099・奈落の落とし穴

 岩山に寄り添うように作られた町。かつては鉄鉱石の産地として栄え、今はすっかり寂れてしまった場所。栄枯盛衰の見本ともいうべき鉱山都市、ギョッル。


 その一角に存在する人工的に掘られた大穴を見つめながら、狩夜は隣に立つ真央へと話しかけた。


「大昔に閉鎖された廃坑かぁ……この中に主がいるの?」


「うん、そのはずだよ」


 さほど大声でもない二人のやり取りが、人気のない町に響き渡った。狩夜たちが立っている場所も、一応はギョッルの中であるはずなのに、周囲には人っ子一人いやしない。


 マナの源泉たるギョッルの泉と、この廃坑との間には、決して短くない距離がある。そのため、この辺りは町中であるにもかかわらず、マナがかなり薄めなのだ。人の領域、その拡張限界を完全に超えてしまっている。


 そのため、廃坑周辺はとてもじゃないが安全地帯とは呼べない。ソウルポイントで身体能力が強化された狩夜たち開拓者や、真央のような武術の達人でなければ、おいそれと近づけない場所なのだ。


 貴重な鉱物を得るために、危険を承知でここまで町を広げ、昼夜問わず多くの見張りを置き、鉱山と鉱夫たちを国ぐるみで守っていたのは昔の話。今では廃坑周辺は完全に放棄され、ギョッルの住人たちは安全地帯である泉、その周辺だけで暮らしている。


 打ち捨てられた家々だの、道具置き場だのは荒れ放題で、今にも魔物だの幽霊だのが飛び出してきそうな様相だ。だが、感知能力を持つレイラと真央が無反応なところを見るに、周囲に魔物はいないのだろう。


 人工物が多く、水辺も近い。森の中よりは安全な狩場だ。狩夜たち以外の真新しい足跡がいくつか見受けられるので、ギョッルを拠点にしている開拓者が、定期的に魔物を倒して回っているのかもしれない。もっとも、廃坑内にいるという主を倒すにまでは至っていないようだが。


「廃坑に巣くう魔物退治……か。定番だね。でもさ真央、パーティを組んですぐに教えてもらった情報の中に、ここの主のはなかったよね? どうして教えてくれなかったの?」


 宿屋での一件の後、グンスラーを散々走り回り、ようやく落ち着きを取り戻した狩夜が、そろそろほとぼりが冷めたかな? と、恐る恐る真央に会いにいったときのことである。突然真央の方から「ギョッルの町にある廃坑の中に主がいるんだ。今日はそこにいかないかい?」と提案してきたのだ。


 特に断る理由もなかったので、狩夜たちは今ここにいる。だが、真央をパーティメンバーに加えることと引き換えに教えてもらった、ユグドラシル大陸に存在する主の情報。狩夜の記憶が確かならば、その中にここの主のものはなかったはずだ。


 狩夜のこの追及に、真央は申し訳なさげに顔を伏せた。次いで言う。


「え、えっと、その、うっかり言い忘れちゃって……さ。そのことに気がついたのついさっきで、その……ごめん……」


「いや、別に謝らなくてもいいよ。こうして僕たちがフヴェルゲルミル帝国を離れる前に思い出してくれたんだし――」


「ごめん」


「……」


 顔を伏せたまま謝罪の言葉を連ねる真央に、狩夜は胸中で「う~ん」と唸った。


 あの宿屋での一件以来、どうにも真央とのやり取りがぎこちない。隙あらば女性の唇を奪おうとする軟派な男とでも思われてしまっただろうか?


 だとしたら申し訳ない限りだが、狩夜のやるべきことは変わらない。主を倒し、ソウルポイントを溜め、自己を強化し、聖獣を倒す。そして、傷だらけの世界樹と、病身の妹を救うのだ。こんな場所で足を止めている場合じゃない。


「じゃあ、その……いこうか?」


 廃坑への入口を指さしながら狩夜は言う。すると真央は表情を真剣なものに変え、意を決したように「うん」と頷いた。


 これなら大丈夫だろうと狩夜は歩きだす。頭上にはレイラ、背後には真央を引き連れて、主が巣くう廃坑の中へと足を踏み入れた。


 鉄鉱石を掘り尽くし、大昔に閉鎖されたという廃坑。その中の様子は――


「うん、何も見えない」


 光源の存在しない廃坑内部は、狩夜にはほとんど見えなかった。今はまだ入り口から差し込む光があるので、薄っすらと周囲の様子がわかるが、もう少し進めばまったく見えなくなるだろう。


「レイラ、明かり」


「……(コクコク)」


 歩きながら出された狩夜の指示に、素直に頷くレイラ。狛犬家でも使った光る花を頭上に出現させ、その花が放つ蒼白い光で、廃坑内部を照らし出す。


 鮮明になった廃坑内部を改めて観察しようと、狩夜は周囲をぐるりと見回した。そして気づく。


「え? 真央?」


 自身のすぐ後ろを歩いているはずの真央が、いない。


 狩夜は慌てて体ごと振り返り、直後に廃坑の入口で佇む真央の姿を見つける。


 真央は、僅かに震える右手で廃坑の壁を触りながら、感情を押し殺した能面のような顔で狩夜のことを見つめていた。


 ――様子がおかしい。


 真央の身を案じ、廃坑の入口へと狩夜が駆け出そうとした、次の瞬間――


「すまぬ、狩夜」


 真央が右手に力を込め、廃坑の壁の一部を奥へと押し込んだ。それと同時に、狩夜の真下にあった地面が左右に割り開く。


 突如として口を開けた地面の先には、奈落にでも通じているかのような、底の見えない縦穴が存在していた。


「え?」


 全身が落下感に包まれ、頭上にいるレイラ共々縦穴に飲み込まれる最中、狩夜は真央の顔を見つめ続けた。


 真央が持つ真紅の双眸から、一筋の涙がこぼれた落ちるのを見届けた後、狩夜は頭まで縦穴に飲み込まれ、真央の姿が完全に見えなくなる。


「真央!?」


 背中を下にして落下しつつ、仲間であったはずの者の名前を叫ぶ狩夜。そんな狩夜の視線の先で、観音開き状に開いていた縦穴の蓋が、無情にも閉じられる。ただの岩壁に見えるよう巧妙に偽装されたあの仕掛けから、真央が手を離したに違いない。その気になれば空だって飛べる狩夜たちを、地の底に閉じ込めるためにだ。


 なんで? どうして? そう胸中で呟きながら、狩夜は終わりの見えない縦穴を、下へ下へと落ちていった。



   ●



 時間は少し遡り、二日前。


「これだけ探しても見つからないということは、揚羽はやはり城の外ね。あの子ったら、また仕事を放り出して外をぶらついているんだわ。姉であるこのわたくしを差し置いて将軍になったというのに、本当に困った子」


 美月城の城内を静々と歩きつつ、右手を頬に当てながら呟く立羽。


 憂いに満ちた表情で揚羽の素行を嘆くその姿は、妹の将来を危惧する厳しくも優しい姉そのものに見える。恍惚の表情を顔に張りつけた家中の武士や奉公人が、彼女の周囲に転がってさえいなければ、誰も疑いはしないだろう。


「さてと、峰子なら知っているかしら? あの子の居場所」


 立羽が向かう先は、城に訪れた直後に通された客間である。将軍の傅役である峰子に、今一度揚羽の居場所を問い詰めるつもりなのだ。


 ほどなくして客間へと戻ってきた立羽は、声をかけることなく襖を開け放ち、その中へと足を踏み入れた。そして、座卓に突っ伏しながら動こうとしない峰子へと近づき、見下しながら口を動かす。


「峰子、よくもこのわたくしに嘘を吐いてくれたわね? 揚羽ったら、城の中にいないじゃない。あの子は今どこにいるの? 知っているのなら教えなさい」


「くひ……くひひ……」


「……峰子、もう一度聞くわよ? 揚羽は今どこにいるの? 知っているのなら教えなさい」


「くひ、くひひ……くひひひひ……」


 峰子の顔には、先ほどの武士や奉公人たちと同じく、浮世のすべてを忘れたかのような恍惚の表情が張りついていた。そんな彼女からは、人間ならば誰もが持つ知性や品性といったものを一切感じ取ることができない。人としての尊厳、その全てを放棄してしまっている。


 まともな反応を返さない峰子に対し、立羽は諦めるように溜息を吐いた。次いで言う。


「はぁ。これはもう駄目ね。完全に思考が向こう側にいってしまっているわ。一瓶全部食べさせたのは失敗だったかしら?」


 座卓の上で転がっている空になった小瓶を見つめながら「これからどうしましょう」と、心底困った様子で呟く立羽。が、その直後に彼女の頭上にある大きな耳が機敏に動く。


 兎の獣人の聴力で城内の変化を感じ取った立羽は「あら、もういらしたのね。お迎えに上がらなきゃ」と呟き、峰子をその場に残して客間を後にした。そして、少し足早に正門へと向かう。


 立羽が正門へと向かう最中、幾人もの闇の民が城内に押し入ってきた。自らの生家でもある城を土足で蹂躙し、家中の武士と奉公人、はては自身の妹や母親をも手当たり次第に拘束していく彼らを咎めもせずに眺め、擦れ違い、立羽は真っ直ぐに正門を目指す。


 玄関で下駄を履き、立羽が庭に出ると、ひときわ目を引く闇の民の一団が、我が物顔で正門を潜るところであった。


 全員が闇の民の男で構成されたその一団を眺めながら、立羽は背筋を伸ばす。そして、その一団の中心にいる人物に向けて深々と頭を下げ、恭順の意を示した。


「お待ちしておりました。ようこそ、美月城へ」


「立羽か。首尾はどうだ?」


「上々にございます。我が主、カルマブディス・ロートパゴイ様」

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