119・女は恋をしたら変わるもの
「ふむ、こんなところか」
美月城の自室、その部屋の隅に置かれた姿見の前で、揚羽は一人正座し、髪を編み上げていた。
レイラ謹製の、村娘が着るような地味な服に身を包んだ彼女は、先ほど編み終えた純白の髪を、姿見を使って入念にチェックする。
どこか不自然なところはないか? うさ耳が飛び出していないか? と、何度も何度も確認し、ようやく納得がいったのか「よし」と、笑顔で頷く揚羽。次いで、膝の上に置いておいた作り物の猫耳を手に取り、頭上に乗せる。
「後は、最後の仕上げを……」
揚羽は鏡に映る自身に向けてこう呟くと、狩夜から受け取った白い花を手に取った。
狩夜のパーティメンバーの証である白い花。そして、狩夜からの求婚の証である白い花。
揚羽は、この世の幸せ独り占めといった表情で、一度花を胸に掻き抱いた後、自身の頭に丁寧に刺し入れる。
これにより、フヴェルゲルミル帝国将軍・美月揚羽は、叉鬼狩夜のパーティメンバー・真央へと再び姿を変える。以前との相違点は、腰に下げている武器が、木刀から真剣へと変わっていることだけだ。
「うむ、完璧じゃな」
満面の笑みでこう言うと、揚羽は立ち上がり、襖を開けて自室を後にする。
「公方様、おはようございますなのですぞ」
部屋の前では峰子が待っていた。揚羽は彼女を一瞥すると「峰子か、早いな。今日は寝ていてもよいのだぞ」とだけ告げ、玄関に向け歩みを進める。その後を、峰子はトコトコとついていった。
二人が歩く美月城の廊下には、先日の襲撃、その傷跡が生々しく残っている。美月城の奪還、そして、カルマブディス・ロートパゴイ捕縛から一夜のときが流れているが、オーガロータスの毒から解放されたばかりの家臣と奉公人たちに、徹夜での修繕と掃除を強いるほど、揚羽とその家族は非情ではないのである。
「あ、あの、公方様。本当にお一人で、叉鬼狩夜に会いにいかれるのですか?」
何も言ってくれない主人に対し、峰子はおずおずと口を開く。そんな峰子に「無論だ」と答えた後、揚羽は次のように言葉を続けた。
「お前の言いたいことはわかるぞ、峰子よ。これは異世界人保護の絶好の機会。草だけでなく、今動ける武士を総動員して、何としても叉鬼狩夜の身柄を確保するべきではないか——と、お前は考えているのであろう?」
「……はいなのです。大恩ある救国の英雄に対し、あまりに厚顔無恥であると、小生もわかってはいるのでありますが……その……」
「よい。そなたの考えは至極当然である。体裁を気にしている余裕など、今の帝国にはないのじゃからな。だが、それは諦めよ。狩夜とレイラを生け捕りにするなど、今の我らでは無理じゃ。戦力がまるで足らぬ」
「矢萩、牡丹の両名と、帝国すべての武士を総動員してもでありますか?」
「うむ。そなたは直接見ておらぬから信じられぬであろうが、あれの生け捕りなどできるわけがない。余も参戦し、紅葉がこの場にいれば、狩夜を殺すことはできるやもしれぬが、生け捕りは無理じゃな。フヴェルゲルミル帝国将軍にして、月読命流皆伝である余が断言する。武力、知力、財力、そのどれをもってしても、叉鬼狩夜をこの帝国に留め置くことは不可能であるとな」
揚羽のこの言葉に、峰子の顔が盛大に曇った。そして、心底困った様子で口を動かす。
「そんな……ではこれから小生たちはどうしたらよいのです? このままでは帝国未来が——」
「峰子よ、余は美しいか?」
自身の言葉を遮るようにされたこの問いかけに、峰子は言葉を途中で止め、目を丸くしながら「は?」と、呆けた様に声を漏らした。
そんな峰子に対し、揚羽は再び問う。
「もう一度聞く。峰子よ、余は美しいか?」
「も、もももちろんなのですぞ! 揚羽様ほどの美貌と才覚を兼ね備えた女傑は、ユグドラシル大陸広しといえども二人といないのです!」
「うむ、良い返事じゃ。そして、それがそなたの悩みへの答えでもある。叉鬼狩夜をこの帝国に留め置く方法、それすなわち魅力! 余、自らが狩夜を口説き落とし、必ずやこの帝国に永住させてみせようぞ!」
頭上の花を一撫でしてから、自信満々に言ってのける揚羽。そんな彼女の後ろをつかず離れず歩きながら、峰子は両の瞳をきらめかせた。
「おお……おお! 流石は公方様なのです! では、公方様がソウルポイントの力で月経を止め、最終的には男になるという話は?」
「もう、余は男にはならぬ。いや、なれぬ。余は、女として狩夜と添い遂げ、帝国の次代を築くであろう子供を、一人でも多く生みたいと思う。ゆえに、狩夜のことは余に任せておくがよい。だから峰子よ、お前は例の件を頼むぞ。余の留守中に、できる限り家中を纏めておいてくれ」
「本当に将軍職を辞するおつもりで?」
「うむ。此度の一件は誰かが責任を取らねばならぬからな。余の後釜を決めるのは帝であるがゆえ、断言はできぬが、十中八九、次期将軍は木ノ葉となるであろう。大御所となった余と共に、峰子も妹を支えてやってくれ」
「御意なのですぞ」
峰子はこの返事と同時に足を止めた。彼女の目の前では、揚羽が玄関で草鞋を履いている。
「ではいってくる。二日で戻るゆえ、安心せよ。余の魅力に骨抜きにされ、余なしでは生きられぬ体となった狩夜と共にな」
「美月家臣団一同、公方様のお帰りを、心よりお待ちしているのですぞ」
立ち上がり、玄関を出ていく揚羽を、峰子が深々と頭を下げながら見送った。将軍である揚羽の一人での外出を、傅役である峰子が大人しく見送るという実に珍しい光景に笑みを浮かべながら、揚羽は歩を進める。そして、病み上がりであるにもかかわらず、正門で見張りに従事してくれている二人の家臣に「苦労」と一声かけてから、美月城を後にした。
快晴の空の元、揚羽はやや足早に開拓者ギルドを目指す。その頬は僅かであるが赤く染まっており、はやる気持ちを抑えながら恋人との待ち合わせ場所へと向かう、一人の乙女を思わせた。
城から少し離れれば、もうそこには普段と変わらぬ民たちの営みが見て取れる。先の事件が世の明るみに出ることなく解決された、この上ない証拠であった。
狩夜が守ってくれた民たちの笑顔。それを噛みしめるように、揚羽は楽しげに周囲を見回した。
その直後——
「公方様!」
「む?」
突然背後から呼び止められ、足を止める揚羽。後ろを振り返る彼女の視線の先には、美月城で働くとある奉公人の姿がある。
周囲の民たちが「え? 公方様?」と首を傾げる中、揚羽は慌てて地面を蹴り、その奉公人を口を有無を言わさずに塞いだ後、むりやり路地裏へと連れ込んだ。
「おい、公衆の面前で何を叫んでおるのじゃ貴様は! 今の余は公方でも、美月揚羽でもないのじゃぞ!」
小声で怒鳴りながら凄む揚羽に、奉公人は恐縮しきった様子で「ごめなさい! ごめんなさい!」と首を何度も縦に振る。そんな彼女を見て「大きな声を出すでないぞ」と、揚羽は口から手を離した。
「けほ! けほ! すみません公方様……急いでいたもので……でも良かった。まだお城の近くにいらしたのですね」
「だから余は公方ではないと——ああ、もうよい。それで、いったいどうしたというのじゃ? そんなにも血相を変えて? しかもお主、裸足ではないか。足から血が出ておるぞ。大丈夫か?」
この言葉通り、揚羽の後を追いかけてきた奉公人は裸足であった。着ている服も随分と乱れている。よほど慌てていたのだろう。だが、揚羽の心配を他所に、奉公人は自分のことなどどうでもいいとばかりに姿勢を正し、真剣な表情で口を動かす。
「公方様! 実はつい先ほど、美月城で飼育しているラタトクスに通信が入りました! 精霊解放軍指令、ランティス様からです!」
奉公人の口から出た意外な名前に、揚羽は目を丸くした。次いで言う。
「なに? ランティスから通信だと? して、ランティスは余になんと?」
「いえ、通信は揚羽様にではなく、ミズガルズ大陸に築かれた拠点、ならびに各国の要所、そして、全開拓者ギルドへの一斉送信でありました! 内容は『我ら遠征軍は、“邪龍”ファフニールの前に敗走! 至急救援を求む!』です!」
「な!?」
奉公人が口にしたまさかの言葉に、揚羽は思わず絶句した。そんな揚羽に向けて、奉公人はなおも口を動かし続ける。
「すでに美月城は、峰子様の指示のもと動き出しております! 禁中や各地の要所、開拓者ギルドも同様でありましょう! 揚羽様も、今すぐに美月城にお戻りください!」
この言葉を受け、揚羽が奉公人に向けて口を開こうとした次の瞬間、遠方で何かが爆発したような音がした。奉公人が何事かと周囲を見回し、民たちが一斉に悲鳴を上げる中、揚羽は「今の音は、カタパルトフラワーか!?」と、弾かれたように空を見上げる。
迷うことなく向けられた揚羽の視線、その先には——
「あ……」
背中に貼りついたレイラと共に、凄まじい勢いで空へと舞い上がる狩夜の姿があった。狩夜は険しい表情で東を、ミーミル王国と、ミズガルズ大陸がある方角を見つめている。
今、揚羽の脳内では、昨晩狩夜が口にしたあの言葉が、電流のごとく駆け巡っているに違いない。
そう、狩夜は揚羽にこう言ったのだ。
よほどのことがないかぎり、明日の昼までエーリヴァーガルの開拓者ギルドにいる――と。
今まさに、そのよほどのことが起こってしまった。過程は不明だが、狩夜はそれを開拓者ギルドで知ったのだろう。そして、聞くや否やギルドを飛び出し、カタパルトフラワーで空へと舞い上がったのだ。助けを求めるランティスたち、精霊解放軍の救援に向かうために。
「すまぬ! どいてくれ!」
視線の先で、レイラが頭上にタンポポのごとき綿毛を出現させると同時に、揚羽は奉公人を押し退けるように駆け出した。そして、必死に狩夜の後を追う。
「待て! 頼む待ってくれ!」
だが、さしもの揚羽でも空を飛ぶ狩夜たちには追いつけない。揚羽と狩夜たちとを隔てる距離は、開く一方であった。
「余は、まだそなたに言っておらぬぞ! 愛の言葉も! 求婚への返事も!」
空を見上げながら「なんだなんだ?」と騒ぐ民たちの間を縫うように走りながら、揚羽は狩夜に呼びかける。だが、その呼びかけは虚しく周囲に響くばかりで、狩夜には届かない。
「余を置いていかないでくれ! いくなら余も、余も共に……」
すでに、空に浮かぶ黒い点になってしまった狩夜たち。彼らが向かう先はこの世の地獄。生きて帰れれば僥倖とされる蠱毒壺。
二度と会えないかもしれない想い人に向けて、揚羽は涙を流しながら、有らん限りの声で叫んだ。
「旦那様ぁああぁあぁぁあ!!」
この悲痛な叫びがエーリヴァーガルに響き渡ると同時に、狩夜たちの姿が、完全に揚羽の視界から消え去った。
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