133・一人

 狩夜の体に巻きついていた蔓までもが枯れ落ち、ついにレイラの体が狩夜の背中から離れた。力なく地面に向かって落下していく相棒を、狩夜は慌てて抱き留める。


「レイラ!?」


 両手で体を揺り動かしながら名前を呼ぶが、やはり反応がない。加えて、その両手から直に伝わるレイラの体は酷く乾燥しており、随分と軽く感じた。


 枯れる一歩手前。そんな相棒の姿を目の当たりにし、不安で心が押し潰されそうになる中、狩夜は左手でレイラを支えつつ、右手を自身の腰へと伸ばす。


 狩夜の右手が向かう先には、腰に括りつけられた瓢箪と、二本の水鉄砲があった。中身は共に聖水。ユグドラシル大陸の水を火にかけてマナを分離し、蒸留。回復力と魂の浄化作用を高めた、マナの割合が高い特別な水である。


 ミズガルズ大陸では貴重品であるそれを、狩夜は惜しむことなくレイラに浴びせかけた。


 たとえテイムされた魔物であろうと、魔物である限りはマナで弱体化する。だが、レイラだけは例外だ。地球の生まれであり、世界樹の種を内包するレイラは、マナを苦にしないどころか好む傾向にある。水分過多による根腐れが原因とも思えないので、枯れそうならばとにかく水だと、手持ちすべての聖水を、狩夜はレイラに与えた。


 すると——


「……(ピクッ)」


 僅かだが反応があった。レイラがほんの少し顔を上げ、虚ろな視線で狩夜の顔を見つめ返してくる。


 ——生きてる!


 胸中でこう叫び、狩夜は心の底から安堵した。そして、空になった瓢箪と水鉄砲を放り出し、再度レイラに呼びかける。


「レイラ、気がついたんだね!? 良かった! 本当に良かった! いったい君の身に何が——」


 今ならレイラの声が聞こえるかもしれない。そう思いながら、悲痛な面持ちで口を動かす狩夜であったが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。狩夜の腕の中でぐったりとしていたレイラが突然目を見開き、右側の葉っぱを高速で動かして、狩夜の後頭部を庇ったからである。


 直後、狩夜の頭のすぐ後ろで、和太鼓を全力で打ち鳴らしたような轟音が響く。


 狩夜が弾かれたようにそちらに目を向けると、レイラの葉っぱにめり込む、遥か遠方より飛来したと思しき、バスケットボール大の石が視界に飛び込んできた。


「——っ!!」


 意識の外からの奇襲。レイラのおかげで九死に一生を得たと自覚し、狩夜の全身から冷や汗が噴き出す。その最中、レイラは歯を食い縛って葉っぱを操作し、投石を受け止めるのではなく、後方へといなした。


 投石は、狩夜の体に触れることなく地面に着弾。それと同時に、レイラの右側の葉っぱが根本から千切れ飛ぶ。


「っく!」


 狩夜は、葉っぱの片方を失ったレイラを抱えながら、偶然近くにあった岩陰へと飛び込んだ。直後、第二射と思しき投石が高速で飛来し、先ほどまで狩夜が立っていた場所の上を、寸分たがわず通過する。


 第二射が地面に着弾し、砂埃をまき上げながら半分以上めり込む光景を見つめながら、狩夜は口を動かした。


「マンゴネルビートルか……危なかった……」


 タマオシコガネ型の魔物、マンゴネルビートル。


 頭の先端にある突起で球形に切り出した石を巣穴にため込むという習性を持つその甲虫は、敵性生物(主に人間)を見つけると、ため込んでいた岩を巣穴から取り出し、後ろ足で高速射出。敵射程外からの超長距離射撃をもって、それを撃退する。


 マンゴネルビートルの投石の威力は、ユグドラシル大陸に生息するワイズマンモンキーの比ではない。破壊力、正確性、射程距離。そのどれもが、並の投石機を遥かに凌ぐ。


 レイラの声を聞き逃すまいと、意識をそちらに向けた隙を突かれた形だ。ここじゃ倒れた仲間を心配することすらままならないのか! と、胸中で叫びながら、狩夜は腕の中にいるレイラを見下ろす。


「……」


 聖水で僅かに回復した様子を見せたレイラであったが、その回復分を含めた最後の力を、先ほどの防御で使ってしまったらしく、再び枯れる一歩手前、ピクリとも動かない状態に戻ってしまった。いや、葉っぱを一枚失ったのだから、先ほどより更に悪化したと考えるべきだろう。


「レイラ、君はこんなになっても、自分よりも僕を優先するのか……」


 未熟な自分を庇って傷を負った相棒の体を優しく撫でながら、泣きそうな顔で狩夜は言う。だが、それは一瞬のこと。すぐさま表情を引き締め、覚悟と共に次のように言葉を紡いだ。


「助けるからな」


 ——たとえ、何を犠牲にしても。


「紅葉さん、青葉君、真央……ごめん」


 天を仰ぎながら、狩夜は血を吐くような思いで、この場にいない友人たちに謝罪する。


 突如レイラを襲った原因不明の不調により、状況が百八十度変わってしまった。レッドラインの外で狩夜がたった一人、動けなくなったレイラを守りながら紅葉を探し続けるなど、無謀を通り越して自殺行為である。


 レイラの助力がなければ、叉鬼狩夜はたいした取り柄のない一介の開拓者だ。階級こそベテラン扱いされるテンサウザンドではあるが、この場所では明らかに力不足。なにせ、レッドラインの外側における適正戦力は、テンサウザンドの開拓者ならば三人以上。ソロで活動するならば、ハンドレットサウザンドであることが最低条件だと言われているのだから。


 突きつけられた不可能。残念だが、紅葉の探索は諦めるしかない。二兎を追う者はなんとやら――だ。ここから先、叉鬼狩夜は、レイラを守り、助けることだけを考えて行動する。


「いつもレイラに守られてきた僕が、まさかレイラを守る側になるとはね」


 いつの日かそんな関係になりたいと願っていたが、その日がこんなにも早く訪れるとは思いもしなかった。だが、やるしかない。狩夜は、レイラを抱える腕に更なる力をこめる。


 レイラがこうなってしまった原因こそ不明だが、聖水をかけた際、僅かだが回復した。エムルトにいけば聖水の備蓄があるはず。あるだけ浴びせかければ元に戻るかもしれない。


 となれば、こんな場所に長居は無用。処置が遅れたら手遅れになる可能性もある。狩夜はレイラを連れて、一刻も早くエムルトに向かわなければならない。


「よし」


 今後の方針を定めた狩夜は、岩陰から顔を出し、マンゴネルビートルがいると思しき方向へと視線を向けた。


 直後——


「うわっと!?」


 マンゴネルビートルからの第三射が、間髪入れず飛んできた。顔面直撃コースのその投石を、狩夜は再び岩陰に顔を引込めることでどうにかやり過ごす。


「敵の姿は見えない……か」


 強化された狩夜の視力をもってしても、マンゴネルビートルの姿を視認することはできなかった。岩陰から顔を出した狩夜の目に映ったのは、遥か遠方に存在するマンゴネルビートルの住処兼狙撃台と思しき小高い岩場の全体像ぐらいなものであり、そのどこかに潜んでいるであろう甲虫の姿など、毛ほどにも見えはしなかった。


 しかし、マンゴネルビートルの方は狩夜のことがよく見えているらしい。鋭い視線と、研ぎ澄まされた殺意を、岩越しにひしひしと感じる。


「完全にロックオンされてるな。この岩影から出た瞬間、射程外からズドンだね」


 ―—さて、どうする?


 マンゴネルビートルの投石の威力は大砲なみだ。直撃すれば、テンサウザンドの開拓者であろうと命にかかわる。レイラの援護なしに、無策で岩陰から飛び出すのはあまりに危険だ。


 かといって、この場でじっとしているわけにもいかない。レイラのこともあるが、ここは絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアだ。いつまた別の魔物が現れ、狩夜に襲いかかってくるか――


「って、やっぱきたぁ!」


 狩夜が新たな魔物からの襲撃を危惧した瞬間、地響きと共にそれは現れた。

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