095・くノ一

「はい、ご注文の蓮の若芽炒めと、茎の和え物。蓮の葉のお吸い物と、きんぴら蓮根でーす!」


「ん、きたきた。では早速、いただきます」


「……」


 フヴェルゲルミル帝国の主要都市の一つ、レイプト。主討伐の途中、腹が減っては戦はできぬと立ち寄った飲食店で注文した料理が届き、真央が嬉し気に両手を合わせる。


 竹製の箸で適度に炒められた蓮の若芽を少量摘まみ、上品に口へと運ぶ真央。そんな彼女と相席する狩夜は、なんともいえない表情で真央の顔を眺めていた。すると、真央は訝しげな顔で首をかしげ、こう口を動かす。


「ん? どうしたの狩夜、ボクの顔をじっと見たりして? 食事中の女性の顔を凝視するのはどうかと思うよ?」


「いや、よくもまあ毎日、そうも蓮ばかり食べられるな――と」


 真央とパーティを組んで今日で五日目だが、その五日間、彼女は毎食欠かさずに蓮を口にしている。


 もちろん不味くはない。フヴェルゲルミル帝国にきてからというもの、狩夜とて何度も、特に蓮根は毎日のように口にしている。


 初めこそ蓮根への懐かしさや、蓮の葉や茎を食べる物珍しさから、美味い、美味いと食べていたが、正直もう飽きがきていた。


 米やジャガイモがなく、麦が高価なユグドラシル大陸において、蓮根が貴重な炭水化物だということは理解しているが、さすがに毎日はきつい。正直、よく嫌な顔一つせずに食べ続けることができるなと感心してしまう。


 そして、毎日蓮を食べるのは真央に限ったことではない。別の席で食事をしている他の客たちも、皆美味しそうに蓮の葉を、茎を、蓮根を食べ、花茶(無論蓮)で喉を潤している。


 誰も彼もが蓮、蓮、蓮。現代日本人の狩夜には、少しばかり異様な光景に思えてならなかった。


「セイクリッド・ロータスが帝国国民の主食だってことは知ってるけどさ、飽きたりしないの? たまには麦とか芋とか食べたいとか思わない?」


 そう言って、自らが注文した麦飯(大麦百パーセント。けっこうお高め)を掲げてみせる狩夜。この麦飯と、セーフリームニルの生姜焼きが、今日の狩夜の昼食である。


 そんな狩夜の昼食を一瞥してから、真央は言う。


「思わなくもないけどさ、別に苦にはしてないよ。ボクたち月の民、とりわけ草食動物系は、他種族に比べて同じものを延々と食べるのが得意だしね」


「お国柄ってことか……」


「それもあるけどね狩夜、飽きる飽きない以前に、庶人はセイクリッド・ロータスを食べ続けるしかないってことを理解しておくれよ? ボクや狩夜みたいに、パンやバクシャリを食べたいときに食べられる人は、ほんの一握りなんだから」


「あ、そっか。金銭面の問題もあるか」


「うん。セイクリッド・ロータスはとにかく安価だからね。帝都なんて、自分で採ればタダだよ、タダ。それに比べて麦は高い。栽培も何かと手間がかかる」


「ほっとけば増えるもんね、セイクリッド・ロータスは」


 一度根づいたが最後、育てるよりも駆除する方が難しい。それがセイクリッド・ロータスである。群生地であるフヴェルゲルミルの泉と隣接しているエーリヴァーガルなら、まさに食べ放題だ。


「なにより、ボクは好きだよ、セイクリッド・ロータス。特に実は大好物さ。餡や甘納豆、お汁粉にしても美味しいけど、やっぱり一番は甘露煮だね。おめでたいときや、特別な行事があるときに、国民皆で口にする縁起物。今度狩夜にもご馳走するね。とっても美味しいからさ、楽しみにしててよ」


「うん、そうする。でもさ、真央って猫の獣人なのにいつも野菜中心の食事だよね。このお店、魚料理もあるのに見向きもしないしさ。本当に猫? 実は兎なんじゃないの?」


「あ、あはは……嫌だな狩夜ってば、心臓に悪い冗談やめてよもう……ボクが兎の獣人、将軍家の人間だなんてさ……不敬罪で捕まったらどうするんだよ……すみませーん! 追加でユグドラシルサーモンの塩焼きくださーい!」


 店内に真央の追加注文の声が響く中、狩夜は生姜焼きを頬張り、次いで麦飯を豪快にかき込んだ。


 今日も主との戦いが待っている。しっかり食べておかないと。



   ●



「はぁあぁぁあぁ……」


 この世の不幸独り占め。そう言いたげな表情で、大熊峰子は美月城の一室で盛大に溜息を吐いた。次いで言う。


「よもや、失敗とは……」


「申し訳ございません」


 峰子の言葉に対し、跪きながら頭を下げ、謝罪の意を示す一人の女性がいた。


 名を矢萩。


 美月家直属の草、猪牙忍軍の棟梁にして、鹿角紅葉の非公式パーティメンバーである。要するに、ギルドに登録されていないもぐりの開拓者だ。


 階級はテンサウザンド。だがこれは、隠密行動を旨とし、多くのスキルの習得、向上を優先した上での数値である。紅葉やフローグと同じく、基礎能力の向上を優先していれば、ハンドレットサウザンドにもなれただろう。


 存在を世間に認知されていない、世界最強クラスの開拓者。それがこの矢萩である。


 歳は十代後半。髪は濃紫のショートカット。肌の露出が極めて少ない黒の忍び装束を着込み、体の至る所に多種多様な武器を携帯していた。


「よもや、空を飛んでウルザブルンを脱出しようとは夢にも思いませんでした。我が国の草を総動員し、万全の布陣を敷いた上での任務失敗。その責はすべてこの私にあります。処分はいかようにも――」


「気遣いは無用なのですぞ、矢萩。失敗の責任は、小生にこそあるのです」


 矢萩の言葉を遮りながら、再度溜息を吐く峰子。次いで、こう言葉を続けた。


「帝都までの移送期間を考慮し、満月の夜が過ぎるのを待ったのが裏目に出たのです。これは小生の判断ミスなのですぞ」


「お言葉ですが、それは致し方のないことかと。ソウルポイントで月経を止めている草は、私を含めごく少数。移送対象が年若い男――それも、日ノ本からの異世界人となれば、満月下での移送は危険です。いずれ多くの女性を娶るとはいえ、初めての相手はやはり正妻、将軍家の方でなければ」


「後一日……異世界人・叉鬼狩夜が、後一日ウルザブルンに留まってくれれば、すべてがうまくいったですのに……!」


「現在、作戦に参加していた草を総動員し、その行方を追っております。必ずやその居場所を突き止めてごらんにいれますので、今しばらくの御辛抱を」


「本当に見つかるのですか? 相手は、矢萩たち猪牙忍軍の追跡と、小生の予測を完全に振り切り、二十日間もの間その行方をくらませた、恐るべき隠形の使い手なのですぞ?」


 今にも泣きそうな顔で弱音を吐く峰子。彼女が気落ちするのも無理はない。峰子たちフヴェルゲルミル帝国上層部が、異世界人・叉鬼狩夜の捕獲に失敗したのは、これで二度目なのだ。


 一度目の失敗は一月前。日ノ本からの異世界人発見というこの上ない吉報が、矢萩本人の口と、紅葉直筆の書状によって知らされた、数日後のことである。


 異世界人発見の報を受けるや否や、帝は即座に勅令を出し、テンサウザンドの開拓者である矢萩を中心とした最精鋭の捕獲部隊を組織。発見場所であるウルザブルンへと急行させる。


 しかし、この捕獲作戦は見事に失敗した。


 捕獲部隊は、精霊解放遠征の出陣式の直後に忽然と姿を消した狩夜を、捕獲するどころか発見することもできず、国に引き返すことになったのである。


 手ぶらで帰ってきた矢萩の口から『行方不明』という報告がされたとき、フヴェルゲルミル帝国上層部は、皆一様に意気消沈した。無論峰子もその一人である。


 その後『叉鬼狩夜、ウルザブルンにて再発見』の報が舞い込むまでの、おおよそ二十日間、フヴェルゲルミル帝国上層部は、完全にお通夜状態であった。


 二十日間もの間、いったいどこに身を潜めていたかは知らないが、生きていたならばそれでよし。気を取り直した帝は再度勅令を出し、草を総動員した捕獲部隊を組織する。それが今回の捕獲作戦だったのだが、これも失敗してしまった。加えて、相手はまたも行方不明。


 今度見つかるのはいつになるやら――と、峰子は再度溜息を吐く。


「必ず……必ず見つけます。異世界人・叉鬼狩夜を見つけ出し、この国に連れてくる。私は、それを成し遂げるために紅葉様のパーティを一時離れ、ここに残ったのですから」


「矢萩……」


「そろそろ任務に戻ります。それと、逐電なされた揚羽様捜索の任、委細承知いたしました。そちらも私どもにお任せください。叉鬼狩夜の捜索と並行し、見事完遂して御覧に入れましょう」


 こう言って立ち上がり、峰子に対して「失礼します」と頭を下げる矢萩。その、直後――


「待った、待った! ちょーっと待ったぁ! 矢萩、もうあんたが捜索にいく必要はないし!」


 と、なんとも騒々しい声が部屋の外から響いてきた。峰子と矢萩は互いの顔を見合わせ、次いで言う。


「この声は――」


「牡丹か」


「っそ! 猪牙忍軍副棟梁・牡丹! 華麗に参上!」


 名乗りと共に部屋に飛び込んできた桃色の影は、二人の視線の先で、実に見事な決めポーズと、横ピースを披露した。


 彼女の名は牡丹。


 美月家直属の草、猪牙忍軍の副棟梁にして、矢萩と同じく鹿角紅葉の非公式パーティメンバーである。


 基礎能力向上回数、スキル構成、共に矢萩とほぼ同等。つまり、彼女もまたテンサウザンドである。


 歳は十代後半。髪は桃色のツインテール。白とピンクを基調とした、露出過多でミニスカートな忍び装束を着込み、体の至る所に鎖分銅を巻き付け、その起伏豊かな体をことさらに強調していた。


 そんな自らの副官を冷めた目で見つめながら、矢萩が言う。


「牡丹、なぜお前がここにいる? お前には、異世界人・叉鬼狩夜の探索続行の任を言い渡していたはずだが?」


「ああんもう、そんなに怖い顔しないでよ矢萩。牡丹、ちゃんとお仕事してたってば。その証拠に、すっごい耳寄りな情報を持ってきたの。褒めて褒めて」


「耳寄りな情報? なんだ?」


「ふふ♪ 聞きたい? 聞きたいのね? なら、それなりの頼みかたってものがあるでしょ――って危な!? ちょっと矢萩、いきなり苦無投げないでほしいし!? 牡丹じゃなかったら死んでたし、今の!?」


「いつもながら騒がしい奴だ。本当に草か? なぜお前のような女が、猪牙忍軍の副棟梁で、紅葉様のパーティメンバーなんだ?」


「はぁ? そんなの、牡丹が超優秀だからに決まってるし。そんなこともわからないなんて、矢萩って案外バカ?」


「上官に対してその態度……どうやら苦無一本では足らないらしいな?」


「まあまあ、落ち着くのですよ矢萩。素行はちょっとあれですが、牡丹が優秀なのは紛うことなき事実なのです。それで牡丹、耳寄りな情報とはなんなのです?」


「あ、そうそう。聞いてくださいよ峰子様。牡丹、異世界人・叉鬼狩夜と、現将軍・美月揚羽様を、グンスラーにてまとめてはっけーん。二人は行動を共にしているもよーう」


「なんですとぉ!?」


「耳寄り情報その弐~。揚羽様の頭に、叉鬼狩夜からの求婚の証たる花の存在を目視にてかっくにーん。すでに二人は、いくところまでいっちゃってるもよーう」


「なななななななんですとぉ!!??」


 慌てふためく峰子の声が、主不在の美月城に響き渡った。

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