118・これにて一件落着!

「ええっと——ん? これかな? うん、あったあった」


 倒れて動かないカルマブディス。その白衣の内側に突っ込んでいた右手を引き抜きながら、狩夜は口を動かした。


 引き抜かれた狩夜の手には、拳大の白い布袋の姿がある。そう、オーガロータスの実が詰った袋だ。


「レイラ」


 背中から頭の上に移動した相棒の名前を呼びながら、その布袋を真上に放り投げる狩夜。レイラはそれだけで狩夜の意図を察し、頭上に小さめの肉食花を咲かせる。


 重力に従って落下してきた布袋を肉食花で受け止めたレイラは、そのまま袋ごとオーガロータスの実を噛み砕く。


「ふむ、終わったな」


「美月揚羽……将軍様」


 後始末を終え、すっかりデフォルト状態に戻った狩夜に、揚羽が歩み寄りながら声をかけた。狩夜の口から出た将軍様という言葉に苦笑いを浮かべつつ、揚羽は次のように言葉を続ける。


「おかげで助かった。礼を言う。そなたには、とても大きな……一生を費やしても返せぬほどの、大きな借りができてしまったな……これほどの恩、いったい余はどうやって報いればよいのか……」


「そんな大げさな。禁中に無断で足を踏み入れたことと、主殿の内装をめちゃくちゃにしちゃったことを不問にしてくれればそれで十分ですよ」


 できれば国境での一件と、宿屋での一件もなかったことにしたいが、狩夜と揚羽は今日が初対面。真央と揚羽は別人なのだ。将軍・美月揚羽の名誉を守るため、狩夜はついさっきそう言ってしまった。だから、それはできない。


 狩夜のこの言葉に、揚羽は困ったように眉をしかめた。次いで言う。


「そなたは本当に欲がないな。だが、それでは余の気が済まぬ。何かないのか? 余にできることならなんでもしよう。そなたのためなら、余はなんでも……」


 右手を胸に当てながら、真剣な表情で揚羽は言う。今度は狩夜が困った顔を浮かべる番だった。縋るような視線で見つめてくる揚羽に「何もありません」と言うのがまずいことは狩夜でもわかる。


 何かないかな――と、頭を悩ませること数秒。狩夜は右手で頬をかきながら、遠慮がちに口を動かした。


「それでは、その、将軍様にこのようなことを頼むのは大変心苦しいのですが、言伝と届け物をお願いします」


「言伝と届け物?」


「はい。あなたと同じ月読命流の免許皆伝の方に、真央という猫の獣人がいると思うのですが、ご存知ですよね?」


 狩夜の口から飛び出した『真央』の名前に揚羽の両肩が跳ねた。そして、恐る恐る言葉を返してくる。


「う、うむ。もちろん知っているが……」


「では、その人にこうお伝えください『僕は怒ってないから、気に病むな』と」


「あ……」


「それともう一つ『約束は一週間だ。あと二日残っているぞ。よほどのことがないかぎり、明日の昼までエーリヴァーガルの開拓者ギルドにいるから、時間があれば顔を出してくれ』と」


「……」


「で、これが届け物です。ちゃんと渡してくださいね?」


 こう言って、今にも泣き出しそうな顔をしている揚羽に対し、狩夜は右手を突き出した。


 その手には、バラによく似た美しい花が、廃坑から脱出した後に回収した、狩夜のパーティメンバーの証が握られている。


 揚羽は震える両手を伸ばし、その花を狩夜から受け取った。そして、豊かな胸に花を掻き抱きながら、感極まったように言う。


「うむ……うむ! 必ず……必ず伝えよう! そして届けよう! そなたの言葉を! この花を!」


 花を抱き締めながら、揚羽は笑った。


 ようやく見ることができた、揚羽の心からの笑顔。その笑顔を見つめながら、狩夜は胸中で、綺麗だな——と呟く。


 その、直後——


「遅参ご容赦! 鹿角衆、推参です!」


「同じく、美月家臣団推参なのですぞー!」


 正門の方から青葉と峰子の雄々しい叫び声が聞こえた。ほどなくして、完全武装した女武者たちと共に「カルマブディス・ロートパゴイ、覚悟~!!」と、禁園の中へと踏み込んでくる。


 そして——


『あれ?』


 祖国に仇なす謀反人、そのすべてがすでに禁園に倒れ伏しているのを見て、皆一様に目を丸くした。


 武器を構えたまま呆然と立ち尽くす青葉たちに向けて、狩夜は言う。


「あ、青葉君。お疲れ様。これにて一件落着です」


「ええ、もう終わっちゃたんですか!? それで、カルマブディス・ロートパゴイはいずこに!?」


「大丈夫。ほら、そこで寝てますよ。あ、ちゃんと青葉君の分まで僕が殴っておきましたから、ご安心を」


 倒れたまま動かないカルマブディスを指し示した後、右手を軽く掲げてみせる狩夜。青葉は、倒れているカルマブディスを一瞥した後に安堵の息を吐くと、盛大に両肩を落とした。


「よかった。これで一安心ですね。でも、結局汚名返上はできなかったなぁ……此度の一件は鹿角家の名折れです……後で絶対姉に怒られる……」


「それは……なんというか、その……頑張ってください」


 怒った紅葉の恐ろしさをよく知る狩夜は、青葉の心中と今後の展開を察し、顔を青くした。


 そんな狩夜と青葉の横では、峰子が両目に涙を浮かべつつ、揚羽に駆け寄っていく。


「公方様~! ご無事で何よりなのですぞ~!」


「遅いぞ峰子。だが許す、よいところに来た。将軍・美月揚羽が家臣団に命ずる! 謀反人どもをひっ捕らえ、一人残らず投獄せよ! 帝の住居たる禁中をこれ以上穢すことまかりならぬ! 急げ!」


『御意!』


 先ほどまでの乙女の表情はどこへやら、狩夜から受け取った花を懐に隠した後、揚羽はフヴェルゲルミル帝国の将軍として、眼前の家臣団に命令を飛ばす。


 敬愛する将軍からの命を受け、呆けていた女武者たちは即座に我に返り、きびきびと動き出した。


 周囲で女武者たちがカルマブディスとその仲間たちを手際よく縛り上げ、連行していくなか、峰子だけが「公方様~! お役に立てず申し訳ないのですぞ~!」と、涙ながらに揚羽に抱きついている。


「ええい、離れよ峰子! 指揮の邪魔じゃ!」


 口では迷惑そうにこう言うが、決して力尽くで峰子を引きはがそうとはしない揚羽。そんな微笑ましい主従のやり取りを、狩夜がなんとなく見つめていると、再び青葉が話しかけてくる。


「狩夜殿、これをお返しいたします」


 この言葉と共に狩夜に向けて差し出された青葉の両手には、一時的に預けていたマタギ鉈の姿があった。狩夜は「ちゃんと持っててくれたんですね。ありがとうございます」と右手を伸ばし、マタギ鉈を受け取る。


 受け取ったマタギ鉈を、早速腰に括りつける狩夜。そんな狩夜に向かって深々と頭を下げながら、青葉は改めて礼を述べる。


「叉鬼狩夜殿。此度の御助力、まことに感謝いたします。あなた様のおかげで、こうして国を謀反人の手から守り抜くことができました」


「気にしなくていいですよ。僕は僕で、降りかかる火の粉を払っただけですし。廃坑での怪物退治で、ちゃんと元も取りましたから」


 眠りにつき、白い部屋にいくのが楽しみだ——と、狩夜は笑う。一方の青葉は頭を下げたまま、次のように言葉を紡いだ。


「あの、ボク――じゃない、俺はその、今までいろいろと諦めていたと思うんです。自由なんてない。目標もない。薬の副作用で長くも生きられない。臆病で、泣き虫で、女人である姉や家臣たちに守られてばかりの、情けない男として一生を終えるのだと、冷めた目で世界を見ていました。でも、今回の一件で考えを改めたのです。なりたい目標が、できましたから」


 ここで一旦言葉を区切り、青葉は顔を上げた。そして、真剣な表情で狩夜の顔を真っ直ぐに見つめながら、次の様に言葉を続ける。


「俺もなれますか? あなたのような益荒男に」


「……」


 青葉の言葉に暫し絶句する狩夜。そして、僕みたいになりたいの? なんて奇特な子だ——と思いながら苦笑いを浮かべた。


 次いで言う。


「誰でもなれるよ」


「……はい!! 頑張ります!!」


 迷いのない表情で、青葉はこう叫び、力強く頷いた。

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