122・平原の戒め

「見えた、スターヴ大平原! ようやく半分……か。ランティスさんたち、まだ無事だといいけど……」


 フヴェルゲルミル帝国の都、帝都エーリヴァーガルの開拓者ギルドで精霊解放軍敗走の凶報を聞いてから約三時間。どこにでもいる普通の中学生・叉鬼狩夜と、マンドラゴラであり、勇者でもあるレイラは、ユグドラシル大陸北東部、フヴェルゲルミル帝国とミーミル王国の国境付近、その上空にいた。


 険しい表情で東を見つめながら、祈るように口を動かす狩夜。そんな狩夜の背中に張りつくレイラは、全身から出した蔓で自身と狩夜とが決して離れないよう固定しつつ、頭上からはタンポポのような巨大な綿毛を展開し、背中ではプロペラ状の花を咲かせ、その花を高速回転させていた。


 ランティスたち精霊解放軍を助けるために、絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアに向かう狩夜たちは、他の誰にもできない空路という移動手段で、東に向かって猛進する。


 そして今、狩夜たちの眼下には、見渡す限りの麦畑が広がっていた。


 スターヴ大平原。


 フヴェルゲルミル帝国と、ミーミル王国の国境上に存在する、ユグドラシル大陸随一の穀倉地帯である。


 石と金属と大地のスペシャリスト、地の民の測量によって碁盤目状に区切られたその穀倉地帯には、決められた場所に一ヶ月おきに種まきがおこなわれる。そうすることで、四季だけでなく、雨季も乾季もないユグドラシル大陸ならば、年間を通して安定した麦の収穫が可能となるのだ。


 手間は増えるが、危険は減る手法。麦畑を明確に区切ることで広大な穀倉地帯での人間の移動を容易にし、収穫時期をあえてずらすことで、魔物からの襲撃にそなえているのだ。税の徴収も容易となる。


 ゆえに、スターヴ大平原を上空から見下ろすと、麦の成長過程によって顔色を変える麦畑が一望できた。こんな状況でなければ、狩夜もその景色を楽しむことができただろう。


 さて、ここで一つ疑問が出てくる。


 フヴェルゲルミル帝国とミーミル王国は戦争したことがないのに、なんで平原のど真ん中に国境があるの? おかしくない? という疑問だ。


 国境とは、国家の領域の境目、境界のことであり、自然的国境と人為的国境の二つに大別される。


 自然的国境は山脈、河川、湖水、海洋などの自然物によって定めたものであり、人為的国境は、条約、経線、緯線、道路、民族などの人為によって定めたものだ。


 そして、ユグドラシル大陸には現状、人為的国境は存在しない。


 イスミンスールに存在する八種の人類は、【厄災】により故郷を捨て、命からがらユグドラシル大陸に逃げ込んだ。その後、木と風と水の民が大陸南方にウルズ王国を、月と闇の民が大陸西方にフヴェルゲルミル帝国を、光と火と地の民が大陸東方にミーミル王国を建国する。


 その建国の際に定められた三本の国境は、すべてが自然的国境だ。【厄災】直後で余裕がなく、土地を巡って戦争している場合じゃなかった三国は、その領土を神である世界樹の意思に委ねたのである。


 要するに、この場所にもあったのだ。『世界樹の気まぐれ』と呼ばれた、国境に指定されるほどに峻険な山脈が。


 そして、その山脈はとある時代の節目に姿を消した。山脈が消えた後にできたのが、このスターヴ大平原である。


 この地が山脈から平地に姿を変えた後も、人為的国境が定められることはなかった。その理由は、ユグドラシル大陸では考えられないほどに強い魔物たちが、長期間にわたってこの地を支配し続け、人の侵入を拒み続けてきたからである。


 山脈が消えた原因。その原因がこの地にもたらしたあの鉱物が、周辺一帯の水源を悉く汚染した結果であった。


 クリフォダイト。


 赤褐色で半透明。触れた水を真紅に変色させて汚染し、その水で魔物を強化かつ活性化させる、かの【厄災】誕生の切っ掛けにもなった、悪魔の欠片。


 クリフォダイトに汚染された水と、その水で強化された魔物に邪魔され、農耕にこれ以上ないほどに適した大平原が目の前にあるにもかかわらず、人類は二百年もの間、飢餓に苦しみながら手をこまねくこととなった。


 ゆえに飢えのスターヴ大平原。なんとも皮肉の利いた名前である。


 そんな、何かといわくつきの土地が、近い将来大陸の食糧事情を一変させるであろう穀倉地帯に姿を変えたのは、つい最近の出来事であった。


 スターヴ大平原攻略戦。


 ソウルポイントによって強化された人類による、魔物への最初の大攻勢。二年半前におこなわれ、ウルズ王国第二王女であるイルティナも参加したこの戦いは、ランティスやカロンといった、精霊解放軍の中核をなす開拓者たちがその頭角を現した戦いであり、英雄と呼ばれるようになった切っ掛けの戦いでもある。


 そして、スターヴ大平原を支配していた主を倒し、この大平原を魔物から解放した人物こそが、かの世界最強の剣士、フローグ・ガルディアスその人である。


 クリフォダイトによって汚染された水も、すでにマナによって浄化され、今では三国によって合同管理される、麦の一大産地となった。


 浄化の際、水源を汚染していたクリフォダイトはもちろん回収されている。そして、狩夜とレイラの活躍によりことなきを得た、フヴェルゲルミル帝国でのクーデター。その首謀者であるカルマブディス・ロートパゴイが使用したクリフォダイトは、このときに回収されたものではないかと、狩夜は推測していた。


 【厄災】以降、初めて人類が魔物に勝利したと言っても過言ではない場所。そんな記念すべき場所を、狩夜とレイラは現在進行形で横断しているわけだが、そうして横断していると、空路であろうがそれ以外だろうが、否応なし目に入る、とある物体が存在する。


 それは、平原のほぼ中央に鎮座する、天を突くほどに巨大な石人形。


 巨大な岩石を繋ぎ合わせることで構成された体は、胴長で短足。首はなく、頭は胴体から直接生えている。足はおろか胴体よりも腕が太く、無骨だがどこか洗練されたその巨体を、両手両足の四点でがっしりと支えていた。


 一見すると豊作を祈願して造られた守り神のようにも見えるが、それは違う。あれは戒めだ。


 過去に起きた凄惨な大破壊。それを後世にまで伝えようと、この地が人のものになった今も、あえて壊さずに、当時の姿のまま残されているソレは、【厄災】、魔王と並んで、イスミンスールの全人類から恐れられる、破壊の象徴である。


 過去に二度おこなわれた精霊解放遠征。それが、解放軍の全滅という最悪の結果に終わった直後、ミズガルズ大陸からこの地に送り込まれ、人類最後の拠り所であるユグドラシル大陸で暴虐の限りを尽くし、人類を著しく衰退させただけでは飽き足らず、『世界樹のきまぐれ』と呼ばれた峻険な山脈を消し飛ばし、ユグドラシル大陸北東部を見渡す限りの平原、文字通りの焼け野原にしてみせた超兵器。今はもう動かない、その石人形の名は——


「あれが【返礼】か……」


 こう言い終えると共に、狩夜は生唾を飲み下す。


 第三次精霊解放遠征が失敗に終わった今、もしかしたら戦うことになるかもしれない相手。それをに見つめながら、狩夜とレイラはスターヴ大平原を後にした。

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