120・第三章エピローグ 凶報と産声

「……」


 フヴェルゲルミル帝国上空、つい先ほど狩夜と共にカタパルトフラワーで天高く舞い上がったレイラは、狩夜の背中に張りつきながら後ろを振り返り、徐々に小さくなっていく帝都エーリヴァーガルを見下ろしていた。


 そんな相棒に向けて、狩夜は言う。


「レイラ、何後ろを気にしているの! ことは一刻を争う! 急いで!」


 この言葉を受け、レイラは顔を前に向けた。次いで、背中に咲くプロペラ状の花の回転速度を上げつつ「これで良かったの~?」と言いたげに、狩夜の背中をペシペシと叩く。


 相棒からの問いかけに、狩夜は未練を断ち切るように叫んだ。


「しょうがないだろ! よほどのことが起こっちゃったんだ! 本当に来るかもわからない真央を――揚羽様を悠長に待ってる場合じゃない!」


 激動の一日を終え、はじめて訪れたエーリヴァーガルの開拓者ギルド。男に飢えた闇の民たちからの逆ナンをどうにかこうにかかわしつつ、半休がてら揚羽を待っていた狩夜であったが、そこに突如として凶報が舞い込んだ。


 人類の希望たる精霊解放軍が、ミズガルズ大陸の魔王、“邪龍”ファフニールの前に敗走したという。


 精霊解放軍指令、ランティスからの一斉送信によって知らされたこの事実に、ギルド内の空気が凍りついた。


 救援要請もあったというが、ミズガルズ大陸から最も離れたフヴェルゲルミル帝国にできることは少ない。第三次精霊解放遠征が失敗に終わったという現実を叩きつけられた直後ということもあり「私たちに何ができる?」と、誰もが無力感に打ちひしがれ、顔を下に向ける中、フヴェルゲルミル帝国の全開拓者ギルドを統括するギルドマスターが、毅然とした態度で声を上げた。


「今、できることをしよう」と。


 ギルドマスターの指示のもと、慌ただしく動き出すギルド職員たち。ミーミル王国へ食糧と薬品を届けるための輸送部隊が瞬く間に組織され、その護衛を募集する声と、それを快諾する声がそこかしこで上がるなか、狩夜はレイラと共にギルドを飛び出し、今に至るというわけだ。


「ランティスさんはまだ生きてる! ううん、ランティスさんだけじゃない! フローグさんや、紅葉さん! ガリムさんやアルカナさん! ギルさんにカロンさん! レアリエルだって! 皆、見ただけでわかる凄い人だった! あの人たちが死ぬはずない! 他の人達だって、きっと!」


 最悪の事態が頭を過ぎるが、狩夜はそんなはずないと頭を振り、声を張り上げた。全員きっと生きている。そう信じて、狩夜は一路東を目指す。


 もちろん、狩夜の中には揚羽を待ちたいという気持ちもある。だが、周囲の状況がそれを許さない。先ほども言ったように、来るかどうかもわからない揚羽を悠長に待っている時間などないのだ。


 幸いなことに、狩夜はソロで絶叫の開拓地スクリーム・フロンティアに挑む資格を既に得ている。奈落の底で戦った、十一体ものテンサウザンド級の集合体であったあの怪物。そのソウルポイントを糧とすることで、狩夜は更なる高みに上り詰めたのだ。


———————————————


叉鬼狩夜  残SP・428


  基礎能力向上回数・1134回

   『筋力UP・300回』

   『敏捷UP・384回』

   『体力UP・300回』

   『精神UP・150回』


  習得スキル

   〔ユグドラシル言語〕


  加護

   〔女神スクルドの加護・Lv1〕

     全能力・微上昇。状態異常『呪』無効化。


獲得合計SP・644973


———————————————


 テンサウザンド。


 開拓者用語で『ベテラン』とされる階級に、狩夜は図らずも到達したのである。


 葉々斬と草薙がテンサウザンド級の魔物に通用することも、あの怪物との戦いで確認できた。慣らし運転なしのぶっつけ本番となるが、ランティスたち精霊解放軍の撤退を、援護するくらいはできるだろう。


 以上の理由から、狩夜は今このときにフヴェルゲルミル帝国から旅立つことを決めた。やり残したことはもちろんある。揚羽だけでなく、青葉、矢萩、牡丹といった知り合いに別れの挨拶もしていないし、帝国国内の主もまだ狩り尽くしていない。そして何より、狩夜は投獄されたカルマブディスに聞きたいことがあったのだ。


 そう、地下で見つけた悪魔の欠片、クリフォダイトの出どころである。


「あの人、いったいどこで手に入れたんだ? 邪悪の樹の化石なんて……」


 そう、クリフォダイトは、二代目勇者がアースガルズ大陸ごと邪悪の樹を消し飛ばした際に、イスミンスール全土に散らばったその欠片が化石となったものだ。地球で言うところの珪化木や黒玉、オパールに近いものであり、厳密にいえば鉱物ではなく、準鉱物扱いになる。


 その来歴だけでもわかる通り、クリフォダイトは第一級の危険物だ。そんな危険物を、カルマブディスはいったいどこで手に入れたのだろう? 折を見て監獄を尋ね面会し、そのことを直接問い質すつもりであったのだが、もうそれも叶わない。


「まあ、入手した場所にまったく見当がつかないでもないんだけど」


 ユグドラシル大陸でクリフォダイトが手に入るとしたら、がもっとも可能性が高い。フヴェルゲルミル帝国からミーミル王国へ向かう際の通り道でもあるので、立ち寄れはしないだろうが、上空から見下ろすくらいはできるだろう。


「それにしてもあの人、言いたい放題言ってくれたよな……」


 カルマブディスのことを考えたからか、禁中で言われたあの言葉が、狩夜の脳内を駆け抜けた。


『だがな、私をここで倒しても、この国は何も変わらんぞ! いずれ第二、第三の私が現れる! 今この国に必要なのは改革だ! その改革が、第三者である貴様の介入で防がれたのだ! それを無責任だとは思わないのか!? 答えろ叉鬼狩夜! 貴様はどのような理念と理想を持ち、この私を——』


「思わないわけ……ないだろうが……」


 喉に魚の小骨が引っかかっているような顔で、狩夜は言う。


 決着の際にカルマブディスが口にした言葉を、単なる悪あがきだ——と、狩夜は聞き流すことができずにいた。狩夜は確かにカルマブディスを倒し、その野望を打ち砕いたが、フヴェルゲルミル帝国が抱える問題は、何一つ解決してはいないのである。


 今のままでは、月の民に男の子は生まれない。月の民の女性は満月のたびに町を徘徊して男を求め、将軍職に女性がついている限り、第二、第三のカルマブディスはきっと現れる。今この国に必要なのは改革だというカルマブディスの主張は、決して間違いではない。


 その問題を解決せずにこの国を去ることを――異世界人である狩夜だけが解決できるかもしれない問題を放置することを、狩夜は気にしていた。揚羽や青葉と袖すり合い、情が湧いてしまった今、その気持ちは強くなる一方である。


 狩夜にできたことといえば、薬の副作用で苦しむ青葉と帝の体を、レイラの力で元通りにしたことぐらいだ。そしてそれも、満月のたびに彼らが薬を服用し続ければ元の木阿弥。根本的な解決にはほど遠い。


「揚羽様も、青葉君も、苦労し続けるんだろうな……」


 意気消沈した様子で呟く狩夜。そんな狩夜の背中を「きっと大丈夫だから、元気だしなよ~」と言いたげに、レイラがペシペシと叩く。


「あのさレイラ、大丈夫なわけないだろ? 帝国の問題は何一つ――」


 こう口を動かしながら、呆れたような顔で後ろを振り返り、背中を覗き込む狩夜。すると、意味深な笑顔を狩夜に向けるレイラの顔が、視界いっぱいに飛び込んできた。


「……(にこにこ)」


 その笑顔を見て、狩夜は察する。


「……その顔は何かした顔だよね? ちょ、レイラ、君はいったい何をしたんだ!? ちゃんと説明してよ!? ねぇ!?」


 こんなやり取りをしながら、狩夜とレイラは東へと猛進していく。


 次なる舞台はミーミル王国。そして、その先に広がる絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア


 狩夜とレイラの冒険は、まだまだ続く。



   ○



「だ、だだだ大丈夫かな左京!? 母上とっても苦しそうだよ!?」


「だ、だだだ大丈夫に決まってるよ右京! 母上はとっても強いんだから!」


 狩夜とレイラが帝国を去ってから、幾ばくかの時が過ぎた後の狛犬家で、右京と左京が居間の前で手を取り合い、身を寄せ合っていた。


 二人が見つめる居間を仕切る襖の向こうからは、二人の母親である里見の激しい息遣いと、苦痛を堪える声が、断続的に聞こえてくる。


 出産。


 里見は、この世界に新しい命を産み落とすために、女性最大の試練に命懸けで挑んでいる真っ最中なのだ。


 夕暮れ時に産気づき、右京が産婆を呼びに家を飛び出し、左京が家で布団を用意して湯を沸かしてから早数時間。いまだ赤子は生まれておらず、里見の戦いは夜が更けた今も続いている。


 後は産婆に任せて祈るだけ。そう理解してはいるのだろうが、二人の不安はとどまるところを知らないらしい。先ほどのようなやり取りも、もはや何度したかもわからないほどに繰り返したに違いない。


「そ、そうだ左京! こんなときはお花さんだよ! 一緒にお花さんを眺めよう!」


「そ、そうだね右京! こんなときはお花さんだね! 眺めると気持ちが落ち着くって、国中で評判だもん!」


 いいことを思いついたと声を上げ、二人同時に顔を動かす右京と左京。彼女らの視線の先には、夜になると蒼白い光を放つ、不思議な花の姿がある。


 今や帝国中に広がった不思議な花。その花が放つ光は、眺めていると気持ちが落ち着くとたいそう評判なのである。この花のおかげで、満月の夜に徘徊する月の民の数は、随分と減ったという。


 その凄い効能に自分たちもあやかろうと、花瓶に生け、行燈代わりにと近くに置いておいた大好きな花を、二人はじっと見つめた。


 当然だがその花は、里見と産婆がいる居間にもたくさん置いてある。生来火を苦手とする者が多い月の民だが、この光なら大丈夫。里見と産婆も出産に集中できるだろうし、生まれてくる赤子も火を怖がらずに済むだろう。


 自分たちに代わって母親の出産を手助けしている花に向かって、右京と左京は全力で祈った。


「「お花さん! 母上を——私たちの妹を守って!」」


 その、次の瞬間——


 おぎゃあ! おぎゃあ!


「「あ……」」


 襖の向こうから、元気の良い産声が聞こえてくる。


 生まれた。そう視線で語りながら、顔を見合わせる右京と左京。次いで——


「ほんぎゃぁあぁあぁあぁ!?」


 赤子の産声を掻き消すかのように家中に響き渡った産婆の絶叫に、二人同時に目を丸くすこととなる。


「「お婆さん!? 何かあったの!?」」


 襖を勢いよく開け放ち、居間になだれ込む右京と左京。不思議な花の光に満たされた居間の中では、産婆が腰を抜かしており、生まれたばかりでまだへその緒がついた赤子を、震える右手で指さしていた。


「や……やりおった……」


 産婆はか細い声でこう呟いた後、大きく息を吸い込んだ。次いで、帝国中に響けとばかりに、歓喜の声を爆発させる。


「男の子じゃあ! 男の子が生まれよったぁ! 里見の奴がやりおったぞぉおぉおおぉぉお!!」


「「ええ~~~!!」」


 てっきり妹が生まれるとばかり思っていたであろう右京と左京も、産婆に負けぬほどの驚きの声を上げる。


 そんな騒々しい居間の中で、不思議な花は自らの意思で動きだすようなこともなく、もちろん言葉を発することもない。


 新しく生まれた命を、自身が放つ光で祝福しながら、ただただ静かに見守った。


 どこにでもある、ごく普通の花と変わらぬ様子で見守った。


 帝国の、至る所で、見守った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る