123・王都ミーミスブルン

「やっと着いた! ミーミルの泉!」


 スターヴ大平原を後にしてから、空路にて更に三時間。狩夜の眼下には、ユグドラシル大陸三大泉の一つ、ミーミルの泉が広がっていた。


 ミーミルの泉。


 フヴェルゲルミルの泉やウルズの泉と同じく、泉とは名ばかりの巨大な湖であり、貯水量、水質、水産資源、そのどれもが三大泉の中で第二位である。


 多種多様な淡水魚と、水棲動植物が棲息しており、【厄災】によって故郷を追われ、この地に行き着いた光の民、火の民、地の民の三種族の命を、その豊富なマナと水産資源で今日まで守り、育んできた。


 ウルズの泉のような、生き物がまったくいない神秘的な美しさはなく、フヴェルゲルミルの泉のような、蓮の花に埋め尽くされた幻想的な美しさもない。湖といえばこれ。そんな自然の美しさが、ミーミルの泉にはあった。


「そしてあれが、光と火と地の都・王都ミーミスブルン!」


 ミーミルの泉、その中に存在する人工島の上に築かれた水上都市を見下ろしながら、狩夜は叫んだ。


 木と水と風の都・ウルザブルンや、月と闇の都・エーリヴァーガルと同様に、魔物からの襲撃を最小限にするため水上に造られたその都は、一言で表現するならば三つ葉葵――徳川家の家紋のような形状をしていた。


 三つの葉はそれぞれ、白、赤、茶色にうっすらと色付けされており、基本的には白の葉に光の民が、赤の葉に火の民が、茶色の葉に地の民がそれぞれ暮らしている。立ち並ぶ民家の様相も、別の葉に目を移した瞬間、その建築様式をがらりと変えた。


 これは、国の法律で暮らす場所が厳しく定められていたり、三種族の仲が悪いから別々の場所で暮らしているというわけではなく、生活様式を統一した方が何かと都合がいいので、自然とこうなっただけの話である。


 地球人とほぼ同じ容姿をしている光の民と、成人しても百センチそこそこという小柄な地の民。そして、背中から翼だの、腰から尻尾だの、頭から角だのが生えており、人によっては下半身が蛇で、身長(全長)が七、八メートルにもなる火の民が一緒に暮らすのは、何かと大変なのだ。


 三つ葉の中心には、国政を司る光の民の王が暮らす巨大な白亜の城——ヴァーラスキャールヴ城がそびえており、都の周囲は天然の防壁である水だけでは足らぬとばかりに、地の民が造ったであろう分厚い円形の城壁でぐるりと囲まれていた。


 開拓の本場であるミズガルズ大陸。そこに最も近い都であり、腕の良い地の民の鍛冶師が数多くいるということもあり、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアへと向かう開拓者ならば誰もが立ち寄り、装備を整え、情報収集をしていく場所。それがここ、王都ミーミスブルンである。


 狩夜も、フヴェルゲルミル帝国の主を狩り尽くし、活動の場をミーミル王国に移す際にはミーミスブルンに真っ先に立ち寄り、気に入ればそのまま拠点にしようと考えていた。そんな場所を目の前にして、狩夜は——


「よし! 後はミーミル川に沿って移動すれば、城塞都市ケムルトだ! そして、その先に希望峰はある! 急ぐよレイラ!」


「……(コクコク)」


 今は寄り道してる場合じゃないと、華麗にスルーを決める。


 狩夜とレイラは即座にその場を後にし、世界樹から真東に向かって流れる、ユグドラシル大陸三大河川の一つ、ミーミル川の上空を、休むことなく進んでいった。


 狩夜とレイラがこれほどまでに先を急ぐのには、もちろん理由がある。


 精霊解放軍の敗走をユグドラシル大陸の各地に伝えてくれた動物、ラタトクス。通信能力を有し、様々な分野で活躍するこの動物には、通信可能領域というものが存在する。


 ラタトクスは、額にある宝石を使って声の送信と受信の双方をおこなうが、実は一匹のラタトクスがカバーできる範囲は、それほど広くはない。仮に、フヴェルゲルミル帝国と、ミーミル王国間で通信をおこなう場合、何匹もの野生のラタトクスを中継する必要が出てくる。もっとも、ラタトクスはユグドラシル大陸全域に生息しているので、ユグドラシル大陸内部ならば、事実上どこからであろうと自由に通信が可能だ。


 だが、ユグドラシル大陸の外での通信となると話は変わる。ラタトクスは、ユグドラシル大陸にのみ生息する固有種だ。野生のラタトクスが存在しない他大陸では、その通信能力は著しく制限されてしまう。 


 ミズガルズ大陸の西端に築かれた人類の拠点【前線基地エムルト】。そこにはユグドラシル大陸から持ち込まれたラタトクスがいるので、そのラタトクスを中継することで、ある程度までなら通信が可能だが、精霊解放軍の目的地であるミズガルズ大陸の最深部、かつて光の民の首都があったとされる場所からでは、とてもじゃないが不可能である。


 にもかかわらず、今朝がた精霊解放軍敗走の連絡が、ランティス本人からユグドラシル大陸の各地へと一斉送信された。これは、精霊解放軍が魔王に敗れてからすでに数日がたち、ラタトクスの通信可能領域まで撤退を成功させたことを意味する。


 生きて魔王から逃げ果せ、希望峰からほど近い場所にまで撤退できたというのならば、この上ない僥倖といえるだろう。しかし、精霊解放軍はミズガルズ大陸に生息する屈強な魔物たちからの、激しい追撃を受けているというのだ。


 ランティスからの救援要請は次の通り。


『精霊解放軍は “邪龍” ファフニールの前に敗走。現在、多くの魔物からの追撃を受けている。精霊解放軍にこれを撃退する余力なし』


『このまま撤退を継続した場合、希望峰周辺に膨大な数の魔物が押し寄せる可能性が極めて高く、遺憾ながら【前線基地エムルト】の放棄を決定』


『防衛要員、並びに非戦闘員は、即時持ち場を離れ、フリングホルニにてミズガルズ大陸を脱出。その後、海上にて待機し、魔物の追撃を振り切るために海に飛び込む精霊解放軍の救助活動に従事せよ』


『この通信を聞いているすべての者に、解放軍撤退の助力を願う』


 要するに、精霊解放軍を追って魔物の大群が希望峰に押し寄せるから、そこにいる人間はすぐ逃げろ。その大群の追撃を振り切るためにマナが溶けた海に飛び込むから、安全な海上で救助してほしい――ということだ。


 これは、人的被害を最小限に抑える最善の判断だろう。この世界の人間は『魔物に襲われたら水に飛び込め』と言い聞かされて育つ。常識であるがゆえに万人を納得させられ、異論も出づらい。単純明快で士気も上がる。


 問題があるとすればただ一つ。膨大な費用と多大な犠牲を払って築き上げた、ミズガルズ大陸開拓の最重要拠点であるエムルトが、完全に放棄されるということだ。


 エムルトがなくなれば、ミズガルズ大陸で活動するすべての開拓者に多大な影響が出る。


 物資の補給やクエストの受注のみならず、一時の休息すらままならなくなるのだ。全人類の開拓への意気も、大いに低下することだろう。


 人命には代えられないが、誰もがエムルトの存続を願っている。


 もぬけの殻となったエムルトが魔物に蹂躙される前に、レイラの――勇者の力で魔物を押し返し、ランティスたち精霊解放軍を助け、放棄という判断を撤回させる。それが狩夜の考える最善であり、先を急ぐ理由であった。


「お願い! 間に合って!」


 狩夜と同じようにミーミル川に沿って東に向かう開拓者の一団を追い越し、雄のアウズンブラや、怪鳥ガーガーに引かれる補給物資を乗せた荷車をあっさりと抜き去って、狩夜とレイラは更に東へと向かう。


 そして、ついに狩夜たちは、ミーミル川の終点にして、ユグドラシル大陸の東端。そこに築かれた城塞都市ケムルトの上空を通過する。


「海……」


 すでに狩夜の眼下には海、ユグドラシル大陸とミズガルズ大陸とを隔てる【ケルラウグ海峡】が広がっていた。狩夜とレイラは、異世界イスミンスールに転移してから初めて、ミズガルズ大陸を飛び出したのである。


 ケルラウグ海峡は、直線距離にして二十キロ足らずという、きわめて狭い海峡だ。すでに狩夜の目には、向こう岸である希望峰が見えている。その希望峰から少し離れた海上には、精霊解放軍が使用するガレアス船、フリングホルニの他にも、通信を聞いて駆けつけたと思しき、多くの船団の姿が確認できた。


 そして、テンサウザンドとなることで三つ目の壁を破り、更に視力が強化された狩夜の双眸が、探していたものの姿をついに捉える。


 そう、ランティスたち精霊解放軍だ。


 夥しい数の魔物に追われながら、必死の行軍と後退戦闘を続ける精霊解放軍は、希望峰まで十数キロという位置にいる。


 安堵の表情で「間に合った」と言葉を紡ごうとした狩夜であったが、実際に口から出た言葉は——


「ふえ?」


 という間の抜けたものであった。


 まあ、そうなるもの無理はない。ケルラウグ海峡の上空を、かなりの高度で飛んでいるはずの自分たちに向かって、目を疑うほどに巨大な魚が、真横から突然襲い掛かってくるという異常事態に見舞われれば、誰だってそうなるだろう。


 突如として狩夜たちに襲いかかった魚の名は、トライデントフィッシュというトビウオ型の魔物である。


 トライデントフィッシュは、ディープライン――マナが含まれている海水と、一切含まれていない海水との境目付近を回遊し、外敵(別の水棲魔物)に襲われた際には水上に飛び出し、弱体化覚悟でマナの溶けた海域の上を滑空することで外敵の追跡を振り切るという習性を持つ。


 全長三十メートルを超える巨体で、時速数百キロという速度で海上を滑空するその姿は、銀色の大型旅客機を彷彿させた。そんな怪物が、風圧をモノともせずに大口を開け、今まさに狩夜たちを丸飲みにしようとしている。


 ——しまった、油断した。


 眼前に迫るトライデントフィッシュの口内を見つめながら、狩夜は胸中で呟く。


 ミズガルズ大陸は、確かに人類が足を踏み入れることができる唯一の他大陸であるが、その道中は決して安全ではない。ディープラインの外側にある他大陸と比べれば、比較的に安全というだけだ。


 世界樹から離れれば離れるほど、当然マナは薄くなり、テンサウザンド級や、ハンドレットサウザンド級といった、屈強な魔物たちと遭遇する確率は上がる。もうここはユグドラシル大陸の外。安全が保障された場所などどこにもない。一瞬の気の緩みが命取りになる、弱肉強食という言葉すら生温い蠱毒壺の中なのだ。


「あ……」


 この呟きの直後、狩夜はレイラ共々トライデントフィッシュの口内へと飲み込まれた。


 狩夜たちを飲み込んだトライデントフィッシュは、一切減速することなくそのまま滑空し、一直線にディープラインの外を目指す。


 そんなトライデントフィッシュの腹の中で、狩夜は我が身の未熟を嘆きながら、次のように口を動かした。


「魔草三剣・葉々斬」


 直後、冷凍マグロの切り身を回転鋸で切り分けたような音と共に、トライデントフィッシュの体が上下に切り裂かれる。その切断面から、青い顔をした狩夜と、柄頭から蔓が伸びている木製の柄を背中から出したレイラが、五体満足で姿を現した。


「し、しし、死ぬかと思った……まじで死ぬかと思ったぁ……もう二度と油断しないぞこんちきしょう……」


 レイラの攻撃力を狩夜に譲渡するための武器、魔草三剣・葉々斬。


 レイラの背中と蔓で繋がる木製の柄、そこから芽吹くように伸びる、巨大な稲の葉を彷彿させる魔剣。それを水平に振り切った体勢のまま、狩夜は震える声で呟いた。


 一方のレイラは、巨大な魚に丸飲みにされた直後だというのに、何食わぬ顔で両腕から蔓を伸ばすと、下半分となったトライデントフィッシュの胸ビレのつけ根を絡めとる。次いで、その胸ビレの角度を調整し、ディープラインの外を目指していた進路を、精霊解放軍の方へと変更した。


 とんでもない方法と速度で、ミズガルズ大陸に上陸しようとしている相棒に苦笑いを浮かべた後、狩夜はやけくそ気味に叫ぶ。


「よっしゃあ! このまま突撃するよレイラ! いっちょド派手に、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアデビューだぁ!!」


「……(コクコク!)」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る