104・血の池

「なに……これ……」


 本当に奈落――地獄に来てしまったのではないかと錯覚するような目の前の光景に、狩夜は思わずこう呟く。


 狩夜の眼前に咲く、血のように赤い禍々しい花弁を持った蓮の花たち。近づいてみてはっきりしたが、それらはやはり動いていた。それも活発に。


 基本的には上下運動の繰り返しで、下に移動すると同時に花を閉じて蕾となり、力を溜めるかのように数秒間停止。しばらくすると上に向かって伸びあがり、開花。その開花の勢いを利用して、周囲に花粉をばら撒いている。


 縦穴を降りる途中、狩夜が吸い込んだ甘い匂い。その正体がこれだ。この地下空間には、異形の花たちが撒き続ける花粉が、絶えず充満しているのである。


 ここまできたら狩夜でなくてもわかる。あの花粉はやばい奴だ。吸い込んだりしたら絶対に駄目な奴だ。


 ―—だってこの蓮、間違いなく魔物だもん。


「てい」


 ものは試しだと、狩夜は眼前で上下運動を続ける花の一つを、左手で軽く引っ叩いてみた。


 反撃に備えて油断なく身構えながら、引っ叩いた花だけでなく、地下茎で繋がっているであろう眼前の蓮たちすべてに視線を巡らせる狩夜。だが、いくら待っても反撃はこない。せいぜい先ほどからおこなっていた上下運動が気持ち激しくなり、放出する花粉の量が増えたくらいである。


 どうやら、花粉を放出する以外に攻撃手段がないらしい。異常攻撃特化型の魔物のようだ。花粉が効かない相手から見たら、ただの動く花である。狩夜たちの脅威にはなり得ない。


「ま、だからといって放置する理由はないけどね」


 この花は、ユグドラシル大陸に存在してはいけないものだと狩夜は思った。RPGのラスボスがいるマップ。そのマップに自生している異形の植物が、始まりの街周辺に生えているかのような凄まじい異物感。このまま放置しようものなら、絶対にろくなことにならないだろう。


 なので、狩夜としては早急に駆除したいところなのだが——


「この中に入るのはなぁ……」


 狩夜は視線を花から外し、その下。異形の蓮が根づく場所へと目を向けた。


 蓮が根づいている以上、そこは水辺に他ならない。異形の蓮たちは、岩壁から湧き出る水の溜り場に根づいているのだが、その水の溜り場が、あろうことか血の池地獄のような様相を呈しているのだ。


 なぜそんなことになっているのだと、湧き水の出どころである壁へと視線を向ければ、人為的に壁にめり込ませたと思しき、とある鉱物が目に飛び込んでくる。


 水が湧き出る場所のすぐ下に埋め込まれたその鉱物は、滾々と湧き出る水を、触れる端から汚染して、真紅に変色させていた。その汚染された水が窪地に溜まり、異形の蓮を育んでいる。


 血よりもなお赤い、小石ほどの大きさの鉱物を見つめながら、狩夜は口を動かした。


「あれってまさか……クリフォダイト?」


 赤褐色で半透明。触れた水を真紅に変色させて汚染し、その水で魔物を強化かつ活性化させる鉱物となれば、恐らく間違いない。


 クリフォダイト。


 二代目勇者の子孫であるヴァンが発見、悪用し、かつて世界を滅ぼしかけた忌むべき鉱物。かの【厄災】誕生の切っ掛けにもなった、悪魔の欠片。


 もし狩夜の考察通り、壁に埋め込まれているものがクリフォダイトだとしたら、眼前の蓮たちを人の手で駆除するのは絶望的であった。


 蓮は地下茎を有する多年草であり、水面から顔を出している花や葉は、全体のほんの一部でしかない。魔物の本体は恐らく土中の地下茎の方であり、完全に駆除するならば、そちらを叩かなければだめだ。


 地下茎を叩きたいのならば、水の中に入るしかない。だが、クリフォダイトで汚染された水は、人体に対して極めて有害である。ソウルポイントで強化された人間であっても、触れればただでは済まないだろう。


 魔物に更なる力を与え、人間には害をなす。なぜただの鉱物でしかないクリフォダイトが、そのような力を持つのか。それを語るには、クリフォダイトの誕生にまで時を遡らなければならない。


 そもそも、クリフォダイトとは——


「ってあれ?」


 脳内であれこれ考えていた狩夜の口から、間の抜けた声が漏れる。その理由は、考察の対象が視界の中から突然消失したからだ。


 異形の蓮も、クリフォダイトも、そのクリフォダイトに汚染された大量の水も、すべてが一瞬であるものに飲み込まれて姿を消した。先の三つが存在した場所は、巨大なアイスクリームディッシャーが通過したかのように円形に削り取られており、今では何も残っていない。


 苦笑いを浮かべながら自身の背中を覗き込む狩夜。見えたのは、頭上に肉食花を咲かせ、先ほど飲み込んだすべてのものを順次体内に取り込んでいく、頼もしい相棒の姿である。


「……(ニタァ)」


 狩夜の背中で、口が裂けたかのような笑顔を浮かべるレイラ。そんなレイラに向けて、狩夜は言う。


「いきなり何してくれるんだよレイラ! まだ途中! 考察の途中! よくわからないモノを、よくわからないまま食べないでよ! っていうか大丈夫!? 君が今食べたのって、たぶんだけどクリフォダイトだよ!? さすがの君でもやばいんじゃない!? 体の調子は!? お腹痛くない!?」


「……(コクコク)」


 狩夜の言葉に対し「全然平気だよ~」と言いたげに頷いて見せるレイラ。確かに狩夜が見た限りでは、別段変わった所は見当たらない。


 狩夜がほっと息を吐く中、レイラは逆に大きく息を吸った。口を大きく広げ、蓮の花粉に満ちた周囲の空気を手当たり次第に吸引し、背中に出現させた排気口から順次排出していく。


 ほどなくして「もう大丈夫だよ~」と言いたげに、葉っぱで作ったガスマスクを狩夜の口から外すレイラ。それと同時に、頭上の肉食花を頭の中に引込め、背中の排気口も閉じてしまう。


「空気清浄機か君は?」


 相変わらずの万能性を披露する相棒に、感心と呆れが同居した声を漏らす狩夜。次いで、先ほどまで蓮が咲いていた場所を再び見つめる。


 レイラに食い取られた事で形成された新たな窪みには、汚染されていないごく普通の水が徐々にだが溜まり始めていた。レイラの感知能力を逃れ、地下茎の一部がどこかに残されていたとしても、この水にはマナが溶けている。クリフォダイトがなければ復活はできないだろう。


 ペシペシ。


 名も知らぬ植物型の魔物。その最後を見届けた狩夜の背中を、レイラが叩いた。次いで、あっちあっちと葉っぱで右側を指し示す。


 レイラの葉っぱが示す方向には、地下空間を見渡したときに狩夜も見つけた木製の扉がある。レイラは巨大な横穴よりも先に、そちらにいきたいようだ。


 狩夜としても異論はない。横穴を先に調べ、それが出口に通じていた場合、もう一度ここに戻ってくるのは面倒である。先にあの扉を調べた方がよいだろう。


 いまだ行方不明の開拓者たち。今度こそ何かしらの手掛かりを見つけたいと思いながら、狩夜は扉へと歩を進めた。


 何ごともなく扉へと到着した狩夜は、右手をマタギ鉈に伸ばしつつ、左手で軽く扉を押してみる。すると、扉は抵抗なく空いてしまった。鍵はついてないらしい。


 扉の外から中を覗いてみるが、例によって真っ暗であり、〔暗視〕スキルを持たない狩夜では、中の様子はよくわからなかった。狩夜は「レイラ、明かり」と呟き、中へと踏み込む。


 光る花によって照らし出された扉の中は、岩壁を削って作ったと思しき、十二畳ほどの広さの四角い空間だった。


 かつての休憩所と思しきその空間には、中央に長方形のテーブルが置かれ、その周囲に丸椅子が四つ。入口以外の壁際には、木製の棚がぐるりと配置されており、その棚の上には、陶器製の瓶が所狭しと並べられていた。


 そして——


「女の子?」


 一目で貴人とわかる、白を基調とした束帯に身を包んだ女の子が、剥き出しの地面に力なく横たわっていた。

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