098・書状

『ゴッゲゴッゴーーー!!!』


「うわぁ!?」


 グンスラー唯一の宿、その一室で眠っていた狩夜は、外から聞こえてきた「朝が来たぞ起きろやごらぁ!!!」とでも言いたげな鳴き声に叩き起こされ、掛布団を放り投げるように飛び起きた。


 グリンカムビ。


 ユグドラシル大陸の至るところで飼育されている、金色の鶏冠とさかを持つ鶏である。通称『時作りの鳥』。


 毎日のように美味な卵を産み、肉も美味しく、飼育も容易と、家畜として非常に優れている。だが、朝の決まった時間(かなりの早朝)になると、先ほどのように凄まじい鳴き声を上げるため、都会ではあまり好まれない。特に、静寂を好む者が多い木の民や、夜型の者が多い闇の民は、グリンカムビを苦手とする。


 養鶏を生業にしている農家もあり、ここグンスラーは特に飼育数が多い。そのため朝になると、航空爆撃もかくやという轟音が村全体に響き渡る。グンスラーに闇の民が少ない理由の一つがこれだ。


「こればっかりは慣れないな……目覚まし時計代わりになって助かるけど……」


 動悸の激しい胸を右手で押さえながら、そう独りごちる狩夜。次いで、狩夜の顔を見つめながら「大丈夫?」と言いたげに首を傾げるレイラの頭を一撫でしてから立ち上がる。今頃は隣の部屋で寝ている真央も、狩夜と同じくグリンカムビに叩き起こされ、グンスラーの住人たちと共に一斉起床していることだろう。


 寝間着を脱ぎ、レイラに出してもらったいつもの服に着替えた後、眠気覚ましに井戸で顔でも洗ってこようと、狩夜は部屋の出入り口へと向かう。


 鍵代わりのつっかえ棒を外し、引き戸を開閉可能にすると――


「狩夜!」


「ふえ!? 真央!?」


 狩夜がつっかえ棒を外すのを待ち構えていたかのように――いや、自慢の聴覚で部屋の内部を探りつつ、実際待ち構えていたであろう真央が、狩夜に先んじて引き戸を開け放ち、室内へと飛び込んできた。


「この喜びを誰かと分かち合いたい」とその表情で語る真央は、突然の事態に硬直している狩夜の頭へと両手を伸ばし、豊かな胸の谷間へとやや強引に抱き込んだ。次いで言う。


「やった! やったよ狩夜! さっき白い部屋で累積ソウルポイントを確認したらさ、九千八百を超えてたんだよ! あと少し、あと少しだ! 今日一日頑張れば、ボクは男になれる!」


 真央とパーティを組んで今日で七日目。狩夜と真央は、その間に五体の主と、三体のなりかけを屠っている。まあ、それくらいの量にはなるだろう。


 目標まであと一歩のところにまで近づいた。その事実がよほど嬉しいのか、真央は狩夜の頭を胸中に抱き込んだまま、部屋の中央でクルクルと回る。


「やったね、真央」


 顔面を覆い尽くす幸せ過ぎる感触に顔を赤らめながら、狩夜は仲間として真央を祝福した。すると、真央は満面の笑みで頷き、感謝の言葉を返してくれる。


「うん! 狩夜、約束を守ってくれて、本当にありがとう! しかも一週間どころか、たったの七日で! こんなにもうまくことが運んだのは、全部君のおかげだ! ボクは狩夜が大好きだよ――って、うわ!?」


「ふえ!?」


 会話の途中、敷きっぱなしになっていた布団に足を取られ、その布団の上に狩夜共々豪快に倒れ込む真央。剣術の達人である真央にしては、いささか以上に意外な失敗である。


 ほどなくして動きを止めた二人は、互いに苦笑いを浮かべつつ口を動かす。


「いたたた……ごめん狩夜、ちょっとはしゃぎすぎちゃったね……」


「いや、このくらいどうってこと――っ!?」


 口の動きを途中で止め、目を見開く狩夜。そう、いったいなんの偶然か、二人は布団の上で、狩夜が真央を無理矢理押し倒したかのような体勢で動きを止めていたのである。


「「……」」


 唇が触れ合いそうな距離で、暫し無言で見つめ合う二人。そして、真央が持つ真紅の瞳に吸い込まれるように、狩夜の方から真央の唇へと――


『ごめんね、お兄ちゃん……』


「――っ!?」


 突然脳裏を過る妹の泣き顔と、嗚咽交じりの謝罪。


 心臓を抉るような鋭い胸の痛みと共に我に返った狩夜は「何をやってるんだ僕は!?」と、胸中で自身を罵倒しながら、慌てて上半身を起こし、真央の上から飛び退いた。


「ご、ごめん真央! ほんとごめん! なんか僕、一瞬変な気持ちになっちゃったよ! 真央がそういうの嫌ってるって知ってるのに、ほんとにごめん!」


「……」


「あう……」


 狩夜からの謝罪に一切反応しないまま上半身を起こし、真顔かつ無言で乱れた着衣を整える真央。


 そんな真央の様子にいたたまれなくなった狩夜は、狩夜と真央のやり取りを意に介さず、なぜか天井を見上げているレイラを右手で引っ掴むと「本当にごめん!」と言い残し、部屋を飛び出した。


 ――僕はさっき真央に何をしようとした!? 今の僕には、異性との恋愛に現を抜かす暇なんかない! 休憩と食事、それ以外の時間のすべてを目的達成のために費やすと決めたじゃないか!


 自己嫌悪に突き動かされるまま宿を飛び出し、狩夜はグンスラーをあてもなくひた走る。そんな狩夜の頭上で、レイラは宿屋の方向を、狩夜の部屋のある一点を見つめ続けていた。



   ●



「ふむ。あの状況でもに不埒なおこないはせぬか。信義に厚いのか、はたまた意気地がないだけか。余としては好ましい限りじゃが、あれで数多の正室側室の相手が勤まるのかと、ちと不安ではあるな」


 狩夜のいなくなった部屋で、着衣の乱れを整え終えた真央が、立ち上がりながら口を動かす。その口調はボーイッシュなものから高貴なものへと変わっており、表情もやや高圧的だ。


「明日にはなくなる女の体。今日までの礼代わりにと、しばらく好きにさせた後で平手打ちだの巴投げだのして、外で頭を冷やしてこいと言い放つつもりであったのじゃが……まあ、結果的に一人になれたのであればそれでよし」


 真央はここで言葉を区切ると、部屋の天井へと視線を向けた。次いで言う。


「余に用があってまいったのであろう? 早う出てまいれ。余が一芝居打ってまで狩夜を遠ざけてやったのじゃ、時間を無駄にするな」


 この言葉が終わると同時に天井板の一部が外れ、天井裏から桃色の影が部屋の中へと舞い込んできた。眼前に佇む桃色の影を見つめながら、真央は言う。


「やはり牡丹か。そなたに見つかってからすでに三日。そろそろ城側から何かしらの反応があると思っておったぞ。しかし、服装といい、行動といい、相変わらずまったく忍んでおらんな貴様。会いに来るならば夜にせよ。よりにもよって、余と狩夜がその……親睦を深めているときに来おってからに! 先の芝居、そこそこに恥ずかしかったのじゃからな!」


 桃色の影――牡丹を、ほんのり赤い顔で叱りつける真央。その叱責を、牡丹は申し訳なさげな顔で聞いていた。


「そなたが一人で来たという事は、狩夜を拉致しにきたわけでも、余を連れ戻しにきたというわけでもないのであろ? 大方、峰子あたりの命で、異世界人・叉鬼狩夜と行動を共にする余の真意を問い質しにきたというところか? ならば、城に戻り峰子に伝えよ。余は今しばらく城に戻るつもりはない。帝国に仇なす主どもを一掃する良い機会であるし、ことが終わった後でそれを成し遂げたのが誰であるかを大々的に喧伝すれば、狩夜の帝国での人気は不動のものとなろう。そうなれば後々都合が良い。峰子は危険だと激昂しそうじゃが――安心せよ、うまくやる。ああそれと、もう一つ良い知らせがあるのじゃ。聞こえていたであろうが、余は明日にでも――む?」


 言葉を途中で止め、瞬きを二度ほどする真央。右手で自身の胸をまさぐり、谷間から一枚の封筒を取り出した牡丹が、真央の顔面すれすれの場所へと無遠慮に突き出してきたからである。


「御帝から書状だし」


「帝から?」


 帝からという予想外の言葉に、牡丹の無礼な行動を咎めることなく封筒を受け取る真央。直後、牡丹は真上へと跳躍。真央が呼び止める間もなく、再び天井裏へと姿を消す。


「じゃ、確かに渡したし」


 この言葉が終わると同時に閉じられる天井板。しばらく無言でその天井板を見つめていた真央であったが、ほどなくして口を開く。


「いったか……様子がおかしかったが……城でなんぞあったか?」


 こう呟いた後、牡丹から受け取った封筒をまじまじと観察する真央。そして、封蝋に押された印を見つめながら再度口を動かす。


「この印璽いんじは確かに帝のもの……どれ」


 手慣れた様子で封を開け、中から丁寧に折られた書状を取り出す真央。そして、ざっと目を通し――その顔色を変えた。


「馬鹿な……」


「見間違いであってくれ」と、何度も何度も書状に目を通す真央。その真紅の双眸が書状に綴られた文字をなぞる度、真央の整った顔が驚愕と困惑に歪む。


 何度読み返しても変わることのない書状の内容に、真央は天を仰いだ。次いで言う。先ほどとまったく同じ言葉を、まったく違う声色で。


「馬鹿な!?」


 真央のこの上なく悲痛な叫びが、宿屋の一室に木霊した。

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