114・魔草三剣・草薙
細長い
レイラの背中から飛び出し、狩夜の左手の中に納まった木製の柄。そこから芽吹くように飛び出した
被子植物
狩夜の左手に納まった柄は葉々斬とほぼ同じ形状で、やはり柄頭からは蔓が伸び、レイラの背中へと繋がっている。その柄と刀身を合わせた長さは、おおよそ成人男性の拳十個分。
魔草三剣・草薙。
須佐之男が八岐大蛇を退治したとき、その尾から見つかったとされる神剣、
天叢雲も、柊も、共に邪気を払う力があるとされているが、これは魔草三剣。狩夜が考案し、マンドラゴラであるレイラが完成させたこの武器に宿る力は、それらとは似ても似つかない凶悪なものだ。
―—人間相手にはあまり使いたくないけど、葉々斬だけじゃ殺しちゃうしな。
狩夜が胸中でこう呟くと、草薙の刀身に変化が起きた。白だった主脈の色が、柄と繫がる部分から先端に向けて、徐々に紫へと変化していく。
主脈から側脈へ。側脈から細脈へ。ほどなくしてすべての葉脈が紫色となる。直後、刀身全体に紫色の水滴ができはじめた。七本の鋭鋸歯にいたっては、今にも滴り落ちそうな大粒の水滴ができている。
草薙の攻撃準備が整うのとほぼ同時に、狩夜の足が禁園を踏みしめる。そして、それを待っていたとばかりに狩夜を包囲していた闇の民の女たちが、長柄の槍を一斉に突き出してきた。
自身に向かって殺到する無数の槍の穂先。普通の人間なら為す術もなく串刺しだろうが、狩夜は槍が突き出される速度よりも何倍も速く動き、すべての槍を容易にかわして見せた。
彼女らはカルマブディスの仲間ではあるが、側近の男たちと違いソウルポイントの強化を受けていない普通の人間である。今の狩夜の敵ではない。
狩夜の姿を見失って慌てふためく彼女らの間を縫うように走り抜けながら、狩夜は左手の草薙を振るい、露出過多なその体を切りつける。
「痛い! って、え? これだけ?」
草薙で切られた闇の民の女たち。その一人が、自らの体に刻まれた髪の毛ほどの傷を見つめながら呆気にとられたように口を動かす。
皮膚は裂け、血が出ているが——それだけだ。ものの数日で痕も残らずに完治するだろう。
庭木の柊に体を引っ掻けたぐらいの痛み、そして傷。それを彼女らに与えた後、もう用はないとばかりに狩夜は駆け出し、禁園の中央にいる揚羽の元へと向かう。
その後ろ姿を見つめながら、闇の民の女は激昂した。
「あのガキ! 私たちが女だからって馬鹿にして! 追うわよ皆! あの男を亡き者にし、美月揚羽を捕らえる以外に、私たちが生きる道はないわ!」
こう叫び、憤怒の形相で狩夜を追いかけようとする闇の民の女たち。だが——
「あ……れ?」
足を前に踏み出した直後、突然力が抜けたように膝が折れ、腹這いに転倒。全員そのまま禁園の端で動かなくなった。
次に狩夜の前に立ち塞がったのは、カルマブディスの側近である闇の民の男たちである。その先頭に立つ一番大柄な男——事前情報からして、牡丹の攻撃の直撃に耐えたという男――が、狩夜を睨みつけながら次のように叫んだ。
「これ以上先にはいかさんぞ!」
大柄な男は、野太い腕で鯨骨製の斧を豪快に振りかぶり、狩夜に向かって躊躇なく振り下ろしてきた。殺意のこもった斧の軌道から体を逃がしつつ、狩夜は右手の葉々斬でその斧を迎え撃つ。
斧と葉々斬が接触した次の瞬間、回転鋸を鉄板に押しつけたような音と共に、鯨骨製の斧が上下に真っ二つになった。
「嘘……だろ?」
葉々斬のあまりに切れ味に度胆を抜かれたのか、目を丸くして一瞬動きを止める大柄な男。狩夜はその隙を見逃すことなく、左の草薙で男の腕を切りつけた。
「ぐう!?」
右腕を切られ苦痛の声を漏らす大柄な男。だが、すぐに笑みを浮かべた。狩夜につけられた腕の傷が、致命傷にはほど遠い小さいものだったからである。
先ほどのような隙は二度と見せん。勝負はこれからだ——と言わんばかりに、半分になった斧を再び豪快に振りかぶる大柄な男。しかし、斧を振りかぶる途中で足がもつれ、回転しながらド派手に転倒。転倒する途中で斧が手からすっぽ抜け、大柄な男の後ろで狩夜を攻撃するタイミングをうかがっていた男の一人に直撃する。
主力であったであろう大柄な男があっさり敗北したことと、同士討ち同然の思わぬ被害に動揺したのか、動きを止めて隙だらけとなる闇の民の男たち。先ほどの女たちといい、この男たちといい、どうやら実戦経験がほとんどないようだ。まあ、揚羽たち国の上層部と、矢萩たち猪牙忍軍にクーデターを悟られぬよう、ずっと一般人として生活してきたのだから、それも当然である。
そんな、ソウルポイントによる身体能力強化に頼り切りの素人集団に向けて、狩夜は草薙を振るい続けた。草薙によって傷をつけられた者は、例外なく地面を転がり、即座に無力化される。
ほどなくして——
「初めまして、美月揚羽将軍」
「ああ、初めまして。叉鬼狩夜殿」
狩夜は無事揚羽と合流。互いの死角を守るように、背中合わせに戦場の中央を陣取った。
二人の周囲には、揚羽を捕らえようとして返り討ちにあったカルマブディスの仲間たちが横たわっている。戦闘経験が乏しいもぐりとはいえ、何人かはテンサウザンドの開拓者であったはずだ。それが、数人がかりでこの結果。一体どれほどの技量差があれば、ソウルポイントで身体能力を強化していない人間が、テンサウザンドの開拓者をこうも容易く撃退できるというのだろう?
狩夜は念には念だと、草薙を地面に対して水平に一閃。刀身から紫色の液体を周囲に振りまき、倒れている者たちに浴びせかけた。これで二度と立ち上がりはしないだろう。
「その奇妙な左手の武器……毒か?」
「はい」
背中越しにされた揚羽からの問いに、狩夜は簡潔に答える。
そう、草薙に宿る力は毒。自由に動き回ることのできない植物が、数多の捕食者から身を守るために体内で生成する弱者の牙だ。
アルカロイド。
窒素原子を含み、ほとんどの場合塩基性を示す天然由来の有機化合物の総称。近似種を含め、約数千もの種類があるとされており、植物に含まれる毒は、このアルカロイド類がほとんどである。
マンドラゴラであり、世界樹の種を内包するレイラが生成したアルカロイド、すなわち毒の威力は、強力かつ凶悪。触れただけでも危険であり、眼球などの粘膜や傷口、七つある鋭鋸歯から直接体内に入り込もうものなら、即座に効力を発揮し、生命活動を脅かす。
草薙は、レイラが生成した毒を葉脈を通して刀身全体に行き渡らせ、攻撃と同時に任意のバットステータスを対象に付与することができる。その種類は、致死性の超猛毒から、睡眠、幻惑、麻痺、興奮、鎮静、魅了、嘔吐、下痢、呼吸困難と多種多様。ありとあらゆる毒を状況に応じて使い分けることが可能だ。
植物であるレイラだからこそ完成させることができた、状態異常攻撃に特化した魔剣。それが草薙の正体である。
葉々斬が、レイラの攻撃力を狩夜に譲渡するための武器とするならば、草薙は、レイラの状態異常攻撃能力を狩夜に譲渡するための武器と言えるだろう。そして、多種多様な状態異常攻撃こそが、レイラの――マンドラゴラの本領だ。
右手に葉々斬。左手に草薙。これが、現状における叉鬼狩夜の
「殺したのか? 心の臓は……まだ動いているようだが」
「まさか。使った毒は筋弛緩系です。一週間ぐらいで動けるようになりますよ。全員生け捕りにして、御奉行様の名裁きに期待ってところですかね」
「ふむ、わかった。余の口から伝えておこう。で、もう一つ聞きたいのだが……それほどの力、なぜ普段は使わない?」
「修行です。こんなの普段から使っていたら堕落しますよ。僕は強くなりたいのであって、目先の勝利が欲しいわけじゃありません」
「はは! 良いな! ますます気に入った!」
この言葉を合図に、狩夜と揚羽は同時に地面を蹴った。
狩夜の次なる標的は、先ほどまでの一団とはどこか雰囲気の違う闇の民の男たちである。全員がどことなく知的な印象で、カルマブディスとおそろいの白衣を身に着けていた。
その先頭に立つ細身の男――事前情報からして、矢萩の苦無に塗ってあった毒を無効化したという男――が、狩夜を見つめながら口を動かす。
「毒を使うとはなんと卑怯な男なのでしょう! だが残念でしたね! 我々化学班はカルマ様と同じくLv9の〔対異常〕スキルを全員が習得している! 状態異常攻撃は効かな――」
「そっちが先に毒使っといて、どの口がそれを言う!」
狩夜は細身の男の言葉を最後まで聞くことなくこう叫び、自称化学班の男たちの中に正面から突撃した。
Lv9の〔対異常〕スキルを習得しているということは、身体能力はテンサウザンドではなくサウザンド止まり。先ほどの大柄な男たちよりもよほどやり易い。
狩夜は草薙を縦横無尽に振るいながら走り続け、一秒と時間をかけずに白衣の群れの中を駆け抜けた。
そして——
「馬鹿な……我々に、状態異常攻撃が……効くはず……」
細身の男のこの言葉を合図にしたかのように、化学班全員が一斉に倒れ、そのまま動かなくなった。狩夜は後ろを振り返った後、細身の男を見下ろしながら言う。
「つまり、レイラの毒は〔対異常〕スキルじゃ防げないってことですね。貴重な情報をどうもありがとうございます。さて、将軍様のほうは——」
「ぶぎゃあ!」
「……うわぁ、痛そう」
化学班を全滅させた狩夜が揚羽の方に視線を向けると、黒曜石のナイフ片手に揚羽に突撃していったチンピラ風の男が、股間にカウンターで蹴りをもらい、口から泡を吐いて悶絶している光景が目に飛び込んできた。
ソウルポイントでどれほど身体能力を強化しても、睾丸が男子最大の急所であることは変わらない。地獄の苦しみを味わっている最中であろうチンピラ風の男に向けて、揚羽は言う。
「これは、余に無礼を働いたことと、余の優秀な臣下を猪豚呼ばわりしたことへの仕置きである。刀が怖いのがわかるが、そちらに意識を向け過ぎじゃな。それと、そなたの動きは単調にすぎる。あれでは、相手が余でなくとも次に何をしようとしているか悟られるぞ」
股間を両手で抑えながら悶絶している男にこう助言をした後、揚羽は刀を返しながら上段に構え、峰打ちでチンピラ風の男の頭を強打し、その意識を刈り取った。そんな揚羽に向けて、立羽が次の様に怒鳴る。
「揚羽! あなた、決して抵抗しないというわたくしとの約束を反故にするつもり!? あのときの言葉は嘘だったの!? 武士に二言は許されないわよ!?」
「勉強不足じゃな姉上! 教育係から教わらなかったのか!? 武士の嘘は嘘ではない、武略である!」
「なぁ!? あなた将軍でしょう!? それが武士の頂点に立つ者のすること!?」
「はは、まったくじゃ! じゃが安心せよ! 余は此度の騒動の責任を取り、後日自ら将軍職を辞する! この帝国に仇なす謀反人どもを根切りにした後でな!」
立羽と会話しつつも揚羽は刀を振り続けた。月光の下で迷いなく刀を振るうその姿は勇ましく、背筋が振るえるほどに美しい。
血しぶきすら自らを彩る花に変え、揚羽は禁園を舞った。その名の如く、蝶のように。
そして——
「ふむ、青葉や峰子らの出る幕はなかったか」
いつの間にか、カルマブディスの仲間は誰一人として立ってはいなかった。今、この禁園の中で動ける人間は、狩夜と揚羽、カルマブディスと立羽の四人だけである。
「いよいよ終幕じゃな。狩夜よ、余は身内の恥をすすがなければならぬ。カルマブディスの相手を頼めるか?」
実の姉である立羽を真っ直ぐに見つめながら言う揚羽。その言葉に、狩夜もまたカルマブディスを真っ直ぐに見つめながら答える。
「かまいませんよ。女性を相手にするよりも気が楽です。それに、個人的にあいつにはちょっとムカついてるんですよね。一発殴らなきゃ気が収まりません」
「一発と言わず何発でも殴るがよいぞ。将軍である余が許そう。では、また後でな。旦那様」
「はい、また後で——って、旦那様って何!?」
こう言葉を交わした後、狩夜と揚羽は自らが倒すべき相手に向けて歩を進める。その歩みを止められる者は、もはや誰もいなかった。
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