからん。しかし、その理由は明白じゃ。あの小僧は見つけたのじゃよ。命を懸けるに値するほどの戦う理由欲しいものを」


 ガリムは「わしの見立ては正しかったわい」と笑い、カロンは「あの無欲でか弱い少年が? まさか……」と視線をさ迷わせる。そんな中、ランティスが自嘲気味に唇を震わせた。


「なるほど……彼のことを『期待するだけ無駄』と評した私の目は、とんでもない節穴だったということですね……やはり私は、精霊解放軍の司令官を務めるべき人間ではなかった……」


 自責の念に囚われているランティスに、ガリムとカロン、レアリエルとアルカナが、気まずげに顔を見合わせた。だが、それは一瞬のこと。四人は「それは違う」と視線で語りながら、ランティスと向き直る。


「何を言い出すかと思えば……お前さん以外の誰が司令官でも、わしらは間違いなく全滅しておったよ。下を向くな胸を張れ。あの地獄の撤退戦を完遂し、わしら精霊解放軍をここまで導いたお前さんは、間違いなく英雄じゃ」


「ガリムの言う通りです。ランティス、もっと自信を持ちなさい」


 ガリムとカロンが励ましの声を上げるが、ランティスは首を左右に振り、こう言葉を返す。


「しかし私は、バーサクコングの横撃を予想できず、多くの仲間を失ってしまいました……」


「それはしょうがないよランティス君! あんなところにバーサクコングが群れでいるなんて、誰も予想できないよ! って言うか、あいつらなんであんなところにいたの!? バーサクコングの生息地は、レッドライン付近の荒野地帯じゃなくて、そのずっと先にある森林地帯のはずでしょ!?」


「レアさん。ミズガルズ大陸の魔物が縄張り捨て、レッドラインを目指す理由なんて、一つしかありませんでしょう? バーサクコングは生きる場を追われたのです。彼らが束になっても太刀打ちできない、圧倒的強さを持った、別の魔物に」


『……』


 アルカナのこの推測に、レアリエルだけでなく、周囲で幹部たちの会話に聞き耳を立てていた開拓者も息を飲んだ。獰猛で、戦闘選択肢に後退がないとまで言われるバーサクコング。そんなバーサクコングが戦闘と縄張りを放棄し、逃げるしかなかった魔物。その魔物の強さを、この場にいる誰もが脳内で思い描き、その顔を青くした。


「もしかしたらその魔物は、逃げたバーサクコングを追って、わたくしたちのすぐ近くにまできていたかもしれませんわねぇ……」


「ちょ、お姉様!? 怖いこと言わないでください!」


 続けざまに放たれるアルカナの推測に、レアリエルが聞きたくないとばかりに悲痛な声を上げた。口にこそ出さなかったが、彼女は明らかにこの場にいない狩夜の身を案じている。


 そんなレアリエルの言動に何かを感じ取ったのか、ランティスは次のように口を動かした。


「そう言えばガリム殿、カリヤ君は今どこに?」


「小僧なら、モミジを助けると言って東に向かったぞ。もうレッドラインは越えておるじゃろうな」


「なんですって!? なぜ止めなかったのですガリム!? 我らの恩人を、みすみす死地に向かわせたのですか!? レッドラインを境に魔物の強さに大きな開きが出るのは、マナだけが理由ではありません! レッドラインの向こう側にはヤツがいます! ヤツはレッドラインの内側から外に出るものは基本無視しますが、レッドラインの外から内側に向かうものに対しては――」


「止めはした。じゃが止まらなかった。わしらにできるのは、あの小僧が生きて帰ってくると、信じることだけじゃよ」


「カリヤ君……」


 ガリムの非情ともとれる発言を聞いた後、ランティスは狩夜の名を口にしながら、その視線を東に向けた。それに釣られるように、他の四人もまた、東へと視線を向ける。


 彼らの視線の先には、その名と由来に反して、不気味なまでに静まり返った絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアが、ただ延々と広がっていた。


「……静かですわね」


「ボク、こんな絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア、初めてだよ」


 人と魔物のものが入り混じった絶叫が、絶えず上がり続ける未開の地。それが平時の絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアだ。そのことをよく知るアルカナとレアリエルが、不安を感じさせる声色で呟く。


 どれほど耳を澄ましても、聞こえてくるのは自陣から発せられる喧噪のみ。このようなことは、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアでは本来ありえない。


「あのマンドラゴラっちゅう魔物と、グラトニーアントが、ここら一帯の魔物を食い尽くしてしもうたからのう……そのグラトニーアントも、今じゃマンドラゴラの腹の中じゃし……」


「あのグラトニーアントを? にわかには信じられない話ですね。そのときの状況を詳しく説明なさい」


 エムルト周辺が静まり返っている理由を冷静に語るガリムに、カロンが疑いの視線を向けた。そんなカロンに向けて「事実じゃ」と告げ、ガリムはなおも口を動かす。


「わしはこの目で確かに見た。マンドラゴラは、とんでもない強さの魔物じゃった。そして、あの小僧もまた、見違えるほどに強くなった。じゃが、それでも不安はぬぐえぬ。あ奴らはまだ知らん。絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアの本当の恐ろしさを。ランティスと、わしら精霊解放軍が、グラトニーアントら多くの魔物を利用してでも戦いを避けた、ミズガルズ大陸の主を」


 ガリムはここで一旦口を止めると、何かを堪えるように両の手を握り締めた。そして、次の言葉でこの会話を締めくくる。


「ハンドレットサウザンド級の魔物の力を……」

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