110・本質
ユグドラシル大陸の主、そして、ミズガルズ大陸の希望峰周辺に生息する魔物は、サウザンド級の魔物。開拓者で言うところの壁を、二つ破った魔物である。
テンサウザンド級はそのワンランク上、壁を三つ破った魔物だ。希望峰の先に存在する、真の強者だけが立ち入れる未開の地。マナによる弱体化が一切おこなわれない魔境に生息する、屈強な魔物たちがこれにあたる。
前提条件が完全に狂った。矢萩と牡丹の苦戦は異常事態でもなんでもない。これは必然であり、まだやられていないのが不思議なくらいである。なぜなら、テンサウザンド級を打倒する際の最低戦力は、テンサウザンドの開拓者が三人以上、もしくは、サウザンドの開拓者が数十人だと言われているのだから。
そんなテンサウザンド級の魔物を、彼女らは十一匹も同時に相手にしている。
体こそ繋がっているものの、首の一本一本が独立してソウルポイントを吸収、蓄積していることは、中央の首だけが高レベルの〔耐異常〕スキルを有していることからも明らかだ。それぞれの首がソウルポイントを十分の一ずつ吸収し、それをパーティ全体で共有する。そうすることで、あの怪物、そしてカルマブディスたちは、獲得ソウルポイントを増やしているのだろう。
オーガ・ロータスの異常状態に侵され、意識のない十本の首。それらの能力は、中央の首が白い部屋の中に侵入し、自分にとって都合のいいようにあれこれ弄り回しているに違いない。
テイムした魔物はパーティの中心であり、支柱。主人であるパーティリーダーだけでなく、全パーティメンバーと魂で繋がっているので、やろうと思えば白い部屋の中に入り込み、本人からの妨害さえなければ、ソウルポイントを使ってその魂を自由に改竄できる。そう、初めて白い部屋を訪れたとき、レイラが狩夜にしたのと同じことを、奴もしているのだ。
人類に残された唯一の居場所であるユグドラシル大陸。その地下で、とんでもない怪物が人の手によって作りだされていた。オーガ・ロータスを超える脅威、カルマブディス・ロートパゴイの真の切り札を目の当たりにして、狩夜は——
「「……(にたぁ)」」
笑う。相棒であるレイラと共に。
覚悟と狂気を孕んだ凄絶な笑みを、背中にいるレイラとまったくの同時に浮かべる狩夜。次いで、自身をこの地へと突き落とし、この怪物と引き合わせてくれた真央に対して、心の底から感謝した。
日頃狩っている主とは比較にもならない、極上の獲物を紹介してくれてありがとう――と。
「くぅうぅぅぅ! きつい! 丸腰きつい! 武器、なんか武器! 矢萩、なんか持ってないわけ!?」
「持っていたらとっくに使っている! お前こそ何かないのか!」
「あるわけないでしょうが! インテリヤクザに捕まったときに、装備は丸薬一つ残さず没収されたし! あんの野郎、ここから出たら泣かす! 絶対泣かす! ふえぇええぇん! 紅葉様、ヘルプミィイィイ!」
まだ軽口を叩く余裕があるのか、この場にいないパーティリーダーに対し、涙ながらに助けを求める牡丹。
本来、草である二人の仕事は斥候と探索だ。魔物と正面切って戦うのは、ハンドレットサウザンドの身体能力と、現存する魔法武器の中で最強との呼び声高い霊槍・
かつてレイラの葉っぱすら貫いたあの攻撃力。怪物の硬い鱗を容易に突破するであろうそれを、この状況を打開できる強い武器を、牡丹は声高に求めた。
その要請に、姉に代わって弟の青葉が動く。
「武器!? 武器ですね! えっと、えっと……あった! 狩夜殿! 腰に下げたその短刀、かなりの業物とお見受けいたします! 金属装備が貴重品であることは重々承知しているのですが、今だけ貸してはいただけませんでしょうか!」
まさに一心不乱。狩夜が浮かべている人間離れした表情が一切目に入らなくなるほどに、マタギ鉈を、この地下空間に存在する唯一の武器を凝視しながら、青葉は言う。
この言葉を聞き、狩夜ははっと我に返った。
浮かべていた凄絶な笑みを消した狩夜は、マタギ鉈を鞘に収めたまま腰から外す。そして、すぐさま青葉の胸元へと押し付けた。
半ば押し付けるように手渡されたマタギ鉈を、青葉は両手で受け取る。その後、マタギ鉈を見つめながら二度ほど瞬きをし、次のように口を動かした。
「あ、あの、説明不足だったでしょうか? ボク――じゃない、俺にではなく、あそこで戦っている矢萩か牡丹に渡してあげてほしいのですが……」
「青葉君。それ、しばらくの間君に貸します。自由に使っていいですから、自分の身は自分で守ってくださいね」
「え?」
「僕は、レイラと一緒に前に出ます。これ以上は見ていられません」
狩夜のこの言葉に、青葉は目を丸くして絶句した。そんな青葉を意に介さず、狩夜は怪物に向けて歩を進める。
テンサウザンドの開拓者と、テンサウザンド級の魔物。ユグドラシル大陸ではまずお目にかかれないその戦いを、今後のためにもう少し見ておきたい気持ちも狩夜の中にはある。あるが、これ以上は矢萩と牡丹の体力的にも、時間的にも危険だ。まだ余裕があるうちに、この戦いを終わらせなければならない。
それに――
「一緒に戦うならまだしも、女の子にただ守られてるだけってのは、やっぱり男としてだめだよね」
「ま、待ってください!」
「——っと? なに、青葉君?」
三歩ほど前に進んだところで、不意に右腕を引かれた。そちらに目を向けると、縋るような瞳で狩夜を見つめる青葉と視線が重なる。
青葉は、右手では狩夜の右腕を掴み、左手では先ほど手渡したマタギ鉈を胸に押しつけていた。そして、右手に更なる力を込めながら、言う。
「か、狩夜殿が類稀なる益荒男であるということは姉より聞き及んでおりますが、それはいくらなんでも無謀です! あそこは紛れもなく死地! そして、サウザンドの開拓者が一人増えたぐらいで何かが変わるような
「……」
「戦場で勇敢に戦い、華々しく散るのが武士の本懐! そして、
「青葉君……」
「狩夜殿だって同じです! 我らはあなたに死なれると困るのです! あなたは我らの、危機に瀕したフヴェルゲルミル帝国の、最後の希望なのですから!」
日頃から色々と貯め込んでいたいたらしい青葉からの悲痛な訴え。青葉は、理屈と感情の両面から、狩夜をこの場に引き留めようとしている。
そんな青葉に対し、狩夜は困ったように左手で頬をかいた。次いで言う。
「まあ、青葉君の言いたいこともわかります。オーガ・ロータスの異常状態を治療できる僕らに死なれたら困るっていうのも……あそこが僕なんかの力が通用しない死地だっていうことも……」
サウザンドの開拓者が、十一匹ものテンサウザンド級に勝負を挑むなど、無謀を通り越して自殺行為である。どう贔屓目に見ても勝てるはずがない。数の差以前に、身体能力が違いすぎる。
狩夜が一人であの怪物を戦った場合の勝率、および生存率は、まったくのゼロだろう。突然目の前に現れた、不可能という名前の壁。聞こえてくる、無理無駄無謀の三拍子。
そんな非情な現実に対し、狩夜は——
「でも、それを理由に諦められないのが僕なんだ」
開き直ったようにこう言った。そして、狩夜の言葉の真意を測りかねているのか、困惑顔で首を傾げる青葉に向けて、次のように言葉を続ける。
「やめた方がいい。考え直せ。できるわけがない。お前には無理だ諦めろ。現実は甘くない。家族、友人、学校の先生、周りにいるあらゆる人間から、何度も何度も言われたよ。その言葉に、あの頃の僕は耳を傾けようとはしなかった。やりたいことがあるんだ邪魔をするなって切り捨てたんだ。そんなことはない。努力を続ければいつかきっと――ってね」
「……」
「頑張ったんだ、自分なりに。走って、走って、走り続けた。誰よりもだなんて口が裂けても言えないけれど、したんだよ、努力をさ。だけど、結局は報われなかった。僕が目指した場所は、凡人では絶対にたどり着けない場所だった。努力じゃどうにもならないものだった」
「狩夜殿……」
「それを理解して、挫折して、走れなくなった後で気づいたよ。周りにいる人間は、僕の邪魔をしたかったわけじゃないんだって。傷つくだけですべてが無駄に終わることがわかっていたから、心配して言ってくれてただけなんだって」
子供だったとしみじみ思う。あの頃の狩夜には、善意と悪意の違いがわからなかった。自身を引き留めようとするもの、そのすべてが敵に見えた。
悪意だけで口にされた誹謗中傷も中にはあったと思う。だけど、がむしゃらに走り続けた頃に周囲からかけられた言葉の多くは、確かな気遣いと、優しさから紡がれたものだった。今ならばそれがわかる。
「傷だらけになって、疲れ切っていた僕は、その優しさを受け入れることをよしとしたよ。周りからの助言を聞き入れて、絶対にたどり着けないならしかたないって諦めた。目的から目を背けて、それを忘れて、ごく普通に生きることを選んだよ。それより大切なものなんて、何一つないくせに」
何をしても夢中になれなかった。いつもどこか冷めていた。人生に見切りをつけた、つまらない人間がそこにいた。
そんな人間を、社会は優しく受け入れてくれた。それでもいいよと、居場所を用意してくれたのだ。夢も、希望も、熱意もない人間が、ごく普通に生きていけるように、日本という国はできていた。
抗いがたい善意というぬるま湯。それにつかりながら、目的もなく、ただ漠然と毎日を生きる。それを享受し、維持することが、いつしか人生のすべてになっていた。
「そんな僕を、とある出会いと出来事が変えてくれたよ。努力じゃどうにもならないものが、努力次第でどうにかなるかもしれないものに変わったんだ。一度は諦めた場所が、手の届く所にまで近づいた。そしたら力が湧いてきたんだ。もう二度と走れないって、膝を抱えていた人間が、今じゃ少しもじっとしていられない。我ながら現金だよね。呆れちゃうよ、本当に。でもさ、それが叉鬼狩夜っていう人間の本質なんだ」
「……」
「あの頃に比べたら、少しは大人になったと思う。人の忠告には耳を貸す。必要なら周りに助けを求める。そして、絶対無理なら諦める。だけど、手が届くなら止まれない」
狩夜はここで言葉を区切ると、左手を青葉の右手の上に重ねた。そして言う。
「青葉君。心配してくれてありがとう。でも、僕にはやらなきゃならないことがあるんだ。だから——いかなくちゃ」
青葉が、打算と思惑だけで狩夜を引き留めているのではないということはわかる。先の言葉には、確かな善意と、狩夜への好意があった。
でも、善意のぬるま湯なんてもう要らない。強くなるために、目的を果たすために、悪意と殺意が渦巻く地獄が欲しい。
だからいく。カルマブディス・ロートパゴイから向けられた、あの悪意を飲み込んで、叉鬼狩夜は先に進むのだ。
「狩夜殿が何を言っているのか、ボクにはわかりません。ただ……そんな目をしている人が、決して止まらないということはわかります。姉が、そうでしたから」
青葉は諦めるようにこう言うと、狩夜の右腕から手を離した。
「どうしてもいくのですね?」
「うん、いくよ。もう立ち止まらないって決めたんだ。僕は前に進み続ける。レイラと一緒に」
「わかりました。もう止めません。そして、これはお返しいたします。これは死地に赴くあなたにこそ必要なものです」
マタギ鉈を両手で持ち、狩夜へと差し出す青葉。だが、狩夜は首を左右に振り、返却を拒否。そして、怪物に向け足を踏み出すと同時に、こう言葉を返した。
「貸すって言ったでしょう。それは、青葉君が持っていてください。僕には別の武器が——蛇の怪物を倒すのに、これ以上ないってくらい凄い武器があるんですよ」
この言葉を最後に、狩夜は青葉の存在を意識の外に追い出した。そして、真剣な眼差しで怪物を見つめる。
なんど脳内でシミュレートしても、勝ち筋なんて見えやしない。このまま進めば、確実な死が狩夜を待つばかりである。そう、狩夜が一人であるならば。
ペシペシ。
「大丈夫、私がいる」そう言いたげに、レイラが狩夜の背中を叩いた。狩夜は「うん、わかってる」と頷き返す。相手が相手だ。遠慮なくレイラの、勇者の力を頼るとしよう。
だが、けして丸投げはしない。戦うのは、あくまで狩夜である。
一人では勝てない強敵を倒すために、自分の力だけではどうしようもない現実を打破するために、そして、僕が僕であるために――
「あれを使うよ、レイラ。今日も、僕に力を貸してくれ」
「……(コクコク)」
相棒からの同意に背中を押され、狩夜は歩きながら右手を前に突き出した。そして、自らが考案し、レイラが完成させた、とある武器の名前を口にする。
「魔草三剣が一つ――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます