第四章・ミーミル王国編

121・第四章プロローグ 精霊解放軍敗走

 第三次精霊解放遠征。その最終目的地は、ミズガルズ大陸のほぼ中心にある。


 かつて、光の民の首都と、光の精霊を祀る祭壇があったとされる場所。その場所へとたどり着き、【厄災】の呪いによって封印された精霊の解放。もしくは、精霊解放のための手掛かりを探すことが、精霊解放軍の至上命題である。


 【厄災】から数千年。一度は繁栄を極めたその場所に、かつての面影はない。だが、繁栄の残滓ともいえるあるものが、それこそ山のように積み重なっていた。


 財宝。


 数えるのも馬鹿らしくなるほどの金貨銀貨と、色とりどりの宝石と貴金属によって作られた装飾品。それらだけが、数千年前と変わらぬ姿を保ち、陽光を浴びて煌びやかに輝いていた。


 ミズガルズ大陸中からかき集められたと思しき、その財宝。本来、野生ではなんの価値もない、その財宝。それら財宝を独占する黄金の巨体を見上げながら、精霊解放軍指令であるランティス・クラウザーは口を動かした。


「おのれ……」


 オールバックにまとめられた金髪は乱れ、身に纏う白銀の甲冑は傷だらけ。幅広の両手剣は、いつ折れてもおかしくないほどに損耗している。


 満身創痍である彼の周囲には、かつて人間だったモノが散乱していた。ここまで艱難辛苦を共にし、ときに笑い合い、ときに涙を流し合った、ランティスのパーティメンバーである。


 彼らはもう、二度と動くことはない。


「おのれ! おのれぇ!!」


 もの言わぬ肉片となり果てたパーティメンバーに囲まれながら、ランティスは怨嗟の声を上げた。そんな彼を、黄金の巨体は害虫でも見るような目でただ見下ろす。


 屍山血河の中で無様に声を張り上げる者と、金銀財宝に囲まれながらそれを見下ろす者。勝者と敗者を分かつ圧倒的な格差。それを認めてたまるかとばかりに、ランティスは震える両手で剣を構え、黄金の巨体の名を叫ぶ。


「ファフニールゥウゥゥウ!!」


 ミズガルズ大陸の魔王、“邪龍” ファフニールは、圧倒的な力の差を見せつけてもなお戦意を失わないランティスのことを無言で見下ろしながら、めんどくさげに右前足を振り上げ、躊躇なく振り下ろす。


 本気にはほど遠い、気の抜けた攻撃。にもかかわらず、触れるもの全てを粉砕し、蹂躙する魔王の一撃が、ランティスに届く直前――


「逃げろ、ランティス君!」


 木の民の英雄、ギル・ジャンルオンが割って入った。


 ギルは、我が身を顧みずにランティスに駆け寄ると、有らん限りの力でランティスを突き飛ばし、ファフニールの攻撃範囲外へと離脱させる。


 そして——


「あ……」


 地面に横たわるランティスの目の前で、ファフニールの右前足に真上から叩き潰され、実にあっけなく、その生涯に幕を下ろした。


 ウルズ王国戦士団・団長にして、“年輪” の二つ名を持つテンサウザンドの開拓者は死んだ。息子が待つ死後の世界へと、今この時に旅立ったのだ。


「あ、あああ……」


 一癖も二癖もある精霊解放軍のメンバーを、自分と共に纏め上げた副指令ともいうべき存在の死を目の当たりにし、ランティスの中で何かが切れる。


「うわぁああぁあぁ!!!」


 目を見開きながら立ち上がり、憤怒に染まった眼球でファフニールを睨みつけるランティス。そして、激情に突き動かされるままに、絶叫を上げつつファフニールに向かって駆け出そうとしたが——


「馬鹿野郎!」


 進行方向上に突然現れた、カエル顔の剣士に顎を下から殴り上げられ、その無謀な前進を有無を言わさず止められてしまう。


「フ、フローグ……殿?」


「ったく、ギルの死を無駄にするつもりかお前は!? ギルは、自分以上にお前が今後の世界に必要だと思ったからこそ、命を捨てて守ったんだぞ!」


 フローグ・ガルディアスは、殴られて頭が冷えた様子のランティスをこう叱責した。次いで、渾身のアッパーカットカエルパンチで動きを止め、しばらく立てないであろうランティスを片手で持ち上げると、すぐさま後方へと放り投げる。


「撤退するぞ! ガリム、もう一人担げるか!」


「誰にものを言っておる! それくらい余裕じゃわい!」


 フローグの言葉に力強く頷いたガリム・アイアンハートは、左腕だけで器用にランティスを受け止めた後、鎧を着たランティスの体を軽々と担ぎ上げた。そんな彼の右腕には、頭から血を流してピクリとも動かない、アルカナ・ジャガーノートの姿がある。


「カロンとレアリエルを先頭に、戦場を鋒矢の陣で駆け抜ける! 殿はモミジだ! ランティスは絶対に死なせるなよ! これからの世界に必要な男だからな! それと、生き残ったラタトクスはあと一匹だけだ! 通信可能領域まで、絶対に守り切れ!」


「りょ、了解しました! 皆さん! 遺憾ながら我々精霊解放軍は、この場から撤退します! 撤退! 撤退なさい!」


「みんなー撤退だよー! ボクの後についてきて!」


 フローグの言葉に、カロンとレアリエル・ダーウィンの両名が呼応した。そして、彼らの決定に異を唱える者は一人もいない。この精霊解放遠征で必ず光の精霊を解放し、魔物に奪われた大地を人の手に取り戻す。そんな使命感に燃えていた開拓者は、もうこの場には誰一人残ってはいなかった。


 勝てない。今のままでは絶対に。


 その共通認識が、魔王への恐怖と共に、彼らの顔に張りついていた。


 魔王の持つ圧倒的な力に心を折られた精霊解放軍は、主力であるテンサウザンドの開拓者を先頭に、傷ついた体に鞭を打って、全力で撤退を開始する。


 そんな中、殿を任された鹿角紅葉が、一人その場を動こうとしないフローグに、慌てた様子で問いかける。


「何をしているでやがりますかフローグ!? 撤退するのでやがりましょう!?」


「ふん。この場に残り、こいつの足止めをする者が必要だろうが」


 精霊解放遠征以前に二度も魔王と遭遇し、その強さを唯一知っていたがゆえか、フローグの目はまだ死んでいなかった。世界最強の呼び声高い “流水” の剣士は、口元をつり上げながらファフニールと相対し、両手で剣を構える。次いで、覚悟を感じさせる声でこう告げた。


「ここは俺に任せて、お前たちは先にいけ!」


「……武運を!」


 紅葉はそう言い残し、隊列の最後尾として駆け出す。


 こうして精霊解放軍は、目的を果たすことなく撤退を開始した。フローグと、数多の仲間の亡骸をその場に残して。


「何も……何もできなかった……仲間たちとギル殿の仇に、一矢報いることすら……くそぉ……くそぉ……!」


 撤退の最中、ガリムに担がれているランティスは、悔しさに全身を震わせ、両目からは止めどなく涙を流し、血を吐くように己が無力を嘆き続ける。


 ミズガルズ大陸に築かれた拠点、ならびに各国の要所、そして、全開拓者ギルドへの救援要請がなされたのは、これから五日後のことであった。

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