106・奈落に集う者たち

「……あなたが、あの鹿角青葉さん?」


「はい」


「後二人しかいないっていう、月の民の男性?」


「相違ありません」


「……」


 ―—ありえにゃぁあぁあぁああぁい!!


 鹿角青葉を名乗る少女――もとい、少年の正体を知り、狩夜は口をあんぐりと開け、声にならない叫び声を上げた。


 ―—え? これが男? いやいやいやおかしいおかしい! どう見ても女の子じゃん!? こんな可愛い子が男なわけない! そもそも骨格が男のものじゃないし! 


 いる! この子よりも男として生まれるべきだった、ノウキンフトメアセクサプロテインマシマシの月の民が、どこかに絶対いる! ていうかいた! この前追いかけられたもん!


「あの……角は? 抜け落ちた直後とかですか?」


 性別間違えてますよウルド様ぁ! と、心の中で顔見知りの女神を糾弾しながら、狩夜は目の前の少年を少女と勘違いした、一番の理由を口にする。


 そう、青葉の頭には、牡鹿の証である角が、どこにも見当たらないのだ。


 あの容姿にして角がない。鹿の獣人でこれでは、狩夜でなくとも青葉の性別を見間違えるだろう。


「ふぐぅ!」


 狩夜の角に対する指摘を受け、右手で胸を抑えながら崩れ落ちる青葉。地面に横たわりそうになる体を左手でどうにかこうにか支えつつ、若干潤んだ目で狩夜のことを見つめ返してくる。次いで、今にも消え入りそうな声でこう答えた。


「俺の角は……その……母のお腹の中で姉に取られたと言うか、何と言うか……」


 どうやら、自身に角がないことを相当気にしていたらしい。雌鹿なのに角があることを気にしている姉とは、正反対の悩みであった。


 青葉のコンプレックスを無神経に刺激してしまい、狩夜の胸中で罪悪感が湧き上がる。が、一方で親近感も湧いた。狩夜とて自らの体にコンプレックスを抱える者の一人。他者にそれを刺激されたとき、当人がどんな気持ちになるかは、痛いほどにわかる。


 もはや確信に近い予感があった。青葉とは色々とわかり合える気がする。男同士だし、性格的にも紅葉と違ってとっつきやすい。きっといい友達になれるだろう。


「えっと……気にしてたんですね、すみません。頭なら何度でも下げますので、許していただけるなら幸いです」


「い、いえ、大丈夫です。女性に間違われるのも、角のことであれこれ言われるのも慣れてますから。ただ、姉が一緒にいるときには絶対に言わないでくださいね? ボク――じゃない、俺が許すと言っても、姉は決して許しません。問答無用で殴り掛かります」


「あ、はい。よく知ってます。というか、この前殺されかけました」


「え!? そうなんですか!? 家の姉がとんだご迷惑を——ってまさか、そのときのことをまだ根に持っていて、姉に復讐するために俺を利用しようと!?」


「だからちがーう! 紅葉さんとは色々ありましたけど、きちんと和解しました! いいですか? 今からあなたがした質問に、順番に答えていきますので、落ち着いて聞いてくださいね? まず、僕が誰かという質問ですけれど、僕の名前は叉鬼狩夜。一介の開拓者です。あなたのお姉さんである鹿角紅葉さんとは、その——知人以上友人未満ぐらいな関係です」


 まずは自己紹介だと、自らの名前を口にする狩夜。少しは安心するだろうと、紅葉と面識があることも併せて明かす。


 すると、予想以上の効果があった。青葉は両の目を輝かせ「え!? あなたが、あの叉鬼狩夜さんですか!?」と、興奮気味に声を上げる。


「あれ? 僕のことを知ってるんですか?」


「はい、もちろんです! この前姉が教えてくれましたから! わぁ! うわぁ! 感激だなぁ! ボク――じゃない、俺、姉からあなたのことを聞かせれて以来、ぜひともお会いしたいなって、ずっとずっと思ってたんですよ!」


「そ、そう……なの?」


 憧れのアイドルと対面したかのような青葉の反応に、思わず面喰う狩夜。次いで思う。いったい紅葉は、どのように狩夜のことを青葉に話したのだろう? と。


「あの、握手してもらってもいいですか!?」


 この言葉と共に差し出された青葉の右手を「う、うん」と困惑気味に握り返す狩夜。すると青葉は「えへへ」と、男とは思えない可憐な表情で微笑み、これまた男のものとは思えないほどに柔らかいその手に、ほんの少し力を込めてくる。


 ——やばい、何だか変な方向に目覚めちゃいそうだ!?


 心の奥底に芽生えかけた感情を振り払うかのように、青葉の手を少々強引に引っ張る狩夜。地面に座りっぱなしだった青葉を握手のついでに立ち上がらせた後、そそくさと手を離す。


「ありがとうございます」


 異常状態の後遺症を感じさせることなく立ち上がった青葉は、先ほどまで狩夜と繋がっていた右手を見下ろしつつ、本当に嬉しそうに礼を述べる。その一連の動作で顔を赤くした狩夜は、この子、男なのに見た目が好みのタイプだから質が悪い! と、胸中で叫んだ。


「そ、それじゃあ話の続きです! ここはどこかという質問ですけれど、ここは鉱山都市ギョッル。そこにある廃坑の地下空間ですね」


「ギョッルの廃坑……それも地下?」


「はい。僕はここで偶然あなたを発見し、保護。魔物の毒による異常状態に侵されているようでしたので、即時治療を施ほどこしました」


「ええ!?」


 狩夜の説明に目を丸くして驚く青葉。次いで、自身の体を見下ろしながら口を動かす。


「なんでボク――じゃない、俺がそんな場所で……しかも魔物による異常状態?」


 どうやら青葉には心当たりが無いらしい。そんなときは慌てず、騒がず、落ち着いて記憶を整理するのが大切である。狩夜は青葉を刺激しないよう、極めて落ち着いた声色で問いを投げた。


「ここで目覚める前の、最後の記憶はどんなです? ゆっくりでいいので、思い出してみてください」


「えっと……家で体の定期健診を受けていました。それが終わった後、医者から渡されたとても美味しい蓮の実の甘露煮を食べて——あれ? その後は——え? あれ?」


「蓮の実……」


 青葉の言葉の一部を復唱しつつ、狩夜は地面を見下ろした。その視線の先には、休憩所の中で無秩序に散乱している無数の蓮の実がある。


 状況からして、この蓮の実が市場に一般流通している、セイクリッド・ロータスのものである可能性は非常に低い。十中八九、先ほどレイラに捕食された、蓮型の魔物のものだろう。そして、青葉が食べたという蓮の実は、これと同一のものとみて、まず間違いない。


 異常攻撃に特化した植物型の魔物、その種子。正直嫌な予感しかしない。食べたらどうなるかなんて、狩夜は考えたくもなかった。


 行方不明となった大勢の開拓者。


 地下空間に残された大量のギルドカード。


 ユグドラシル大陸に存在してはいけない、未確認の魔物。


 人為的に埋め込まれたと思しきクリフォダイト。


 フヴェルゲルミル帝国の要人たる鹿角青葉の拉致監禁。


「するなぁ……陰謀の匂い」


 ここで「謎はすべて解けた!」とか言えたらかっこいいのだろうが、さすがに無理。事件の全容を把握するために必要不可欠な情報、首謀者が誰であるかがわからないからである。


 現時点で狩夜にわかるのは、次の三つ。


 一つ。自分のあずかり知らぬところで巨大な陰謀が蠢いており、すでに犠牲者が出ている可能性が高いということ。


 二つ。なんらかの理由で、自分がその陰謀に巻き込まれたということ。


 三つ。その陰謀に、真央がなんらかの形でかかわっているということ。


「人が死ぬような陰謀に真央が加担しているなんて、正直考えたくないけど……」


 魔物の毒に満たされた奈落の底に、有無を言わさず狩夜を突き落としたパーティメンバー。彼女はいったいなぜ、そのようなことを——


「わきゃぁあぁぁあぁ!!」


「ん?」


 狩夜の思考を妨げるかのように、突如として耳に飛び込んできた謎の悲鳴。狩夜と青葉の両名が、何ごとかと休憩所の入口に目を向けた直後、肉の塊をまな板に叩きつけたかのような鈍い音が、休憩所の外から響いてきた。


 どうやら、あの縦穴を通って誰かが地下空間に落ちてきたらしい。


「うぅ、痛いしぃ……って、そんなことを言ってる場合じゃない。矢萩は……良かった、生きて——って、何この奇麗な場所!? なんで地下にこんな場所があるわけ!? ひょっとして天国!? 私たちやっぱ死んじゃった!?」


「この声……まさか!?」


 落下音の直後に聞こえてきた、なんとも騒々しい声。その声に反応し、青葉が小走りに休憩所の外へと飛び出した。狩夜も慌ててその後を追う。


 再び地下空間に戻った狩夜の目に飛び込んできたのは、光る花で埋め尽くされた地下空間の天井を見上げながら口を動かす桃色の女性と、そのすぐ近くで力なく倒れている黒い女性。


 面識があるらしいその女性二人を見つめながら、青葉が口を動かした。


「やっぱり、牡丹! それに矢萩も!」


「え? 青葉様!?」


 桃色の女性――牡丹は、近くで倒れていた黒い女性――矢萩に肩を貸して立ち上がらせると、ゆっくりと近づいて来る。


「青葉様、無事でよかったしぃ! って、ああ!? 叉鬼狩夜もいる! あんたも生きてて良かったしぃ!」


「あれ? あなたも僕のこと知ってるんですか?」


「……あ、やば」


 狩夜の問いに対し「しまった……」と視線をさ迷わせる牡丹。「なに? その反応?」と、狩夜が首を傾げていると、青葉が口を動かした。


「牡丹と矢萩は、姉のパーティメンバーですから。それでですよ」


「ああ、なるほど」


 あの高さから落下して、目立った怪我が見当たらないのはそういうことか――と、狩夜は納得する。一方で牡丹は慌て出した。青葉のことを恨めし気に見つめながら、次のように口を動かす。


「ちょ、青葉様困りますって! 牡丹と矢萩は、紅葉様の非公式パーティメンバーだから、関係者以外には秘密だしぃ!」


「狩夜さんになら別にいいでしょう? それで牡丹、どうしてここに? ボク――じゃない、俺のことを助けに来てくれたんですか?」


「あはは……もしそうだったら、牡丹も胸を張れるんですけどぉ……すみません、違います。ね、矢萩?」


 期待に満ちた青葉の問いに、牡丹は申し訳なさげに苦笑いを浮かべた。次いで、肩を貸している矢萩へと目を向ける。それに釣られるように青葉も矢萩へと視線を向け、すぐさま目を見開いた。


「矢萩? 矢萩!? いったいどうしたの!? 大丈夫!?」


 明らかに様子のおかしい矢萩に向け、大声で問いかける青葉。だが、何度問いかけても矢萩はそれに答えない。顔に恍惚の表情を貼りつけたまま「くひひ……」と笑い声を漏らし続けるだけである。


 青葉とまったく同じ症状。彼女もまた、あの魔物の毒に侵されている。


「矢萩……どうして、こんな……」


 今の矢萩に何を言っても無駄。そう悟ったらしい青葉が、震える声で呟いた。そんな、今にも泣き出しそうな顔をしている青葉の肩を、狩夜は「大丈夫だよ」と、軽く叩き、こう言葉を続ける。


「ついさっきまでは、青葉君もあんな感じだったんですよ」


「え……?」


「レイラ」


「……(コクコク)」


 狩夜が名前を呼んだ瞬間、レイラが動く。右腕から治療用の蔓を出現させ、矢萩の首筋目掛けてそれを高速で伸ばし、先端の棘で一突きした。


 その、直後——


「……むぅ? 私はいったい……何を?」


 異常状態から解き放たれた矢萩が顔を上げ、自らの意思で動き出した。周囲を二度ほど見渡した後で、その場にいる人間の顔を順番に確認していく。


「牡丹に……青葉様? それに……叉鬼狩夜だと!? おい牡丹!? これはいったいどういうことだ!? 今の状況を簡潔に――」


「矢萩ぃぃいぃい!」


「うわ!?」


 正気に戻った直後で混乱している矢萩に、感極まった様子の牡丹が飛びついた。そのまま矢萩を地面に押し倒し、涙ながらに言葉を紡いでいく。


「うえ! うぇえぇえ! よかった! 元に戻って本当に良かったし! 矢萩! 矢萩ぃ!」


「こら牡丹! くっつくな、離れろ! 青葉様の御前でこのような――って、いつまで泣いているのだ貴様! 我ら草は心を揺らしてはならぬと、何度も何度も言っているだろうがぁ! 少しは成長しろ!」


「うん、する! 牡丹、これからはもっとちゃんとするから! でも、でも今は……うぇえぇぇぇぇえぇん!」


 よほど嬉しかったのか、矢萩に組み付いたまま号泣する牡丹。そんな二人を見下ろしながら、ほっと胸を撫で下ろす青葉の隣で、狩夜は困ったように頬をかく。


 二人の邪魔をするのは本意ではないが、状況が状況である。狩夜は意を決して、泣き続ける牡丹、そして、矢萩へと話しかけた。


「あの、親睦を深めているところを大変申し訳ないのですが、牡丹さん、矢萩さん。僕も、青葉君も、いまいち状況が把握できてないんです。何か知っていることがあるなら、教えてもらえませんか?」

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