094・伝説の勇者と創世記

「あ、こんなところにいた」


 グンスラーの外れにある小高い丘で、日向ぼっこをしながらヘイズルーンとアウズンブラのミルクを交互に飲み、狩夜が神妙な顔で味比べをしていると、横から気軽に声をかけられた。


 真央である。


 ゆっくり休んで疲れが取れたのか、軽い足取りで近づいて来る彼女は、狩夜の手元を見つめながら小首を傾げ、怪訝そうな顔で口を開く。


「何してるの?」


「……乳比べかな?」


 狩夜が神妙な顔を維持したままこう言うと、真央は合点がいったとばかりに頷いた。次いで言う。


「ああ、ヘイズルーンとアウズンブラのミルクを飲み比べているのか。で、どうだい? 比べてみた感想は? 結論は出たかい?」


「甲乙つけがたいっていうのが素直な感想。こんな僕を、君は優柔不断だって笑うかな?」


「まさか。ヘイズルーンとアウズンブラ。どちらのミルクがより美味しいかは、イスミンスールに生きる全人類共通のテーマだよ。そう簡単に結論が出るもんか」


 全人類共通とは随分と盛大である。羊角の女の子とカウガールから託された命題は、叉鬼狩夜という一凡人には荷が勝ちすぎているように思えた。


「そう言う真央こそ何してるの? 寝溜めはもういいのかい?」


「うん、半日ほど眠って疲れはすっかりとれたよ。日課の素振りと柔軟、あと沐浴も済ませた。やりたいことは全部終わったし、もうすぐ夕暮れだしで、そろそろ夕餉にしようと思うんだけど、一人で食べるのも味気ないからね。こうして狩夜を探しにきたってわけ」


「ん、もうそんな時間か……わかった、僕も御一緒するよ。レイラ、真央と一緒に宿に戻るよ」


「……(コクコク)」


 狩夜の言葉に頷いた後、レイラは日向ぼっこを切り上げ、狩夜の体へと飛びついた。狩夜はレイラが頭上に移動するのを待ってから立ち上がり、真央の隣へと歩を進める。


 狩夜が隣に差し掛かると同時に踵を返し、同じ方向へと歩きだす真央。二人は並んで歩き、拠点にしている宿屋を目指した。


 小川に沿ってできた道の上を歩いていると、ふと視線を感じとる狩夜。顔を横に向けてみると、こちらの様子を窺っていたと思しき羊角の女の子と目が合う。


 羊角の女の子は即座に顔を真っ赤にし「本当にごめんなさい! 今日の私、ちょっとどうかしてました!」と、アイコンタクトで狩夜に訴えつつ、何度も頭を下げてくる。


 どうやら、一時のテンションとカウガールへの対抗心に身を任せて、とんでもないことをしてしまったという自覚はあるらしい。


 狩夜は苦笑いを浮かべ「気にしないでいいよ」と手を振った。次いで、羊角の女の子が家畜小屋へと戻そうとしている家畜たちへと目を向ける。


「ねぇ真央。魔物とそうでない生き物の違いって、いったいなんなのかな?」


 丘の上で身を休めながら、牧場の家畜を眺めることおおよそ半日。その最中に頭を過ぎった疑問を、そのまま真央に尋ねる狩夜。


 このイスミンスールには、地球と同じように多種多様の動植物が棲息しているが、それら動植物は、ある括りで明確に区別されている。


 そう。魔物か、そうでないか――だ。


 ラビスタやボアといった、哺乳動物型の魔物を何度か解体したことのある狩夜だが、魔物特有の特別な器官などは一切発見できなかった。食べても別に毒ではなく、普通に肉の味がする。


 人を襲うか襲わないか、などという曖昧な違いでもない。あの大人しい家畜たちだって、時と場合によっては人間を襲いもするだろう。


 要するに、地球の生物学に当てはめた場合、魔物も、あの家畜たちも、なんら違いはないのである。どちらも同じ哺乳類という扱いになるはずだ。


 目に見える違いといえば、一つだけ。


 マナだ。


 マナと反発し、触れれば弱体化するのが魔物。マナと適合し、触れれば力が漲るのが、狩夜たち人間であり、普通の動植物である。


 この違いはいったいなんだ? わからない。生まれ持った魂の違いだと人は言うが、狩夜は納得していない。


 かつてイルティナにも尋ねた疑問。イスミンスールに来たばかりで余裕がなく、返された答えをそのまま鵜吞みにしていたこの疑問を、今一度真剣に考えてみたいと、狩夜は思った。


「魔物とそうでない生き物の違い? そんなの始まりからしてまったく違うよ。かつてこの世界に根を張っていた【邪悪の樹】を起源にするのが魔物。ボクたち人間と同じく世界樹を起源とするのが、あの子たち動物じゃないか」


 狩夜の問いに対し「何当たり前のことを聞いてんだこいつ?」と言いたげな訝し気な表情を浮かべる真央。が、それは一瞬のこと。何かに気がついたように「いけない、いけない」と頭を振り、生徒からの質問に答える先生のような顔で「しょうがない、ボクが教えてあげよう」とばかりに口を動かし、イスミンスールの創世記・第二章。その概要を狩夜に話し始めた。


 すでに知っている情報だけど、一応おさらいしておくか――と、狩夜は真央の言葉に耳を傾ける。


 創世記の第一章、創造の九日間の後、数億年という途方もない時間が流れ、幾多の命がこの世界、イスミンスールに生まれた。


 多種多様な動植物に溢れた平和な世界。自らが創り上げたその世界を前にして、己が使命である世界の創造はついに完遂されたのだと世界樹は判断する。そして、次なる世界の創造を担う存在を、自らの子孫を残す準備を始めた。


 数多の同胞に見守られながら、数千年という歳月をかけて蕾を創り、世界樹はついに大輪の花を咲かす。


 世界樹の花が放つ甘い香りが世界をあますことなく包み込み、世界そのものが喝采を上げる最中――ソレはやってきた。


 天を裂いてこの世界に現れ、地面に根づく際の轟音で世界樹への喝采を悉く掻き消したソレは、罪のない数多の命を一方的に搾取して瞬く間に成長し、その異形を天高く聳えさせる。


 邪悪の樹。


 平和と安息に満ちていたイスミンスールに、突如として現れた悪魔。すべての悲劇と争いの元凶。


 邪悪の樹は、まるで果実を実らせるかのごとく、その枝葉から異形の生物を次々に産み落とし、イスミンスールを蹂躙していった。


 魔物。


 膂力強く、圧倒的な体躯を誇るその異形の生物たちは、後にそう呼ばれるようになる。


 特筆すべきは、その破壊衝動と残虐性。魔物は、世界樹を起源とするすべての動植物の存在を認めようとはしなかった。持てる力のすべてを持って、それらを殺し、食らい、焼き払っていく。


 平和であったはずのイスミンスールに、未曽有の危機が訪れたのだ。


「そんな魔物たちに対抗するため、世界樹はある生き物を作りだす。レベルとスキルという自己強化手段を持つ特別な生命体。つまり、ボクたち人間ってわけだね」


 ここで一旦話を区切り、右手で自身の胸を叩く真央。


 そう、これがこの世界、イスミンスールに生きる全人類のルーツである。この世界の人間たちは、猿から進化して人間になったのではなく、神である世界樹によって、初めから人間として創られたのだ。


 予期せぬ侵略者、邪悪の樹。それが産み落とす魔物への対抗手段として。


 そのため、八種の人類に歴史的優劣はない。どの種族もほぼ同時期に誕生し、等しい長さの歴史を今日まで紡いでいる。


 邪悪の樹が際限なく生み出す多種多様な魔物たち。それらすべてに対応するため、人間にも多様性が求められた。


 高温の環境下に住まう魔物には火の民が。


 水棲魔物には水の民が。


 有翼の魔物には風の民が。


 地中や岩穴に住まう魔物には地の民が。


 森の中に住まう魔物には木の民が。


 夜行性の魔物には月の民が。


 そして、万能性の闇の民と、汎用性の光の民とで、あらゆる魔物に対応する。


「苛烈を極めた魔物と人間との戦い。そんな中、各種族の先頭に立ち、人間に知恵を与え導いたのが、世界樹の分身である精霊様。そのかつての上下関係が、今日まで続く精霊信仰の原型だね」


「なるほど」


 真央が気分よく話せるように、適度に相槌を打つ狩夜。そして、ここから世界樹と邪悪の樹。人間と魔物。それらの長きに渡る闘争の歴史が始まる。


 奇襲同然の先制攻撃を受け、初めこそ後手に回った世界樹だが、精霊と人間の活躍、何より、世界樹自身が汚れた魔物の魂を浄化し、その能力を弱体化させるマナを放出する事で、邪悪の樹との戦いを次第に有利に進めていくようになった。


 だが、戦いの終結にまではいたらない。なぜなら、邪悪の樹の周囲には、世界樹と同じく強力な結界が張られており、精霊も人間も近づくことができなかったからである。


 双方共に決定打にかけ、不毛な消耗戦がいついつまでも続いた。そして、種族ごとに独自の文化が形成され、世界の至るところに人間の国ができあがるころ、長きに渡る邪悪の樹との戦いに終止符を打つべく、世界樹が動く。


 世界樹の花が散り、次代を内包する果実が完成すると同時に、異世界より一人の人間を、このイスミンスールに召喚したのである。


 そう、初代勇者だ。


 初代勇者は、幼生固定された世界樹の種が埋め込まれた聖剣を手に、世界樹の三女神の一人であるヴェルダンディと共に聖域を飛び出した。そして、冒険の最中で心を通じ合わせた木の民の姫と共に数多の試練を潜り抜け、ついに邪悪の樹の根本にまでたどり着き、すべての元凶たる悪魔を、見事切り倒したのである。


 生みの親である邪悪の樹を失った魔物たちは、とたんに大人しくなり、世界樹が放出するマナによって次第に弱体化。最終的には魂を完全に浄化され、ごく普通の動植物となんら変わらない姿へと落ち着き、神である世界樹から、共にイスミンスールで生きる仲間として認められた。


 永遠とも思える邪悪の樹と世界樹、人間と魔物との戦いは、こうして幕を閉じ、世界には平和が訪れる。


 これが、イスミンスールの創世記、第二章・人類誕生と、初代勇者の伝説。その概要である。


「まあ、邪悪の樹と魔物との戦いは、これじゃ終わらなかったんだけどね。アースの連中がやらかしたから」


 アース。世界樹が八種の人類を創造する以前からイスミンスールで暮らしていた知的生命体。人に似て非なる者。


 彼らは「我らアースこそが、この世界の正当なる支配者である」と考えており、後に生まれた八種の人類の事を、魔物と戦うための道具。戦う事しか能のない野蛮な存在と見下していたのである。そして、それ以上に恐怖もしていた。アースには、人間と違ってレベルも、スキルもない。彼らから見れば、人間は魔物と同じ、危険な力を持った化け物にしか見えなかったのである。


 神である世界樹や女神、精霊にどれほど祈り、願ったところで、結果はなしのつぶてだ。神である世界樹と、その眷属たちは、よほどのことが起きない限り下界には不干渉を貫く。アースの疑心暗鬼につきあう理由はどこにもない。


 このままでは、我々アースはいずれ人間に淘汰される。


 魔物の脅威が去り、初代勇者が多くの子孫に見守られながら大往生した後、彼らは満を持して決起した。自らを【アース神族】と呼称し、切り倒された邪悪の樹と、その切り株がそのまま残されていたアースガルズ大陸の一角を占拠。全人類に宣戦布告したのである。


 アース神族は、邪悪の樹の力を悪用し、魔物を量産。弱体化して平和に暮らしていた魔物の魂にも干渉し、凶暴化させ、力による世界の征服をもくろんだ。


 そんなアース神族たちの野望を打ち砕いたのが、世界樹によって召喚された二人目の異世界人、二代目勇者である。


 二代目勇者は、聖剣と女神ヴェルダンディ、そして、主に光の民の力を借りて、アース神族の首魁を打倒し、二度と悪用されないよう、邪悪の樹を跡形もなく粉々にした。


 その後、二代目勇者はアースガルズ大陸に根付いた切り株も、大陸ごと消し飛ばすことを選択する。そんな二代目勇者と女神ヴェルダンディの説得も虚しく、全アース神族は、消えゆく大陸と運命を共にすることを選び、イスミンスールから姿を消した。


 その後、魔物たちは再度マナによって弱体化し、再び世界に平和が訪れる。大陸一つと、アースという一種族を犠牲にして。


「この後はしばらく平和が続くよ。ボクのご先祖様である三代目勇者の活躍は、もう少し後だね。魔物が再度凶暴化するのは更に後。【厄災】と四代目勇者が出てくる少し前までは大人しくしてる」


「詳しいね。さすが良家のお嬢様」


 木の民の姫であるイルティナと、ほぼ同じ説明であった。一国の姫と変わらない知識とは、大した教養である。


「これぐらいは嗜みさ。魔物とそうでない生き物の違い、理解してくれたかな? ボクたちと魔物とじゃ、そもそも起源が、魂の種類が違うんだよ」


「うん、ありがとう。ちゃんと理解したよ」


 ――納得はしていないけどね。


 起源とする存在が違うのだから、人と魔物は生まれ持った魂が違う。一見筋が通っているように思えるが、どうにも腑に落ちない。


 魂の違いだというのであれば、なぜマナは異世界人である狩夜にも適合する? いや、それ以前に、なぜ世界樹は魔物を弱体化させるマナという物質を、ああも都合よく精製し、世界に放出することができたのだ? 邪悪の樹がイスミンスールに根づいた直後であるにもかかわらず?


 共に空――宇宙からこの星にやってきた二本の樹。


 周囲に張られた強固な結界。生命を生み出すという共通点。


 創造と破壊。方向性こそまるで違うが、ひょっとしたら、世界樹と邪悪の樹

は――


「それにしても、邪悪の樹って呼び方はどうなのかな? 名前とかなかったの?」


 自らの考えを確信に近づけるため、更なる情報を真央に求める狩夜。だが、真央は首を左右に振り、こう答える。


「あったのかもしれないけど、現代には伝わってないよ。考古学者たちは、名前を後世に残すのも憚れるほどに嫌われていたんじゃないか――って言ってる」


「そっか……それにしても、初代も、二代目も、やっぱりすごいね。本当に世界を救ってるもん。さすが勇者だ。名前負けしていない」


「うーん、僕は初代はともかく、二代目はあんまり好きじゃないな。本人はともかく、その子孫――ヴァンの一族がね……」


「ああ、アースと似たようなことをやらかして、三代目勇者と戦ったんだっけ?」


 祖先の敵役なら、嫌っていて当然か。


「そう。自らを神、【ヴァン神族】と呼称して、【クリフォダイト】っていう特殊な鉱物を使って、世界の転覆を企てた。このクリフォダイトは本当に恐ろしい鉱物で、後の【厄災】にも――っ!」


 会話を途中で止め、もの凄い勢いで後方へと振り返る真央。狩夜の頭上にいるレイラもまた、頭を百八十度回転させ、真央と同じ方向を凝視する。


 感知能力を持つ仲間たち。その突然の行動に、狩夜は冷静に対応する。即座に気持ちを戦闘用に切り替え、腰のマタギ鉈へと手を伸ばした。


「なに? 魔物?」


 真央とレイラの視線の先には、グンスラーの周囲に広がる密林がある。狩夜の目には普段と違うようには見えないが、何かいるのだろうか?


「……(ふるふる)」


 ほどなくして「気にしなくていいよ~」と、レイラが首を左右に振る。どうやら、密林の中に何かがいたのは確かなようだが、その何かはグンスラーに足を踏み入れることなく、どこかへと消えたらしい。


 狩夜はゆっくりと息を吐き、戦闘用へと切り替えた気持ちを、日常のそれへと徐々に戻していった。一方、狩夜と違ってまったく緊張を解こうとしない真央。深刻な顔つきで、密林を見つめ続けている。


「今のは……」


「真央? レイラは気にしなくていいみたいなことを言ってるけど、どうする? 気がかりなら、僕も一緒に森の中まで確認しにいくけど?」


「……いや、レイラちゃんが言うように、もう何もいないよ。いっても無駄足になるだけだ。でも……」


「でも?」


「……やっぱりなんでもない。ごめん狩夜、気にしないで。さあ、ご飯ご飯。いっぱい食べるぞー!」


 気持ちを切り替えるように大声を上げ、宿屋に向かって再度歩き始める真央。狩夜は「あ、待ってよ!」と、慌ててその後を追いかける。


 真央とレイラの感知に引っかかった、謎の存在。それはいったい何だったのだろう? 胸中でそう呟きながら、狩夜は真央と共に宿屋を目指した。

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