105・男の娘

 病室から見える木の枝に、一枚だけ残った葉っぱ。次に強風が吹けば散る定め。見る者にそんな印象を与える、今にも消えてしまいそうなほどに儚げな美少女。


 身長と年齢は狩夜と同じくらいだが、線が非常に細い。アルビノである真央ほどではないが、太陽光で溶けてしまうんじゃないか? と、不安になってしまうほどの色白。肩の上で奇麗に切り揃えられた彼女の髪は、命を燃やし尽くした後のような枯れ葉色であった。


 思いっきり抱き締めでもしたら、骨が折れるどころか全身が粉々に砕けそうである。それこそ、地面に落ちた枯れ葉のように。


「くひひ……ひひ……」


 よほどいい夢を見ているのか、地面に横たわりながら笑い声を漏らす少女。恍惚の表情に彩られた彼女の顔を、失礼を承知で凝視しつつ、狩夜は首を傾げる。


「誰かに似て——あ、そうか。紅葉さんに似てるんだ」


 そう。彼女の顔立ちは、鹿角紅葉にそっくりであったのだ。


 瓜二つ――双子と言っても過言ではないほどに似ている二人の容姿。だが、瓜二つであるにもかかわらず、受ける印象は正反対だ。紅葉を精強な武人とするならば。彼女は知的な陰陽師である。


「血縁者かな? 弟さんがいるとは聞いてたけど、妹もさんもいたのか?」


 こう口を動かしながら身を屈め、右手を少女の肩へと運ぶ狩夜。骨が折れたりしないよね? と胸中で呟いた後、少女の体を恐る恐る揺り動かす。


「あの、大丈夫ですか? 起きてください」


「くひひ……」


 狩夜の呼びかけに、口から漏れ出る笑い声で答える少女。そこで狩夜は気づく。薄く開いている少女の目。その奥に存在する瞳の焦点が、まるで合っていない。彼女にしか見えていない幻影を見ているかのようだ。


 狩夜は目を見開き、一度身震いした後、再度少女に語りかける。


「大丈夫ですか!? できるなら返事をしてください!」


「くひ……くひひ……」


 語気を強めた狩夜の問いに、再度笑い声を返す少女。そんな彼女を見下ろしながら、狩夜は深刻な顔で呟く。


「あの魔物の花粉を大量に吸うと、こうなっちゃうのか?」


 魔物の花粉に満ち満ちていた、広大な地下空間。そこに隣接する休憩所の中にいたこの少女が、それを吸っていないはずがない。彼女は今、魔物の毒にその心身を侵され、重度の異常状態に陥っているのだ。適切な治療を早急に施し、一刻も早く正常な状態に戻さなければならない。


 しかし——


「くひひ……くひ……くひひ……」


 恍惚の表情を顔に貼りつけて笑い続けるという、ギルドで聞かされたどの症状とも一致しない彼女の異常状態。違法薬物を過剰摂取したかのようなそれに対し、道具屋で購入した手持ちの薬が効くとはとても思えなかった。正直、狩夜ではお手上げである。


 これを治せるとしたら――


「レイラ! この子の異常状態だけど、どうにかなる!?」


「……(コクコク)」


 縋るような気持ちで叫んだ狩夜に対し、レイラは「もちろんだよ~」と言いたげに頷いた。即座に治療用の蔓を出現させ、少女の首筋を一突きする。


 その効果は相も変わらず劇的であった。レイラの蔓が首筋から抜き取られた瞬間、少女の肌に血の気が戻る。そして、枯れ葉色であった少女の髪が、色鮮やかな若草色へと変化した。


「髪が……」


 ウルザブルンで見た紅葉と同じ若草色の髪。髪の色まで同じになり、益々紅葉そっくりになった少女は「う……ん……」と小さく声を漏らした後、両手を地面についてその身を起こす。


「あれ? ボク……」


 まだ焦点の合っていない瞳で、ゆっくりと周囲を見回す少女。そんな少女に向けて、狩夜は言う。


「気がつきましたか? 気分は?」


「え? あ、おはようございま——っ!?」


 声をかけた狩夜に対し、条件反射的に朝の挨拶を返そうとした少女であったが、そこで意識が完全に覚醒したのか、狩夜の顔をしばし見つめた後で目を見開く。


 そして——


「だ、だだだ、誰ですかあなた!?」


 地面に座り込んだまま、もの凄い勢いで後退。棚の一つに背中から激突したところで、ようやくその動きを止めた。彼女がぶつかった衝撃で、棚の上に並べられていた陶器製の瓶が一つ落下し、地面に落ちると同時に砕け散る。


 小瓶の中にぎっしりと詰め込まれた蓮の実が休憩所に散乱する中、少女は大声で叫んだ。


「こ、ここはどこですか!? ボク――じゃない、俺をこんなところに連れ込んで、いったい何が目的ですか!?」


 体を小刻みに震わせながらも、精一杯の虚勢を張って、懸命に狩夜を睨み返す少女。女性らしからぬ一人称を使ってまでこちらを威嚇してくる彼女の反応に心を痛めながら、狩夜は誤解を解くべく口を動かす。


「あの、少し落ち着いてください。僕はですね——」


「俺の身柄と引き換えに、いったい何を国に要求するつもりですか!? お金!? 何かしらの秘宝!? それとも当家に恨みでも!? 将軍様と姉には俺の方から取り成してあげますので、どうか自首して罪を償ってください!」


「だから違います! 僕は女の子を誘拐して身代金を要求するような卑劣漢では断じてありません! いいですか、落ち着いて聞いてください。あなたはですね——って、どうかしました?」


 一方的に喚き散らしていた少女が、突然動きを止め、ポカンとした表情で狩夜を見つめてきたので、言葉の内容を急遽変更し、問いかける狩夜。そして、困惑顔で少女の顔を見つめ返す。


 互いの顔を見つめながら硬直する事約五秒。レイラが地面に散乱した蓮の実を蔓で絡めとり、肉食花の中におやつ感覚で放り込んでいく中、少女がついに口を開いた。


「あの、一ついいですか?」


「はい、どうぞ」


「俺、男です」


「……はい?」


 この子はいったい何を言っているのだろう? と、首を傾げる狩夜。そういう反応に慣れているのか、少女は「やれやれまたか」と言いたげに肩を落とした後で、自らの名前を口にする。


「俺の名前は鹿角青葉。美月家臣団の筆頭たる鹿角家の長男にして、日ノ本の武士、その血を最も色濃く受け継ぐ者です」

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