108・蛇

「ちょ、なにあれー!?」


 巨大な横穴、その奥から姿を現した異形の怪物。それを目にした牡丹が、この場にいる全員の胸中を代弁するかのように叫んだ。


 現れたのは蛇。見上げるような巨体を誇る、複数の首を持つ蛇。


 全身は金属のごとき光沢を放つ鉛色の鱗に覆われ、正円を描く複数の瞳は、眼球と水晶体とが同心円に配置された典型的なじゃである。その体に足はなく、首は複数あるのに対し尻尾は一本のみであった。


 即座に日本神話に登場する八岐大蛇ヤマタノオロチと、ギリシア神話のヒュドラを連想する狩夜であったが、恐らくそのどちらとも違う。双方のどの伝承と照らし合わせても、首の本数が一致しない。


 狩夜たちの前に現れた怪物には、十一本の首がある。ヤマタノオロチの八、ヒュドラの五か九、もしくは百とも異なっていた。


 そして、ユグドラシル大陸に生息する魔物でもない。ユグドラシル大陸に生息する魔物の情報、そのすべてを狩夜は頭の中に叩き込んだが、十一本もの首を持つ蛇型の魔物などは記憶になかった。


「矢萩さん。絶叫の開拓地スクリーム・フロンティア――ミズガルズ大陸にはあんな魔物がいるんですか?」


 他大陸からの外来種かと思い、視線を怪物に固定したまま口を動かす狩夜。その問いに、矢萩もまた怪物に視線を固定したまま答える。


「いえ、あのような魔物は私も初めて見ます。開拓者ギルドにも記録されてはいないかと」


「ということは、アルフヘイム大陸や、ヨトゥンヘイム大陸にいったことのあるフローグさんも遭遇したことのない新種の魔物?」


「その可能性はなくはないですが、とても低いですね。他大陸からの外来種とされる魔物、そのほとんどは、極小の卵や幼生状態で偶発的に紛れ込む昆虫型か、種の状態で侵入してくる植物型です。爬虫類型の魔物が自らの意思でディープラインを超え、ユグドラシル大陸に足を踏み入れることはまずありません。全体像ではなく、首の一本だけを注視すればグラファイト・バイパーによく似ていますから、突然変異ではないでしょうか?」


 グラファイト・バイパー。


 ユグドラシル大陸全土に生息する、鉛色の鱗を持つ蛇型の魔物である。膂力が弱く俊敏性も低いが、隠密性が高くバイパーの名前が示す通り有毒。毎年一定数の犠牲者が出ることで有名。


 かつてイルティナと共に川下りをしているときに遭遇した蛇型の魔物は、そのグラファイト・バイパーが主化したものだ。あのときの主と、狩夜たちの前に現れた怪物の首一つは、サイズを度外視すれば非常によく似ている。矢萩が言うように、外来種よりは突然変異の可能性が高いように思えた。


 しかし、突然変異の四文字で済ませるには、あの怪物は異様に過ぎる。首が二本ある蛇ならば地球でもまれに見つかるが、十一本はあまりに多い。


 怪物の首、その一本を見つめながら「魔物ならこんなこともあり得るのか?」と、困惑の声を漏らす狩夜。次いで、その首から首のつけ根へと視線を動かし、あるものを見つける。


「ん? あれって……手術の痕?」


 そう、十一本ある怪物の首。それら首のつけ根には、中央に存在する一本を除いて、手術で繋ぎ合わせたかのような痕があったのだ。よく見れば、鱗の色も頭ごとに微妙に違うことがわかる。


 狩夜の脳内を、とある可能性が電撃のように駆け抜けた。


「まさか、人の手で生きたまま繋ぎ合わせたのか!?」


 今回の事件の首謀者であるカルマブディス・ロートパゴイは、禁中の侍医長。つまりは医者だ。それも凄腕の。ありえないことではないと思う。


 この異形の怪物は、天然自然の中から生まれたものではない。人為的に作りだされた存在なのだ。


「そうか! 奴が言っていた限界パーティ人数を増やす方法とはこのことか!」


 狩夜に呼応するように矢萩も叫ぶ。カルマブディスのパーティメンバーが規格外に多い理由がこれでわかった。


 テイムした魔物に同名の魔物を生きたままつなぎ合わせることで、限界パーティ人数は増やすことができる。開拓者ギルドもまだ把握していないであろう新発見だ。


「ちょい待ち! いくら手術で体を繋ぎ合わせても、意識は個別にあるはずだし! 人間の言うことを聞くのはテイムされた魔物だけ! そんでもって魔物は平気で共食いすんのよ! なんであいつら首同士で殺し合わないわけ!?」


 横穴の手前に陣取り、狩夜たちを見据えながら動こうとしない怪物を指差しながら、牡丹が疑問の声を上げた。


 確かに彼女の言うように、首同士で争わないのはおかしい。首が二本の蛇ですら、二つの首が別の思考をするせいで動きが悪く、狩りが下手だったり天敵に見つかりやすかったりで短命だというのに、あの怪物にはそれがない。むしろ見事なまでに統率が取れているように思える。


 何か絡繰りがあるはずだ——と、怪物のベースであろう中央の首と、それ以外の首とを、狩夜は交互に見比べた。


 ほどなくして気づく。あの首たち、中央の首以外は、生きてはいるが意識がない。


 中央の首は、狩夜たちを見つめながら眼球内の水晶体を前後に動かしたり、長い舌を頻繁に出し入れしたりしているのだが、それ以外の首にはその動作がない。目はどこか虚ろで、ありもしない幻影を見ているかのようだ。


 その虚ろな目と、オーガロータスの異常状態に侵されていたときの青葉の目が、狩夜の中で重なる。


「あ、わかった。あの首たち、中央の首以外はオーガ・ロータスの異常状態に侵されてて意識がないんですよ。その意識がない首たちを、中央の首が——カルマブディスのパートナーである魔物が統括してる」


「……」


 狩夜の仮説を聞き、口をあんぐりと開け絶句する牡丹。そんな牡丹を無視して、狩夜はなおも仮説を続ける。


「おそらく、中央の首だけが高レベルの〔耐異常〕スキルを有しているのでしょう。でなければ、オーガ・ロータスの花粉に満たされていたこの地下空間を、自由に移動できることへの説明がつきません」


「オーガ・ロータスの異常状態を無効化しているというのなら、Lv6以上は確実ですね。まあ、グラファイト・バイパーならば無理のある数字ではありませんが」


 狩夜の仮説を補足するように口を動かす矢萩。その言葉に頷きながら、狩夜は矢萩に向けて問いを投げる。


「グラファイト・バイパーって確か、〔耐異常〕スキルを生まれ持っている上に、僕ら人間よりずっとLvを上げやすいんですよね?」


「はい。習得、及びLvの向上に必要なソウルポイントの量は、我々の十分の一。この特性はグラファイト・バイパーだけでなく、有毒の魔物全般、及び、火の民の一部に見られます」


 ここで一度言葉を区切った矢萩は、自嘲するように小さく溜息を吐いた。次いで、こう言葉を続ける。


「私も、〔耐異常〕スキルをLv9まで上げておくべきでした。そうすれば、オーガ・ロータスによる異常状態に抗うことができたのに」


「いや、それはしかたないんじゃないですか? 〔耐異常〕スキルをLv5まで上げておけば、ミズガルズ大陸に生息する魔物からの異常攻撃は、大概防げるんですから。それに、スキルをLv9まで上げるのは、必要なソウルポイントの量を考えると現実的じゃない――って、矢萩さんたちはそうでもないのか」


 Lvが設定されているスキルの習得、及びLvの向上に必要なソウルポイントは次の通り。


 Lv1 — 1000SP


 Lv2 — 2000SP


 Lv3 — 4000SP


 Lv4 — 8000SP


 Lv5 — 16000SP


 Lv6 — 32000SP


 Lv7 — 64000SP


 Lv8 — 128000SP


 Lv9 — 256000SP


 この様に、Lvが1増えるたびに必要なソウルポイントが倍、さらに倍と増えていく。最高値であるLv9まで上げるには、実に五十一万千ものソウルポイントが必要なのだ。


 一つのスキルを最大値にまで上げるのは、テンサウザンドになるよりも難しく、その道のりは果てしなく遠い。Lv9まで上げておけばよかった——などと軽々しく口にできるのは、累積ソウルポイントが五千万を超えており、基礎能力よりもスキルの習得、向上を優先してきた矢萩と牡丹ぐらいなものだ。


 そして、グラファイト・バイパーは、その果てしなく遠い道のりを、〔耐異常〕スキルに限り十分の一に短縮できる。


 Lv9までに必要なソウルポイントは五万千百。ハンドレットサウザンドを含む多くの開拓者を屠り、あの怪物もカルマブディスと同じく六万前後のソウルポイントを得ているはずだ。十分に手が届く数字である。


「そ、それにしてもあの怪物、ボク――じゃない、俺たちの方に全然近づいてきませんね? なぜでしょうか?」


「僕たちが普通に動いてるのを見て面喰ってるんじゃないですか? おおかた、主人であるカルマブディスから『倒れて動かなくなっている人間を襲え』とでも命令されてるんでしょ。獲物が上から落ちてきて十分な時間がたった。そろそろ動かなくなっただろう。今日はご馳走だ——って様子を見に来たら、僕たちは動いてるし、オーガ・ロータスはないし、主人は近くにいないしで、どうしたらいいかわからなくなってるんですよ、あいつ」


「オーガ・ロータスの異常状態で身動きできなくしたところに、あの怪物をけしかける。なるほど、テンサウザンドでも負けるわけですね」


「うへぇ……牡丹たち、あんなのの餌にされるところだったんだぁ……」


 おっかなびっくりされた青葉の質問に対し、狩夜、矢萩、牡丹の順に言葉が返される。専門家たちの返答に、一人だけ門外漢である青葉は「な、なるほど」と感心したように頷いた。次いで言う。


「と、とにかく、あれを倒さないことには先に進めないのは確かです。矢萩、牡丹、お願いします」


「「「……」」」


 この言葉に、先ほどまで饒舌だった三人が一斉に沈黙した。


 青葉の言うように、あの怪物を倒さないことには先に進めないのは事実。狩夜たちは早急にあれを撃破し、なんとしても地上に帰還しなければならない立場にいる。


 あの怪物の累積ソウルポイントは、主人であるカルマブディスと同じく六万前後。多くても七万ぐらい。しかもその大半を〔耐異常〕スキルの向上に消費しているのだから、あの怪物の基礎能力はサウザンド止まり。テンサウザンドである矢萩と牡丹なら、倒すのは簡単。


 青葉はそう考え、先ほどの言葉を口にしたのだろう。


 狩夜も理性ではそう考えた。事前情報から判断すれば、あの怪物相手に矢萩と牡丹が苦戦するわけがない。


 だが、理性が出したその考えを、野性が猛烈に否定する。狩夜の中の野性は、次のように声高に叫んでいた。


『あれはやばい! 不用意に近づくな! 独力で倒そうなどとは絶対に思うなよ!』


 そんな野性の意見を無視して、あの怪物がサウザンド級の魔物――毎日のように狩り続け、最近一人でも渡り合えるようになってきたユグドラシル大陸の主たちと同等の存在であると判断するのは、狩夜には無理だった。それどころか、今まで自身が遭遇した魔物の中で、最強の存在であるように思えてならない。


 矢萩、牡丹の目にも、あの怪物は与し易い相手とは映らなかったようだ。余裕なんて一切ない、真剣そのものの眼差しで、怪物を凝視している。


 可能ならば今戦うのは避けたい。おそらく二人はそう考えていることだろう。だが、草である二人にとって、上に立つ者である青葉の言葉は絶対だ。加えて、青葉たち三人には狩夜以上に時間がない。


 ほどなくして、矢萩と牡丹の両名は、意を決したように怪物へと歩を進めた。


「ではいってまいります。危険ですので、青葉様は決して近づかないようお願い申し上げます」


「叉鬼狩夜、青葉様のことよろしく~」


「あの、僕とレイラも一緒に――」


「いえ、叉鬼殿にもしものことがあれば、オーガ・ロータスによる異常状態の治療法が失われ、すべての望みは絶たれてしまいます。ここは我ら二人にお任せください」


 こう言って遠ざかっていく二人の背中を見つめながら、青葉は「武運を!」と叫んだ。そんな青葉の隣で、狩夜は生唾を飲む。


 非公式ながら、矢萩も、牡丹も、世界最強クラスの開拓者である。そして相手は未知の怪物であり、状況が状況だ。力の出し惜しみはしないだろう。


 テンサウザンドの開拓者、その全力戦闘を始めて自身の目で見ることができるとあって、狩夜の体にも力が入る。


 今後の試金石になるであろう戦い。その全てを見届けるべく、狩夜はその目を見開いた。

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