109・テンサウザンド
『シャアァァアァアァアアァ!!』
一般人が歩くのと変わらぬ動作、速度で近づいてくる矢萩、牡丹の二人に対し、怪物は渾身の威嚇を披露した。人間を容易に一飲みにするであろう十一の口、それらを一斉に開き、鋭く、毒液滴る牙を見せつけてくる。
常人なら卒倒ものの光景が眼前に構築され、怪物が放つ凄まじい殺気が地下空間を覆い尽くすが、一切怯むことなく前進を続ける二人。狩夜と青葉が固唾を飲んで見守る中、牡丹がほんの少し歩く速度を上げた。怪物の間合いの内側へと、矢萩に先んじて足を踏み入れる。
次の瞬間、怪物の首二本が動きた。口を大きく開いたまま牡丹目掛けて突進し、左右からの挟撃を仕掛けてくる。
その二本の首と、牡丹の体とが接触する直前――
「こっちだし」
牡丹の体がその場から掻き消えた。そして、つい先ほどまで立っていた場所から右に二十メートルほど移動した場所に、忽然と姿を現す。
「速い!」
怪物の首二本が、すでにターゲットのいない場所を虚しく通りすぎていく最中、狩夜は目を見開いて驚きの声を上げる。
直前までの動きとの緩急により、実際よりも速く見えたであろうその動きは、かなりの距離があったにもかかわらず、目で追うのがやっとであった。いや、周囲に余裕を見せつけるかのように牡丹が声を発していなければ、狩夜は牡丹の姿を確実に見失っていただろう。
―—これがテンサウザンドの開拓者、そのトップスピードか!?
こう胸中で叫びながら、狩夜はより一層気を引き締めた。この戦い、見ることですら容易ではない――と、怪物の次なる攻撃を待っているのか、移動した先で静止している牡丹の一挙手一投足に、全神経を集中する。
そんな中、怪物が次なる攻撃を繰り出した。狩夜の視線の端で一本しかない尻尾を振り上げ、誰もいない場所を上から叩きつける。しかも怪物の攻撃はそれで終わらず、尻尾が叩きつけられたことで発生した粉塵の中へと、首三本を突入させた。
「へ?」
あいつ、何やってるんだ? と、牡丹から視線を外し、そちらに目を向ける狩夜。それと同時に、粉塵の中から桃色の影が飛び出してくる。
桃色の影は、襲い来る怪物の首を回避しつつ叫んだ。
「なんで引っかからないのよぉ!? 普通飛びつくでしょ、さっきの仕掛け!?」
「牡丹さん!?」
そう、怪物の攻撃から逃げる桃色の影は、別の場所にいるはずの牡丹であった。我が目を疑いつつ、狩夜が先ほどの場所に視線を戻すと、狩夜が牡丹だと思い込んでいた何かが、左右に揺らめきながら消えていく瞬間が目に飛び込んでくる。
―—残像かよ!
まんまと騙された――と、己の未熟さを恥じる狩夜。緩急のある動きも、余裕を見せつけるかのような発言も、すべては残像に意識を向けさせるための布石だったのである。
仮に、牡丹の相手が狩夜であったのならば、ここで勝負は決していただろう。残像と気づかずに狩夜が攻撃を仕掛けたところに、背後から一撃。それで終わりだ。
初見では万人が引っかかるであろう先の仕掛け。あの怪物がそれを見破ることができた理由は——
「そうか、ピット器官か」
ピット器官。
爬虫綱有鱗目ヘビ亜目の構成種が持つ赤外線感知器官。視覚が悪く、夜行性の種が多い蛇亜目は、これによって鼠などの小型恒温動物の存在を察知し、大きさや形、距離等を測定、捕食する。
おそらくあの怪物は、このピット器官で牡丹の残像を見破り、本体の位置を感知したのだろう。光のない地下空間で開拓者を探し出すことができるのも、このピット器官があるからだ。
「また感知タイプ!? 今回こんな相手ばっかし! 牡丹、真っ向勝負とか苦手なんですけどぉ!」
「泣き言ぬかすな未熟者! 黙って戦えんのか貴様は!」
狩夜の呟きが聞こえたのか、愚痴と共に弱音を漏らす牡丹。そんな彼女を叱咤する声が狩夜の耳に届いた直後、巨大な和太鼓を思いっきり叩いたような轟音が地下空間に響き渡った。
矢萩である。間合いに入った直後に牡丹を攻撃したため、首が伸び切り自由度が激減した怪物の首を、彼女が渾身の力で蹴り上げたのだ。
テンサウザンドにまで強化された彼女の脚力は凄まじく、蹴り上げられた怪物の首は、つけ根を中心に円を描くように跳ね上がり、光る花で埋め尽くされた天上付近でようやく停止する。
「祖国を守るために、我らは一刻も早くこの怪物を倒し、禁中に向かわなければならぬのだ! 口を動かす前に体を動かせ!」
こう言葉を続けながら、近くにあったもう一つの首に回し蹴りを放つ矢萩。牡丹を追撃する三つの首目掛けて渾身の力で蹴り飛ばし、首と首とを衝突させ、その動きを阻害する。
「ああもう! 牡丹だってわかってるし、そんなことぉ!」
追撃する首たちの動きが鈍った瞬間、牡丹は逃げから攻撃へとシフト。矢萩と同じように、首の一つを渾身の力で蹴り飛ばした。
圧倒的な体格差をものともせず、目にも止まらぬ速度で怪物を翻弄し、協力して攻め立てる矢萩と牡丹。
相手取る首の本数を減らすため、基本的には互いに距離を取り、別々の場所で戦う二人だが、ときには近づき、相方の体を使って怪物の意表を突いたりもする。相方を踏み台にしたり、円運動の支点にしたりはもはや当たり前であった。
そんな二人の動きに、怪物はまったくついていけていない。
二人が攻撃を仕掛ければ、その全てが怪物に直撃する。一方、怪物の攻撃は二人にかすりもしない。傍から見れば、二人が怪物を圧倒し、一方的にタコ殴りにしているように見えた。
その光景を、全身全霊を見るためだけに費やしているにもかかわらず、残像を追うことぐらいしかできない矢萩と牡丹の動きを目で追いながら、狩夜は思う。
―—次元が違う。
なんだあの速度は? 人間ってあんなに速く動けるのか? ちょ、そこで前に進んだら敵の攻撃が当たる――って、また残像かよ! 本体は……うわ、もうあんなところにいて、しかも反撃してるし。
これが、世界トップクラスの開拓者。その実力。
痛感する力の差。できないと知りつつも、聖獣と戦うときに手伝ってくれないかなぁ——と、思わずにはいられなかった。
矢萩、牡丹の二人が今立っている場所ですら、心が折れかねないほどの距離を感じる。だが、狩夜が目指す場所、勇者であるレイラの隣と、打倒聖獣は、それよりも更に遠い場所にあるのが現実だ。
やはり、まだまだ全然足りない。ユグドラシル大陸の主を一人で倒せるようになったぐらいでは駄目なのだ。
もっと力がいる。もっともっとソウルポイントがいる。そして、その二つ以上に実戦経験がいる。
強くなるのだ、絶対に。いつか必ず、レイラの隣に立つ。そして、共に戦い、聖獣を倒すのだ。
妹を——咲夜を助けるために。
「このまま押し切ってくれそうですね、狩夜殿!」
一方的に怪物を責め続ける矢萩と牡丹を見つめながら、青葉が興奮気味に叫んだ。声を聞いただけでわかる。彼は、すでに二人の勝利を確信していた。負けることなど微塵も考えていない。
脳内ではあの怪物を倒した後のことを、どうやってカルマブディスたちを出し抜き、人質を救出するかを考え始めているであろう青葉。そんな彼に向けて、狩夜は真剣な表情で口を動かした。
「いや、このままだとまずいですよ。敗色濃厚なのは、矢萩さんと牡丹さんのほうです」
「え?」
狩夜のこの言葉に、冷水を頭からひっかぶったような表情を浮かべる青葉。次いで、目を皿のように見開きながら、矢萩と牡丹の戦いぶりを凝視する。その視線の先で、矢萩が怪物の首の一つに蹴りを入れた。
豪快に吹き飛ぶ怪物の首。それを見つめながら、青葉は言う。
「あの、やっぱり矢萩と牡丹があの怪物を圧倒しているようにしか見えないんですけど……」
「まあ、青葉君にはそう見えますよね」
矢萩と牡丹の動きは、サウザンドの狩夜ですら残像を追いかけるのがやっとであり、完全に見失うことが多々あるほどに速い。一般人か、それ以下の身体能力であろう青葉には、まったく見えていないだろう。青葉は、派手に弾け飛ぶ怪物の首たちを見て、矢萩と牡丹が優勢にことを進めていると判断しただけだ。
だがそれは、あの怪物が攻撃を受け流すために、インパクトの瞬間に同じ方向へと首を動かした結果にすぎない。派手に吹き飛んではいるが、見た目ほどには効いていないのだ。蛇の体の特性を生かした、見事な防御方法といえる。
一方、怪物の硬い鱗に覆われた体を、生身の体で攻撃している矢萩と牡丹は——
「二人の両手両足、もうボロボロですよ」
「——っ!!」
ときたま狩夜の目に映る、残像ではない生身の体。その両手両足は、狩夜の言葉通りボロボロである。怪物を攻撃する度に傷が増え、出血も酷くなる一方だ。このままでは、失血で動きに支障をきたすだろう。いや、体力に限界が訪れるのが先だろうか?
いずれにせよ、矢萩と牡丹には怪物の攻撃を回避できなくなるときが必ずくる。そう遠くない未来に二人は直撃を受け、そこで勝負は決するだろう。二人とも典型的な敏捷特化型だ。最初の一撃が致命傷になりかねない。
「というわけで、勝負を有利に進めているのは怪物の方です。さっきも言いましたが、このままだとまずいですね」
「そんな!? どうしてサウザンド級の魔物相手に、テンサウザンド開拓者が二人がかりで負けるんですか!? こんなのおかしいですよ!?」
顔を真っ青にしながら叫ぶ青葉。彼が言うようにこれはおかしい。
相性が最悪で、二人の武器がカルマブディスに没収されて丸腰だから――だけでは説明がつかない。あの怪物には、きっとまだ秘密があるのだ。
狩夜は「どうしよう! どうしよう!」と慌てふためく青葉の隣で、再度怪物を注視し、思考を巡らせる。
十一匹ものグラファイト・バイパーを人の手で繋ぎ合わせることで作りだされた、異形の怪物。
やはり、何度見てもサウザンド級の魔物には見えない。
そもそもなんで首は十一本なんだ? なんとも半端な数である。新たに首を繋げるたびにパーティ限界人数が増えるのならば、もっともっと繋いでキリが良い本数にまで増やせばいいだろうに。何か理由があるのだろうか?
地下に閉じ込めているのだから、人目を気にして——などという理由ではないはず。拒絶反応? 技術的限界? それとも、あの首の本数にも何か理由があるのだろうか? もしくは――
「十一本目を繋いだ時点で、これ以上は繋いでも無駄だとわかった――とか?」
この仮説が正しい場合、十一本目の首はむしろ蛇足となる。魔物を生きたまま繋ぎ合わせることで得られるメリットは、十までで限界なのかもしれない。
十。なんともキリの良い数字だ。そして、この十という数字が密接に関係し、今狩夜が抱える疑問に直結するであろう事前情報が一つある。
禁忌を侵した際に獲得できるソウルポイントの量は、殺害した人間の累積ソウルポイントの、おおよそ十分の一である。
「……」
次いで狩夜が思い浮かべたのは、青葉が倒れていたあの休憩所だ。カルマブディスたちは、オーガ・ロータスの花粉に満たされていたあの地下空間をどのようにやり過ごし、あの休憩所まで青葉を運んだのだろう?
あの怪物に運ばせた? なるほど、そう考えれば青葉の件は説明がつく。だが、それではあの休憩所に大量に置かれた小瓶たちの説明がつかない。
あの小瓶には、オーガ・ロータスの実がぎっしり詰め込まれていた。オーガ・ロータスが定期的につける実を収穫し、一つ一つ小瓶に詰め込んだのだろう。そんな器用な真似が、あの巨大な怪物にできるだろうか? 結論、できない。あの休憩所には、明らかに人の手が入っていた。
矢萩は情報交換の際にこう言っていた。カルマブディスの側近たちの中には、少なくとも一人、高レベルの〔耐異常〕スキル持ちがいると。
牡丹は情報交換の際にこう言っていた。カルマブディスの側近たちの中には、テンサウザンドである牡丹の攻撃に耐える者がいると。
そして、カルマブディスはこう言ったそうだ。狩夜の中に蓄えられたソウルポイントをすべて頂くと。
これらから導き出される新たな仮説。それは——
「テイムした魔物に同名の魔物を生きたままつなぎ合わせることで、限界パーティ人数だけでなく、獲得ソウルポイントも増やすことができる?」
もしそれが真実だった場合、あの怪物の累積ソウルポイントは、六万や七万どころではない。罠にはめて殺害した開拓者たちに蓄積されたソウルポイント、そのすべてを吸収し、六十万から七十万になっていると見るべきだ。そして、グラファイト・バイパーが〔耐異常〕スキルをLv9にするのに必要なソウルポイントは、五万千百。
残りのソウルポイントを、すべて基礎能力の向上に注ぎ込めば――届く。
「あの怪物、テンサウザンド級だ……」
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