091・技
「いやしかし『夜な夜な町を徘徊しては家畜を連れ去り、ときに煙のごとく姿を消す黒い影』の正体が、百を超えるホーンバットの集合体だとは思わなかったなぁ」
フヴェルゲルミル帝国山中。フィヨルムという町から徒歩で三時間ほど歩いた場所にある洞窟からの帰り道で、真央が右手を口元に運びながら呟く。
ホーンバット。ユグドラシル大陸に生息する、額に角が生えていることが特徴の、蝙蝠型の魔物である。つい先ほど洞窟の最深部で倒した主は、真央の言葉通り、百を超えるホーンバットの集合体であったのだ。
集合と分裂を繰り返し、相手を混乱、幻惑させることに長けた厄介な相手で、先手必勝とマタギ鉈で切りかかり、確実に相手を捉えたはずの刃が手応えなく素通りしたとき、狩夜は心底驚き、動揺したものである。
ペースを乱して窮地に陥った狩夜を助けたのが、真央の言葉と剣技であった。
自慢の聴覚で主の正体を看破し、闇に紛れて襲い来るホーンバットを、正確無比の斬撃で次々に切り伏せていく真央。月光の下、壇上を舞うかのように木刀を振るうその姿の、なんと凛々しく、美しいことか。
相手の正体を知って落ち着きを取り戻した狩夜は、獅子奮迅の活躍を見せる真央と連携して主をフィヨルムから叩き出すことに成功。その勢いで主の巣である洞窟まで追撃。激闘の末、見事主を打倒したのである。
もし狩夜だけであの主に挑んでいたら、間違いなくレイラの力を借りることになっていただろう。今回の主は、それほどの強敵であり、トリッキーな相手であった。
「安全な場所で町人たちの陳情に耳を傾けるだけじゃ、やっぱり駄目だね。直接現地に赴いて、自分自身の目と耳で見聞きしないと、真実は見えてこないのだと、ボクは今日痛感したよ。狩夜はどう思う?」
「あ、うん。そうだね……いいことじゃない?」
真央からの問いかけに、心ここにあらずといった様子で曖昧な言葉を返す狩夜。すると、真央は眉をひそめ、こう言葉を続ける。
「どうしたの狩夜? なんだか元気ないけど? 名だたる開拓者たちが正体を見破ることができず、打倒を諦めて放置するしかなかった強大な主を退治できたんだよ? もっと喜ぼうよ。かく言うボクはご機嫌さ。フィヨルムは平和になったし、思う存分暴れられたしで、もう最高! あれだけ強かったんだ、ソウルポイントだってたくさん手に入っただろうしね!」
また一歩男に近づいた――と、笑顔でステップを踏み、全身を使って喜びを表現する真央。藍色を基調としたレイラ謹製の和服に包まれた豊かな胸が、その動きに合わせて激しく上下に揺れ動くが、狩夜はまったく意に介さず、次のように言葉を返す。
「ちょっと考えごとがあってさ……悩みモード全開中ってだけ。あんまり気にしないでいいよ」
「考え事? どんな? 悩みがあるなら一人で抱え込まずに、ボクに話してみてよ。できる限り力になるからさ」
「やめとく。だって、今考えてるのは真央のことだし」
「余計気になるよ!? 何々!? ボク、狩夜に何かしちゃった!? 駄目なところがあったら遠慮なく言ってよ! 絶対に直してみせる――とは言えないけど、努力はするから! あ、でも「真央のことを考えると、夜ムラムラして眠れないんだ」とかだったら、容赦なく張っ倒すからね?」
笑顔を浮かべたり、心配したり、驚いたり、不安になったり、半眼を浮かべたりと、狩夜の眼前でコロコロ表情を変える真央。そんな彼女の言動に元気を貰った狩夜は、自身が抱える悩みを打ち明けることを決め、真央に向けて問いを投げる。
「じゃあ言わせてもらうけどさ……なんで真央はそんなに強いの?」
予想外の言葉だったのか、真顔で目をパチクリさせる真央。
「強い? ボクが?」
「強いよ! ていうか強すぎる! この三日間――いや、もう日付変わってるから四日間か。とにかく、この四日間行動を共にして、君の事を見続けてきたけど、はっきり言って異常だよ異常! 何度も確認して悪いけど、真央はソウルポイントで基礎能力を向上させてはいないんだよね!?」
「させてないよ。ボクはいたってナチュラルだ」
「僕としては、『筋力』『敏捷』『体力』『精神』の四項目を一度ずつ強化して、今すぐ人間の壁を破って欲しいんだけどね。真央の目的は知ってるから、強くは言わないけどさ、十ポイントぐらい使ってよ。死んだら元も子もないんだからさぁ」
「嫌だ。もしその十ポイントのせいで男になれなかったらどうするの? 無事に男になれるまで、ボクは他のことには絶対ソウルポイントは使わない。それに、別にボクも狩夜も困ってないだろ? この四日間で確信した。初日みたいに予期せぬ不意打ちを受けない限り、ボクは今のままでも十分魔物と――それこそ、主とだって戦える」
「そこ! 僕が悩んでいるのは、まさにそこだよ! なんで!? なんでソウルポイントで強化されていない真央が、普通の人間が、主と互角に戦えるの!?」
この四日間で、狩夜は真央と共に五体の主を屠ったが、真央が足手まといになるようなことは一度とてなかった。それどころか、サウザンドの開拓者である狩夜と比べてもなんら遜色のない動きを見せ、ときには戦況を左右するほどの発見や、助言をし、幾度も狩夜を助けてくれた。
頼もしいと思う一方で、理不尽だとも思う。だっておかしい。どう考えても強すぎる。
「僕じゃ無理だ! そんなこと絶対にできないって断言できる! この差はなに!? 僕と真央の違いは、いったいなんなのさ!?」
「人種だよ」
狩夜の心からの疑問に、一切躊躇することなくこう言葉を返す真央。この言葉に狩夜はしばし硬直。十秒近く頭を悩ませてから、自信なさげに口を動かす。
「……光の民と月の民ってこと?」
「違う。そっちの人種じゃない。ボクはね狩夜、武人っていう人種で、その中でも特別な、達人ていう人種なんだよ」
「武人で……達人……」
「そう。ボクは月読命流の免許皆伝だ。月読命流は、【厄災】によってレベルを失った人間が魔物と戦うために、三代目勇者がこの世界にもたらした日ノ本の武芸を、月の民が万年の歳月をかけて研鑽した、対魔物用武術。ボクは、その奥義を修めた人間だ。むしろ、これくらいはできて当然なんだよ。ソウルポイントが発見されるまでの、長きに渡る停滞の時間。いったい誰がこの大陸の平和を守り、ときに命懸けで主を倒してきたと思っているんだい? 化け物退治は、古来よりボクら武人の仕事だよ」
こう言いながら、得意げに胸を張ってみせる真央。そして、次のように言葉を続ける。
「でも、勘違いはしないでよね? 純粋に身体能力だけを比較した場合、ボクらのそれは、ソウルポイントで強化された狩夜たち開拓者に遠く及ばない。ボクらは、特殊な筋肉の縮め方や、関節の曲げ方、歩法や呼吸法なんかを知っていて、それらをあれこれ工夫して、どうにかこうにか魔物に対抗しているだけなんだってことを、狩夜には理解しておいてほしい」
「筋肉の縮め方に、関節の曲げ方……か。たったそれだけのことで、圧倒的な身体能力を有する主たちを、どうにかできるものなの?」
「相手にもよるけど、できないときの方が多いかな。まあ、そんなときは相手の力をうまく利用してやればいい。相手の呼吸を読み、間を測り、視線や重心、足運びや手の位置等から次の動きを予測して、相手の急所が通過する場所に、ただ武器を置いておく。そうすれば、相手の方から勝手に当たりにきてくれるからね」
「あ、なるほど。ソウルポイントで強化された力をそのまま跳ね返して、相手の自滅を狙うって寸法か……」
「そういうこと」
「はぁ……凄いんだね、技って」
身体能力の優劣を覆す真央の――達人の技に感銘を受け、短いながらも心からの称賛を口にする狩夜。そして、打倒聖獣を成し遂げるため、更なる力に飢える狩夜が、次のように言葉を紡ぐのは必然である。
「ねえ、真央が言う特殊な体の使い方ってやつ、僕にも教えてくれない?」
「やだ」
狩夜の頼みごとに対し、即座に首を左右振る真央。そして、ここまで無下にされるとは思っておらず、目を丸くして驚いている狩夜が二の句を継ぐ前に、断った理由を口にする。
「他でもない、狩夜のために断るよ。月読命流の技術は、開拓者として活動する合間に、片手間で練習したぐらいで身に着くような、生半可なものじゃない。時間の無駄になるどころか、動きに変な癖がついて、取り返しのつかない事態になりかねないよ。恩を仇では返せないからね。絶対に教えない」
「……」
次々に放たれる正論の連続砲火に、ぐうの音も出ない狩夜。厳しくも優しい言葉に打ちのめされ、しばしの間言葉を失う。
「悪いことは言わないからさ、別のことに時間を使った方がいいよ。狩夜は武人じゃなくて猟師。狩人って人種で、開拓者なんだからさ。ボクら武人の畑に目を向けず、自分の畑で強くなる方法を考えたほうがいい」
パーティメンバーとしてではなく、先達者として狩夜に道を示した後、真央は「ちょっときつく言い過ぎたかな? ごめんね」と笑った。狩夜はそんな真央に対して力なく笑い返し、こう言葉を紡ぐ。
「そうだね。真央の言う通り……だと思う。自分があまり器用な人間じゃないってことを忘れていたよ。僕は開拓者なんだから――うん。ソウルポイントを使って〔短剣〕スキルでも取ってみようかな?」
魂を直接改竄し、一定の能力、技能を付与してくれるスキル。才能の有無にかかわらず、どんな人間でも確実に強くなれる方法にして、辛くて苦しいうえに、報われるかどうかもわからない努力という過程をすっ飛ばす、開拓者の特権である。
真央のおかげで知ることができた、技の恩恵と素晴らしさ。スキルならば、その技を確実かつ、簡単に――
「ううん、スキルかぁ……それもなぁ……」
「ええ!? 真央はこれにも反対なの!?」
開拓者の特権、そのおおよそ半分を否定するまさかの発言に、狩夜は目をむいて驚いた。そんな狩夜に向けて、真央は「うん」と頷いた後、淡々と自らの考えを口にしだす。
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