112・業
「ようこそ禁中へ。歓迎しよう、美月揚羽将軍」
正門を潜り、禁中の主殿、その庭先へと足を踏み入れた揚羽を、立羽と共に
ギョッルから舟でフヴェルゲルミル川を下ること半日。すでに日は落ち、周囲には夜の帳が落ちている。だが、夜闇を苦にする者はこの場にいない。月の民と闇の民である彼らの目には、昼間と変わらぬように周囲の光景が映っていることだろう。
生来の〔暗視〕スキルが宿ったその瞳で、揚羽は御簾の先を、主殿の中に坐するとある人物を見つめた。
帝。
フヴェルゲルミル帝国の頂点にして、絶対の主。そして、あと二人しかいない月の民の男性、その片割れでもある。
御簾越しであるため表情はわからないが、その首は力なく曲がり、背筋はまったく伸びていない。正常な状態でないのは誰の目にも明らかだ。
今にも倒れてしまいそうな様子だが、帝は御簾の先で座り続けている。おそらく、背中と服の間につっかえ棒でも入れて、無理矢理あの場に座らされているのだろう。
そうまでして帝を引っ張り出したことといい、揚羽をすぐに始末せずに禁中まで運んだことといい、どうやらカルマブディスは、美月揚羽は帝による正式な裁きによって死んだという状況を、形式の上だけでも演出したいようだ。
帝の正面に位置する場所で足を止めた揚羽は、この後自分がどうなるのかを悟ったらしく、小さく溜息を吐く。そんな揚羽に向けて、立羽は言った。
「そこな罪人、帝の御前です。平伏なさい」
「断る。将軍たる余が平伏を是とする相手は、月精霊ルナと世界樹の三女神を除けば、忠誠を誓った帝のみである」
「その帝の御前だと言っているのですよ?」
「否。そこにおわすは帝であって帝にあらず。それがわかった以上、今この場で頭を下げる道理なし。どうしても言うのであれば、そなたの口からではなく、帝の口から直接余にそれを命じさせるのじゃな。もっとも、今の帝がまともに口を利けるとは思わぬが」
「……相も変わらず口が達者ね。息災なようで安心したわよ、揚羽」
「姉上こそ、お元気そうでなにより」
皮肉たっぷりに挨拶を交わす姉妹。その顔は双方共に笑顔であった。
人質を取られた上に、周囲を敵に囲まれ、味方は一人もいない。そんな状況でも、揚羽はさも当然のように笑って見せた。その笑顔を維持したまま、揚羽は次のように言葉を続ける。
「それで姉上? 先ほど姉上は、余を罪人と呼んだな? 将軍たる余をなぜそう呼ぶのか、良ければ教えてもらいたい。余はいったい、どのような理由で帝に裁かれ、これから死ぬことになるのであろうか?」
「将軍・美月揚羽。あなたには、異世界人・叉鬼狩夜の占有疑惑と、彼を旗頭とした国家転覆疑惑がかけられています。あなたは、その体を使って異世界人を誑し込み、都合の良い先入観を植え付け、己が利益のために利用しようとしました」
この物言いに、揚羽が初めて嫌悪感を露わにした。笑みを消し、溢れんばかりの怒りを視線に乗せ、立羽を睨みつける。
「余、自らの手で狩夜を殺させておいて、よくもまあそのような出任せを……」
「なんとでもお言いなさい。それを知った帝は異世界人を危険視し、惜しみつつも処断。生きたまま捉えることに成功したあなたには、その責任を取って腹を召すようお命じになられたのです。あなたの亡き後、将軍職は不肖ながらこのわたくし、美月立羽が引き継ぐこととなりましょう」
「救国の希望たる異世界人を利用し、あまつさえ死なせたとあっては、余の人気は瞬く間に地に落ちよう。その後、なぜか帝と青葉が体調を崩すのじゃろう? 理由は——そうさな、心から信頼していた将軍に裏切られた心労といったところか?」
「話が早くて助かるわ。まず青葉が死に、己が死期を悟った帝は、懇意にしていたわたくしを正妻とすることを条件に、自身が最も信頼する闇の民の男性、禁中の侍医長であるカルマブディス・ロートパゴイを帝位につける。そして、帝国の統治を月の民から闇の民に正式に譲渡した後で、月の民の不平不満を一身に背負いながら、帝は息を引き取るのよ」
「茶番じゃな」
「その茶番を演じるのが、わたくしたち人の上に立つ者の仕事ではなくて?」
「違いない。余は罪人として、この場で腹を召せばよいのじゃな?」
「そうよ」
「そうか、わかった。ならば手早く済ませよう。短刀はどこにある?」
「せっかちね、その前に身支度でしょうに。妹の最後なのだもの、それくらいの時間はあげるわよ。死に装束だってちゃんと――」
「いらん。沐浴も、湯漬けも、酒も不要。抵抗も、命乞いも、決してしないと約束する。じゃから、妹にかける情けがあると言うのであれば、死に装束ではなくこの姿のまま死ぬことを許してほしい。狩夜から貰ったこの服を纏いながら死に、死後の世界で詫びたいのじゃ。すまなかった――と。何より時間が惜しい。狩夜は異世界人で、余は月の民。死後に向かう世界は、きっと別の場所となろう。急がなければ、死後に言葉を交わすことすらできなくなる」
「……」
「頼む。姉上」
「よいでしょう。皆の者、すぐに準備を始めなさい!」
立羽のこの言葉を聞き、幾人かの闇の民の女性がすぐに動き出した。事前に用意していたと思しき道具一式を引っ張り出し、将軍が腹を切るに相応しい場所を、禁中の庭に構築していく。
自らの死に場所が造られていくその光景を、真っ直ぐに見つめ続ける揚羽。そして、視線をそこから一切動かすことなく、次のように口を動かす。
「カルマブディス・ロートパゴイ。冥途の土産じゃ、教えよ。なぜこのようなまねをしでかした。医者として数多くの功績を残し、禁中の侍医長にまで上り詰めたそなたが、なぜ帝を……この国を裏切った? 余も、そして帝も、そなたのことを信頼していたというのに」
「……
御簾の前で揚羽と同じように庭を見つめながら、カルマブディスは言う。その業とやらに興味が湧いたのか、揚羽はカルマブディスに続きを促した。
「ほう? 業とな? 興味深い、続けよ」
「揚羽! あなたは、この国の新しい王となられるカルマ様に向かって、何という口の利き方を——」
「いい。黙っていろ立羽。美月揚羽、お前は【厄災】以前、どうして闇の民が王一人を除いて全員女の姿になっていたか、その理由を知っているか?」
「他国の財貨と、子供が生まれる機会を掠め取り、自国の利益へと転化するためであろう? お主らの祖先は、それを理由に他種族から拒絶されたがゆえに、唯一悪感情を持っていなかった月の民に泣きついたのであろうが」
「それは事実ではあるが、すべてではないな。闇の民の男は総じて支配欲が強く、基本的に人の下につくことを嫌うものなんだよ。王以外が女の姿でいるのは、いらぬ争いを避けるためでもある。人口の半分が王を目指せば、国は立ちゆかぬだろう? それゆえに、王は自分以外の男の存在を許さないのだ」
「ほう、それは初耳だな。生まれながらに王を目指す宿命を背負う――か。それが、貴様の言う業とやらの正体か?」
「そうだ。そして、【厄災】によってメタモルフォーゼが失われた我ら闇の民には、その業から逃れる術はない。自らの国を持ち、王となる。それは、闇の民の男ならば誰もが抱く野望にして、数千年来の悲願なのだ」
「ふむ、なるほどな……しかし、そなたら闇の民は、その業とやらとうまいこと折り合いをつけ、我ら月の民と、それこそ数千年もの間互いに助け合い、仲良くやってきたではないか?」
「それは、過去の時代を生きた同胞に力がなかっただけだ。我ら闇の民は、確かに刹那的で自堕落な者が多いが、勝てもしない相手に無謀な戦いを挑み、滅ぶことを選ぶほど愚かじゃない」
ここでカルマブディスは一端言葉を区切り、視線を背後へと向けた。そして、御簾越しに帝の姿を見つめながら、次のように言葉を続ける
「それに、幸か不幸か、歴代の帝は総じて優秀だった。先ほど語った業は、自分よりも優秀だと素直に認められる男が上にいるならば、さほど強く作用しないんだよ。それは私も例外じゃない。禁中の侍医長として近くで見ていたんだ、わかるさ。今、御簾を挟んで私の後ろにいるのは凄い男だよ。だから忠勤を尽くした。仕事はやりがいがあったし、給与や待遇にはなんの不満もなかった」
「ならば、なぜ――」
「切っ掛けはお前だよ、美月揚羽将軍」
「なんじゃと?」
カルマブディスの言葉に、揚羽は目を丸くした。そして、視線をカルマブディスの方へと向けながら、言う。
「そなたに反意を抱かせ、国家転覆まで決意させるほどのことを、余はしてしまったと言うのか? すまぬが心当たりがない。教えよ。余が一体何をした?」
「別段何もしちゃいないさ。美月揚羽という個人に対して、私はなんの恨みもない。問題だったのは、お前の性別だよ。女が将軍職につき、我ら闇の民の上に立った。それが全ての始まりであり、原因だ」
「余の……性別じゃと?」
「これは私も——いや、闇の民すべての男がつい最近知ったことだろうが、先ほど語った業は、女が我らの上に立ったときにもっとも強く作用するものらしい。業が体の内側で叫ぶんだ。女からの支配を拒絶しろ。決起するときは今だ——とな」
「……」
「それでも多くの男は、現実という分厚い壁に阻まれ、お前からの支配を受け入れるしかなかろう。だが、私には決起できるだけの財と地位があった。そして、運命もまた私の背中を押した。お前が将軍職についた直後に、私は偶然にも魔物のテイムに成功し、スキルポイントという強大な力を手に入れた。賛同者も多く集まり、精霊解放遠征で国に隙ができるとなれば――もうやるしかないだろう?」
「女である余が将軍になったから、そなたは決起したと? 余が女であったから、帝と青葉、そして狩夜は死ぬことになったと、そなたは言うのか?」
「そうだ。そして、決してそれを否定はさせんぞ美月揚羽。これは種族としての本能だ。それがときに理性を塗りつぶし、人を我武者羅なまでに突き動かすことを、お前たちは誰よりも知っているはず」
「——っ」
揚羽は、カルマブディスの言い分に何も言葉を返せなかった。そんな彼女に向けて、種族としての本能に絶望し、それから逃げるために男になることを求めた女に向けて、カルマブディスはなおも言う。
「私は、業を、本能を否定し、女からの支配を受け入れる軟弱な他の男どもとは違う。私はそれを、誰もが認める方法で証明したいのだ。国を裏切り、帝に反旗を翻した理由は、本当にそれだけだよ」
「……そうか。そなたもまた、種族としての本能に振り回された者の一人なのじゃな。此度の騒動も、元をたどれば月の民の
揚羽は視線をカルマブディスから外し、救いを求めるように月を見上げた。そして、自虐気味にこう呟く。
「それが真実であるならば、余は、将軍になるべき人間ではなかったということなのじゃろうな……」
この言葉を最後に、揚羽は口を噤む。カルマブディスも、立羽も、もはや何も言わず、ただ無言で、場の準備が整うのを待つ。
ほどなくして、揚羽が腹を切る準備が整った。古来よりの形式に則った、四方を白い布で囲まれた切腹場。三方にのせられ
誰に促されることもなく、揚羽は
介錯人である刀を持った闇の民の男。その名乗りを聞き流しながら、揚羽は南門の先に見える帝に向かって目礼し、短刀を手に取った。
そして、流れるような美しい動作で、自らの腹部を——
「その切腹待ったーーーー!!」
掻っ捌こうとした瞬間、まだ幼さ残る男の声が、切腹場に響き渡る。
聞き覚えのあるその声に、慌てて空を見上げる揚羽。そんな揚羽の目に飛び込んできたものは——
「……は?」
人間すらも一飲みにしそうなほどに巨大な、蛇の頭部であった。
「ぶほ!!??」
北門の斜め上方から、切腹場の中へと隕石のごとく飛来した巨大な蛇の頭部は、揚羽の体のすぐ横を通過し、介錯人と正面衝突。介錯人を問答無用で跳ね飛ばし、勢いそのままに南門を破壊。その後、一度地面をバウンドしてから主殿に向かって突撃していく。
そんな蛇の頭部の進行方向上には、揚羽の切腹を眺めていたカルマブディスの姿があった。
「っく!?」
このままではぶつかると、慌てた様子でその場を飛び退くカルマブディス。そして、一秒もしないうちに蛇の頭部がつい先ほどまでカルマブディスがいた場所を通過し、高級感溢れる御簾を粉砕して主殿の中へと突入。中にある様々な装飾品を破壊した後で壁に激突し、そこでようやく停止した。
「っち。向こうは外れちゃったか。あれで終わってくれれば楽だったのに……え、なに? 外してごめんて? いやいや、レイラのせいじゃないよ。むしろナイスコントロール。グッジョブだ」
無理矢理主殿に座らされていた帝が、蛇の頭部突入の衝撃に耐えきれずに横に転がるなか、幼さ残る男の声が再度禁中の庭に響く。その出所を持ち前の聴覚で察した揚羽と立羽が、禁中を囲う塀の一角に視線を向けた瞬間、一つの小柄な人影が、はるか上空からその塀の上に降り立った。
「あ、ああ……」
「曲者だ! 出会え出会え!」
小柄な人影を見つめながら、揚羽は感極まったように声を漏らし、立羽はお決まりの台詞を口にする。そんな立羽の声を聞きつけカルマブディスの仲間たちが、次々に主殿の庭先へと集結していった。
禁中全体から仲間が集まってくるのを尻目に、体勢を整えたカルマブディスが、人影に向かって怒気を孕んだ声で叫ぶ。
「貴様、いったい何者だ! 名を……名を名乗れ!」
「名乗れって、僕の名前なんてもう知ってるでしょうに。でも、あなたと実際会うのは初めてだし、まあいいか……ごほん」
わざとらしく咳払いをした後、大きく息を吸う人影。次いで、宣戦布告だと言わんばかりに、高らかに名乗りを上げる。
「やぁ、やぁ! 遠からんものは音に聞け! 近くば寄って目にも見よ! 産まれと育ちは言えないし、流派も所属もありゃしない! 人に誇れる特技なく、目指した職業正社員! 安心安定求めたけれど、今は何の因果か開拓者! 現在二つ名募集中! 姓は叉鬼! 名は狩夜! ただいま推参!」
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