093・休日の一幕
「こんにちは」
「あ、開拓者さん。こんにちは! また来てくれたんですね」
フィヨルムから空路でグンスラーに戻り、真央と宿屋の前で別れた後、狩夜は再びあの牧場を訪れていた。
今日も元気に家畜の世話をしている羊角の女の子。狩夜が挨拶をすると笑顔で振り返り、大きな声で挨拶を返してくれる。
「本日はどのようなご用件で当牧場に?」
「動物に癒されにきました」
狩夜が真顔でこう言うと、それを聞いた羊角の女の子と、狩夜の頭上を腹這いの体勢で占拠していたレイラが目を見開いた。
レイラが「私じゃ不満か~!」と、抗議のペシペシ乱舞を狩夜の頭に見舞う中、羊角の女の子は不安げに口を動かす。
「あの、なにか心配事でも? 開拓者として活動していると、周りからの過度な期待とか、重圧とかあると思いますが、あんまり頑張りすぎないでくださいね? それとも、この間の女の子とうまくいってないとかですか? 今日はご一緒じゃないみたいですし……」
なんだか、申し訳ないほどに心配されてしまった。狩夜は慌てて首を左右に振り、次のように弁明する。
「あ、いや、その……さっきのは半分以上冗談ですからね? あんまり気にしないでください」
「半分以上……それって、少しはあるってことじゃないです?」
「まあ、毎日のように魔物と命のやり取りをしていれば、多少は……」
異世界では家族に癒しを求めることもできないし、十四歳では酒に逃げることもできない。狩夜でなくとも心労は溜まる。
「そんなわけで、お仕事の邪魔はしませんから癒しをください。あと、ヘイズルーンミルクを売ってもらえますか? 身長が伸びそうな濃いめの奴をお願いします」
「あはは、わかりました。搾りたての濃い奴をお持ちしますね。御一緒にチーズなどはいかがです?」
「シェーブルチーズですか。ならそれも――」
「ヘイ、ボーイ! ちょっと待つデース!」
「ふえ!?」
突然背後から呼びかけられ、間の抜けた声を漏らす狩夜。慌てて振り返ると、グンスラーの泉とフヴェルゲルミル川とを繋ぐ小川、その向こう側に広がる牧草地でプロのモデルのようにポーズを決める、牛角の女性――文字通りの金髪カウガールが目に飛び込んでくる。
ホルスタイン柄のベストを着込んだパンツルックの彼女は、そばかすのある顔で満面の笑みを浮かべつつ、右手に持った陶器製の瓶を狩夜に向かって突き出し、次いで叫んだ。
「身長を伸ばしたいのならヘイズルーンより断然こっち、アウズンブラミルクがお勧めダヨ! 味だってこっちの方が美味しいネ!」
どうやら彼女は隣の牧場の人間で、最近よく見かける狩夜に商品の売り込みにきたらしい。ウインクだの投げキッスだの、あの手この手を駆使して「こっちゃこ~い!」と狩夜にアピールしている。
そんなカウガールを、狩夜が「商魂たくましいなぁ」と好意的に眺めていると――
「あらあら、これはお隣の……こんにちは。この開拓者さんは、う・ち・の・牧場のお得意様ですから。手出し無用に願います」
「うわ!?」
いつの間にか狩夜の隣にきていた羊角の女の子が、「逃がさん」と言いたげに狩夜の肩を掴み、どこか棘のある口調でこう言った。狩夜の見間違いでなければ、顔に青筋が立っている。
「ハッハ! 何を言いますお隣サン! 商売は自由競争が原則、ユーに文句を言われる筋合いはありまセーン! それに、ミーは事実を言っただけデース! ヘイズルーンとアウズンブラ、どちらのミルクを飲めばより大きくなれるかなんて、ミーとユーを見比べれば一目瞭然ネ!」
高笑いの後、軽やかに牧場の柵と小川を飛び越え、狩夜のすぐ近くにまでやって来るカウガール。
ヘイズルーンとアウズンブラ。どちらがより大きくなれるか――か。なるほど、確かに一目瞭然である。身長は頭一つ分もカウガールの方が高いし、母性の象徴とも言えるある部分に、比べるのが気の毒になるほどの明確な差があった。
カウガールのそれは、なんというか規格外のサイズである。狩夜が今までに目にしてきた中でも間違いなく一番であり、“爆炎” のカロン破れたり! といった感じだ。さすがは牛の獣人である。
カウガールの発言を受け、悔しげに顔を歪ませる羊角の女の子。そして、負けじとこう口を動かした。
「ふん、相変わらず馬鹿でかくて下品な胸を恥ずかしげもなく放り出して。ああやだやだ、はしたない。あなたは仮にも月の民なんですから、もっと慎みを持つべきです。お父さんが闇の民だからって、影響受けすぎなんじゃないですか?」
「そんなのは大昔の話デース! 他種族の男のハートを掴むためには、私たち女性からの積極的なアピールが必要不可欠なのデース! 武術よりも女としての魅力を磨く! それが今のトレンドネ!」
「はん! そんなこと言ってるわりに、あなたはまだ結婚できてないじゃないですか! あなた今年で二十――」
「だぁあ!? それを言うなデース!」
猛牛のごとく羊角の女の子に詰め寄り、口を塞ごうとするカウガール。どうやら彼女にとって、年齢は禁句であったらしい。
二十代で未婚、未出産。現代日本ならごく普通で当たり前だが、ここは結婚適齢期が十代後半、人間五十年のイスミンスールである。婚期を逃したあのカウガールは、さぞ肩身の狭い思いをしていることだろう。
カウガールの名誉のために補足しておくが、こんな時代じゃなければ売れ残るような物件じゃない。それなり以上に美人である。そばかすだって個性の一つだ。
「あの、お二人とも落ち着いて……」
今にも取っ組み合いの喧嘩を始めかねない様子の二人に、横からこう声をかける狩夜。すると、二人はほぼ同時に狩夜の方へと視線を向け、怒涛の勢いで口を動かし始める。
「開拓者さんは私の味方ですよね!? ね!? 飲むならヘイズルーン! 絶対ヘイズルーンミルクです! この前美味しいって言ってくれたじゃないですか!」
「山羊のミルクなんて、癖があるし、青臭いしで飲めたもんじゃありまセーン! 味なら間違いなく牛、アウズンブラミルク一択デース! 有名な美食家の先生も、アウズンブラの方が美味しいって言ってたネ! 本にそう書いてありマース!」
「ぐぬぬ! 栄養価なら、栄養価ならこっちの方が上です! 数字で証明されているんです! こんな乳だけ女の見た目に騙されないでください! 栄養があるんだから、身長だって伸びるはずです! 健康にだっていいんですから!」
「厄災以前のデータが今でも通用するとは限りまセーン! 論より証拠、ミー自慢のバディを見てくだサーイ! ほら、ほらぁ!」
「ああ、ずるいですよ! おっぱいで誘惑するのはいけないと思います! 牧場の娘なら、正々堂々と家畜で勝負してください! こっちは今なら大サービス、セーフリームニルのバラ肉をプレゼント!」
「ムム! こっちも負けていられまセーン! ミーもタングリスニとタングニョーストを出しまーす!」
「あうう……」
なんだか話がそれてきた気がするが、口を挟める雰囲気ではない。狩夜は、羊角の女の子とカウガールとの間で視線を右往左往させながら、延々と続く家畜比べに翻弄され続けた。
自分の家の家畜が世界一。双方共にそう信じているのか、決着がつく様子はまったくない。一進一退の攻防が延々と続く。
これ、いつまで続くんだろう……と、狩夜が途方に暮れかけたとき、事態が動いた。
「だーもう、まどろっこしいデース! ヘイ、ボーイ! ユーは心労が溜まっていて、癒しを求めているそうですネ!?」
「え? ええまあ……」
癒しどころか、今まさにその心労が溜まっている真っ最中ですけどね――と、狩夜は気だるげにカウガールの言葉に頷いた。すると、カウガールは怪しく目を光らせ、こう告げる。
「だったら……これが一番デース♪」
「わぷ!?」
いきなり両手を広げたカウガールは、狩夜の頭を抱え込み、そのまま懐中へと抱き込んだ。質量の暴力とも言うべきカウガールの胸に、狩夜の頭部がすっぽり収まってしまう。
狩夜は顔を真っ赤にし、レイラは少し迷惑そうだ。
「な、ななな、なにやってるんですか破廉恥な!? おっぱいで誘惑するのは駄目だって、さっきも言ったじゃないですかぁ!」
両腕を振り回しながらカウガールを非難する羊角の女の子。だが、カウガールはどこ吹く風。羊角の女の子に見せつけるように、益々狩夜に乳房を押し付け、余裕の表情でこう告げる。
「ふふん。持たざる者の妬みの声が、耳に心地よいのデース。どうですかボーイ? 気持ちいいですかぁ? ミーのおっぱいで、好きなだけ癒されてくだサーイ。そして、ミーの牧場の常連になると言うのデース」
「ま、ままま、負けるかぁーーーー!! 当牧場に、どうか清き一票を!!」
カウガールの挑発に触発されて、羊角の女の子も動く。狩夜の手を両手で掴み、自身の胸へと押しつけた。
こじんまりとした羊角の女の子の胸が、狩夜の小さい手の平にジャストフィットし、確かな柔らかさと、もの凄い速さで高鳴る鼓動が、手の触覚を通して狩夜の脳髄を直撃する。
「清くない! 僕の票以前に、この選挙戦自体が全然清くなーい!」と叫びたい狩夜であったが、カウガールの規格外の胸に埋もれているせいで、声がまったく出なかった。そんな狩夜を、羊角の女の子とカウガールは、商売敵に負けたくない一心で更にもみくちゃにする。
その後も、まあ色々とあったのだが――結局、ヘイズルーンとアウズンブラ、どちらのミルクが上かの決着はつかずじまい。実際に狩夜に飲み比べてもらい、判定は後日というところに落ち着いた。
ようやく解放された狩夜は、ミルクの入った大き目の瓶二つを手に、グンスラーの外れにある小高い丘へと移動。牧場を一望できる日当たりの良い場所に腰を下ろし、早速飲み比べを開始する。
「……ごめんなさい。どっちなんて選べそうにないです」
双方を真剣に吟味した後、狩夜は嘘偽りない素直な感想を口にした。
そう、どっちなんて選べない。どちらにも別々の良さがあり、とてもじゃないが優劣などつけられなかったのである。
どちらもの
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