103・奈落に咲く花

「なんでだよ、真央……って、こんなこと言ってる場合じゃないか!」


 良好な関係が築けていたパーティメンバーからの、突然の裏切り。


 予想外、かつ未経験の事態に、一秒強ほど無気力に縦穴を落下し続けていた狩夜であったが、先の言葉と共に目を見開いた。次いで、こんなところで死ねないんだよ! とばかりに、相棒の名前を呼ぶ。


「レイラ!」


 名前を呼ばれた瞬間、レイラが動く。


 一旦狩夜の頭上から離れた後、胴体から蔓を出し、その蔓を狩夜の体に巻きつけ、自身と狩夜とが決して離れないよう固定しつつ背中に移動。その後、二枚ある葉っぱの片方を硬質化させ、縦穴の壁を水平に切りつけた。


 岩の壁を豆腐でも切るかのように切断、埋没したレイラの葉っぱに支えられ、空中で静止する狩夜たち。落下死という最悪の展開をまぬがれた狩夜であったが、そこで気を緩めたりはしなかった。思考を戦闘用に切り替えつつ右手をマタギ鉈へと運び、縦穴を見下ろす。


「下に光源がないとはいえ、まだ底が見えないな。この先いったいどうなってるんだろ? ねぇ、レイラは何かわかる——っておおい!?」


 今後の事を相談しようと背中を覗き込んだ瞬間、自身の視界に飛び込んできた相棒の姿に戦慄し、狩夜は素っ頓狂な声を上げる。


 レイラは、メロンのようなしわを全身に浮き上がらせ、凄まじい形相かつ血走った目で閉じられた縦穴の蓋を見つめていた。間違いなく激おこ状態である。


「……(ブチブチ!!)」


「あの女、よくも狩夜を裏切ったな!」そう言いたげに右手を振るい、先端に球形の果実をつけたハンマーを出現させるレイラ。かつて聖獣をも瀕死に追い込んだそれで、あの蓋をぶち抜くつもりらしい。


 もし、真央がまだ廃坑の中にいたら――そして、この状態のレイラと引き合わせたら――


「レイラ待った!」


「——っ!?」


 狩夜がこう言うと、レイラが血走った目を狩夜へと向け「なんで止めるの!?」と訴えてきた。この様子だと、納得する理由がないと止まらない。


「え、えっと……その……」


 突然のことで言葉に詰まる狩夜。真央が危険だから――ではだめ。その理由では、火に油を注ぐことになるだろう。


 懸命に思考を巡らせ、何かいい理由はないかと頭をひねる。


 そのとき——


『オマケ……上はだめです……今は……下に……』


 という、聞き覚えのある声が、狩夜の頭の中に直接響いた。


 ―—スクルド!?


 聖獣との戦いで、不治の呪いが付与された傷を負った狩夜を助けるために、狩夜と同化し眠りについた、世界樹の三女神の一人。先ほどの声は、間違いなく彼女のものだった。


「スクルド、目が覚めたの!? ねぇ!?」


 自らが置かれた状況を忘れ、慌てて言葉を返す狩夜。しかし——


「……スクルド?」


 いくら待っても、次なる彼女の声は聞こえなかった。


 ほどなくして、狩夜は諦めた様に小さく溜息を吐く。そして、律儀に狩夜の言葉を待っていた相棒に向け、こう語りかけた。


「レイラ。なんか、真央を追いかけるよりも、このまま下にいった方が良いっぽいよ。スクルドが——未来を司る女神様が、そう言ってる」


「……」


 この言葉を聞き、レイラは全身に浮かび上がらせていたしわを消した。その後、視線を左右にさ迷わせ、珍しく長考する。どうやら、狩夜の言葉に従うか、それとも蓋をぶち抜いて真央の後を追うかで、かなり迷っているらしい。


「……(っち)」


 散々迷った末に「ひとまず生かしておいてやるか」と言いたげに舌打ちをしたレイラは、右手のハンマーを引込め、左手から一本の蔓を出した。その蔓の先端を壁に突き刺した後、狩夜の体を支えていた葉っぱを壁から引き抜く。


 ペシペシ。


「ゆっくり下降するよ~」と言いたげに狩夜の背中を叩くレイラ。ひとまず怒りを静めてくれた相棒に「うん、よろしく」と言葉を返した後、狩夜はその胸中で、盛大に安堵の息を吐く。


 狩夜とて、本音を言えば今すぐに真央の後を追いかけたい。そして、なぜあんなことをしたのだと、その真意を問い質したい。だが、今すぐにそうしてしまうと、レイラが真央をスプラッタにしかねない。


 ここは、もう一人の仲間の助言に従い、真央との間に冷却期間を設けるのが賢明だろう。


 この縦穴の底に何があるのか。スクルドは、狩夜とレイラにどんな未来を歩ませたいのか。まずは、それを確かめにいく。


 そんなことを考えながら、狩夜がレイラと共に縦穴を降りていくと——


「ん?」


 自身を包む周囲の空気にとある変化を感じ、狩夜は鼻をひくつかせた。次いで言う。


「なんだ? この、甘ったるいお香みたいな――ぷお!?」


 狩夜の言葉が終わる前にレイラが動いた。変形させた葉っぱで狩夜の口と鼻を覆った後、葉柄ようへいを空洞化させ、自身が浄化、精製した空気を、狩夜の呼吸器系へと供給し始める。そして——


「あいた!?」


 治療用の蔓を出現させ、先端の棘で狩夜の首筋を一突きした。


 有無を言わさぬレイラの一連の行動で、先ほど吸い込んだ甘い匂いに対し、ある程度の推測を立てた狩夜は、左手で首筋を摩りながら口を動かす。


「なに、レイラ? さっき僕が吸い込んだものって、そんなにやばいもの?」


「……(コクコク)」


 葉っぱで作られたガスマスク越しの言葉に、すぐさま頷いて見せるレイラ。どうやら、相当やばいものが空気中を漂っているとみて間違いない。


 レイラがいなかったらどうなっていたんだろう? と冷や汗をかきながら、狩夜は更に下を目指す。


 ほどなくして——


「ん、ようやく終点かな?」


 縦穴の終わりが見えてきた。どうやら広い空間に出るらしい。


 久方ぶりに地面へと足をつけた狩夜は、遠路はるばるやってきた奈落の底をぐるりと見回してみる。しかし、暗くてよくわからなかった。わかったのは、ここがドーム状に広がる広大な空間であるらしいということだけである。レイラの頭上に咲いている花だけでは、とてもじゃないがすべてを照らし出すことができない。


 なので狩夜は、はっきりと確認できる範囲、今立っている場所のすぐ近くに目を凝らした。


 そして、見つける。


「ギルドカード……こんなに!?」


 地面に落ちた、十枚は優に超えるギルドカード。その異様な光景に、狩夜は思わず息を飲む。次いで、グンスラーの開拓者ギルドで聞いた、ある言葉を思い出した。


『お教えできません。それに私は、そう言って行方不明になった開拓者を、幾人も知っております。二カ月ほど前などは、精霊解放遠征に参加予定であったテンサウザンドの方が一人、この帝国国内で行方不明となりました』


「——っ!!」


 全身の産毛を逆立て、先ほどとはまるで違う慌ただしい動作でもう一度周囲を見回してみる狩夜。


 確認できる範囲に死体はない。なら、カードの持ち主はまだ生きている可能性がある。


「レイラ! 明かりが足らない! もっと広範囲を照らしてほしい! できる!?」


「……(こくこく)」


 狩夜の要望に応えるべく、レイラは両手からガトリングガンを出現させた。相棒の意図を察した狩夜は「水平には撃つなよ! 絶対だぞ!」と声を荒げる。


 ガトリングガンの銃口が天井へと向けられた次の瞬間、凄まじい轟音が地下空間に響き渡った。おびただしい数の種子の弾丸が連続で発射され、天井へと着弾していく。


 そして——


 ポポポポポポポン!!


 という小気味の良い音と共に、種子が着弾した場所、そのすべてから鈴蘭によく似た花が無数に咲き乱れた。その花が放つ幾重もの光が、広大な地下空間をあますことなく照らし出し、その姿を鮮明にする。


 狩夜の周囲に広がる、直系三百メートル、高さ二十メートルはあろうかという地下空間。かつての採掘現場の成れの果てを、狩夜はざっと見渡した。


 開拓者の死体はやはり見当たらない。だが、次の三つが狩夜の目に移り、強く興味を引く。


 一つ。狩夜から見て左側の壁に存在する、ダンプカーも通れそうなほどに巨大な横穴。廃坑のさらに奥、もしくは出口に通じているのやもしれない。


 二つ。狩夜から見て右側の壁に存在する、木製の扉。中に何があるかは、入ってみないとわからない。


 そして三つ。狩夜から見て正面に広がるありえない光景。それは——


「あれは——蓮? こんなところに?」


 日の光も届かない奈落の底に咲き誇る、蓮の花の群れ。


 帝国に来てからの八日間で、すっかり見慣れてしまったセイクリッド・ロータスとはどこか違う、遠目からでも普通じゃないとわかる、風もないのに不自然、かつ不規則に動き続ける、世にも奇妙な蓮の花。


 そんな蓮の花が身を寄せ合う地下空間の一角を見つめながら「レイラ、いくよ」と呟き、狩夜はためらうことなく歩きだす。


 行方不明になった開拓者たち、その手掛かりが見つかるかもしれないという淡い期待を胸に、狩夜は蓮の花に近づいた。

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