125・気に食わないアイツ

「こんのぉ!」


 希望峰への必死の行軍を続ける精霊解放軍。その最後尾で、レアリエルの美声が響き渡った。


 僅かに焦燥を感じさせる掛け声と共に豪快に右足を蹴り上げたレアリエルは、白髪のツインテールとミニスカワンピースを翻し、渾身の回し蹴りを繰り出す。常人では視認できないほどの速度で繰り出されたその回し蹴りは、大気を切り裂きながら奇麗な弧を描き、彼女と対峙する赤毛に覆われた巨体、その脇腹に直撃した。


 バーサクコング。


 体高三メートルを超える巨体と、丸太のように太い四肢を持つ、ミズガルズ大陸に生息するゴリラ型の魔物である。


 バーサクという名が示す通り、非常に凶暴かつ残忍。敵対生物の原型がなくなるまで攻撃を止めない、前進あるのみのブルファイターだ。特に人間に対しては見境がなく、どのような状況であろうと躊躇なく襲い掛かってくる。


「ゴアァアァ!!」


 レアリエルの右足が突き刺さった場所を中心に、くの字に折れ曲がるバーサクコングの体。その内側からは骨が圧し折れる音がしばらく聞こえ続け、口からは絶叫と共に血反吐が吐き出される。


 が——


「ちょ!?」


 バーサクコングは、ダメージなどお構いなしに左手を動かし、胴体に突き刺さっているレアリエルの右足を鷲掴みにする。次いで、有らん限りの力で握り潰そうとした。


 地球に生息するゴリラは、青竹すら容易に握り潰すほどの握力を持つ。魔物であり、ソウルポイントで強化されたバーサクコングの握力はそれ以上だ。一トンを優に超える圧力が、レアリエルの右足に容赦なく襲いかかる。


 しかし——


「ぐににに……!!」


 折れない。


 苦痛からか目尻に大粒の涙を浮かべるレアリエルであったが、それだけだ。走鳥類系の風の民特有の太い足。それを更に鍛え上げたレアリエルの足は、バーサクコングの握力に見事に耐えてみせた。折れる気配など微塵もない。


「グアァアァ!!」


「きゃ!?」


 レアリエルの足を握り潰すことを諦めたバーサクコングは「だったらこうだ!」と言いたげに左腕をレアリエルの体ごと振り上げる。そのまま左腕を振り下ろし、レアリエルを地面へと叩きつけるつもりのようだ。


「させるかぁ!」


 バーサクコングの狙いを瞬時に見抜いたレアリエルは、残った左足でバーサクコングの顔面をめった蹴りにした。秒間数十発という、キツツキの巣作りの如き連続蹴りを受け、バーサクコングの顔面が瞬く間に変形していく。


 だが、それでもバーサクコングは倒れなかった。鼻が潰されても、両目が抉られても、蹴りの弾幕を甘んじて顔面で受け止めながら、振り上げた左腕を地面に向けて振り下ろす。


「くぅ!」


 咄嗟に両手で後頭部を庇うレアリエル。歯を食い縛って、一瞬後に迫った衝撃と激痛に備えた。


 だが、その行動は徒労に終わる。レアリエルの体が地面に叩きつけられる直前、バーサクコングの全身が、突如としてその動きを止めたからだ。


「今ですわ! ガリムさん!」


 レアリエルとバーサクコングから少し離れた場所で、ボロボロのナイトドレスを纏ったアルカナが右腕を振り下ろした体勢で叫んだ。バーサクコングの両脚から伸びた影には、紫色の宝石がついた太くて長い針が、深々と突き刺さっている。


 影縫い。


 特注の針を対象の影に突き刺すことで、その動きを強制的に停止させる闇技あんぎ。アルカナの得意技だ。


「ぬおぉおおぉおおおおぉ!!」


 動きを止めたバーサクコングに、全身の筋肉を隆起させたガリムが瞬時に肉薄する。愛用の戦斧を豪快に振りかぶり、バーサクコングの胸部に向かって全力で振り抜いた。


 バーサクコングの分厚い胸板に埋没し、そのまま振り抜かれる戦斧。幾つもの主要臓器ごと胸部を吹き飛ばされたバーサクコングは、ようやくその動きを完全に止め、立ったまま絶命した。


「ありがとうございます、ガリムのおじ様! アルカナお姉様! 助かりました!」


 助力してくれた二人に礼を述べた後、力の抜けたバーサクコングの左手を蹴り、その反動で拘束から脱出するレアリエル。そんな彼女が両の脚で着地した直後、すぐそばに立つガリムが、次のように口を動かした。


「レア、一匹倒したぐらいで気を抜くでないぞ! ほれ、すぐに次がくるぞい!」


「「「「「ゴォアアァアァアアァ!!」」」」」


 ガリムの言葉通り、彼らの周囲だけでも五匹ものバーサクコングの姿が見て取れた。そう、バーサクコングは地球のゴリラ同様、群れで行動する魔物なのである。


 仲間がやられたことで怒り心頭のバーサクコングたちは、血走った目をレアリエルら三人に向けつつ、両手で自身の胸を何度も叩いた。ドラミングである。


 ゴリラのドラミングは本来『戦わずに引き分けにしませんか?』という平和的解決を提案する行為であるが、バーサクコングのそれは違う。これは死闘を前に自らを鼓舞すると共に相手を委縮させる目的で行う威嚇行為であり、『ここに難敵がいるぞ!』という、仲間への救難信号でもある。


 その証拠に、周囲に散開しつつ手近な相手と戦っていたバーサクコングたちが一斉に手を止め、その視線をレアリエルたちに集中させた。


 殺意を孕んだ無数の視線に全身を射抜かれながら、レアリエルは不敵に笑う。


「あはは! さすがは世界一可愛いボク! どんなときでも一番に目立っちゃうのはもはや宿命ですね! やってやりますよ! 逆境で輝いてこそのアイドルです!」


「ふん、好都合じゃ。わしらのところに敵が集まれば、その分他が楽になり、解放軍の撤退も捗るというものよ」


「確かにガリムさんのおっしゃる通りですけれど、このままではわたくしたち三人は本体から孤立してしまいますわね。そうなったら、再合流はほぼ不可能。なぶり殺し確定ですわぁ」


 ガリムに続く形でこう口を動かした後、アルカナは諦めたように小さく溜息を吐いた。次いで、服の中から厳重に封のされた四本の試験官をとり出しながら言う。


「お二人とも、希望岬はもうすぐそこです。いってくださいまし。ここは、このわたくしが任されました」


「ちょ、何言ってるんですかお姉様!?」


「実は、先ほどの影縫いで針を使い尽くしてしまいまして。薬品も底を突き、もうお役に立てそうにありませんの。ですからいってくださいまし。最後の切り札を使います。“百薬” の二つ名に恥じない凄いお薬ですので、近くにお二人がいると使えません。魔王との戦いでお荷物だった借りを、今お返しします。お急ぎくださいな」


「……断る。死ぬべきは老い先短い老兵じゃ。わしが残る」


「ストーップ! 弱気な発言禁止! なんで皆して死にたがるかな! 今考えるのは皆で生き残る方法でしょ! ギルのおじ様や、ボクのパーティメンバー、他にもいっぱいいっぱい人が死んで、フローグ君とモミジちゃんもいなくなって……ボク、もうやだよ! どうしても誰かが残らなきゃいけないのならボクが残る! 精霊解放軍最速のボクなら、たとえ孤立しても——」


「「「「「ゴォアアァアァアアァ!!」」」」」


 レアリエルの言葉を遮るように、五匹のバーサクコングが雄叫びを上げ、一斉に駆け出した。話が纏まる前に攻勢に打って出た魔物たちを前に、アルカナとガリムが盛大に舌打ちし、レアリエルだけが決意を新たにするかのごとく、有らん限りの声でこう宣言する。


「絶対に! 絶対にボクが守ってみせる! もう誰も死なせない! 皆一緒に、生きてユグドラシル大陸に帰るんだ!」


「いいこと言うなぁ、さすがアイドル。君のそういうところは尊敬するよ。心からね」


「え?」


 レアリエルの言葉に応えるように、周囲に年若い男の声が響いた。その声に一瞬遅れて、バーサクコングよりもなお大きい巨大な魚が——上半分がないトライデントフィッシュが、斜め上から隕石のごとく戦場に乱入してくる。


 レアリエルたち三人は咄嗟に後方に飛び退きことなきを得たが、行動選択肢に後退がないバーサクコングたちは、無謀にも両腕を前に突き出し、真正面からトライデントフィッシュを受け止めようとする。


 そんなバーサクコングたちとトライデントフィッシュが正面衝突する直前、一人の少年がトライデントフィッシュの上で跳躍し、ミズガルズ大陸の大地へと降り立った。


 トライデントフィッシュの巨体を受け止め切れなかったバーサクコングたちがもんどり打って倒れるなか、ほど近い場所に現れた少年を見つめつつ、レアリエルが驚きの声を上げる。


「あ~!? あのときのガキンチョ!!」


 瞬間、少年のこめかみに青筋が走った。次いで、レアリエルに向かって体ごと振り返りながら、次のように怒りの言葉を返す。


「だ~れがガキンチョだ! 僕には叉鬼狩夜っていう両親から貰った立派な名前があるんだ! ちゃんと名前で呼べよ鶏ガラ女!」


 あたかも「もうお前とだって喧嘩できるんだぞ」と、言いたげに。

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