115・美月立羽

「姉上。カルマブディス・ロートパゴイはもう終わりじゃ。実の姉に手荒な真似はしたくない。大人しく縛につき、罪を償え」


 歩きながらされたこの降伏勧告に、立羽は何かを諦めた様に溜息を吐いた。次いで言う。


「いつもいつもわたくしの邪魔ばかりして、本当に目障りな子……あなたなんて、始めからいなければ良かったのに……」


 この言葉と共に主殿を下り、足袋をはいた自らの足で禁園を踏みしめる立羽。その手には、主殿の中に飾られていた刀の姿がある。


 立羽は、カルマブディスの方に歩いていく狩夜にどこか遠いものを見るような視線を向けた後、次の様に言葉を続けた。


「旦那様……ね。挙式もまだなのに、もう正妻気取り? 気に入らないわね。その手の話は、まず長女であるわたくしに持ってくるのが筋でしょうに。あなた達が私を除け者にしたせいで、カルマ様の完璧な計画が台無しよ。事前にあの男の存在を知っていれば、他にやりようもあったのに……」


 口の動きを止めると同時に、立羽は右手で柄を握り締め、淀みのないすべらかな動作でゆっくりと抜刀。鞘から解き放たれた一目で名刀とわかる美しい刀身が、月明りを受け輝いた。


 降伏はしないという立羽からの意思表示に、揚羽はやむなく刀を構え直す。そして、立羽の構えを一目見た直後、訝し気に目を細めた。


「早とちりしないでほしいのじゃが、狩夜の正妻筆頭候補として名が挙がったのは、余でも姉上でもなく、四女の紋白である。余は辞退し、姉上と三女の木ノ葉このはは、純血でないという理由で除外されたからな。それに、姉上には別の大役があったであろうに」


「大役? それって……実の父親である帝とまぐわい、国のために子供を作ることかしら!?」


 返答を途中で怒声へと変え、立羽は地面を蹴った。


 怒声と共に大上段から放たれる神速の斬り下ろし。揚羽はそれを紙一重でかわすが、返す刀で繰り出された切り上げは避けることができず、自らの刀で受け流すこととなった。


「余も、姉上も、帝の娘などではない!」


 刀と刀とがぶつかり、甲高い金属音と火花が上がるなか、揚羽は叫ぶ。その表情に、カルマブディスの仲間たちと戦っていたときの余裕はない。そんな揚羽に無数の斬撃を見舞いながら、立羽はなおも口を動かした。


「法の上ではでしょう!? 今の帝国の法律では、月の民どうしの交わりで生まれた子供は、男子でなければ父方の子供だと認知されないものね!」


「そう、ゆえに我ら四姉妹に父親はおらず、帝位継承権もない!」


「それでも帝は、あの人は、わたくしたち姉妹の父親なのよ! 法律なんていう建前じゃごまかしきれない血の繋がりが、わたくしたちとあの人の間にはあるのよ! なのになぜわたくしが、父親とまぐわうという禁忌を犯してまで欲しくもない子供を作り、お腹を痛めてまで産み落とさなければならないの!?」


 やりきれない思いと共に放たれた、立羽渾身の横薙ぎ。それを揚羽は、兎のごとく後方に跳躍することでどうにかかわした。間合が大きく開いたことで、連綿と続いていた攻防が一旦途切れる。


 体制を整えつつ、自らを押し返した姉に向けて、揚羽は言った。


「ふむ、貴人の剣しか振るえぬと言われた姉上が、随分と腕を上げた——と言いたいが、構えも、太刀筋も、月読命流とはまるで違う。この剣術はまさか……」


「ええ、御察しの通り〔長剣〕スキルよ。Lv9のね。身体能力もサウザンドにまで上げてあるわ」


 得意げに返されたこの言葉に、揚羽は顔を歪めて忌避感を露わにした。次いで言う。


「伝統ある月読命流を捨て、魔物の剣技に走るとはな。それでも将軍家の、三代目勇者の血を最も色濃く受け継ぐ、美月家の人間か?」


「その伝統も、わたくしが壊したいものの一つなのよ。それに、勤勉な天才であるあなたに剣で勝つには、これしか方法がなかった……いえ、勝ててはいないわね。先ほどの攻防は互角だったもの。先の乱戦では、テンサウザンドの身体能力を持つ人間を簡単にあしらって見せるし……あなた、自分がどれほど特異な存在だかわかってる? 美月揚羽という人間は、六十万ものソウルポイントで強化された人間よりも、生身のままで強くあるのよ? そしてわかる? あなたみたいな化け物じみた妹を持ち、常に比べられる姉の気持ちが?」


「……」


「本当に、いつからかしらね。実の妹であるあなたのことを、疎ましく思うようになったのは……わたくしは以前、確かにあなたのことを愛していたのに……」


 先ほど狩夜に向けたどこか遠くを見る様な視線を、今度は揚羽に向ける立羽。そして、過去を懐かしむように口を動かし続ける。


「今でも思い出すわ。あなたが生まれた日のことを。日に日に大きくなる母のお腹を見つめ、優しくさすりながら、男の子かな? 女の子かな? と、わたくしは指折り数えてあなたが生まれるときを待ち続けたわ。腹違いの妹ならすでにたくさんいたけれど、同じ両親から生まれた家族は特別だもの」


「……そうか」


「そして、あの日がやってきた。襖越しに聞こえた産声に、わたくしは部屋の中へと駆け込んだの。目に映ったのは、雪の様に白い肌を持つ生まれたての女の子。血を分けた愛しい妹の姿に、わたくしは歓喜に打ち震えたわ」


「……」


「姉としてこの子を守っていこう。心からそう思ったわ。その決意を確固たるものにしようと、わたくしは両手を伸ばして生まれたてのあなたを抱こうとしたの。そのときよ、あの言葉を聞いたのは」


 虚ろだった瞳を怒りと憎悪に燃やし、自虐的な笑みを浮かべる立羽。揚羽は何も言わず、剣を油断なく構えながら次の言葉を待つ。


「『なんだ女か』 実の姉であるわたくしと、出産で消耗しきった母の目の前で、あの種の枯れた老害どもは、落胆し切った顔でそう言ったのよ!! わたくしの愛する妹に向かってね!!」


 今は亡き家老たちの姿を思い浮かべでもしたのか、僅かに顔を顰める揚羽。そんな彼女に向けて、立羽は更に言う。


「揚羽、あなたも聞いたことがあるでしょう!? 木ノ葉のときも、紋白のときも、あいつらは言ったもの! そしてきっと、わたくしが生まれたときにもね! 四度帝の子供を妊娠したにもかかわらず皇后になれなかった母は、役立たずと陰口を叩かれるしまつ! この国はそういう国よ! そんな国を壊したいと思って、いったい何が悪いと言うの!?」


 叫ぶと同時に立羽は大地を蹴り、揚羽との距離を瞬く間に詰めた。そして、最大値まで上昇させた〔長剣〕スキルの力を遺憾なく発揮し、揚羽を攻め立てる。


「母と妹を心無い言葉から守るため、わたくしが将軍になってこの国を変えようと努力していた頃もあった! 次期将軍になるために、女でも将軍になれるように、毎日木刀を振るい、書を読み漁り、礼儀作法を学んだわ! だけど、そんなわたくしの前にあなたが、守りたいと思った実の妹が立ち塞がった!」


 上から、下から、左右から、縦横無尽に剣を振るい、ときに虚実を混ぜ、緩急をつける。カルマブディスの仲間たちとは明らかに違う、戦いを、殺し合いを知る者の動きだ。立羽はサウザンドの身体能力を見事に使いこなしている。スキルに振り回されている様子もない。


 技量に大きな差がなければ、身体能力がものを言う。揚羽はたちまち防戦一方となった。


「武士としても、為政者としても、あなたは天才だった! そして、その才能に溺れることなく、誰よりも努力した! あなたは年齢差も、次女という立場もものともせずに、たちまちわたくしに追いつき、追い抜いていったわ! 最年少で月読命流の皆伝となったあなたは、先帝が逝去し、将軍であった父が帝になると同時に、歴代初めての女将軍という高みに上り詰めた! その瞬間、わたくしは諦めたのよ! わたくしではあなたにかなわない! 正攻法ではこの国は変えられない!」


「だからカルマブディスに取り入ったのか!?」


「そうよ! この体、知識、将軍家長女という立場、使えるものはなんだって使って、やれることは何でもやって、必死にカルマ様に媚び諂ったわ! そして、カルマ様と過ごす時間の中に、優秀な男につき従い、組み伏せられ、蹂躙される女の幸せを見い出したのよ!」


「それは遊女の幸せであろうが!」


「それの何がいけないの!? 父親との月に一度のまぐわいも、男子として産んであげられなくてごめんねと母から謝れるのも、優秀すぎるあなたと比べられ続ける毎日も、もうわたくしは耐えられない! 壊してやるわ、こんな国! そして一から造り直すの! わたくしとカルマ様の二人でね!」


 立羽はこう叫びながら力強く前に出た。そして、渾身の力で下段から刀を切り上げる。


 ここで退けば負けるとばかりに、揚羽もまた前に出た。右手で持った刀を振り下ろし、立羽の切り上げを迎え撃つ。


 刀と刀が真正面からぶつかり、幾度目とも知れぬ金属音が禁中に響いた。そして、それと同時に一本の刀が持ち主の手から離れ、宙を舞う。


 手から刀が離れたのは——美月揚羽の方だった。

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