117・決着は人の手で

「私の計画が……闇の民の悲願が……おのれ……おのれぇ!」


 ワナワナと震えながら、親の仇を見るような目で狩夜を睨みつけるカルマブディス。そんな彼の言葉を聞き流しながら、狩夜は真っ直ぐに歩を進めつつ、こう口を動かした。


「レイラ、葉々斬の高速振動と、草薙への毒の供給をカット。ここから先は、僕一人にやらせてほしい」


「……?」


 この言葉に、狩夜の背中に張り付くレイラは「なんで?」と言いたげに首を傾げた。自身の戦力を大幅に低下させようとしている狩夜の指示。その真意を測りかねているらしい。


 レイラは狩夜と一緒に戦いたいらしく、葉々斬の高速振動も、草薙への毒の供給も止めようとはしなかった。そんなレイラに対し、狩夜は次のように言葉を続ける。


「カルマブディス・ロートパゴイは、ただの人間だ」


 そう、カルマブディス・ロートパゴイはただの人間である。そして、テイムした魔物もすでに息絶え、オーガロータスも、クリフォダイトも失い、大勢いた仲間ももはや立羽一人となっている。その最後の一人である立羽も、揚羽の相手をするためにカルマブディスのもとから離れた。


 もう彼は孤立無援であり、一対一で狩夜と戦う以外に選択肢は残されていない。


「僕がこれから戦う相手は、魔物でも、聖獣でもない。ましてや【厄災】でも【返礼】でもない。ソウルポイントで身体能力が強化されただけの、ただの人間だ」


 カルマブディスは、業に、種族の本能に突き動かされ、改革という道を選び、それを実現させようとした過程で狩夜と敵対することになっただけだ。


 命が狙われた以上、カルマブディス・ロートパゴイは叉鬼狩夜の敵である。それは間違いない。だが彼は、世界を滅ぼそうとしたわけじゃない。栄枯盛衰が人の世の常。改革と革命が人の性とするならば、カルマブディスはレイラの、世界の代行者たる勇者の敵ではないはずだ。


 だから――


「決着は、人の手でつけるべきだと思う。勇者きみはこの戦いに手を出すな!」


「……」


 この言葉を最後に狩夜が口の動きを止めると、レイラの方も葉々斬の高速振動と、草薙への毒の供給を止める。


 これで葉々斬も、草薙も、ただの剣。


 ここから先は、狩夜とカルマブディスだけの戦い。男と男の一騎打ちである。


 ——ありがとう。


 自らのわがままを聞いてくれた相棒に胸中で礼を述べた後、狩夜は二本の剣を構え直した。次いで、カルマブディス目掛け全力で駆け出す。


 開かれる戦端。かける言葉などない。叉鬼狩夜とカルマブディス・ロートパゴイの間には、戦いの前に言葉を交わすような因縁も、友誼もないのだから。


 狩夜が駆け出した瞬間、カルマブディスは主殿から禁園に降り立ち、右手を前に出した半身の構えを取った。前に突き出された彼の右手には、金属製のレイピアがいつの間にか握られている。


 禍々しい黒い刀身をしたそのレイピアは、全長一メートル超。意匠からして闇の民伝来の品だろう。


 険しい表情と共に繰り出される、カルマブディス渾身の刺突。自身の心臓目掛けて一直線に突き出されたその刺突を、左手の草薙で弾きながら狩夜は更に前進。今度はこっちの番だと、右手の葉々斬でカルマブディスに切りかかる。


 瞬間、カルマブディスが主殿から離れるように横に跳んだ。その体を葉々斬の間合いの外に置いた後、再び半身の体勢でレイピアを構え、その切っ先で狩夜を牽制してくる。洗練された無駄のない動き。どうやら細剣の心得があるようだ。


 狩夜が主殿を、カルマブディスが禁園を背負う形で、二人の攻防が一旦途切れる。そして、この攻防で狩夜は悟った。互いの身体能力はほぼ互角であると。


 カルマブディスの累積ソウルポイントはおおよそ六十万。対する狩夜の累積ソウルポイントは、今朝の時点でおおよそ八万五千。


 累積ソウルポイントでは七倍近い差があるが、相手はその大半を〔耐異常〕スキルの習得、向上に費やしている。基礎能力向上回数に大きな差はないはずだ。そして、敏捷重視の山型というのも、おそらく同じ。


 身体能力がほぼ互角の相手。そして、自身を一撃で殺傷しうる武器を前に、狩夜が取った行動は——


「おぉおおぉおぉ!」


 真っ向勝負。


 奈落の底で蛇の怪物を相手にしたときと同じく、狩夜は愚直に前に出た。


 狩夜に武術の心得などはない。あるのは、猟師である祖父からの教えと、魔物との殺し合いの中で培った生きるための術だけだ。対人戦の経験なんて数えるほど。相手の剣を見切るとか、フェイントの読みあいとか、そんな高等技術望むべくもない。


 前に出るしかない。走り続けるしかない。いつだって、凡人・叉鬼狩夜にできるのはそれだけだ。


 剣を握る両手に更なる力を込め、獣のごとくカルマブディスに切りかかる狩夜。それに対しカルマブディスは、刺突を繰り出しながら後ろに後退。


 狩夜が前に出た分、カルマブディスは下がる。攻めながら逃げる相手を、狩夜は追った。


 こちらから攻撃。かわされた。でもかまわず剣を振る。


 フェイントを混ぜた刺突がきた。すべて本物のつもりで叩き落とす。


 視線での思考の読みあいを挑まれた。つきあってやる義理はない。


 重心も、足さばきも、ペース配分も気にせず更に前に出た。素人丸出しの無様な剣だと、笑いたければ笑えばいい。


 引かない。引きたくない。この相手には絶対に。


 目の前にいるのは、ありえたかもしれない自分だから。


 これだけ剣を交えれば狩夜でもわかる。カルマブディスも先ほど倒した闇の民たちと同じく、実戦経験がほとんどない。細剣の心得はあれど、それはあくまで心得止まりだ。裕福な家庭に生まれた者の嗜みであり、もしもの時の護身術。


 カルマブディス・ロートパゴイ。彼は開拓者でも兵士でもない。医者であり、科学者なのだ。


 そんな彼は、謀略を張り巡らせることで他者を罠にはめ、危険を冒さずにソウルポイントを獲得してきた。自身は決して手を汚さず、常に安全な場所にいて、危険で血生臭い仕事は、仲間とテイムした魔物にやらせてきたに違いない。


 もしも狩夜が、強大な力を持つレイラに依存して、この世界で自堕落に、自由気ままに生きることを選んでいたら、こんな人間になっていたかもしれないのだ。


 この期に及んでただ時間を稼ぎ、立羽が揚羽を撃破して救援に駆け付けてくれることを期待するような、そんな男に。


 負けたくない。負けたくない。負けたくない。


 毎日のように魔物と、主と戦ってきた。


 幾度も死線を潜り抜けた。


 ―—ここで僕が負けたら……努力はいったい何のためにあるんだ!!


「かるま……さま……たしゅけ……て……」


 不意に、こんな声が聞こえた。どうやら向こうは決着がついたらしい。

 

 姉妹対決は揚羽が勝利したようだ。後は、狩夜がカルマブディスを倒せばすべてが終わる。


「役立たずが!!」

 

 揚羽の勝利を信じ、ただ前だけを見つめる狩夜とは対照的に、カルマブディスは憤怒の表情を浮かべた顔を横に向け、こう怒鳴った。次いで「アレはもうだめだ! 他に、他に何かないのか!?」とばかりに視線を周囲に巡らす。彼は、最後の最後まで自らの内にではなく、外に勝機を求めた。


 内ではなく、外。それが悪いというわけじゃない。それがカルマブディス・ロートパゴイの戦い方であり、処世術なのだろう。そのやり方で彼は成功を続け、巨万の富をなし、禁中の侍医長という、誰もが羨む地位を手に入れた。


 だが、今はそのやり方は通用しない。今だけは自分だけの力で、目の前の敵に立ち向かわなければ駄目なときだ。


 カルマブディスは、そのことがわかっていない。いや、わかってはいるのかもしれないが、彼は今までのやり方を変えられない。


 強者であるがゆえに、その強さを捨てられない。


 身体能力が互角でも、剣の心得がなくても、もう狩夜は、カルマブディスに負ける気はしなかった。


 そんなカルマブディスを、狩夜は無言で切りつけた。よそ見をしていたことが災いし、カルマブディスは大きく態勢を崩す。


「ふ……ふは! ふはは! ふはははははは! そうか、ここまでか! この私の才覚をもってしても、闇の民の悲願を成就させることは叶わぬか! よもや、こんななんの才能も感じさせない子供に、足元をすくわれるとは思わなんだぞ!」


 勝負の趨勢が決したことを悟ったのか、高らかに笑った後、何やら語り始めるカルマブディス。そんな彼の言葉を無視し、狩夜は一歩前へと足を踏み出し、右手の葉々斬でカルマブディスを切り付ける。


 レイピアを盾にして、狩夜の斬撃を防ぐカルマブディスだったが、これにより更に態勢が崩れた。


「この国の王となり、私なりのやり方でこの国を救おうと思ったのだがな! そうか! 民は、時代は、それを望まないか! ならば仕方ない! 私はこの舞台から降りるとしよう!」


 己が胸の内を吐露し、信念の一端を口にするカルマブディス。だが狩夜はそれを無視し、更に一歩前に足を踏み出した。今度は左手の草薙を、下から上へと切り上げる。


 これもどうにか防いでみせるカルマブディスだったが、崩れた体勢では力が入らなかったのだろう。レイピアが右手から離れ、宙を舞う。


 相手が丸腰になったのを見て取り、狩夜は右手の葉々斬を、自らを意思で手放した。そして、空手になったその手を、全力で握り締める。


「だがな、私をここで倒しても、この国は何も変わらんぞ! いずれ第二、第三の私が現れる! 今この国に必要なのは改革だ! その改革が、第三者である貴様の介入で防がれたのだ! それを無責任だとは思わないのか!? 答えろ叉鬼狩夜! 貴様はどのような理念と理想を持ち、この私を——」


 カルマブディスのこの言葉を、狩夜はやはり無視した。そして、更に一歩。禁園の地面が陥没するほどに力強く足を前に踏み出し、それと連動して、右の握り拳を豪快に振りかぶる。


「たとえどんな理由があろうと——」


 言葉を区切ると共に、刹那の溜め。その後、狩夜は自らの全身全霊を右拳に込め、カルマブディスの顔面目掛け突き出した。死に体のカルマブディスに、これを避ける術はない。


 そして、インパクトの瞬間に狩夜は叫ぶ。敵であるカルマブディスに対し、どうしても言ってやりたかった、この言葉を。


「医者が患者を裏切ってんじゃねえぞクソ野郎!!!!」


 かつて医者を目指した者として、病身の妹を持つ者として、有らん限りの声でこう叫んだ直後、狩夜の右拳がカルマブディスの顔面に突き刺さった。


 相手の頬骨と鼻骨を砕く感触が右手に走るが、狩夜はかまわず右手を振り抜き、殴り飛ばす。


 鼻孔から血を撒き散らしながら、カルマブディスは飛んだ。そして、数秒間の空の旅を楽しんだ後、禁園の上を豪快に転がる。


 ほどなくして殴り飛ばされた勢いはなくなり、動きを止めるカルマブディス。立ち上がる気配は——ない。


 勝者として敗者を見下ろしながら、カルマブディスにではなく、ありえたかもしれない自分に向けて、狩夜は言う。


「なんてこった、マジで弱いぞ。潜った修羅場の数で、随分と差がつくものなんだな……これからも頑張ろう」


 今までやってきたことは無駄ではなかったと実感し、珍しく努力が報われた気がした狩夜であった。

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