102・美月揚羽

「なぜじゃ……なぜ帝は、このようなことを余にお命じになられたのじゃ?」


 自らの手で作動させ、狩夜とレイラを飲み込んだ仕掛け。今朝までその存在すら知らなかった、実に大掛かりな仕掛け。それを見つめながら、真央は震える唇で疑問の言葉を紡ぎ出す。


 真央の立場からすれば、本来そのようなことは許されない。


 武士にとって、上に立つ者の命令は絶対だ。戦えと言われれば、相手がなんであろうと戦い。死ねと言われれば、いつどこであろうとも死ぬ。その命令がどれほど理不尽で、不条理なものであろうとも、武士には従う義務がある。


 拒否はおろか、疑問に思うことすら許されない。もし先ほどの言葉が誰かに聞かれており、そのことが帝の耳に入れば、それだけで不敬罪に問われ、首を刎ねられてもおかしくない。


 帝の命令とは、上意とは、そういうものだ。真央は、誰よりもそれを熟知し、厳格に実行しなければならない立場にいる。


 にもかかわらず、真央は先ほどの疑問を口にせずにはいられなかった。真央にとって此度の命令は、それほどまでに不可解なものだったに違いない。


 異世界人・叉鬼狩夜の抹殺。


 今朝がた牡丹から受け取った書状は、それを真央に命じるものであったのだ。その書状には、どうしてそうしなければならなくなった理由や、命令を出すまでの過程だけでなく、それをおこなう場所、方法等が、事細かに記されていたのである。


 帝国の希望たる異世界人を、なぜ殺さなければならないのか? なぜこのような方法でなければならないのか? そもそもあの仕掛けはなんなのだ? 真央の疑問が尽きることはなかっただろう。狩夜を罠にはめるそのときまで、真央は迷い、苦悩し、心を痛め続けたに違いない。


 だが真央は、最終的には滅私奉公を選択した。共に戦った戦友を裏切り、パーティリーダーを罠にはめ、大好きな友人を手に掛けることを選んだ。


 命を救ってもらった恩を、命を奪うという仇で返してしまった。


「なぜ、こんなものが流れたのじゃ? 余に、そんな資格はないというのに……」


 狩夜を罠にはめたときに流れた涙。それを右手で拭いながら、真央は言う。次いで踵を返し、ふらつく足取りで廃坑を後にした。


 帝からの命令はまだ終わっていない。狩夜を廃坑で罠にはめた後、真央はギョッルにまで来ているという迎えの者と合流し、禁中に向かわなければならないのだ。


 ギョッルの泉を目指し、無言無表情でただ歩く真央。しばらくそうしていたのだが、何かを思い出したかのように突然足を止め、左手を頭へと運ぶ。そして、狩夜のパーティメンバー、その証たる花へと触れさせる。


 真央は、その花を名残惜し気に一撫でした後、丁寧に頭から抜き取った。次いで、死者に手向けるかのように、その花をそっと地面へと横たえ――


「ごめんなさい」


 と、男性に求婚され、それを断るときに女性が口にする常套句を、自分にだけ聞こえる声量で呟いた。


 狩夜との最後の別れを済ませた真央は、今度は両手を後頭部へと運び、自身の手で編み上げた白い長髪を手早く解く。すると、髪という拘束から解き放たれた彼女本来の耳が、精巧に作られた猫耳を弾き飛ばし、天を突くかのような勢いで、彼女の頭上に聳え立つ。


 本来の姿に戻った真央は、一度大きく深呼吸をした。そして、この姿で下を向くことは許されぬとばかりに背筋を伸ばし、実に立派なうさ耳と、白いストレートロングの長髪を風になびかせながら、颯爽と歩きだす。


 ほどなくして、真央は書状にあった迎えの者と思しき一団と、無事合流をはたした。


 そして——


「お勤めご苦労様です。フヴェルゲルミル帝国将軍、その肩書きに恥じない帝への忠誠心、しかと拝見いたしました。ここから先は、我々が禁中への先導役を務めさせていただきます……なぁんてなぁ! なあなあ将軍様よぉ、今どんな気持ちだぁ!? せっかく現れてくれた希望の光を、自らの手で消すってのは、いったいどんな気持ちなんだよぉ!? なぁおい!」


 ギョッルの一角、まだ安全地帯とは呼べない人気のない場所で、カルマブディスの配下である闇の民たちから、一斉に嘲笑を浴びせられることとなった。


「ふむ」


 闇の民らの笑い声を無視し、真央は両目に大粒の涙を溜めつつ頭を下げる見知った顔を、恍惚の表情を顔に貼りつけた矢萩を背中に背負う、牡丹だけをただ見つめていた。


 周囲が笑い続ける中、牡丹は口を小さく動かし、真央の頭上では、拘束から解き放たれ、久方ぶりに能力全開となったうさ耳が、小刻みに動き続けている。


「……なるほど、そういうことか。もう少し早く――いや、たとえ知っていたとしても、余の選択は変わらぬか」


「なに物知り顔で独り言呟いてんだこら。いいか? 今からてめーが置かれている状況を説明してやる。一度しか言わねぇからよーく聞け。変なことは考えんじゃねぇぞ。こっちには——」


「帝や余の家族、国の重鎮たちが、人質かつ薬漬けになっていて、余が暴れると重鎮たちの首が飛ぶのであろう? 抵抗はせぬと約束するゆえ、早う禁中へと案内するがよい」


 真央のこの言葉に、周囲の嘲笑がピタリと止んだ。闇の民の男女が困惑と恐怖の表情を浮かべて顔を見合わせる中、一団のリーダー格らしいチンピラ風の男が、冷や汗を浮かべながら口を動かす。


「お、おおう……わ、わかってんなら話ははえぇや。とっとといくぞ。あっちに舟がある。禁中でこの国の新しい王、カルマブディス・ロートパゴイ様がてめーをお待ちだ」


 上着のポケットに両手を入れつつ顎をしゃくり、舟がある方向を真央に示すチンピラ男。


 あまりに不遜な態度だが、真央は別段怒った様子もなくその言葉に従った。周囲を闇の民に囲まれながら、ただ前だけを見つめて歩きだす。


 そんな真央を心配げに見つめつづける牡丹。すると、真央の隣を歩くチンピラ男が突然振り返り、怒声を上げた。


「いつまで突っ立ってんだ猪豚女! 背中の女を連れて、さっさと廃坑にいきやがれ! そこがてめーらの死に場所だ! てめーらが必死こいて魔物と戦ってため込んだソウルポイントは、カルマ様と俺らが有効活用してやるから安心して死ね!」


「……わかったし」


 こう返事をした後、悔しげに唇を噛んで歩きだす牡丹。その後を、カルマブディスのパーティメンバーである男二人と、幾人かの女が追った。一人はラタトクスの入ったケージを持っている。


 互いに監視を連れて、正反対の方向に向かって歩く真央と牡丹。互いの姿を目視で確認できなくなるまで距離が開くには、そう時間はかからなかった。


 まさに四面楚歌。周囲を敵に囲まれ、完全に孤立無援となった真央。だが、それでも彼女は前を向いた。大名行列でもするかのように闇の民の一団を引き連れ、胸を張って歩き続ける。


 そんな真央に気圧されたのか、一人、また一人と、真央から距離を取りはじめる闇の民の一団。そんな中――


「ゴクリ……」


 真央の隣を歩くチンピラ男が、不意に生唾を飲んだ。彼の視線は、真央が持つ絶世の美貌と、歩く度に揺れる豊かな胸に釘付けである。


「へへ」


 もう我慢できないとばかりに、チンピラ男の手が真央へと伸びた。だが、その手がフヴェルゲルミル帝国の至宝たる彼女の肢体に触れることはない。彼女の体に触れていいのは、彼女がそれを許可した者だけだ。


「無礼者」


 真央は小声でそう呟くと、一瞥すらすることなく死角から伸ばされたチンピラ男の手をかわした。次いで、偶然足元にあった手ごろな大きさの石を、爪先で軽く小突く。


「んな!?」


 絶妙な間で動かされた小石に蹴躓き、豪快に転倒するチンピラ男。周囲が息を飲む中、真央は何食わぬ顔で口を動かした。


「なんとも間の抜けた転びようよな。ソウルポイントで強化された身体能力を、まったく使いこなせておらぬではないか。もう少し精進せいよ」


「て、てめぇ! 自分の立場がわかって——っひ!?」


 体を起こし、顔を真っ赤にして真央を怒鳴りつけようとしたチンピラ男であったが、自身を見下ろす真紅の双眸を見た瞬間、その口の動きを――否、全身の動きを硬直させる。


 人質を取られ手を出すことができず、身体能力では天と地ほどにも差がある相手を、その眼光だけで封殺しながら、真央は——いや、彼女は言う。


「自分の立場じゃと? 無論わきまえている。余は揚羽。フヴェルゲルミル帝国将軍、美月揚羽である」

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