132・変わる世界 下
「誰か!? 誰かいませんか!? 聞こえていたら返事をしてください! どこですか、紅葉さん!? お願いです、返事を!」
精霊解放軍がバーサクコングからの横撃を受けたと思しき場所に到着した狩夜は、広範囲を見回しながら声を張り上げた。
紅葉からの返事は——ない。そして、他の開拓者からも。
狩夜は一瞬だけ悲愴感に彩られた表情を浮かべたが、すぐに「そんなはずない!」と頭を振る。次いで『レッドラインの目前』という情報しかないのに、この場所でことが起こったとわかった理由、その一つに駆け寄った。
「やめろぉ!!」
こう叫び、理由の一つに顔を埋めていたハイエナ型の魔物、バンデットアードウルフに切りかかる狩夜。狩夜の接近に気がついたバンデットアードウルフは、血にまみれた顔を上げて狩夜の姿を視界に収めた直後、黒い横縞の入った体長七十センチ前後の小柄な体を翻し、躊躇することなく逃げの一手を打つ。
アードウルフは、ハイエナ科の中でも最小種。その小柄な体に備わった高い敏捷を遺憾なく発揮し、銃口から飛び出した弾丸のように荒野の上を駆け抜け、瞬く間に狩夜から距離を取って見せた。その口に、一目で業物とわかる鋼鉄製の片手剣をくわえながら。
これこそがバンデットアードウルフの特性。多くの開拓者を泣かせ、名前の由来にもなったという、アイテム奪取能力である。
一度とて振り返ることなく、全力で逃走を図るバンデットアードウルフ。自身を遥かに上回るその移動速度に、狩夜は思わず舌を巻いた。あれに追いつける開拓者がいるとしたら、精霊解放軍最速のレアリエルか、紅葉の非公式パーティメンバーである矢萩と牡丹ぐらいなものだろう。
狩夜はバンデットアードウルフの撃破と、誰のものとも知れぬ金属装備の奪還を諦め、つい先ほどまで死肉を貪られていた開拓者の亡骸へと近づいた。
そう、周囲のいたるところに転がる真新しい開拓者の亡骸。それこそが、精霊解放軍がバーサクコングに横撃された場所がここであると、狩夜が特定できた理由に他ならない。
中には死体の存在しない死体もあった。中身が空っぽのフルプレートメイルである。どうやら、グラトニーアントに骨も残さず食い尽くされたらしい。
よくよく見れば、死体が残っている方が少ないことがわかる。グラトニーアントの進路上に転がっていた死体は、皆一様に分解、消滅してしまったようだ。
「紅葉さんじゃない……な」
生前はさぞ美人だったであろう木の民の女性開拓者。見るも無残なその亡骸を、吐き気を堪えながら狩夜は見下ろす。次いで、死体の近くに落ちていたギルドカードを、開拓者にもしものことがあったとき、身元を照合するときにも使われるそれを手に取り「あなたを故郷に連れ帰ることはできません。ごめんなさい」と謝罪してから、次の亡骸の確認に向かうべく歩を進める。
その、次の瞬間——
「——っ!?」
突然、狩夜の全身が黒い影に覆われた。周囲には背の高い木どころか、ペンペン草一本生えていないのに、である。
とっさの判断で、右真横に向かって地面を蹴る狩夜。直後、つい先ほどまで狩夜がいた場所目掛け、上空から巨大な何かが急降下してきた。狩夜が臨戦態勢を整えながら視線をそちらに向けると、両翼十メートルはありそうな巨大な怪鳥の姿が目に飛び込んでくる。
頭と首に羽毛が生えていない、白と黒のツートンカラーの大型猛禽類。となれば答えは一つ。
「禿鷹! スカベンジャーコンドルか!」
狩夜が名前を叫ぶと同時に、スカベンジャーコンドルはその巨大な翼をはためかせ、再び天高く舞い上がった。その右足には、先ほどの女性開拓者の亡骸が鷲掴みにされている。
名の知れた開拓者であろうと、死ねばただの肉の塊。死肉をあさる腐肉食動物の餌になるだけ。今自分が立っている場所がどういう場所か再確認し、狩夜は生唾を飲む。
そのまま巣にでも持ち帰るのかと思いきや、スカベンジャーコンドルは上空で大きく旋回し方向転換。再度地面に向かって急降下してきた。
狙いは狩夜ではない。少し離れた場所で横たわる、まだ未確認の開拓者。どうやら、空いている左足にも得物を抱えて巣に戻りたいらしい。
手を出さなければ無駄な戦闘は避けられるだろう。だが、もしあれが紅葉だったら? 紅葉でなくとも、まだ息があったなら?
「やらせるかぁ!!」
狩夜は気がつけば駆け出していた。スカベンジャーコンドルのターゲットと思しき開拓者に向かって、全力で走る。そして、走りながら相棒へと助力を求めた。
「レイラ、頼む!」
名前を呼んだ直後、レイラが動く。スカベンジャーコンドルの進行方向上に向けてガトリングガンを連射しつつ、蔓を二本高速で伸ばした。
「クェ!?」
ガトリングガンから発射された無数の種子をかわすべく、空中で急制動をかけるスカベンジャーコンドル。そして、その隙を見逃すほどレイラは甘くない。すかさず二本の蔓でスカベンジャーコンドルの巨体を捉え、身動きできないよう雁字搦めにした。
自由を奪われ、重力に従って落下を始めるスカベンジャーコンドルに、葉々斬を振りかぶりながら肉薄する狩夜。そして「シィ!」という裂帛の気合と共に右手を振り抜き、レイラの蔓ごとスカベンジャーコンドルを真っ二つにする。
スカベンジャーコンドルは、鷲掴みにしていた女性開拓者を放り出し、そのまま絶命した。
「紅葉さんじゃないし、もう息もない……か」
スカベンジャーコンドルから守った、紅葉とは似ても似つかない火の民の男性開拓者。安堵も落胆もすることなく、しばしその亡骸を見下ろした後、狩夜は男性開拓者のギルドカードを探し始める。
カンフーズボンに括りつけられた布袋に当たりをつけ、そこに向かって手を伸ばす。が、遠方から『リィ、リィ、リィ』と、虫の鳴く声が聞こえたので、狩夜は作業を一時中断した。
「コオロギの鳴き声……ってことは……」
うんざりとした顔で、鳴き声が聞こえてくる方向へと視線を向ける狩夜。すると——
「またお前かぁ!」
コオロギ型の魔物、ファントムキラークリケットがいた。その強靭な後脚で地面を蹴り、狩夜とレイラに向かって驀進してくる。
「次から次へと! 僕は今忙しいんだ! 邪魔するなぁ!」
マナによる弱体化から解放されたからか、レッドラインの内側で戦ったときよりも明らかに動きが速い。だが、狩夜は臆することなく真正面から迎え撃つ。
ファントムキラークリケットの翅による斬撃は確かに脅威だが、動き自体は直線的で読みやすい。葉々斬を持つ狩夜ならば、容易に対応できる。
ここから先は、まるで以前の戦いの焼き増しであった。
擦れ違いざまに横薙ぎに振るわれた葉々斬と、居合切りのごとく左右に広げられたコオロギの翅とが接触し、互いに一切減速することなく振り切られ、まずファントムキラークリケットの翅が飛び、それに一瞬遅れてファントムキラークリケット本体が真っ二つになる。
そして——
「え?」
“キン” という音を立てて、葉々斬の刀身、その上半分が断ち切られた。
ファントムキラークリケットの死体が狩夜の背後で豪快に転がる中、断ち切られた葉々斬の切っ先が、マナの枯渇した大地に突き刺さる。
しばし呆気にとられ、折れた葉々斬の刀身をまじまじと見つめる狩夜。
ほどなくして、気づく。
「葉脈の中に、マナが流れていない?」
葉々斬は、刀身に走る葉脈の中に純度の高いマナを流し、葉脈に沿って配置された無数の気孔から周囲に放出することで、刀身に触れた魔物の体を瞬時に弱体化させているのだが、そのマナの流れがいつの間にか止まっていたらしい。
刀身にマナが流れていなければ、葉々斬はただの高周波ブレードである。同じ高周波ブレードであるファントムキラークリケットの翅と真正面からぶつかれば、相打ちになってもおかしくない。
次に狩夜は、左手の草薙へと視線を向けた。こちらの葉脈にも、まったく毒が流れていない。その事実に愕然としながら、狩夜は慌てて口を動かした。
「何をやってるんだレイラ!? 今すぐに葉々斬を再構築! あと、草薙への毒の供給を再開して!」
「……」
狩夜の言葉に、レイラはなんの反応も示さなかった。コクコクと相槌を打つことも、ペシペシと背中を叩くこともない。
「レイラ?」
相棒の異変にようやく気づき、名前を呼びながら、恐る恐る背中を覗き込む狩夜。それを切っ掛けにしたかのように、レイラの体に変化が起きる。
頭上の葉っぱは生気を失ったように垂れ落ち、両手から出していたガトリングガンは音を立てて地面に落下、残った両手も力なく下に向けられている。
スカベンジャーコンドルを拘束していた蔓と、葉々斬と草薙の柄頭に繫がっていた蔓は茶色く変色し、ほどなくしてレイラの背中から枯れ落ちた。そして、それに連動するように、緑色だった葉々斬と草薙も茶色く変色。その後、狩夜の握力に耐えられなくなったのか、乾燥しきった枯れ葉のように粉々に砕け散る。
「レイラ!? どうしたのレイラ!? しっかりしてよ!?」
「……」
狩夜が大声で呼びかけるが、やはりレイラはなんの反応も示さない。
普段はなんとなくわかるレイラの気持ちが、わからない。
レイラの声が聞こえない。
「ねぇ……なんとか言ってよ……レイラ……」
震える声でこう言葉を紡ぎながら、狩夜は悟った。
自分は今、異世界イスミンスールに来て、初めて一人になったのだと。
凡人叉鬼狩夜は、魔物が支配する未開の地で、レイラの――勇者の庇護を失ったのだと。
世界が、変わる。
絶叫の開拓地が、人外魔境の蠱毒壺が、叉鬼狩夜を殺すために動き出す。
この時狩夜は、自身に歩み寄る死の足音を、確かに聞いた。
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