100・クーデター
美男子と称するにいささかの躊躇も要らぬであろう整った顔立ちをした、闇の民の男。
歳は二十歳前後で、体格は長身痩躯。灰がかった暗い黄緑色の髪は、前髪の一部を残してオールバックにまとめられていた。
細長い長方形のレンズがはめられた眼鏡をかけ、黒のワイシャツと黒のスラックスに身を包み、その上に白衣を纏っている
カルマブディス・ロートパゴイ。
主と呼んだその男に対し、立羽は次のように言葉を続ける。
「城内におりました武士、奉公人。それらほぼすべてに実を食べさせました。城内の機能は完全にマヒしております。美月城の制圧はすでに成功したも同然かと」
「お前の肉親たちにも、ちゃんと食べさせたんだろうな?」
「もちろんです。万が一にも動かれたら面倒なので、多めに食べさせておきました」
立羽の口から当然とばかりに発せられたこの返答に、カルマブディスは満足げに頷いた。次いで言う。
「主力が出払っているとはいえ、こうも簡単に美月城が落ちるか。やはり君を味方に引き込んだのは正解だったよ、立羽。今夜は閨にくるといい。この功績に、私は全力で報いよう」
「ああ……ありがとうございます。カルマさまぁ……」
己のすべてを捧げた微笑みを浮かべながら礼を述べる立羽。すると、カルマブディスの側近と思しき男たちからは下卑たる笑い声が漏れ、周囲で制圧作業に勤しむ女たちからは無数の舌打ちが飛ぶ。
そんな周囲の反応には意を介さず、立羽はカルマブディスだけを見つめ、彼との会話を先へと進めた。
「カルマ様がこちらにいらしたということは、禁中と鹿角家はすでに?」
「ああ。とうに制圧を終え、帝と青葉にもすでに実を食べさせてある。月の民に残る男二人。その命運は、もう私の手中というわけだ。本来ならば今すぐに始末したいところだが、このエーリヴァーガルの統治を月の民から闇の民に譲渡させ、正式な手順で私が帝位につくまでは、生きていてもらわないと困るからな」
「帝位を簒奪したとあっては、他の二国と民草がどう動くかわかりませんものね。青葉の方は?」
「あれは鹿角紅葉と、アルカナ・ジャガーノートを確殺するための大切な人質。当然生かしておくさ。一番安全な場所に隠しておいたよ」
ここで言葉を区切り、カルマブディスは口角を吊り上げる。そして、制圧目前の美月城を見渡しながら、更なる言葉を紡ぎ出した。
「帝に、美月。そして鹿角。帝国の要人、要所はすべて押さえた。私の計画を邪魔をする者は、もう誰もいない。闇の民数千年の悲願が、ついに成就する時がきた」
悦に浸りながらくつくつと笑うカルマブディス。そんな彼に立羽はおずおずと近づき、申し訳なさげに口を動かした。
「カルマ様、畏れながら申し上げます。実はまだ、邪魔者が残っておりまして」
「なんだと?」
笑みを消し、咎めるような視線を立羽に向けるカルマブディス。その視線にびくつきながらも、立羽は最後まで報告を続ける。
「現将軍、美月揚羽にございます。あの子の放浪癖がまた出たらしく、わたくしがここを訪れたときには、すでに行方知れずでございました。落ち着きのない妹で、姉としてお恥ずかしい限りです」
「……間の悪いことだな。それで、居場所は?」
「わかりません。知っていたかもしれない重鎮たちは、すでに実を口にして正気を失っており、まともに会話ができる状態では——っ!?」
言葉を途中で止め、目を見開く立羽。そんな彼女の頭上では、兎の耳が機敏に動いている。
「カルマ様!」
名前を叫ぶと同時にカルマブディスを両手で突き飛ばす立羽。直後、つい先ほどまでカルマの顔があった場所を鉛色の流星が通過し、延長線上にいた側近の男、その左肩へと深々と突き刺さる。
鉛色の流星——苦無の出どころへと視線を向ける立羽とカルマブディス。その視線の先には、忽然と城内に姿を現した、黒と桃色の影があった。
「矢萩に牡丹!? 紅葉と一緒にミズガルズ大陸にいったのではないの!?」
驚愕に顔を歪めながら立羽が叫ぶ。一方の矢萩も、主筋である立羽と対立している今の状況に困惑しているのか、苦々しい表情で口を動かした。
「立羽様!? なぜそのような者をお庇いに——」
「矢萩の馬鹿! そんなこと言ってる場合じゃないでしょうが!」
矢萩の言葉を遮るように叫ぶ牡丹。彼女は両手を豪快に振りかぶると、立羽に突き飛ばされた事で態勢を崩しているカルマブディス目掛け、鎖分銅を全力で投げつける。
都合四本の鎖が、天駆ける竜のごとくカルマブディスに殺到した。しかし、側近の中で一番大柄な闇の民が、牡丹とカルマブディスとの間に躊躇なく割り込み、その巨体で分銅を受け止める。
血反吐を吐き、膝を折りながらもその場に踏みとどまり、カルマブディスを背に庇いつつ牡丹を睨みつける大柄な男。敵の首魁を討ち損ねた牡丹は、盛大に舌打ちをした。
鎖分銅を手元に引き戻す牡丹と、両手に苦無を構える矢萩。二人同時に地面を蹴ろうとした、その瞬間——
「動くな」
カルマブディスが、威圧するような声色で言う。そして、彼の側近の一人が、矢萩と牡丹に見せつけるように、とある生き物が閉じ込められた竹製のケージを突き出してくる。
ケージの中に閉じ込められているのは、額に真っ赤な石を持つ栗鼠。そう、ラタトクスだ。
通信能力を持つその動物を凝視しながら、矢萩と牡丹は動きを止めた。
「この美月城だけでなく、禁中。そして鹿角家はすでに落ち、帝国の要人はすべて拘束され、私の同士たちに見張られている。このラタトクスを通して、私が一声かければどうなるかは、下賎な猪豚である貴様らでもわかるだろう?」
「そんなはったりに――」
「本当にそう思うか? 私は禁中の侍医長だぞ? この美月城と禁中、どちらが与し易いかなど、考えるまでもないだろうが」
この言葉に、矢萩と牡丹は苦虫を噛み潰したかのような顔をした。次いで、己が武器を周囲に放り投げて降参の意を示した後、悔しげに言う。
「殺せ」
矢萩のこの言葉に、牡丹は異を唱えたりはしなかった。初撃で仕留めることができなければ私たちの負け。両者とも、その覚悟で奇襲を仕掛けたに違いない。
そんな二人を、実験動物を前にした科学者のような目で見つめながら、カルマブディスが口を動かす。
「そうしたいのは山々だが、今この場に私の相棒はいなくてね。ここでお前らを殺してしまうと、その身に蓄えられた大量のソウルポイントが無駄になる。殺すのはもう少し後だ」
この言葉を聞いた後、矢萩と牡丹は視線を周囲に巡らせた。そして、左肩に突き刺さった苦無を引き抜きつつ、憎々しげに矢萩を睨みつける細身の男と、四本の鎖分銅の直撃を受けたにもかかわらず意識を保ち、今まさに立ち上がろうとしている大柄な男とを一瞥した。
双方共に重傷には違いないが、命に別状はなさそうである。
テンサウザンドにまで強化された矢萩と牡丹の攻撃を受けて、その程度。これは、普通の人間ではありえないことであった。
「先ほどの苦無には毒が塗ってあったんだが、〔耐異常〕スキルか。しかもかなりの高レベル」
「牡丹の鎖分銅の直撃を受けて、死なないどころかまだ動けるってことは、サウザンド以上は確定だし」
「つまりは、二人ともギルドに登録されていない、もぐりの開拓者というわけだ」
「ねぇ矢萩、なんか他の男どもも同じっぽいよ。一般人とは雰囲気違いすぎだし」
「サウザンド以上で、もぐりの開拓者が十数人……か」
「それも、エーリヴァーガルの暗部である牡丹たち猪牙忍軍が、まったく把握してないね。ぶっちゃけ真っ当な方法じゃ、こんなことできっこないし」
矢萩と牡丹はここで一旦口の動きを止めると、最大級の嫌悪感を視線に込めてカルマブディスを睨みつけた。次いで言う。
「貴様、禁忌を侵したな?」
「マジ引くし」
二人のこの言葉に対し、カルマブディスはくつくつと笑った。
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